第403話 王冠の外し方
アリスは、大泉晴翔を斃せると思っていた。殺す、という意味ではない。今度こそ新開市から晴翔という人間の席をなくし、彼がいつものように悪党から被害者へ、被害者から政治家へ、政治家から交渉人へと役割を渡り歩いて戻ってくる、その再生の経路を断つという意味でなら、今のアリスにはそれができる。机の上には、三岐透子が「法的根拠が不十分です」と赤字を入れたまま保留している一枚の文書があった。《大泉晴翔に対する新開市域内永久入域禁止措置》。以前なら、そんな文書はアリスが署名したところで紙切れだった。特別調停官に外国人を永久放逐する権限はない。だが今は違う。アリスは自ら「新開市の“女王”として」と責任を引き受け、オールドユニオン軍は事実上彼女の運用指示を待ち、各国使節は国家元首に近い存在として彼女との面談を求め、日本国も彼女を無視した交渉ができなくなっている。その状況を法制度として追認するだけなら、晴翔一人を追い出すことなど難しくない。
三妖機はもうない。NU=E、ON=MORAKI、GASYA=DOKUROはアライアンスによって制圧、回収されている。真鍋の治安機関が現物へ触れることはできないが、新開市側の正式な司法手続きとして記録提供を要請することはできる。アライアンスがアリスの命令を聞くわけではない。それでも、女王ではなく正規の司法主体として必要資料を請求し、日本国側の捜査と接続すれば、氷の母も少なくとも検討はするだろう。ヴェラ・クラウスについても同じだ。晴翔は彼女を直接従属させず、敵を選ぶ自由さえ与えた。それゆえにヴェラは晴翔の部下ではないが、逆に言えば、彼女が知っている晴翔の再入域経路、三妖機に関する情報、海外OCMとの接触を正式な証言として取る余地がある。海井雫もそうだった。雫は晴翔に命令されたわけではない。だが、技能転用プログラムへ晴翔が残した窓、彼が何を教え、何を教えず、どんな出口を用意したかを知っている。二人を「私のために証言しろ」と従わせることはできなくても、司法調査の証人として呼ぶことなら、今の新開市はできる。
証拠を集める。日本側へ渡す。新開市での一連の行為を積み上げる。再入域を拒否する。政治的責任を問う。必要ならオールドユニオン軍を外周警備へ置き、晴翔の三妖機に代わる新たな兵器の持ち込みを止める。
できる。
今なら。
アリスは机上の文書をずっと見ていた。
「……できるんだよな」
隣の椅子でトミーが耳を動かした。
「何が」
「晴翔」
「倒す?」
「うん」
トミーは紙を覗き込んだ。
「永久入域禁止」
「これだけじゃない」
「証拠集めて」
「雫とヴェラも呼んで」
「日本にも出して」
「アライアンスにも正式に記録出してって言って」
「OUにも晴翔入れるなって言って」
「全部」
アリスは文書の端を指で押さえた。
「今なら」
「できる」
トミーは少し黙った。
「やる?」
「……」
「晴翔だぞ」
「知ってる」
「ずっと追い出したかっただろ」
「知ってる」
「じゃあ」
アリスは文書を持ち上げた。破るわけではなかった。しばらく見てから、机の端へ伏せる。
「やらない」
「何で」
「これやったら」
アリスは小さく息を吐いた。
「私」
「本当に王様になる」
トミーは何も言わなかった。
「司法に口出して、外交に口出して、軍動かして、誰を街に入れるか私が決めて」
「晴翔だからって」
「全部」
アリスは手を握った。
「私一人で」
「決めたら」
一拍。
「晴翔倒して」
「私が王様で残る」
「それ」
顔を上げる。
「勝ってない」
*
晴翔は、当然のようにそのことを理解していた。
日本国代表団の滞在施設では、昨日から続く協議のため書類と通信端末が机を埋めていた。その中には新開市側で検討されている晴翔自身への捜査協力要請も混じっている。側近はその資料を見つけて顔を青くしたが、晴翔本人は紅茶を飲みながら、むしろ興味深そうに目を通していた。
「先生」
「はい」
