第409話 期限付きの王冠
《Ō=MIDUCHI》は、巨大になりすぎていた。カワシマ重工が設定した接続率という指標は、もはや意味を失っている。登録された正規ユニットだけを母数にすれば九十パーセントを超えていたが、その身体には市民公認ヴィランが独自改造した互換機、企業の試験機、修理業者が交換部品から組み上げた再生機、出所すら分からない粗製コピーまで入り込み、今この瞬間にも新しい部品がどこかの路地から這い出しては巨大な胴へ接続している。KAGEBŌSHIが一つの節を外す。REGALIAが散った個体を押さえる。NECROテックの兄弟姉妹が接続信号へノイズを入れる。その一方で、別の場所から三機が追加される。四機が繋がる。蛇体は一度短くなり、すぐに別の場所で長くなった。全長も重量も、すでに河島自身が想定した設計値を上回っている。
「右側、また増えた!」
中央行政区の臨時指揮室で、アリスが地図を睨む。彼女の前にはŌ=MIDUCHIの立体投影、避難区域、各部隊の配置、道路閉鎖状況が幾重にも重なっていた。
真鍋から通信が入る。
『南東から未登録八。こっちで止める』
「お願い!」
『西側の退避は終わった。北東がまだ三割残ってる』
「そっち何いる?」
『治安機関二班、KASANE、それと道路管理。足りる』
アリスは反射的に「シュヴァロフを」と言いかけ、唇を噛んだ。シュヴァロフはすでに別の区画で救助支援に入っている。全部を自分の家族機で埋めれば速い。全部を自分で見ればもっと速い。だが、それをやらないと決めたばかりだった。
「……分かった。任せる」
『了解』
チャールズ・ブラウンは少し離れた机で、もはや冷めている紅茶を飲まずに置いたまま映像を見ていた。Ō=MIDUCHIは北東へ向かっている。巨大になった蛇体は高架を支点にして身体を滑らせ、ビルの間を縫うというより、街区そのものを身体の一部として使いながら進んでいた。
「進路、変わりましたね」
三岐透子が即座に別レイヤーを重ねる。
「北東……」
表示された先を見て、言葉が止まった。
真鍋。
『何がある』
三岐は拡大した。
「アライアンス管理区域です」
アリス。
「……何」
「中立通信・電力複合幹線。新開市域を通過していますが、管理権限はアライアンス」
チャールズの顔が僅かに険しくなる。
「まずいですね」
アリス。
「Ō=MIDUCHIがそこ行く?」
「電力と通信を求めているなら、合理的です」
「食うの?」
「接続先として認識する可能性があります」
「最悪」
その言葉が終わるより早く、指揮室内の通信表示が一斉に切り替わった。通常なら外部から割り込めない優先回線。それが何の警告もなく開き、画面中央に白い識別表示が現れる。
《ALLIANCE PRIORITY CHANNEL》
アリスの顔が露骨に嫌そうになる。
「……来た」
次の瞬間、氷の母の声が指揮室へ響いた。
『ごきげんよう、アリス』
「今忙しい!」
『存じています』
「だったら後!」
『後では、中立インフラがŌ=MIDUCHIの身体になります』
アリスは口を閉じた。
『北東進路を確認しました。接触までの推定距離、二・八キロメートル』
「こっちで止める」
『それを待っています』
「じゃあ口挟まないで!」
『その間に、こちらも準備します』
新しい識別反応が地図へ現れた。
一つ。
二つ。
五つ。
高速で移動する楔形の反応。F.QRE.D.QVE。高速機動隊の機体群が、アライアンス管理幹線の手前へ次々と展開していく。さらに後方、インフラ設備そのものの周囲へVPVDが入り、防御陣形を組む。
祝部が映像を見て眉をひそめた。
「……本気だな」
だが、まだ終わらなかった。
もっと大きい反応が三つ、低速で防衛線へ入ってきた。F.QRE.D.QVEほど速くない。だが、その重量値が桁違いだった。街路を進むたび、道路の振動計が反応する。
アリス。
「何あれ」
真鍋の声が一段低くなった。
『SOFFest』
「高速機動隊の?」
『重量級まで持ってきやがった』
