↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
410/431

第410話 首のない群れ

 《Ō=MIDUCHI》を止めたという事実は、新開市にとって思っていた以上に大きかった。巨大な蛇を一撃で倒したわけではない。オールドユニオンのMAXIMILIANだけで押さえ込んだわけでも、アライアンスのSOFFestが粉砕したわけでもない。KAGEBŌSHIが接続節を外し、REGALIAが散開個体を封鎖し、NECROテックの兄弟姉妹が再接続を妨害し、真鍋の治安機関が避難と回収を仕切り、サムライ・ヒーローたちが市民を運び、オールドユニオンが巨大な頭部を押さえ、そしてアリスは九十分だけ借りた緊急統合調整権を、事件が終わると本当に返した。アライアンスの最終阻止線まで四十七メートル。決して余裕のある勝利ではなかったが、それでも新開市は自分たちの力で止めた。その成功は数字になり、映像になり、会議資料になり、国外の研究者や報道機関から「分散型都市安全保障の実証例」とまで呼ばれ始めた。


 アリスも、その評価を完全には否定しなくなっていた。


「これ」


 臨時安全調整室の会議卓に積まれた報告書を見ながら、アリスが言った。


「結構すごくない?」


 祝部マコトは椅子を傾けながら頷いた。


「かなりすごい。アライアンスがあそこまで出てきたのに、結局SOFFest動かさせなかったし」


 三岐透子も、珍しく否定しなかった。


「制度上も成功例です。緊急統合調整権の発動条件、権限範囲、終了条件、全て記録通りに機能しました。終了後の権限返還にも異常なし」


「私、ちゃんと返した」


「はい」


「すぐ」


「はい」


「女王って言わなかった」


「はい」


 アリスは少し得意げにチャールズ・ブラウンを見る。


「どう」


 チャールズは紅茶を飲みながら資料を読んでいた。


「どう、とは」


「褒めるところ」


「既に十分皆さんが褒めているようですが」


「お前から」


「では」


 チャールズは資料を閉じた。


「非常によくできました」


「子供扱い!」


「注文が多いですね」


 祝部が笑う。アリスも文句を言いながら笑った。チャールズ自身も、気づいていなかったわけではない。前回の成功は、自分にとっても嬉しかった。忍耐強く、少しずつ。権限を分けるだけではなく、必要な時だけ範囲と期限を決めて集め、終われば返す。社会制度として当たり前に見える理屈を、この街で実際に機能させるまでには相当な時間がかかった。それでも動いた。なら、この先も改善していける。少なくとも以前ほど、何か一つの危機が起きただけで王冠がアリスへ戻ってしまうことはないかもしれない。


 その考えには、根拠があった。


 だからこそ。


 それは、慢心になった。


     *


 河島玄隆の身柄が正式に新開市治安機関によって拘束されたのは、《Ō=MIDUCHI》事件から二日後だった。資金供与の経路、休眠していた都市実証計画の再開命令、正規ユニットの流通記録、そして河島本人が危機収束時に提出した設計資料が互いに繋がり、少なくとも任意聴取だけで済ませられる段階ではなくなった。河島は逃げなかった。弁護士を呼び、取締役会へ必要な指示を残し、KAGEBŌSHIの運用継続に必要な技術情報も新開市側へ渡したうえで、迎えに来た真鍋の前へ自分から出た。


「KAGEBŌSHIまで止める必要はないでしょう」


 河島が言うと、真鍋は冷たい目を向けた。


「それを決めるのは私じゃない」


「では」


「捜査と機体評価は別だ。あれが役に立ったことまで消す気はない」


 河島は少し笑った。


「合理的ですね」


「お前に褒められても嬉しくない」


「私も褒めたつもりはありません」


「似た者同士みたいな言い方するな」


 河島の拘束は、当然日本にも伝わった。カワシマ重工は日本企業であり、河島玄隆は産業界にも行政にも太い繋がりを持つ。しかも新開市で意図的に治安危機を作り、その危機を利用して自社製品を売り込もうとした疑いがあるとなれば、「一企業の不祥事」で切り離すには規模が大きすぎた。