「今のアリスさん、本気なら先生を新開市から永久に追い出せるんじゃないですか」
「ええ」
「ええ、じゃないですよ」
「かなり現実的になりましたね」
「怖くないんですか」
晴翔は少し考えた。
「怖いですよ」
「そう見えない」
「怖いから面白いんです」
「またそれですか」
「ただ」
晴翔は資料を置いた。
「やらないでしょうね」
「何で分かるんです」
「私を倒すために」
一拍。
「女王になるのは」
晴翔は穏やかに笑った。
「彼女にとって」
「負けですから」
側近は嫌そうに晴翔を見る。
「それを分かった上で、あの人を女王陛下って呼び続けてるんですか」
「ええ」
「最悪ですね」
「ありがとうございます」
「褒めてません」
「知っています」
*
午前の行政報告では、オールドユニオン派遣群が長期駐留を前提とした再編成を始めていることが伝えられた。前日の群衆災害で臨時配備した部隊をそのまま置くのではなく、医療、通信、兵站、宿営、整備を含む継続運用可能な編成へ組み替える。本国からは追加の工兵要員と補給班まで派遣する案が出ているという。アリスは報告を聞きながら、窓の外をぼんやり眺めていた。
「……帰る気」
アザド。
「現時点では、ありません」
「本当に?」
「本国としては、昨日の事態を『新開市の新たな政治的安定を支援するための初動』と評価しています」
「安定」
「はい」
「昨日あれで?」
「死者が出ませんでしたので」
「私、怒鳴りっぱなしだった」
「それも現場指揮能力として高く評価されています」
「評価するな」
「私に言わないでください」
アリスは窓へ額を寄せた。下の道路では、昨日の騒ぎが嘘のように配送ドローンが飛び、屋台が開き、通勤者が歩いている。その横を、まだ片付けられていない《女王陛下即位祝賀》の旗を回収する清掃車が通っていった。反対側の壁には《新開市に王はいらない》というステッカーが残っている。そのすぐ隣には《女王陛下万歳》の落書き。その二つを背景に、昨日サムライ・ヴィランとして担ぎ上げられた男が、今日は普通の服で治安機関へ事情聴取に向かっていた。
アリスはその街を見ていて、ようやく自分がなぜこんなにも女王になることを嫌がっているのか、少しだけ言葉にできる気がした。
「私」
トミーが振り向く。
「何」
「新開市」
一拍。
「好きなんだよ」
「知ってる」
「違う」
「何が」
「私の街だから」
「好きなんじゃない」
トミーは黙って続きを待った。
「私のじゃないから」
アリスは窓の外を見る。
「好き」
勝手に屋台を出す人間。勝手に配信を始める人間。勝手にデモをする人間。それを止める真鍋。止められながらも文句を言う市民。企業は隙があれば自社機を売り込み、政治家は票を取り、導線屋は混乱すら商売に変える。NECROの兄弟姉妹が街角で普通に買い物をし、サムライ・ヒーローとサムライ・ヴィランが昨日は同じ人を救い、今日は別々の場所で事情聴取を受けている。
綺麗ではない。
静かでもない。
効率的でもない。
でも。
誰か一人の色でもない。
「アリス一色」
アリスは嫌そうに言った。
「そんな新開市」
「嫌」
トミーが人参を齧る。
「晴翔も似たこと言いそうだな」
「言うな!」
「でも似てる」
「違う!」
「どこ」
アリスはすぐに答えた。
「あいつ」
「壊れるかもしれないところまで」
「面白がる」
「うん」
「私」
一拍。
「壊れる前に」
「止めたい」
トミーは耳を一度揺らした。
「そこは結構違うな」
「かなり違う」
「でも混乱は好き」
「……ちょっと」
「お祭りは?」
「好き」
「導線屋」
「嫌い」
「昨日のヴィラン」
「馬鹿」
「新開市」
アリスは少しだけ笑った。
「好き」
*
だが、全ての人間がその新開市を好きなわけではない。その事実は、トミーに指摘されるまでもなくアリス自身がよく知っていた。
その日の昼、オスカー・ラインハルトがOCM現行部門とNECROテック保護・就労支援部門を代表して声明を出した。