映像が切り替わる。そこにいたのは、巨大で鈍重な三機のドローンだった。高さだけならŌ=MIDUCHIの持ち上げた頭部には及ばない。だが、横へ広く、低く、そして何より重い。多数の接地脚で荷重を分散しながら道路へ入り、所定位置へ到達すると脚部装甲が開いた。
巨大な固定杭が路面へ突き立つ。
轟音。
一機。
次。
もう一機。
最後。
三機目。
地面そのものが、城壁になった。
「……あれ」
アリスが呟く。
「使う気?」
氷の母。
『当然です』
「街の中だよ」
『中立インフラも街の中にあります』
「Ō=MIDUCHI撃ったらばらける!」
『承知しています』
「じゃあ!」
『それでも』
氷の母の声は冷たい。感情を削ったのではなく、最初から必要のないものとして脇へ置いているような冷たさだった。
『中立インフラを失うよりは、安価です』
指揮室が静まった。
それは人命を安く見積もった言葉ではない。中立通信網と電力幹線を失えば、新開市だけでは済まない。複数都市、救急網、避難系統、民間輸送、アライアンスが維持する中立サービスへ連鎖的な損害が出る。氷の母は、その全部を計算している。
オールドユニオン派遣群の司令官からも通信が入った。
『アライアンス高速機動隊、重量級を確認しました』
アリス。
「強い?」
僅かな間。
『MAXIMILIANと正面で撃ち合うための機体ではありません』
「じゃあ」
『撃ち合わずに』
一拍。
『前へ進ませないための機体です』
チャールズがSOFFestの映像を見ながら、小さく言う。
「今回には最適ですね」
アリス。
「言うな」
SOFFestの前面装甲が展開する。大型の拘束器。衝撃吸収機構。巨大な何かを受け止めるためだけに作られたような構造。その装甲の一部に、刻印があった。
《superanda omnis fortuna ferendo est.》
アリス。
「何て書いてる」
チャールズ。
「大意なら」
「短く」
「耐えることで、あらゆる運命を乗り越えよ」
アリスはSOFFestを見る。
「今それ格好つけなくていい」
「私が書いたのではありません」
*
Ō=MIDUCHIは止まらない。KAGEBŌSHIが二つの接続節を外した直後、北側から流入した未登録機十一が後尾へ噛み合った。接続された機体群の中で制御中枢が移動しているらしく、単純に通信を切っても停止しない。河島が安全装置として設けた分散制御が、今は巨大化した怪物の生命維持機構として働いていた。
氷の母が言う。
『アリス』
「何」
『これ以上の進攻を許すのであれば、アライアンスが全面介入します』
「許さない」
『ええ』
一拍。
氷よりも冷たく。
『しかし、それは許さないのでしょう? アリス』
アリスは黙った。
『新開市の』
さらに。
『“女王”として』
空気が変わった。
チャールズの視線がアリスへ向く。三岐も動きを止めた。祝部の顔から冗談が消える。
以前。
同じ女から。
同じように。
問われた。
どういう権限で。
誰として。
責任を持つのか。
その時のアリスには、答えがなかった。人を守りたい。義弘を守りたい。新開市へ勝手に刃を入れさせたくない。だから最後に残った言葉を使った。
女王。
それで止まった。
そして、その言葉は世界中へ広がった。
今。
また。
同じ王冠が。
目の前に。
差し出されている。
「違う」
アリスが言った。
氷の母。
『何がです』
「それ」
『では』
一拍。
『何者として止めるのです?』
アリスは答えず、三岐を見た。
三岐はすぐに理解した。端末を開く。第408話以降、何度も修正してきた《特別調停権限返還・分散工程》。権限を分けることだけを考えた文書ではない。分散した組織が緊急時にまったく協調できなくなれば、その制度は最初の危機で崩れる。だから御堂環と真鍋、三岐、それにアリス自身が嫌々ながら残した条項がある。
「緊急統合調整権を発動できます」
アリス。
「できる?」
「条件を満たしています。都市災害級脅威。複数指揮系統の即時連携が必要。通常調整体制では中立インフラ到達前の収束が困難」
「私に全部戻る?」
「戻しません」
三岐は即答した。
「対象はŌ=MIDUCHI事案のみ。治安・避難・救助・対大型対象運用調整。司法権限なし。外交権限なし。企業認証権限なし。入域権限なし。個人への刑事処分権限なし」