 そこで大泉晴翔が、日本側の会議で穏やかに口を開いた。


「陳謝した方がいいでしょう」


 出席していた議員の一人が彼を見る。


「誰がです」


「日本国が、です」


「政府が河島氏の行為を指示したわけではない」


「もちろん。しかし、日本の有力企業が新開市の治安へ重大な影響を与えた。その点について遺憾を表明し、捜査への協力を約束することには意味があります」


「大泉先生が行くおつもりで?」


 晴翔は少し笑った。


「私は新開市に慣れていますから」


「あなたが一番揉めるでしょう」


「そうでしょうか」


「そうでしょう」


 それでも提案自体は通った。理由は単純だった。《Ō=MIDUCHI》ほどの超大型ドローンが市街地へ出現した直後で、新しい代表団を大人数送り込むよりも、すでに現地事情と安全動線に慣れている既存の対新開市代表団から人員を選ぶ方が合理的だったからである。晴翔一人が来るわけでもない。複数の国会議員、外務・産業行政の担当者、法務専門官が随行する正式な代表団だ。


 その名簿を見たアリスは、即座に言った。


「晴翔だけ帰して」


 三岐。


「できません」


「何で」


「正式な代表団構成員です」


「嫌」


「外交は好き嫌いで運用しません」


「じゃあ病気ってことにして」


「誰を」


「私」


 祝部。


「元気じゃん」


「今から具合悪くなる」


 チャールズ。


「良い練習ですね」


 アリスが睨む。


「何の」


「嫌いな相手とも制度上必要なら話す練習です」


「お前も帰す」


「英国人ですので、日本代表団とは無関係です」


「そういう意味じゃない!」


 結局、アリスは面談を受け入れた。晴翔がいるのは嫌だった。それでも他の日本国議員もいる。日本側の正式な陳謝と捜査協力の確認を、自分一人の感情で拒絶することの方が、今のアリスには王様らしく思えた。


 そして、もう一つ。


 本人は認めなかっただろう。


 今の新開市なら。


 晴翔が何かしても。


 止められる。


 そう思っていた。


     *


 代表団との面談は、驚くほど普通に始まった。日本側筆頭議員がカワシマ重工による一連の行為について遺憾を表明し、新開市治安機関による捜査へ必要な範囲で協力すること、国内でも企業側の監督体制を検証することを約束した。アリスは新開市側代表者の一人としてそれを受け、三岐が法的な確認事項を詰め、祝部が市民側への説明について質問する。チャールズは正式な交渉役ではないため後方席に座り、必要な時だけ社会的影響について助言する役割だった。


 晴翔は静かだった。


 それが逆にアリスには気に入らない。


「何で黙ってる」


 突然言われ、晴翔は少し驚いた顔をした。


「黙っていた方がよろしいのかと」


「お前が謝るとむかつく」


「では黙ります」


「それもむかつく」


 日本側議員が非常に困った顔をする。


「アリスさん」


 チャールズが呼ぶ。


「分かってる!」


 晴翔は笑った。


「お元気そうで何よりです」


「お前が言うな」


「褒めても怒られる」


「存在で怒ってる」


「それはどうしようもありませんね」


 表面上は、いつものやり取りだった。だが晴翔は会議室全体を見ていた。アリスは以前より落ち着いている。自分を目の前に置いても、すぐに通信網を警戒していない。真鍋の治安機関も通常の代表団警備以上には増強していない。チャールズも晴翔へ注意を向けてはいるが、前回の面談時ほど張り詰めていない。


 皆。


 少し。


 強くなった。


 だから。


 少しだけ。


 油断している。


 晴翔は、それを好ましく思った。


 会議開始から二十三分後。


 緊急通信が割り込んだ。


『中央、こちらKASANE。敵性ドローンと接敵!』


 アリスが瞬時に立ち上がる。


「場所!」


『第七巡回区、旧地下アクセス口付近! 小型五、識別照合中!』


 真鍋の回線が入る。


『映像出す!』


 壁面へ現れたのは、黒灰色の小型ドローンだった。細長い胴。多脚。外装は簡素で、一機一機なら人間より少し大きい程度。Ō=MIDUCHIのユニットとは違い、接続端子らしいものは見えない。