《OCMは、アリス・ヴァーツラフコヴァーを中心とした新開市とオールドユニオンの治安・医療・法制度上の協調強化を支持する》
アリスは声明を読み終える前にオスカーへ回線を繋いだ。
「中心って言うな」
『では何と』
「知らない」
『困りますね』
「私が困ってる!」
『それは理解しています』
「してない」
オスカーは自室にいるらしかった。背後には例によってサボテンが並んでいる。
『アリス』
「何」
『私には、兄弟姉妹の安全を、まだ実績のない制度へ賭けることはできません』
アリスの口が止まった。
『貴女は彼らを守りました。大破局後の混乱でも、OCM内部の対立でも、オールドユニオンの代替計画でも、新開市での騒乱でも』
「皆も守った」
『もちろんです』
「義弘も」
『はい』
「真鍋も」
『はい』
「アザドも、サムライも』
『その通りです』
「じゃあ私じゃなくていい」
『では』
オスカーは静かに言った。
『代替保証を用意してください』
アリスは何も言えなかった。
『兄弟姉妹が住めること』
『病院へ行けること』
『教育を受けられること』
『仕事を選べること』
『研究対象としてだけ扱われないこと』
『兵器として所有されないこと』
『政治へ参加できること』
『誰かが「危険だから」と言っただけで、全てを奪われないこと』
オスカーの声は穏やかだった。
『それらを』
一拍。
『貴女がいなくても』
『保証してください』
アリスはしばらく黙った。
「……分かった」
『何がです』
「王冠」
一拍。
「捨てるんじゃない」
オスカーの眉が僅かに動く。
「ばらす」
*
その考えに辿り着いた直後、アリスの端末へNECROテックの兄弟姉妹から大量のメッセージが届いた。オスカーが声明を出したせいで、どうやら「アリスが女王を辞めるかもしれない」という話まで内部へ回ったらしい。リンからは《辞めるにしても先に寝ろ》、ドラウグルからは《権限移行時の安全保障空白を考慮すべき》という実務的な文面。それだけならまだよかった。
問題は、もっと小さい子供たちだった。
動画が一つ開く。
『アリス』
幼い声。
『女王さまになったの?』
アリスの顔が引きつる。
『女王さまだったら』
一拍。
『もう』
『誰も私たち』
『持っていかない?』
次の動画。
『アリスが女王だったら』
『病院』
『断られない?』
別の子供。
『学校行ける?』
もう一人。
『アリス』
少し照れたような顔。
『もう』
『戦わなくていい?』
そこでアリスは動画を止めた。
「……ずるい」
トミー。
「誰が」
「子供」
「本人ら悪くないだろ」
「知ってる」
「じゃあ」
「だからずるい」
アリスは額を押さえた。
彼らは王政を望んでいるわけではない。
国家体制に興味があるわけでもない。
安全になりたいだけだ。
アリスにもう撃たれてほしくない。
義弘にもう病院を抜け出してほしくない。
自分たちが突然「兵器」へ戻されない世界が欲しい。
それだけだった。
そして、その願いこそが、アリスには一番拒みにくかった。
*
家族ドローンたちも、似たような反応をした。王冠を解体するために権限返還を始めるとアリスが口にした途端、グリンフォンは普段より近い位置を飛び、ダムとディーは何度も彼女の移動予定を確認し、コロボチェニィクは中央行政区へ置かれたOU警備機の位置を勝手に再評価し始めた。アリスが強い権限を持っていれば、少なくとも彼女自身が直接危険へ出る必要は減る。それを家族機たちなりに理解しているらしかった。
「お前ら」
アリスは腰へ手を当てた。
「私が王様の方が」
「安全だと思ってる?」
ダムとディーの頭部が同時に動いた。肯定としか思えない。
「……」
グリンフォンも翼を小さく畳む。
「お前も?」
肯定。
「コロボチェニィク」
巨大な腕が一つ上がる。
「最悪」
その時、整備を終えたばかりのシュヴァロフが奥から出てきた。右上腕関節は新しい装甲へ交換され、損傷していた補助センサーも復旧している。
アリスは黒い巨体を見る。