真鍋。
『治安機関の現場指揮権は私が持つ』
「うん」
三岐。
「オールドユニオン派遣群については、現地での安全調整に限定。戦略移動、増派、撤収は含みません」
OU司令官。
『異議ありません』
「期限は?」
「九十分」
アリス。
「短くない?」
チャールズ。
「長くしたいのですか?」
「したくない!」
三岐。
「延長はアリス一人では不可。真鍋、行政代表、臨時安全調整室の三系統の同意が必要です。終了条件成立時は期限前でも自動失効」
「終了条件」
「Ō=MIDUCHIの大型連結状態解除。中立インフラへの進攻能力喪失。市民避難経路の確保」
アリスは立体地図を見る。
「全部ログ残る?」
「公開対象です」
「私が変な命令したら?」
真鍋。
『私が止める』
「ありがと」
『礼言う場面じゃない』
チャールズが、ここで初めて口を挟んだ。
「アリスさん」
「何」
「不安ですか」
「当たり前」
「また一つへ集めるから?」
「うん」
チャールズは頷いた。
「分散とは」
少し間。
「決して集中してはいけない、という意味ではありません」
アリスが彼を見る。
「火事の最中に、消火栓の使用者を全市民投票で決める必要はない」
「それ極端」
「分かりやすくしました」
チャールズは続けた。
「問題は、誰が、何のために、どこまで、いつまで、その力を持つかです」
「……」
「王冠が危険なのは」
一拍。
「被るからではありません」
「じゃあ」
「脱げなくなるからです」
アリスはしばらく黙っていた。
それから、氷の母の回線へ向き直る。
「もう一回」
『何をです』
「聞いて」
氷の母は数秒黙った。
『では、改めて伺います』
前回と同じ。
『どういった権限で』
冷たい声。
『貴女がそれを行うのですか?』
アリスは答えた。
「新開市臨時安全調整室」
一拍。
「緊急統合調整権」
指を一本立てる。
「対象、Ō=MIDUCHIだけ」
二本。
「期限、九十分」
三本。
「延長、私一人じゃできない」
最後。
「終わったら」
一拍。
「全部返す」
氷の母。
沈黙。
アリスはさらに言った。
「女王としてじゃない」
また少しの沈黙。
やがて。
『権限範囲を確認しました』
「じゃあ待って」
『中立インフラへ対象が接触するまで』
「ケチ」
『中立ですので』
そしてアライアンス側回線へ短い指示が流れた。
『SOFFest、最終阻止線維持。前進せず』
三機の重量級ドローンは、武装を下ろさない。
退きもしない。
ただ。
待った。
*
緊急統合調整権が発動した瞬間、アリスの端末へ一気に情報が集まった。以前ならそのまま全てを自分で処理しただろう。今は違った。彼女は数秒だけ全体を見て、必要なことだけを決める。
「目標、一つ」
全系統へ声を飛ばす。
「Ō=MIDUCHIを、中立幹線に触らせない」
真鍋。
『避難は私がやる』
「お願い」
『北東残り二ブロック。道路管理もこっちへ寄せる』
「KASANEは?」
『救助に使う』
「それで」
KAGEBŌSHI運用班。
『接続解体を継続します』
「お願い。壊しすぎないで」
『了解』
「REGALIA」
『散開個体封鎖を継続』
「NECRO」
リンの声。
『再接続信号、もっと遅らせる』
「無理しないで」
『分かってる』
「OU」
司令官。
『御命令を』
「撃つな。頭押さえて。それだけ」
『承知しました、陛――』
アリス。
「今それ言ったら切る!」
一秒。
『……承知しました』
祝部が横で吹き出す。
「進歩したな」
「誰が!」
「OU」
「そこ!」
チャールズは何も言わなかった。アリスが今やっているのは、全部を自分の手へ戻すことではない。各組織の仕事を奪わず、重なった部分だけを合わせることだった。
それでも、Ō=MIDUCHIは強い。
そして。
速い。
三岐。
「中立幹線まで一・九キロ」
氷の母。
『一・八七』
アリス。
「細かい!」
『距離は正確であるべきです』
「今それいらない!」
*
一方、カワシマ重工の運用室では、河島玄隆が自分の怪物を止めるために走り回っていた。
「正規ユニットの制御鍵を全部開放してください」
