第402話 戴冠行列
最初に劇的な動きを見せたのは、オールドユニオンだった。正確には、新開市に駐在しているアザドではない。彼はアリスが口にした「新開市の“女王”として」という言葉を、あくまでアライアンスの中立インフラ介入を一時停止させるための緊急時の責任宣言と解釈していたし、特別調停官へ与えられた権限を一夜にして君主権へ読み替えるつもりもなかった。彼自身が作った制度の目的は、権力を一人へ集めることではなく、既存制度では間に合わない局面に限って出口を作ることにあった。しかし、本国の政治家と軍人と外交官は、その慎重な解釈を共有しなかった。彼らが見たのは、アライアンスという世界最大級の中立インフラ組織と「女王」の名で直接交渉し、その介入を一時停止させ、日本国代表団と新開市代表団の間に座り、都市の治安戦力に巨大な影響力を持つ一人の少女だった。法律上の肩書が何であれ、国際政治では「何と呼ばれているか」より「誰が実際に止められるか」が重い。オールドユニオン本国は、その重さを利用することにした。
朝七時十二分。ほとんど眠れていないアリスの端末へ、アザドから緊急回線が入った。
「アリス」
「何」
「先に言っておきます」
アザドの声は普段より明らかに疲れていた。
「私は反対しました」
アリスは数秒黙った。
「何に」
「今から来るもの全部に」
「……何」
その直後、新開市外縁監視網の表示が一斉に増えた。最初は輸送機三機。続いて大型輸送車両。さらに装甲輸送部隊、通信支援車両、医療部隊、電子戦機、都市警備用ドローン群。オールドユニオン最新型都市戦・外交護衛ドローン《MAXIMILIAN》まで複数機が含まれている。編成は統一されていなかった。むしろ各方面軍、各治安支援部門、各外交警護枠から「今すぐ動かせるもの」を掻き集め、最低限の統合だけ施して送り出したような雑多さだった。それなのに、隊列だけは恐ろしく整っている。新開市へ入る直前、オールドユニオン旗と白銀の儀礼旗が展開された。
祝部が映像を見て、口を半開きにした。
「……これ」
アリス。
「何」
「戴冠式?」
「違う!」
アザドが回線越しに低く言う。
「本国からの祝意だそうです」
「帰して」
「私もそう言いました」
「じゃあ帰して!」
「私の命令を聞きません」
アリスが固まる。
「何で」
「私は現地政治代表です。今回の部隊に対する戦略撤収権限を持っていません」
「誰が持ってるの」
「本国統合司令部です」
「そっちに言って!」
「言いました」
「何て」
「却下されました」
「何で!」
アザドは一拍置いた。
「新開市の安定と自治を支援し、特別調停官アリス・ヴァーツラフコヴァーが必要と判断する範囲で使用可能な安全保障能力を提供することは、オールドユニオンの長期的利益に合致する、と」
「私いらない!」
「それも伝えました」
「じゃあ!」
「本国は、貴女の拒否そのものを『新たな統治主体が外国軍の恒常駐留を警戒している健全な反応』と評価しています」
アリスは机へ額をつけた。
「……最悪」
「同意します」
珍しく、アザドとアリスの意見が完全に一致した。
*
さらに悪かったのは、オールドユニオンが同時に出した声明だった。《新開市における自治と安定の深化を歓迎する》《特別調停官アリス・ヴァーツラフコヴァーが中立インフラと都市住民の双方に対して責任ある判断を示したことを支持する》《必要とされる期間、同調停官の裁量下で使用可能な安全保障支援能力を提供する》。そこまでは、まだ緊急治安支援という解釈も可能だった。問題は最後の一文だった。
《将来、新開市がより完全な国際主体として歩むことを選択した場合、オールドユニオンはその選択を歓迎する》
独立国家とは書いていない。同盟加盟とも書いていない。国家承認とも書いていない。だからこそ、外交文書として最悪だった。誰も嘘をつかずに、好きなように読める。