 識別。


《KYO=KOTU》


 アリスの目が細くなる。


 チャールズは晴翔を見る。


 晴翔は座ったままだ。


 笑っている。


「お前」


 アリス。


 晴翔。


「会議中ですよ」


「……」


「私はここにいます」


 それは。


 事実だった。


     *


 KASANEこと神代朔を含む五名のサムライ・ヒーローは、現場にいた《KYO=KOTU》をほとんど苦戦せずに押し切った。一機目をKASANEが横薙ぎで壁へ叩きつけ、二機目を別のサムライがワイヤで捕らえる。三機目は天井へ逃げたところを射撃で落とされ、残る二機は数秒間だけ牽制行動をした後、旧地下アクセス口へ飛び込んだ。


『敵二、地下へ退却!』


 アリス。


「追える?」


 KASANE。


『いけます』


 別のサムライ。


『少数です。このまま地下で位置を押さえます』


 真鍋。


『待て。地下図送る』


 アリスはほんの一瞬迷った。Ō=MIDUCHI戦で彼らはもっと巨大で、もっと危険な相手と戦った。しかも今は五人。敵は二機。地下へ逃がして別出口から市街へ戻られる方が面倒だ。


「……深追いしないで」


『了解』


「位置取ったら待って」


『了解』


 五人が地下へ入る。


 チャールズは映像を見ていた。


 二機のKYO=KOTU。


 逃げる。


 速い。


 だが。


 追いつかれない程度に。


 一定。


 距離。


 保つ。


 チャールズの顔から血の気が引いた。


「待ってください」


 アリス。


「何」


「なぜ」


 チャールズが立ち上がる。


「彼らは」


「逃げる必要があるのでしょう」


「負けたから」


「本当に?」


 アリスが止まる。


 晴翔は何も言わない。


 チャールズはŌ=MIDUCHIを思い出していた。巨大な一つ。見える身体。接続節。解体する順序。全体を把握できたから、役割を分けて止められた。


 今度は。


 少数。


 弱い。


 逃げる。


 地下。


「追わせるためです」


 アリスの顔が変わる。


「KASANE!」


『地下第一層へ侵入!』


「戻って!」


 チャールズも叫ぶ。


「罠です! 戻ってください!」


 通信の向こうで一瞬の沈黙。


 KASANE。


『了解――』


 そこで。


 地下隔壁が。


 閉じた。


     *


 新開市の地下は、一つの地下街ではない。建設途中で放棄された搬送路、旧インフラ用の保守坑、増設された電力線、都市開発計画の変更で用途を失った大型空洞、違法拡張区画へ繋がる非公式通路。それらが何層にも重なり、完成していない都市の歴史そのもののように入り組んでいる。


 KASANEたちの照明が一度落ちた。


『通信妨害!』


「予備回線!」


『切り替えます!』


 再び映像が出る。


 最初は。


 二つ。


 赤い反応。


 次。


 四。


 八。


 壁面。


 天井。


 床下。


 保守孔。


 配管の隙間。


 一斉に。


 小さな光が。


 点灯する。


 KASANEがセンサー表示を見る。


『……何機いる』


 横のサムライが答えようとした。


 KASANE。


『数えるな!』


 一拍。


『動け!』


 《KYO=KOTU》は、一つにならなかった。


 それが完成形だった。


     *


 最初の攻撃は足元だった。三機が正面から飛びかかり、サムライが斬り払う。その瞬間、床を這っていた別の二機が脚部へワイヤを巻きつけ、姿勢を崩す。後方から一機が跳び、背部冷却口へ小型の粘着片を押し込む。装甲を破壊するほどの攻撃力はない。ただ、冷却効率が落ちる。