技術者が振り向く。
「全て?」
「全てです」
「それを出せば」
「分かっています」
河島の顔からいつもの余裕は消えていた。KAGEBŌSHIは今も完璧に近い仕事をしている。世界へ見せたかった性能はすでに十分以上に映っている。だが、その映像の向こうでŌ=MIDUCHIが中立インフラへ近づき続けている以上、広告など口にできる状況ではなかった。
そこへ外部回線。
アリス。
「河島」
河島は一瞬だけ目を閉じ、接続する。
「アリスさん」
「全部出せ」
「何をでしょう」
「Ō=MIDUCHI」
一拍。
「設計」
「接続規格」
「安全装置」
「制御鍵」
「お前が隠してるの」
「全部」
運用室が静まり返る。
河島。
「それをお渡しすると」
「うん」
「我々の関与を示す資料も」
「出る」
「分かっていらっしゃる?」
「分かってる」
アリスは一切迷わない。
「河島」
「はい」
「今」
一拍。
「お前」
「怪物止める人」
河島は何も言わない。
「終わったら」
アリス。
「怪物作った人」
河島の目が少し動いた。
「別々に?」
「別々」
真鍋が別回線から入る。
『私はまだ逮捕するなんて言ってないからな』
アリス。
「じゃあ調べてもらえ!」
『それは当然やる』
河島は、ほんの僅かに笑った。商談の笑顔ではない。
「今助ければ」
「今は使う」
アリス。
「あとで」
「前のこと」
「消えない」
チャールズがアリスを見る。
第410話。
彼が書いた。
現在だけでは。
晴翔に。
食われる。
現在行動評価。
責任継続。
アリスは今、それを河島へ自然に使っている。
河島が頷いた。
「承知しました」
そして、カワシマ重工の内部資料が一気に開放された。
*
設計資料によって、Ō=MIDUCHIの仕組みがようやく見え始めた。群体を一つへ接続した後も単一の中枢を持たず、複数の制御節が一定周期で主導権を受け渡す。大型火力で一節を破壊されても残りが身体を再構成できるようにするための設計だった。
「自分で厄介にしてる!」
アリスが叫ぶ。
河島。
『都市戦での生存性を上げるためです』
「怪物の生存性上げんな!」
『当初はKAGEBŌSHIが解体可能な範囲でした』
「当初は!」
技術担当が制御節の移動予測を表示する。
『現在の主導節、第三』
河島。
『違います』
「何が」
『あと十一秒で第五節へ移ります』
アリス。
「分かるの?」
『私が設計しましたから』
「今だけ頼もしいの腹立つ!」
河島。
『褒め言葉として受け取ります』
「受け取るな!」
必要なのは一瞬だった。主導節が移るタイミングで巨大蛇全体の運動を止め、その節をKAGEBŌSHIが物理的に抜く。その間に再接続信号をNECROが遮断し、分離したユニットをREGALIAと治安機関が囲う。
だがŌ=MIDUCHIを止めるには、頭部側の力を抑える必要がある。
アリス。
「OU」
『はい』
「MAXIMILIAN何機いける?」
『六』
「四でいい。頭押さえて」
『火器は』
「使わない」
『対象が突破を試みた場合』
「押し返して」
『了解』
MAXIMILIAN四機が前へ出る。巨大蛇の頭部がビル壁面から身体を離し、北東の直線道路へ落ちた。四機が左右から取り付き、推進器を噴かして物理的に頭部を路面へ押さえ込む。Ō=MIDUCHIの長い身体が暴れ、高架を擦る。安全機構が完全に死んでいないため、建物へ致命的な衝撃を加える直前に自ら軌道を変える。その僅かな抑制が、逆に捕まえる余地になった。
三岐。
「中立幹線まで九百二十メートル」
氷の母。
『八百九十一』
アリス。
「お前ら競うな!」
チャールズ。
「アライアンスの方が測定精度は高そうですね」
「今お前まで!」
*
SOFFestは動かなかった。
動かないことが。
恐ろしかった。
前方ではF.QRE.D.QVEが低空で待機し、Ō=MIDUCHIが防衛線へ入った瞬間に側面を切り分ける位置へついている。後方ではVPVDが中立インフラ設備を覆い、三機のSOFFestは路面へ杭を打ったまま、巨大な拘束器を開いている。
誰も撃たない。
でも。
撃たないだけ。
準備は。
全部。
終わっている。
氷の母。