十分後には、《OU、新開市独立を事実上容認》《女王アリスへ軍事支援》《新開市、オールドユニオン陣営入りか》という見出しが世界中を走った。
アザドは新開市側の臨時会見へ出て、はっきり言った。
「特別調停官は特別調停官です。昨日の責任宣言をもって、新開市の統治制度が王政へ変更されたとは解釈していません」
記者。
「では、オールドユニオン本国と見解が違う?」
「本国は王政を承認したとは述べていません」
「しかし軍事戦力をアリス氏の裁量下に置くと」
「そこは、私も現在確認中です」
別の記者。
「将来の国際主体化を歓迎するとは、独立支持では?」
アザド。
「外交文書は、書いてある以上のことを読まないでください」
祝部が中継を見ながら呟く。
「無理だな」
アリス。
「何が」
「人類に」
「滅べ」
「範囲広いな」
*
その日の午前九時、オールドユニオン即応部隊の先遣隊が新開市へ入った。現地司令官は四十代半ばの軍人で、アザドより遥かに話が通じなかった。中央行政区外縁に設置された臨時指揮所へアリスが呼び出されると、彼は姿を見るなり綺麗な敬礼をした。
「新開市女王陛下。オールドユニオン安全保障支援派遣群、現地運用指揮下へ入ります」
「帰れ」
「戦略撤収命令は本国統合司令部の管轄です」
「じゃあアザドの命令聞いて」
「現地政治代表に軍事指揮権はありません」
アザドが横で目を閉じた。
「では私に何ができるの」
司令官は当然のことを説明するように答えた。
「新開市域内における運用指揮を」
一拍。
「陛下に」
「陛下言うな!」
「呼称変更をご希望ですか」
「アリス!」
「承知しました、アリス陛下」
「増やすな!」
祝部が後ろで顔を背けた。笑っている。
「お前笑った?」
「笑ってない」
「顔見せろ」
「会議続けよう」
アリスは額を押さえた。追い返せない。アザドにも帰還命令を出す権限がない。そして放置すれば、彼らは「女王防衛」の名目で勝手に新開市の警備配置へ入る。最悪の場合、反王政デモすら女王への脅威として扱いかねない。
「じゃあ」
アリスは司令官を睨んだ。
「動くな」
「はい」
「武器向けるな」
「はい」
「市民に近づくな」
「はい」
「私が言うまで、今いる場所から勝手に出ない」
司令官はもう一度敬礼した。
「承知しました、陛下」
「だから陛下言うな!」
ところが、その映像は既に海外メディアへ流れていた。オールドユニオンの大部隊が新開市へ入り、アリスの一声で整然と停止し、待機へ移る。法的事情を知らない者が見れば、どう見ても外国軍が新国家元首へ臣従する場面だった。
アザドが低く呟いた。
「非常にまずい」
「知ってる!」
「貴女が正しい命令を出すほど」
「言うな」
「王権が」
「言うな!」
*
その映像を見て、世界も動いた。今度はオールドユニオンより早かった。
ある欧州国家は、オールドユニオンに新開市との関係を独占させるべきではないと判断した。別の国は、アライアンスと直接交渉できる数少ない人物としてアリスとの連絡窓口を欲しがった。ある企業国家は、新開市が今後独立した法域へ発展する可能性を見越し、規格認証と投資協定の先行交渉を申し込んだ。オールドユニオン友好国は祝意を伝える使節を送り、中立国は「国家承認とは無関係な実務連絡」と言いながら代表団を派遣した。誰もが、自分だけ出遅れることを恐れた。
午前十時四十一分。真鍋は治安機関指揮室の大型地図を見ていた。
「……何だこれ」
部下。
「使節団です」
「見りゃ分かる。何で二十七個もいる」
「三十一です」
「増やすな!」
部下が申し訳なさそうに答える。
「私たちが増やしたわけでは」
「分かってる!」
アリスが横から地図を覗く。新開市外縁の入域待機所が外交車列で埋まり始めていた。
「帰して」
真鍋。
「私に外交権はない」
「私にもない!」
三岐。
「限定的にはあります」