『右脚、拘束!』


『切れ!』


 サムライがワイヤを断つ。


 今度は天井から。


 五機。


 一機が囮。


 斬る。


 破壊された機体の外装が通路へ飛び散る。


 その破片の向こうから、別の群れ。


『多い!』


 正面から強い相手を倒す戦いではない。


 腕。


 脚。


 冷却。


 視界。


 短距離通信。


 関節。


 少しずつ。


 壊す。


 サムライ・スーツが人間より強いことを前提として、その強さを一つずつ削る。


 チャールズは地下の映像を見ながら呟いた。


「サムライを」


 一拍。


「狩るために」


「作られている」


 晴翔が小さく言った。


「ええ」


 アリスが振り向く。


「黙れ」


 晴翔は素直に黙った。


 それが余計に腹立たしい。


 地下では、一人目のサムライが壁へ背中を打ちつけた。


『右脚駆動、落ちた!』


 KASANE。


『後退! 私が前!』


『まだ戦える!』


『歩けるうちに下がれ!』


 別方向。


『視界が――センサー塞がれた!』


『手動へ!』


『近すぎる!』


 KYO=KOTUは決して正面で長く戦わない。一機を斬れば二機が下がる。追えば、別の通路から三機が出る。立ち止まれば天井から降りる。サムライが密集すれば左右の抜け道からワイヤを張り、分散すれば一人へ十機以上が集中する。


 一機一機は。


 弱い。


 だからこそ。


 サムライ側は。


 まだ。


 勝てると。


 思う。


     *


「戻して!」


 アリスが真鍋へ叫んだ。


『やってる! 地下隔壁の遠隔制御が死んでる!』


「別口!」


『開けてる! 救援班向かわせた!』


「シュヴァロフ!」


『大型機入れる幅ない!』


「じゃあ」


 アリスは地図を見る。


 KAGEBŌSHI。


 近い。


 REGALIAも。


「KAGEBŌSHIとREGALIA、地下アクセスの広い方から!」


 三岐。


「通常調整権限で要請可能です」


「お願い!」


 チャールズがアリスを見る。


 その顔が。


 青い。


「私の」


 一拍。


「失敗です」


 アリス。


「違う」


「違いません」


「仕掛けたの晴翔!」


「それとは別です」


 チャールズは地下映像から目を逸らさない。


「私は」


「Ō=MIDUCHIへの対応成功を」


「今の仕組みそのものの」


「完成だと」


「考えすぎた」


「お前だけじゃない」


「だから」


 チャールズは苦い顔をした。


「余計に悪い」


 Ō=MIDUCHIなら、もう一度来ても対処できる。


 それは。


 正しい。


 でも。


 だから。


 何でも。


 対処できる。


 ではない。


「一つの問題を解けたことと」


 チャールズ。


「問題を解く方法を」


「完成させたことは」


「違います」


 晴翔。


「その通りです」


 チャールズはゆっくり晴翔を見る。


「貴方に」


 一拍。


「同意されると」


「本当に」


「腹が立ちますね」


 晴翔は嬉しそうだった。


「それは残念です」


「残念そうに見えません」


「はい」


     *


 地下で二人目が脱落した。左腕の駆動部へ三機が同時に食いつき、一機が関節へ薄い金属片を差し込む。サムライがそれを振り払った瞬間、背後から別の一機が腰部補助電源へ体当たりした。


『補助電源切れた!』


『後ろへ!』


『KASANE!』


『行け!』


 神代朔は、一番前に残った。


 無謀だったからではない。


 退路を開けるためだった。


 仲間を一人ずつ後退させ、その間だけ群れを引き受ける。刀を短く持ち、狭い通路で振れる幅だけ使う。一機。二機。三機。壊す。四機目は蹴る。五機目を壁へ押しつける。


 だが。


 天井。


 床下。


 背後。


 まだ。


 いる。


『先に出ろ!』


 最後まで動ける一人が叫ぶ。


『KASANE!』


『命令じゃない! 判断だ!』


 その言葉。


 アリス。


 聞く。


 騎士ではない。


 自分で。


 決めて。


 残っている。


 だから。


 余計。


 怖い。


「朔!」


 KASANEの右腕装甲へ三機が取りつく。一本が関節を固定し、一機が表面センサーを潰す。さらに床から跳んだ一機が膝裏へ衝突した。


 右腕。


 停止。


 左脚。


 出力低下。


 KASANEは一歩下がる。


 まだ。


 刀。


 左手。


 持ち替える。


 一機。


 斬る。


 次。


 二機。


 だが、背後の壁面から伸びたワイヤが肩へ絡む。


『神代!』


『行け!』


 スーツ警告。


《右腕駆動喪失》


《左膝補助出力低下》


《胸部冷却異常》


《緊急脱着推奨》


 KASANE。


 まだ。


 退かない。


 アリス。


「脱いで!」


『まだ――』


「朔!」


 その瞬間、群れが一斉に動いた。


 刀を握る左腕。


 脚。


 背中。


 三方向。


 KASANEのスーツが壁へ叩きつけられる。


 装甲。


 割れる。


 警告。


《フレーム破損》


《戦闘継続不能》


『……っ』


「朔!」


 KASANEはようやく緊急脱着を作動させた。胸部装甲が開き、拘束が解除される。壊れたサムライ・スーツから生身の神代朔が転がり出る。右肩を打ち、息を詰まらせながらも、まだ動く。