『残り六百四十メートル』
「分かってる!」
『全面介入準備、最終段階』
「待って!」
『待っています』
「その言い方ほんと嫌!」
『では、急いでください』
チャールズがアリスを見る。
「忍耐は?」
「今は急ぐ!」
「正しい判断です」
「ややこしい!」
*
河島が叫んだ。
『主導節移動まで十五秒!』
「KAGEBŌSHI!」
『捕捉しています』
KAGEBŌSHIが動く。巨大蛇の胴へ取りつき、補助腕を使って身体を登っていく。単なる戦闘機なら、この距離で巨大対象へ張り付くこと自体が難しい。だがKAGEBŌSHIは都市障害物を掴み、持ち上げ、支えるために複数の腕を持つ。その腕が今はŌ=MIDUCHIの装甲の隙間を掴み、振り落とされないための脚になっている。
河島。
『十』
Ō=MIDUCHIが身体を捻る。
MAXIMILIAN一機の足が浮く。
OU司令官。
『二号、推力上げろ!』
アリス。
「撃つな!」
『撃ちません!』
河島。
『七』
リン。
『再接続信号、抑えてる! 長く無理!』
「あとちょっと!」
『分かってる!』
真鍋。
『北東区、民間人退避完了!』
「よし!」
『喜ぶの後!』
「分かってる!」
河島。
『四』
KAGEBŌSHIが第五節へ届く。
『三』
補助腕。
装甲。
開く。
『二』
Ō=MIDUCHIの全身で、制御権が移る。
『一』
河島。
『今です!』
「KAGEBŌSHI!」
多腕が一斉に動いた。二本が周辺装甲を開き、一つが電源共有端子を切断し、主腕が中央の制御ユニットを掴む。
引く。
Ō=MIDUCHIの巨大な身体が、一瞬だけ硬直した。
アリス。
「今!」
それ以上の命令は必要なかった。
真鍋の治安機関が回収班を入れる。REGALIAが末端ユニットを物理封鎖する。NECROが接続網へ最大出力の妨害をかける。MAXIMILIANは頭部を地面へ押さえたまま動かさない。KASANEたちは残存する民間機を道路外へ運び出す。臨時安全調整室が道路封鎖を切り替え、回収用車両の通路を作る。
アリス軍。
ではない。
アリスが一人で動かす。
家族。
でもない。
違う組織。
違う理由。
違う命令系統。
それぞれが。
自分の仕事を。
する。
その間を。
九十分だけ。
一本。
繋いだ。
Ō=MIDUCHIの胴体が一か所で外れる。二か所。三か所。分離したユニットは散ろうとするが、REGALIAが進路を塞ぎ、治安機関の拘束ドローンが覆い被さる。別の群れが再接続を試みる。しかしリンたちのノイズで認証が通らない。
三岐。
「残り四百十メートル!」
氷の母。
『三百八十六』
アリス。
「もうそれいい!」
Ō=MIDUCHIの頭部がMAXIMILIANを一機振り払う。巨大な胴が道路を滑り、北東へ数十メートル進む。
SOFFest。
動かない。
ただ。
前面拘束器。
さらに。
開く。
氷の母。
『二百四十メートル』
「分かってる!」
『F.QRE.D.QVE、迎撃準備』
「待って!」
『待っています』
「KAGEBŌSHI!」
河島。
『次の主導節、第二節! 頭部寄りです!』
「いける?」
KAGEBŌSHI運用班。
『いきます』
アリス。
「お願い!」
KAGEBŌSHIが、また走る。
*
この時、カワシマ重工の広報担当者は、まだ録画を止めていなかった。
世界中が見るだろう映像。
KAGEBŌSHI。
巨大怪物。
女王アリス。
OUのMAXIMILIAN。
アライアンスの防衛線。
これほど広告価値のある絵は、当初の河島の構想にすら存在しなかった。
「河島さん」
広報担当者が小声で言う。
「この映像」
河島は見なかった。
「今は」
一拍。
「黙ってください」
担当者が驚く。
「しかし」
「人が」
河島はŌ=MIDUCHIの進路を見る。
「まだ」
「危険にいる」
商売人。
企業家。
技術の価値。
世界へ。
見せたい。
その全部。
今も。
消えていない。
だが。
順番。
だけ。
やっと。
戻った。
*
残り百三十メートル。
SOFFestのセンサーがŌ=MIDUCHIを完全捕捉する。
前面拘束器。
固定。
脚部アンカー。
最大荷重。