「いらない!」
祝部は端末を見ている。
「配信タイトルどうする? 《本日の女王陛下、外交権を投げ捨てる》」
「切るよ」
「普通ので行く」
*
外国人が来れば、新開市民も黙ってはいなかった。昨日まで「女王」という呼び名を半ば冗談で使っていた層の一部は、オールドユニオン軍の到着を見て本当に王政が始まったと受け取り、《女王陛下即位祝賀行進》を自主的に企画した。アリスの顔を印刷した旗、紙製の王冠、白いフードを模した帽子、シュヴァロフ型の風船、さらには《GOD SAVE OUR GHOST》と書かれた横断幕まで現れる。
当然、反対派も出た。
《新開市に王はいらない》
《特別調停官は暫定権限を返還せよ》
《OU軍は帰れ》
《アリス本人を王冠から解放しろ》
アリスは反対派の横断幕を見て、少しだけ頷いた。
「そっちの方が私に近い」
三岐。
「そういう発言は控えてください」
「何で」
「女王が反王政デモを支持した、という記事になります」
「もう嫌」
しかし、さらに問題なのは政治にさほど関心のない市民だった。新開市は昔から妙な祭りだけは好きだった。
「外国軍来てるって!」
「女王パレードあるらしいぞ!」
「サムライ・ヴィランも来るって!」
「屋台どこ出す?」
「アリス本人見られる?」
「今日、中央区行けば全部あるらしい」
導線屋は即座に動き、《女王遭遇率78%》《外国使節通過》《サムライ交戦期待値高》などと書かれた非公式ルート情報を売り始めた。配信者は屋上と歩道橋を押さえ、報道各社は中継車を並べ、野次馬はその隙間へ入り込む。市外から見物客まで流れ込み始めた。
祝部が人流予測を見る。
「新開市って、こんな人いたんだな」
真鍋。
「いなかった。外から来てる」
「どれくらい」
「知りたくない」
「聞いた方が」
「知りたくないって言ってるだろ」
女性らしい細い声でもなければ、丁寧な行政口調でもない。いつもの真鍋だった。
「私が一番嫌いなのはな」
アリス。
「何」
「群衆災害だ」
*
そして、真鍋の嫌な予感は当たった。正午前、複数の導線が同時に中央区東側の大交差点へ流れ込んだ。オールドユニオン軍の補給車列。二か国の外交使節車両。王党派の祝賀行進。反王政派のデモ。日本国代表団関係車両。配信者の集団。野次馬。それらを避けようとして横道へ入った企業デモ機と、その企業に抗議する活動家のドローン群。しかも複数の導線屋が互いに違う「最短安全ルート」を売っていたため、全ての人流が同じ場所で噛み合った。
真鍋。
「誰だこの導線引いたの!」
部下。
「複数です!」
「一人じゃないのかよ!」
「少なくとも七系統!」
「全員連れてこい!」
交差点の中央で、人が押し合い始めた。転倒者が出る。後ろからは状況が見えず、さらに人が進む。王党派と反王政派の間で口論が起き、その横を外国使節の警護車が抜けようとする。上空では双方が持ち込んだ撮影ドローンが衝突し、一機が群衆へ落ちかけた。
最初にそれを受け止めたのは、皮肉にもサムライ・ヴィランだった。
反王政派の一部が「女王の騎士団への対抗者」として担ぎ上げていた未登録サムライである。彼は本来、行進の先頭でサムライ・ヒーローと対峙し、《王権へ屈しない武装市民》を演じるつもりだった。ところが目の前で子供が倒れ、後方から人波が押し寄せる。
「……クソ!」
男は抜きかけた刀を鞘ごと投げ捨てた。
「押すな! 後ろ下がれ!」
装甲腕で人波を受け止め、倒れた子供を片腕で持ち上げる。
「そっち開けろ! 人倒れてる!」
KASANEが到着し、未登録機を見て一瞬刀へ手をかけた。
アリスの通信が飛ぶ。
『神代!』
「はい」
『そいつ今、人助けてる!』
「ですが未登録武装者です」
『今違う!』
一拍。
『あとで捕まえろ! 今助けろ!』
「了解!」
KASANEは刀を抜かず、ヴィランの横へ入り、人波を分け始めた。
未登録サムライ。