 そして。


 KYO=KOTUは。


 生身。


 なった。


 朔を。


 追わなかった。


 チャールズが。


 それを見る。


「……」


 晴翔も。


 見る。


 アリス。


 気づく。


「何で」


 一拍。


「止めた」


 KYO=KOTU。


 殺せた。


 かもしれない。


 でも。


 殺さない。


 目的。


 そこ。


 ではない。


     *


 KAGEBŌSHIが地下大型搬送口の封鎖扉を多腕でこじ開けたのは、その直後だった。REGALIA二機が先行し、救助用照明を最大出力で点灯する。KYO=KOTUは正面から戦わなかった。


 群れが。


 止まる。


 一秒。


 次。


 一斉に。


 散った。


「追うな!」


 アリスが叫ぶ。


 今度は。


 迷わない。


「REGALIA、追わない!」


『了解』


「KAGEBŌSHIも!」


『了解』


「救助だけ!」


 黒灰色の小型機群は、地下連絡路、排水路、保守孔、建設途中の縦坑へ分かれて消えていく。KAGEBŌSHIが追える通路は少ない。REGALIAが一群を追跡しかけるが、複数方向へ分岐された時点で停止した。


 KYO=KOTUにとって。


 勝つ。


 必要。


 ない。


 もう。


 仕事。


 終わった。


 地下へ追撃したサムライ・ヒーロー五名。


 死亡。


 ゼロ。


 戦闘継続可能。


 ゼロ。


 二名負傷。


 二名スーツ重大損傷。


 一名。


 KASANE。


 スーツ完全破壊。


 神代朔本人は意識あり。肩部打撲と軽度の肋骨損傷。搬送可能。


 アリスは報告を最後まで聞いた。


 そして。


 晴翔を。


 見た。


     *


 会議室は、それまで日本国の正式代表団との外交面談の場だった。


 晴翔はまだそこにいる。


 何もしていない顔で。


 椅子。


 座っている。


 日本側の議員たちは状況の異常さを完全には理解していない。ただ、アリスの顔を見て、誰も話しかけられなくなった。


 チャールズが先に立ち上がった。


「アリスさん」


 アリスは歩く。


「アリスさん」


 晴翔。


 見る。


 逃げない。


 笑っている。


 それ。


 駄目。


 だった。


「笑うな」


 晴翔。


「すみません」


「笑うなって」


 アリスが晴翔の前へ立つ。


 拳。


 握る。


 チャールズ。


「待ってください」


 間に合わなかった。


 乾いた音がした。


 アリスの拳が、晴翔の頬をまともに打った。


 晴翔が椅子ごとよろけ、机の端へ肩をぶつける。口元が切れ、赤い血が一筋流れた。


 日本側代表団。


 完全に。


 固まる。


 祝部。


「……やった」


 三岐は額を押さえた。


 真鍋の通信。


『何してんだお前!』


 晴翔は頬へ触れた。


 そして。


 笑った。


 アリス。


「笑うな」


「すみません」


「笑うな!」


 二発目。


 腕。


 上がる。


 今度はチャールズが掴んだ。


「一発で終わりです」


「離して!」


「駄目です」


「こいつ!」


「分かっています」


「朔のスーツ壊した!」


「分かっています」


「皆怪我した!」


「分かっています!」


 普段ほとんど声を荒らげないチャールズが、アリスより大きな声を出した。


 アリスが止まる。


「今の一発ですら」


 チャールズ。


 一拍。


「大問題です」


「知るか!」


「知ってください!」


「晴翔が悪い!」


「それと」


 チャールズはアリスの腕を離さない。


「貴女が殴ったことは」


「別です」


 アリスの顔が。


 止まる。


 河島。


 今。


 怪物止める人。


 終わったら。


 怪物作った人。


 別々。


 自分。


 言った。


 晴翔が。


 悪い。


 それと。


 自分が。


 日本国代表団の。


 国会議員を。


 個人的な。


 怒りで。


 殴った。


 こと。


 別。


 アリスは、自分の拳を見る。


「……やった」


 チャールズ。


「はい」


「最悪」


「かなり」


「晴翔が悪い」


「はい」


「でも」


「はい」


 アリスはもう何も言えなかった。


 晴翔はハンカチで口元の血を拭いた。


「大丈夫ですよ」


 アリスが睨む。


「お前が言うな」


「そうですね」


 三岐が日本側代表団へ向き直る。


「本件については、新開市側として正式に事情確認を行います。アリス本人の行為についても記録を残し、必要な手続きに従います」


 アリス。


「うん」


 逃げない。


 そこだけは。


 もう。


 できる。


     *


「何がしたかった」


 面談が中断され、日本側代表団が別室へ移動する直前、アリスが晴翔へ訊いた。


 晴翔は頬を冷却材で押さえていた。


「何がでしょう」


「KYO=KOTU」


「お土産です」


「これが?」


「一つは」


 アリスの目が細くなる。


「一つ?」


 晴翔は、地下戦闘の停止した映像を見る。


「大きな怪物を」


 一拍。


「皆さんは」


「とても上手に倒した」


「……」


「だから」


 晴翔は微笑む。


「大きくない怪物を」


 チャールズが言う。


「一つにならない怪物を」


「はい」


 アリス。


「何のため」


 晴翔は答えない。


 チャールズが問う。


「何を測ったのです」


 晴翔はチャールズを見る。


 少し。


 嬉しそうに。


「人です」


 それだけ。


 TEN=GU。


 名前。


 出さない。


 誰。


 選ぶ。


 言わない。


 アリス。


「またやる?」


 晴翔。


「同じことは」


「面白くないでしょう」


「答えになってない」


「では」


 一拍。


「同じことは」


「しません」


 その答えの方が。


 もっと。


 嫌。


 だった。


     *


 チャールズは、その日の夜になっても自分の失敗を引きずっていた。普段なら紅茶を淹れ、時間が来れば休み、アリスが焦っていても「急いではいけません」と言う男が、研究室の机に置いたカップへ一度も手を伸ばさない。