「お前も?」
シュヴァロフは、すぐには答えなかった。
「私」
「王様の方が」
「安全?」
巨大な手がゆっくりと持ち上がる。
アリスの頭上。
触れない。
少し上。
王冠があるなら。
そこ。
止まる。
アリスは上目でその手を見る。
「……何」
シュヴァロフは動かない。
「重そう?」
小さく。
頷く。
アリスの顔から少しだけ力が抜けた。
「お前だけ」
一拍。
「そこ心配するんだ」
シュヴァロフの手が下がり、今度はアリスの肩へ軽く触れた。
「……ありがと」
*
午後、アリスは病院へ寄った。義弘は当然まだ出られない。胸部固定、左膝の冷却、肩部の可動制限。ベッド横には、脱走防止という名目でシュヴァロフの小型監視端末まで置かれている。
「何」
義弘が訊く。
「相談」
「珍しい」
「殴るよ」
「病人だぞ」
「昨日動いた病人」
「反省してる」
「嘘」
「ちょっとは」
アリスは例の永久入域禁止措置案を見せた。義弘は最後まで読み、紙を返す。
「できるな」
「うん」
「今なら」
「うん」
「やりたい?」
「うん」
即答だった。
「でもやらない」
「何で」
「私」
一拍。
「女王として」
「晴翔倒したくない」
義弘は少しだけ笑った。
「なら、それでいい」
「いいの?」
「俺もあいつ止めたい」
「うん」
「でも」
義弘は天井を見る。
「お前一人が」
「晴翔追い出す街になったら」
「次」
「誰追い出すかも」
「お前一人が決める」
アリス。
「……うん」
「それは駄目だ」
「うん」
「だから」
一拍。
「晴翔は」
「制度で倒せ」
アリスは少し黙ってから頷いた。
「王様じゃなくて」
「新開市に?」
「そう」
義弘。
「お前がいなくても」
「あいつが戻ってきた時」
「同じ席がない」
「それが一番効くだろ」
アリスは少しだけ笑った。
「晴翔」
「喜ぶよ」
「多分な」
「最悪」
「知ってる」
*
その日の夕方、《王冠解体》と書かれた仮題の文書が中央行政区の会議卓へ置かれた。
三岐透子。
祝部マコト。
御堂環。
アザド。
アリス。
真鍋は治安機関側の実務意見だけ出し、会議そのものの中心には入らなかった。彼女には雫の処理と晴翔関連の捜査整理が残っている。
三岐が表紙を見た。
「正式名称にこれは使いません」
「何で」
「王冠解体は法令名ではありません」
「分かりやすい」
「正式名称は《特別調停権限返還・分散工程》を提案します」
祝部。
「長い」
御堂環。
「でも意味は正確です」
アリス。
「裏で王冠解体って呼ぶ」
三岐。
「勝手にしてください」
「やった」
「喜ぶところではありません」
アザドが文書を開く。
「まず、特別調停官の失効条件ですね」
三岐。
「本人による単独延長は禁止します」
アリス。
「絶対」
「緊急延長の場合でも、市長、代表団、治安機関、独立監査の複数承認が必要」
「いい」
祝部。
「次」
三岐。
「単独決定権の縮小。特に不可逆措置」
アリスは晴翔の永久入域禁止案を見る。
「追放とか」
「はい」
「能力切断とか」
アザド。
「それはアライアンス側の権限ですが、新開市側からの要請について単独決定を禁止することは可能でしょう」
「うん」
三岐。
「外国軍の個人指揮禁止」
アリス。
「それ一番急いで」
アザド。
「本国との交渉が必要です」
「何で私が嫌って言ってるのに駄目なの」
「外交と軍事は、嫌だから帰れで終わらないことがあります」
「嫌い」
「承知しています」
「それ返事になってない」
御堂環が資料を一枚ずらす。
「オールドユニオン派遣群は、新設する臨時安全調整室へ運用窓口を移します。アリス個人ではなく、市行政、治安機関、代表団、派遣側の共同調整」
「それ」
アリスが指を差す。
「それ欲しい」
三岐。
「作ります」
外交も分ける。アリス個人との面談はあくまで特別調停官への意見聴取。正式な外交交渉は市行政と代表団を主体とする。企業認証も同じだった。「女王陛下のお墨付き」という便利な商品を成立させないため、都市適合性評価を複数機関による公開基準へ移す。