「俺、あとで捕まるの?」
KASANE。
「当然です」
「厳しいな!」
「今は押してください!」
「分かったよ!」
ヒーローとヴィランが並んで群衆を支える。その映像がまた世界へ流れた。
*
それを見たオールドユニオン派遣群は、当然ながら別の判断をした。現地司令部からアリスへ緊急回線が入る。
『陛下。中央東交差点において、武装集団と反王政勢力が接近しています。群衆分離のため部隊を前進させます』
「するな!」
『しかし』
「絶対するな!」
『反王政勢力の一部に武装サムライを確認』
「そいつ今、人助けしてる!」
『敵味方識別上は未登録脅威です』
「今見ろ!」
アリスが机を叩いた。
「今、何してるか見ろ!」
司令官が一瞬黙る。
『……救助行動を確認』
「じゃあ撃つな!」
『了解』
「王党派にも近づくな!」
『陛下支持勢力です』
「だから何!」
『……』
「どっちも市民!」
一拍。
『承知しました』
「武器下げたまま、外周だけ作って! 人を押さない! 銃向けない!」
『了解しました、陛下』
「陛下言うな!」
そしてオールドユニオン軍は、本当にアリスの命令通り、武器を下げたまま隊列を広げて群衆の外周へ回った。盾と車両で道路を区切り、押し合う人間を直接制圧せず、救急導線だけを確保する。
海外映像。
《女王アリス、OU軍へ武装抑制を直接命令》
《反王政デモ隊も女王軍が保護》
《未登録武装者を女王が一時的に味方認定》
アリス。
「全部違う!」
アザド。
「……非常にまずいですね」
「お前それしか言わない!」
「事実なので」
*
午後一時を過ぎる頃には、新開市中央部は完全な混乱の坩堝になっていた。外交使節団は次々に指定待機区へ入り、その護衛部隊が道路を占有する。王党派はアリスの姿を一目見ようと中央行政区へ近づき、反王政派は「外国軍の駐留を許すな」と別方向から同じ場所へ向かう。導線屋が避難路まで商品化し始め、配信者は規制線の内側へ入ろうとし、企業はこの混乱の中でも自社守護機の有用性を示そうとする。真鍋の治安機関だけでは到底手が足りない。シュヴァロフは損傷で修理中。ブージャムはNECRO施設防衛から動かせない。義弘は当然、病院から一歩も出せない。
アリスは指揮図を見て、吐き捨てた。
「……もう全部敵にしたい」
祝部。
「前にも言ったな、それ」
「今回はもっと多い」
真鍋がすぐに切る。
「敵味方考えるな」
「分かってる」
「今は人が潰れる」
アリスが真鍋を見る。
「でも、私の軍じゃない」
「後で否定しろ」
「今否定しないと」
「今は人が潰れるって言ってるだろ」
真鍋は地図上のオールドユニオン部隊を指した。
「私たちは私たちで動く。サムライも治安機関の協力枠で動かす。企業機は契約範囲で使う。NECROの連中も本人たちの判断で救助に入ってる」
「うん」
「で」
一拍。
「あんたにしか言うこと聞かない連中」
指先。
OU派遣群。
「何とかしろ」
アリスは数秒、何も言わなかった。
「……私が?」
「他に誰がいる」
「アザド」
アザド。
「聞きません」
「最悪」
「同意します」
真鍋。
「だから使え」
「使ったら」
「王様に見える?」
「うん」
「人が死ぬよりマシだ」
アリスは目を閉じた。
一秒。
開く。
「……分かった」
*
そこからの新開市は、外から見れば完全に一人の統合司令官によって動かされているように見えた。実際には違う。真鍋の治安機関は真鍋の指揮で動き、KASANEらサムライ・ヒーローはそれぞれの現場判断を行い、REGALIAは現在行動評価に基づき救助対象を選び、KAGEBŌSHIは企業側の運用班が道路障害を除去している。NECROテックの兄弟姉妹もアリスの臣下としてではなく、自分たちの意思で負傷者搬送へ入った。ダムとディーは救助。グリンフォンは上空から人流監視。コロボチェニィクは転倒車両と仮設柵を動かす。だが、オールドユニオン軍だけはアリスへ運用指示を求めてくる。そして、OU軍の動きを他勢力と噛み合わせるためには、結果的にアリスが全体像を見る必要があった。