 アリスが入ってくる。


「まだいる」


「貴女も」


「私のとこ」


「そうでした」


 チャールズは地下戦闘記録を見ている。


「私も」


「慢心しました」


 アリスは椅子へ座った。


「私も」


「ええ」


「そこで否定して」


「事実ですので」


「嫌い」


「存じています」


 少しの沈黙。


 アリス。


「Ō=MIDUCHI止めたから」


「何でもいけるって」


「ちょっと思った」


 チャールズ。


「私もです」


「お前でも?」


「学者は、仮説が実証されると喜びます」


「普通じゃん」


「喜びすぎると」


 一拍。


「その仮説で」


「説明できないものまで」


「説明したくなります」


 アリスは地下構造図を見る。


「首なかった」


「はい」


「Ō=MIDUCHIは」


「どこ外せばいいか」


「分かった」


「KYO=KOTUは」


「はい」


「どこが本体?」


「恐らく、その問い自体が間違いなのでしょう」


 チャールズは戦闘記録を拡大する。


「一機壊しても全体は困らない。十機壊しても困らない。頭部を探してもない。指揮官を倒しても、おそらく意味がない」


「晴翔みたい」


「大泉議員には少なくとも頭があります」


「殴った」


「そうですね」


 アリスが顔を伏せる。


「……ごめん」


「私に謝ることではありません」


「止められなかった」


「一発目は」


「二発目止めた」


「はい」


「ありがと」


 チャールズは少しだけ笑った。


「次は」


「何」


「一発目から止めたいですね」


「努力する」


 それは。


 制度。


 ではない。


 アリス自身が。


 覚えるしか。


 ない。


     *


 大泉晴翔は、頬を冷やしながら戦闘ログを見ていた。


 側近が隣で呆れた顔をする。


「痛くないんですか」


「痛いですよ」


「嬉しそう」


「そう見えます?」


「見えます」


「困りましたね」


「殴られるところまで計画だった?」


 晴翔は素直に首を横へ振った。


「まさか」


「本当に?」


「アリスさんなら怒るとは思っていました」


「殴るとは」


「可能性は」


「じゃあ避ければよかったのに」


 晴翔は頬から冷却材を外した。


「避けられませんでしたよ」


「嘘だ」


「少なくとも」


 一拍。


「避ける準備は」


「していませんでした」


 それは本当だった。アリスに殴られることは作戦条件ではない。晴翔が欲しかったものはすでに地下で手に入っている。


 画面。


《新開市域内 稼働可能サムライ・ヒーロー》


 数字。


 減少。


 追撃班。


 五名。


 一時離脱。


 別画面。


《活動可能サムライ・ヴィラン》


 近い。


 側近。


「……何これ」


「何でしょう」


「数」


「ええ」


「近い」


「そうですね」


「狙った?」


 晴翔は笑う。


「片方が多すぎると」


 一拍。


「選択肢が偏るでしょう」


「戦わせる気?」


「いいえ」


「じゃあ」


「席の数を」


 一拍。


「少し」


「揃えただけです」


「最低ですね」


「よく言われます」


 次の画面。


 KYO=KOTUが取得した戦闘記録。