F.QRE.D.QVE。
低空。
前進。
氷の母。
『アリス』
「分かってる!」
『九十六メートル』
「あと一節!」
河島。
『第二節、移動開始!』
「KAGEBŌSHI!」
KAGEBŌSHIの主腕が巨大蛇の首元へ差し込まれる。
Ō=MIDUCHIが持ち上がる。
その先。
SOFFest。
壁。
三機。
微動。
しない。
八十メートル。
七十。
六十。
アライアンス回線。
『全面介入まで最終猶予』
アリス。
「今!」
KAGEBŌSHIが制御節を引き抜いた。
Ō=MIDUCHIの頭部が落ちる。
MAXIMILIANが押さえる。
NECROが接続信号を断つ。
REGALIAが末端を止める。
真鍋。
『全部囲え! ばらけた奴から回収!』
KASANE。
『了解!』
巨大な蛇。
崩れる。
爆発。
しない。
粉砕。
されない。
一つ。
一つ。
部品へ。
戻る。
最後に残った頭部ユニットが路面へ落ち、数メートル滑った。
SOFFestまで。
四十七メートル。
停止。
静寂。
氷の母の声。
『中立インフラへの直接脅威』
一拍。
『解除を確認』
アリスは椅子へ背を預けた。
「……終わった?」
真鍋。
『まだ回収ある』
「そうだった」
『勝手に帰るな』
「帰らない!」
三岐が端末を見る。
「緊急統合調整権、終了条件を満たしました」
アリスは即答した。
「返す」
「確認します」
「今」
「はい」
三岐が正式終了処理を行う。
《緊急統合調整権 失効》
権限表示。
消える。
アリスの端末から、一部の統合指揮レイヤーが閉じる。
ほんの九十分。
被った。
王冠。
ではない。
借りた。
道具。
そして。
本当に。
返った。
*
氷の母は、すぐには回線を切らなかった。
『アリス』
「何」
『今回は』
少しの間。
『“女王”を』
『名乗りませんでしたね』
「うん」
『それでも』
『止まりました』
アリスは解体されたŌ=MIDUCHIを見る。KAGEBŌSHIがまだ一つの大型ユニットを運び、REGALIAが回収車へ小型機を載せ、治安機関の人間が道路上を走っている。MAXIMILIANは拘束を解除し始め、NECRO兄弟姉妹は通信妨害から通常運用へ戻っていた。
「私が」
一拍。
「止めたんじゃない」
氷の母。
『では』
「街が」
アリスは言った。
「止めた」
長い沈黙。
氷の母。
『記録上も』
一拍。
『そのようです』
それだけだった。
褒めない。
祝福しない。
でも。
前回とは。
違う。
アリスにも。
分かった。
「SOFFest」
「いつ帰るの」
『脅威評価終了後です』
「もう止めた」
『未回収個体があります』
「細かい」
『中立インフラですので』
「それ便利だね」
『便利ではありません』
回線。
切れる。
アリスは息を吐いた。
横を見る。
チャールズ。
「何」
「何でしょう」
「褒めないの?」
「何を」
「私」
「権限返した」
チャールズは少し考える。
「期限と終了条件に従って」
一拍。
「当然でしょう」
アリス。
「お前!」
チャールズ。
「ですが」
「何」
「当然になったのは」
ほんの少し。
笑う。
「良いことです」
アリスは言い返そうとして。
やめた。
「……まあ」
「うん」
*
危機が収束すれば、次は責任だった。
河島玄隆はカワシマ重工の臨時運用室に残っていた。逃げる準備などしていない。むしろ、自分から運用ログ、設計資料、資金ルートの一部、Ō=MIDUCHIに使われた正規ユニット一覧を提出し始めていた。
真鍋が通信画面へ現れる。
『河島玄隆』
「はい」
『話、聞かせてもらう』
「もちろん」
『企業側の弁護士同席は認める』
「助かります」
『ただし資料隠したら次はこっちから取りに行く』
「承知しています」
その横からアリスが入る。
「河島」
「アリスさん」
「KAGEBŌSHI」
河島の表情が僅かに変わる。
「はい」
「良かった」
一瞬。
河島は本当に嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます」
アリス。
「お前は」
一拍。
「最悪」
笑顔。
止まる。
「機体が良かったことと」