「王党派行進、右側道路へ流して!」
『了解』
「反対派、左! 交差点でぶつけない!」
真鍋。
『そっちは私がやる。あんたはOU見ろ』
「OU、中央へ入るな! 外周だけ!」
『承知しました、陛下』
「陛下言うな!」
KASANE。
『北側導線、詰まります!』
「ヴィラン使って!」
『……ヴィランを?』
「今救助してる奴!」
未登録サムライ。
『俺?』
「お前!」
『名前知らないだろ!』
「今いらない!」
『ひどくない!?』
「左の人波止めて!」
『分かったよ!』
グリンフォンから別映像。
『西側外交車列が王党派行進へ接近』
「止めて!」
『どちらを』
「車列!」
外交担当。
『使節団側から抗議が』
「あと!」
真鍋。
『救急車通すぞ!』
「OU、外周三十メートル下げて!」
『はい、陛下』
「だから!」
祝部。
「もう諦めたら」
「嫌!」
新開市の中央を、白いフードの少女が走っていた。自分で戦うためではない。交差点から交差点へ、指揮所から指揮所へ移動し、現場の映像を見て、誰が今何をしているかを確認するためだった。彼女の後ろには家族ドローンがつき、少し離れて治安機関が動き、さらにサムライ・ヒーロー、企業守護機、NECRO兄弟姉妹、そしてオールドユニオンの軍隊が続く。
誰も。
法的には。
アリスの軍ではない。
しかし。
映像。
だけ。
見ると。
完全に。
女王の。
軍団だった。
*
病院のベッドで、その映像を見ていた義弘は、長いこと黙っていた。胸部固定はさらに厳重になり、左膝には冷却装置。医師とアリスとシュヴァロフの三重監視が決まったため、今度こそ逃げる余地はない。トミーが横で人参を齧りながら画面を見る。
「王様みたいだな」
義弘。
「言うな」
「でも」
「言うなって」
トミーは画面を見る。アリスがOU軍へ下がれと怒鳴り、直後にサムライ・ヴィランへ老人を運べと指示し、別回線で外交車列の経路を変更させている。
「上手いな」
義弘は苦い顔をした。
「あいつ」
「うん」
「一番嫌な形で」
一拍。
「上手いんだよ」
「権力?」
「人助け」
義弘は目を細める。
「権力欲しい奴なら」
「もっと雑に使う」
「アリスは欲しくねえから」
「人が死なねえようにしか使わねえ」
トミー。
「だから人気出る?」
「だから王様に見える」
「最悪だな」
「だろ」
*
晴翔もまた、その光景を日本国代表団用の滞在施設から眺めていた。彼にとっても、オールドユニオン本国の大規模な軍事支援は想定外だった。外国使節団がこれほど早く殺到することも、市民が祝賀行進と反王政デモを同時に始めることも、その双方が同じ交差点で群衆災害を起こしかけることも、最初から設計していたわけではない。
側近。
「先生」
「はい」
「これも想定内ですか」
「全く」
晴翔は素直に答えた。
「だから」
一拍。
「面白い」
側近は嫌そうな顔をした。
「このままアリス女王が定着するんじゃないですか」
晴翔の表情が少し変わった。
「それは」
「何です」
「困りますね」
側近が固まる。
「……え?」
「このまま」
晴翔は画面を見る。アリスの命令でオールドユニオン軍が一歩下がる。KAGEBŌSHIが救急導線を作る。サムライ・ヒーローとサムライ・ヴィランが同じ倒れた人間を担いでいる。
「完成してしまう」
「何が」
「女王が」
側近。
「先生、ずっと女王陛下って呼んでましたよね」
「呼んでいましたね」
「女王にしたかったんじゃないんですか」
「いいえ」
「じゃあ何がしたかったんです」
晴翔は少し考えた。
「王冠を」
一拍。
「どう使うのか」
「見たかった」
「それで実際使った」
「ええ」
「じゃあ満足でしょう」