 心拍。


 姿勢制御。


 判断遅延。


 撤退判断。


 仲間への支援。


 装備破損時の選択。


 指揮通信喪失後の行動。


 神代朔。


 他。


 複数。


 サムライ。


 データ。


 並ぶ。


《TEN=GU 適合候補抽出》


 側近の顔が変わる。


「こっちが本命?」


「半分」


「残りは?」


 晴翔は画面を見る。


「着る人を」


 一拍。


「探しています」


「誰でもいい?」


「まさか」


「一番強いやつ?」


「それでは」


 晴翔は首を横に振った。


「つまらないでしょう」


「じゃあ何を見るの」


「壊れた後に」


 一拍。


「何を」


「選ぶ人なのか」


 候補一覧が更新される。


《候補A 継続観察》


《候補B 適合可能性再評価》


《候補C 行動傾向一致》


 そして。


 もう一つ。


《優先適合試験対象》


 名前。


 非表示。


 側近。


「決まった?」


「まだです」


「じゃあ何で優先」


「面白いから」


「それ理由?」


「十分でしょう」


 晴翔は頬を押さえ、少し顔をしかめた。


 痛い。


 それでも。


 笑う。


 《Ō=MIDUCHI》は、大きすぎる一つだった。


 新開市は。


 一つずつ。


 外して。


 倒した。


 《KYO=KOTU》には。


 外す。


 中心が。


 ない。


 だから。


 新開市は。


 自分から。


 地下へ。


 入った。


 成功。


 自信。


 そして。


 慢心。


 どれも。


 間違い。


 ではない。


 ただ。


 成功した人間が。


 次も。


 同じように。


 成功すると。


 思う。


 その瞬間だけ。


 歯車には。


 小さな。


 隙間が。


 できる。


 大泉晴翔ほどの男が。


 それを。


 見逃す。


 はずがなかった。


 晴翔は端末を閉じる前に、三つの開発状況を確認した。


《KYO=KOTU 実戦評価:完了》


《TEN=GU 適合候補選定:進行中》


《MIKOSHI=NYUDO 機体統合:第三段階》


 群れからの。


 最初の。


 土産。


 終わった。


 次は。


 人。


 そして。


 その次は。


 もっと。


 大きな。


 何か。


 晴翔は冷却材を頬へ戻した。


「さて」


 側近。


「何です」


「アリスさん」


 一拍。


「次は」


「殴る前に」


「何をするでしょうね」


 側近は、本気で嫌そうな顔をした。


「少しくらい反省したらどうです」


 晴翔は考えた。


「痛かったので」


「それだけ?」


「もう少し」


 微笑む。


「殴られにくい場所へ」


「立つことにします」


 新開市の地下では、まだKYO=KOTUの一部が静かに移動していた。


 首はない。


 王冠もない。


 群れのまま。


 生きている。


 そして地上では。


 一つの成功を。


 街全体の勝利へ。


 育てようとしていた人々が。


 初めて。


 その成功の。


 次にある。


 失敗を。


 味わっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。