そして。
NECRO。
アリスはそこだけ、自分で言った。
「住む権利」
三岐が記録する。
「医療」
「教育」
「就労」
「研究」
「政治参加」
一拍。
「所有されない」
御堂環が静かにアリスを見る。
「人格主体としての法的地位」
「うん」
「私が」
一拍。
「いなくても」
「取られないように」
アザドが頷いた。
「そこはオールドユニオン側とも協議できます」
「ちゃんと」
「はい」
「絶対」
「外交に絶対は」
「今それ言ったら殴る」
「努力します」
祝部が笑いかけ、アリスに睨まれて口を閉じた。
*
会議が半分ほど進んだところで、御堂環が一枚の資料を閉じた。
「アリス」
「何」
「確認しておきたいことがあります」
「うん」
「貴女が良い女王だから」
一拍。
「女王を続けてもらう」
アリスの顔が嫌そうになる。
「それ」
「嫌」
「私もです」
環は穏やかに続けた。
「良い人しか安全に使えない制度は」
「安全な制度ではありません」
アリスは少し黙った。
環。
「昨日、貴女は正しい判断をしました」
「……うん」
「だからこそ危険です」
「何で」
「正しく使えることが」
一拍。
「権限を集中させてよい理由に」
「見えてしまうからです」
アリスの表情が変わる。
「次の人」
「私じゃないかもしれない」
「はい」
「だから」
「王様」
「残しちゃ駄目?」
環。
「私はそう思います」
アリスは頷いた。
「後継」
「作らない」
三岐がすぐ書く。
「権限終了時、特別調停官職そのものを自動継承させない。必要機能は各制度へ移管」
「うん」
「次の女王」
一拍。
「なし」
祝部。
「王座ごと壊すわけだ」
アリス。
「そう」
「王冠」
「ばらす」
*
問題は、その解体案のいくつかが大泉晴翔の文案を基礎にしていたことだった。
三岐が日本側から届いた資料を開く。
「《特別調停官の非国家元首性確認》は、そのまま使える部分が多いです」
アリス。
「嫌」
「使います」
「嫌」
御堂環。
「敵が正しいことを言ったら」
「正しいところだけ取ればいいと思います」
「皆それ言う」
祝部。
「敵の部品奪うんだろ」
「それ三岐の言い方」
「気に入った」
「私は嫌」
三岐。
「では別の案を」
「……ない」
「なら使います」
「最悪」
アザドは晴翔の文案を読みながら、僅かに眉を寄せた。
「一つ、興味深い記述があります」
「何」
「権限返還を、外部による剥奪ではなく本人による返還として構成すべきだ、と」
アリスの目が動く。
「晴翔?」
「はい」
祝部。
「何でそこまで親切なんだあいつ」
「聞く?」
アリス。
「嫌」
三岐。
「確認した方がいいでしょう」
「皆私を晴翔と喋らせる」
「必要なので」
「嫌」
「必要です」
「……繋いで」
*
『はい』
晴翔は待っていたかのようにすぐ出た。
「お前」
『はい』
「これ」
アリスが文案を画面へ出す。
「王冠」
「私から取り上げる制度にするなって」
「何」
『そのままの意味です』
「何で」
晴翔は少し笑った。
『奪われた女王は』
一拍。
『復位できます』
会議室が静かになる。
『追放された王も』
『倒された王も』
『いつか』
『取り返す理由を持てる』
「……」
『でも』
晴翔。
『自分で返した女王は』
『戻る理由を』
『一つ失う』
三岐が何も言わずメモを取る。
アリスは嫌そうだった。
「それ」
「義弘が言ってたのと」
「ちょっと似てる」
『帰ってきても同じ場所へ戻れないようにする、ですか』
「知ってるんだ」
『印象的でしたので』
「お前相手の話」
『光栄です』
「褒めてない」
『知っています』
アリスは腕を組んだ。
「何で」
「こんなの」
「本気で手伝う」
晴翔は即答しなかった。
『申し上げたでしょう』
一拍。
『貴女が』
『女王として完成すると』
『つまらない』
「最悪」
『それに』
「何」
『貴女が王冠を脱ごうとする』