「ここでアリスさんが本当に女王として定着してしまうと」
晴翔は指を一本ずつ折った。
「軍は彼女へ従う」
「外交団は彼女と交渉する」
「企業は彼女の認証を求める」
「市民は彼女へ判断を預ける」
「治安も彼女を中心に整理される」
側近。
「安定しますね」
「そう」
晴翔が少し寂しそうに言う。
「歯車が減る」
側近の顔が引きつった。
「……そこ?」
「大事ですよ」
「じゃあ、どうするんです」
晴翔はしばらく新開市の映像を見た。女王になりたくない少女。女王でいてほしいオールドユニオン本国。アリスの承認を欲しがる企業。アライアンスへの窓口を求める外国。女王陛下万歳と叫ぶ市民。そのすぐ向こうで「王はいらない」と叫ぶ市民。アリスを恒久的な王冠へ固定したくない新開市代表団。
「手伝いましょうか」
「誰を」
「アリスさんを」
「何を」
「王冠を」
一拍。
「脱ぐのを」
側近は本気で言葉を失った。
「……あなたが?」
「そんなに驚きます?」
「驚きますよ!」
「なぜ」
「敵でしょう!」
「ええ」
「じゃあ!」
「敵だからといって」
晴翔は少し笑う。
「困っている時に」
「面白くなる手助けをしてはいけない理由はないでしょう」
「後半が最悪なんですよ!」
*
晴翔はすぐに日本側の法務・外交実務者へ、いくつかの文案を流した。《特別調停官の非国家元首性確認》《日本国が交渉主体として新開市代表団を継続的に承認する旨の共同文書案》《特別調停官個人との面談と、新開市行政・代表団との正式交渉を分離する運用指針》《暫定権限の失効条件と返還手続き》。どれもアリスが王冠を脱ぐためには極めて有用だった。
比嘉は文案を読んだ後、晴翔の顔を長く見た。
「……正しい」
「ありがとうございます」
「だから気持ち悪い」
「なぜです」
「あなたがアリスさんを助ける理由がない」
「ありますよ」
「何です」
晴翔。
「女王陛下には」
一拍。
「王冠を脱いでいただきたい」
「……あなた」
比嘉が本気で眉を寄せる。
「何考えてるんですか」
「その方が」
晴翔。
「面白いので」
比嘉は目を閉じた。
「聞かなきゃよかった」
晴翔はその文書を送信し、別の端末へ手を伸ばした。そこには政治文書とはまるで違う三つの進捗表示が並んでいた。
《TEN=GU 適合試験:進行中》
《MIKOSHI=NYUDO 機体統合:第二段階》
《KYO=KOTU 群制御試験:再調整》
側近が横から見て、顔をしかめる。
「……何です、それ」
「次の準備です」
「王冠脱ぐの手伝うんでしょう?」
「ええ」
「じゃあ何で新兵器作ってるんです!」
晴翔は本気で不思議そうに振り向いた。
「それと」
一拍。
「これは」
「別の話でしょう?」
「別じゃない!」
「そうですか?」
「三妖機は!」
「よく働いてくれました」
「後継ですか」
晴翔は三つの表示を眺めた。人が身にまとうことを前提にしたサムライ・スーツ《TEN=GU》。巨大な影だけが設計図上に浮かぶ《MIKOSHI=NYUDO》。無数の小さな光点が一つの生物のように移動する群体ドローン《KYO=KOTU》。
「後継」
一拍。
「ではないですね」
「じゃあ」
「次は」
晴翔は楽しそうに笑った。
「もう少し」
「人間に近いものを」
それ以上は説明しなかった。
*
晴翔から出た文案は、日本国代表団の実務ルートを通って新開市側へ届いた。三岐透子は内容を一読し、無言になった。
祝部。
「どうした」
「極めて有用な提案が来ました」
「いいじゃん」
「大泉議員からです」
祝部。
「捨てよう」
「駄目です」
「使うの?」
「有用なので」
その場にいたアリスが振り向いた。
「晴翔?」
三岐。
「はい」
「嫌」
「使います」
「嫌!」
「貴女が女王を辞めたいなら、敵の正しい提案も使ってください」
「晴翔の歯車乗りたくない!」
三岐は文書を机へ置いた。
「乗るのではありません」