「お前がやったこと」
「一緒にすんな」
河島は少し黙った。
「……それでも」
「何」
「KAGEBŌSHIは」
一拍。
「役に立った」
「知ってる」
アリスは即答した。
「だから」
「余計」
「腹立つ」
河島は何も言い返さなかった。
KAGEBŌSHIは優秀だった。
Ō=MIDUCHIを止めるうえで不可欠だった。
河島の技術的な主張は。
正しかった。
だから。
怪物を用意して。
証明する必要など。
本当は。
なかった。
*
その夜、アライアンスの防衛線では、最後の未回収ユニットが治安機関へ引き渡された後もSOFFestがしばらく動かなかった。三機の重量級ドローンは、まるで都市そのものへ根を生やしたように最終阻止線へ立っている。
チャールズとアリスは、遠隔映像でその姿を見ていた。
装甲の刻印。
《superanda omnis fortuna ferendo est.》
アリス。
「結局」
「何だったっけ」
チャールズ。
「耐えることで、あらゆる運命を乗り越えよ」
「耐える」
「ええ」
アリスは少し黙った。
自分。
すぐ。
王冠。
脱ぎたかった。
待て。
言われた。
嫌。
だった。
Ō=MIDUCHI。
一撃。
壊したかった。
でも。
ばらける。
だから。
一つずつ。
外した。
アライアンス。
本気。
だった。
でも。
SOFFest。
動かなかった。
最後まで。
待った。
「……それ」
アリス。
一拍。
「今は」
「ちょっと」
「分かる」
チャールズはアリスを見た。
「良いことです」
「褒めた?」
「今回は」
「やった」
*
そして、世界の別の場所で。
大泉晴翔も。
全部。
見ていた。
側近が記録映像を止める。
「アリスさん」
「女王って言いませんでしたね」
「ええ」
晴翔は楽しそうだった。
「失敗?」
「誰の?」
「先生の」
「いいえ」
「だって、女王やめる方へ進んでる」
「進んでいますね」
「困らない?」
「困りますよ」
「じゃあ何で嬉しそうなんです」
晴翔は画面を巻き戻した。
アリス。
言う。
《緊急統合調整権》
《対象、Ō=MIDUCHIだけ》
《期限、九十分》
《終わったら全部返す》
晴翔はその映像をもう一度見る。
「王冠が」
一拍。
「少し」
「面白い形になりました」
「何が」
「被る」
「脱ぐ」
「だけではなく」
一拍。
「借りて」
「返せるようになった」
側近。
「それ、先生に不利ですよね」
「ええ」
「ブラウン教授の成果?」
晴翔は笑った。
「良い仕事をしますね」
「やっぱ困るんでしょう」
「困ります」
「じゃあ」
「だから」
晴翔は別の画面を開いた。
三つの表示。
《TEN=GU》
《MIKOSHI=NYUDO》
《KYO=KOTU》
ずっと。
待っていた。
三つ。
そのうち一つ。
状態表示。
変わる。
《KYO=KOTU 群制御試験:最終調整》
側近が画面を見る。
「……そろそろ?」
晴翔。
「ええ」
「どれから」
晴翔は少し考えた。
Ō=MIDUCHI。
群れが。
一つ。
巨大な。
中心。
なった。
アリスたちは。
それを。
一つずつ。
外して。
止めた。
なら。
次。
簡単。
だった。
「一つにならないものから」
側近が嫌な顔をする。
「KYO=KOTU」
「はい」
晴翔は笑った。
「大きな怪物は」
「皆さん」
「上手に」
「解体できるように」
「なりましたから」
一拍。
「次は」
「解体する」
「一つが」
「ないものを」
側近。
「ブラウン教授への土産?」
「アリスさんにも」
「津田さんにも」
「新開市にも」
晴翔は画面の向こうの《KYO=KOTU》を見る。
「皆さんへの」
一拍。
「贈り物です」
王冠は。
九十分だけ。
借りて。
返せた。
巨大な怪物も。
一つずつ。
外して。
街へ。
戻せた。
新開市は。
確かに。
一歩。
前へ。
進んだ。
だからこそ。
大泉晴翔は。
次の。
問題を。
用意する。
今度の怪物には。
首がない。
王冠もない。
一つに。
集まる。
理由すら。
ない。
《KYO=KOTU》。
群れのまま。
完成している。
新しい妖が。
静かに。
起動の時を。
待っていた。