『オールドユニオンが止める』
『OCMが条件を出す』
『市民が不安がる』
『企業が利益を失いたくない』
『外国は窓口を失いたくない』
晴翔の声が楽しそうになる。
『皆さん』
『それぞれ』
『正しい』
「だから?」
『その全員と』
一拍。
『貴女が』
『どう折り合うのか』
『長く』
『見ていられる』
アリス。
「やっぱ」
「敵」
『はい』
「お前」
「まだ」
一拍。
「絶対」
「倒す」
『楽しみにしています』
「でも」
晴翔の表情が少しだけ変わった。
「女王としては」
一拍。
「倒さない」
短い沈黙。
『それは』
晴翔は笑った。
『残念です』
アリス。
「嘘」
『何が』
「嬉しいくせに」
晴翔は答えなかった。
その笑顔だけで十分だった。
「切る」
『どうぞ』
「あと」
『はい』
「文案」
一拍。
「使う」
『ありがとうございます』
「お前のためじゃない!」
『もちろん』
アリスは回線を切った。
祝部。
「顔赤いぞ」
「怒ってる!」
「分かってる」
「本当に嫌!」
三岐。
「しかし使います」
「知ってる!」
*
会議が終わった後、アリスはもう一度オスカーを呼び出した。
「オスカー」
『はい』
「NECRO」
「法律にする」
オスカーの表情が変わる。
『どこまで』
「住む」
「働く」
「病院」
「学校」
「研究」
「政治」
一拍。
「全部」
『……』
「私が」
「いなくても」
「取れないように」
オスカーは長いこと黙っていた。
『それが』
一拍。
『完成するまでは』
「何」
『私は』
『貴女の退位に』
『反対します』
アリスの眉間に皺が寄る。
「……何で」
『今、王冠が保証しているものを』
『先に失わせるわけにはいきません』
「完成したら?」
『考えます』
「そこ賛成って言えよ」
『家族の安全に関して』
『私は楽観的ではありません』
アリス。
「面倒」
オスカー。
『家族なので』
アリスは一瞬何か言おうとして、結局やめた。
「……分かった」
*
夜になっても、アリスの机から書類は減らなかった。むしろ増えた。《治安》《外交》《外国軍》《司法》《特別調停》《NECRO法的地位》《企業認証》《アライアンス連絡》《緊急権限》《失効手続》《監査》《市民参加》。昨日までは「女王」という一語の中へ曖昧に押し込められていたものが、今日になって一つずつ名前を与えられ始めている。
三岐が戻ってきた時、アリスはそれらを床の上へ置いた箱へ一枚ずつ分けていた。
「何をしているんです」
「王冠」
「はい?」
「ばらしてる」
三岐は箱を見る。
「それは資料整理です」
「同じ」
「違います」
「私には同じ」
三岐は少しだけ口元を緩めた。
「では」
「最後までやってください」
「うん」
アリスは次の紙を取った。
《国外軍運用調整》。
別の箱。
《NECRO住民権》。
別。
《外交代表》。
別。
《治安緊急権限》。
別。
《司法上の不可逆措置》。
晴翔の永久入域禁止案も、その山の中へ入っている。
捨てない。
使わない。
今は。
制度へ。
返す。
王冠を捨てればいいと思っていた。頭から外して、床へ置いて、もう私のものではないと言えば終わると思っていた。けれど、その王冠の中には、既に誰かの病院があり、誰かの学校があり、誰かの仕事があり、NECROテックの兄弟姉妹が人間として暮らせる保証があり、オールドユニオン軍を止める命令があり、外国と話す窓口があり、アライアンスへ責任を示す約束があり、大泉晴翔を新開市から永久に追い出せるだけの力まで入っていた。それを全部まとめて放り捨てれば、王冠に守られていた人間まで一緒に落ちる。
だから。
捨てない。
ばらす。
一つずつ取り出して、名前をつける。法律へ。行政へ。代表団へ。治安機関へ。司法へ。企業の公開基準へ。NECRO自身へ。市民へ。そして、アリスがいなくても回るようにする。
女王をやめるために必要だったのは、退位ではなかった。
王冠を。
街へ。
返すことだった。