一拍。
「部品を奪います」
アリスが黙った。
祝部。
「強い」
三岐。
「何がです」
「言い方」
「必要なものは使います」
アリスはものすごく嫌そうに文書を受け取った。
*
その日の午後、ようやく群衆の圧力が下がり始めた。真鍋が道路を区画し、サムライ・ヒーローと治安機関が人流を分離し、KAGEBŌSHIとコロボチェニィクが障害物を除去する。REGALIAは混乱に乗じて武器を振り回そうとした者だけを現在行動で止め、NECRO兄弟姉妹は救急搬送へ走った。オールドユニオン軍はアリスの命令通り銃口を下げたまま外周を形成し、外交使節団を一つずつ待機地区へ移した。反王政デモ側にいたサムライ・ヴィランまで、最後には救助者として負傷者を運んでいた。
死者は出なかった。
それは、明確に成功だった。
そして、その成功こそがアリスを苦しめた。
オールドユニオンの現地司令官が、作戦終了報告のためアリスの前へ現れる。
「群衆分離完了。主要外交使節の安全確保。民間死者なし。陛下の運用判断は極めて適切でした」
「陛下言うな」
「失礼しました」
「本国に何て報告するの」
「女王陛下は都市治安環境下において極めて優秀な統合作戦指揮能力を示した、と」
アリス。
「それ報告するな!」
「事実です」
後ろにいたアザドが静かに言った。
「司令官」
「はい」
「その報告をしないでください」
「なぜでしょう」
「事実だから困るのです」
司令官は軍人らしく、本気で理解できない顔をした。
*
各国使節団も同じものを見ていた。オールドユニオン軍。日本製守護機。新開市治安機関。企業製ドローン。NECROテックの兄弟姉妹。サムライ・ヒーロー。そして未登録のサムライ・ヴィランまでが、一つの都市救助作戦の中で噛み合った。
ある外交官が小さく言った。
「オールドユニオン軍まで彼女の運用指揮で動いた」
別の男。
「治安機関も」
「厳密には別系統らしい」
「だが結果として、彼女が全体を調整した」
「日本製機もいる」
「民間企業機も」
「非正規武装者まで」
一拍。
「新開市は」
「既に国家なのでは?」
別の外交官はすぐ端末を取った。
「本国へ。接触優先度を上げる」
アリスが一番避けたかった結論が、合理的な分析として各国へ送られていった。
*
夕方、混乱がひとまず収束したところで、アリスは短い会見を開いた。これ以上勝手な解釈を増やさないためだった。
白いフード。疲れた顔。王冠など当然ない。
「聞いて」
記者たちが静まる。
「私」
一拍。
「女王じゃない」
それだけなら、まだよかった。
問題は背後だった。
オールドユニオン派遣群の司令官と数名の軍人。報告待ちのサムライ・ヒーロー。治安機関。REGALIA。KAGEBŌSHI。NECRO兄弟姉妹。グリンフォンとダム、ディー、コロボチェニィク。さらに各国使節の旗。
祝部が横で、ものすごく嫌な顔をしている。
アリスは途中で気づいた。
「……何で」
振り返る。
「みんな」
「後ろいるの」
真鍋。
「仕事終わって報告待ち」
OU司令官。
「陛下の次命を待機中です」
「帰れ!」
「戦略撤収権限は本国にあります」
「お前嫌い!」
記者席からフラッシュが連続した。
祝部。
「今のも使われるぞ」
「知ってる!」
*
三岐は会見後、アリスを追いかけた。
「否定するだけでは、もう足りません」
アリス。
「じゃあどうする」
「昨日」
三岐は真っ直ぐ言った。
「貴女自身が、“女王”という言葉で責任を引き受けました」
「一回だけ」
「国際政治では」
横からアザドが入る。
「一度で十分なことがあります」
「お前まで!」
「私は最初から、権限返還手続きを用意するべきだと考えています」
「だったら早く!」
「昨日まで貴女が女王を名乗っていませんでしたから」
「昨日も本当は違う!」
三岐は机上へ晴翔由来の日本側文案を置く。
「だから、どう返すのかを制度で決めます」
「……晴翔の」
「使える部分は使います」
「嫌」
「我慢してください」
「敵だよ」
「敵の提案でも、正しければ制度は正しい」
アリスはまだ納得していない。
「義弘に聞く」
*
病院。義弘は文書を最後まで読み、アリスへ返した。
「使え」
「嫌」
「使え」
「晴翔」
「知ってる」
「罠」
義弘は首を横に振った。
「罠じゃねえ」
アリス。
「じゃあ」
「もっと悪い」
「何」
義弘は少しだけ嫌そうな顔をした。
「あいつ」
一拍。
「本気で」
「お前に王冠脱がせたい」
アリスが止まる。
「何で」
「お前が王様になったら」
「うん」
「話が終わるからだろ」
「……」
「あいつが好きなのは」
義弘は端末に映る新開市の群衆映像を見た。
「王じゃねえ」
一拍。
「王冠の取り合いだ」
アリスの顔が、さらに嫌そうになる。
「最低」
「知ってる」
「でも使う?」
「使え」
「義弘まで」
「敵が開けた出口だからって、使っちゃいけねえ理由はねえ」
アリスはしばらく黙った後、晴翔へ直接回線を繋いだ。
*
『はい』
「お前」
『はい』
「何で私助けてる」
『助けていますか?』
「日本側の文案」
『良い案でしょう』
「何で」
晴翔は少し黙った。
『女王陛下が』
「陛下言うな」
『本当に女王になってしまったら』
アリス。
「……」
『つまらないからです』
「殺す」
『まだ王冠を被っているうちは、そう命令できますよ』
「余計殺す!」
晴翔が笑う。
『それに』
「何」
『貴女が王冠を脱ごうとすれば』
一拍。
『脱がせたくない人が』
『動きます』
「……」
『オールドユニオン』
『企業』
『外国』
『王党派』
『貴女の権限で助かった人』
『貴女がいることで利益を得る人』
晴翔は楽しそうだった。
『もしかすると』
一拍。
『貴女の家族まで』
アリスの目が僅かに動く。
「家族は」
『分かりませんよ』
晴翔。
『だから』
『面白い』
「……」
『王冠を被せるだけなら』
『一日で済みます』
『でも』
『脱ぐとなると』
一拍。
『皆さん』
『自分の大切なものを』
『守りたくなるでしょう?』
アリスは低く言った。
「やっぱ」
「お前」
「敵」
晴翔は即答した。
『もちろん』
「なのに手伝う?」
『もちろん』
「意味分かんない」
『敵が』
一拍。
『敵の望むものを』
『いつも邪魔しなければならない』
『というルールはありませんから』
アリス。
「ほんと嫌い」
『ありがとうございます』
「褒めてない」
『知っています』
*
夜。ようやく新開市中央区から大半の群衆が散り始めた。反王政デモは解散し、王党派の祝賀行進も交通規制を理由に終了。外国使節団は指定施設へ収容され、オールドユニオン軍は相変わらず新開市外縁と指定待機区へ残っている。真鍋は治安機関の最終集計を見ながら、椅子へ深く腰を下ろした。
「死者ゼロ」
祝部。
「勝ち?」
真鍋。
「今日に限ればな」
アリス。
「女王じゃない」
「それは私に言うな」
「みんな言う」
「明日から制度で潰せ」
三岐。
「そのための作業を始めます」
アザド。
「オールドユニオン本国との交渉も私が継続します」
「軍帰る?」
「努力します」
「絶対?」
「約束はしません」
「役立たず」
「本国の外交判断へ、私一人で勝てるとは言っていません」
祝部の端末が鳴った。
「またニュース」
「見ない」
「一応」
「見ない!」
「タイトルだけ」
「嫌!」
祝部は読み上げた。
「《女王アリス、就任後初の大規模治安指揮。反王政派を含む市民を保護》」
「違う!」
「《多国籍使節、新開市王政府との接触を開始》」
「違う!」
「《OU軍、女王命令下で秩序維持》」
「それもっと違う!」
真鍋。
「今日は見るな」
アリス。
「全部燃やしたい」
真鍋が即座に返す。
「それやったら本当に暴君だぞ」
アリス。
止まる。
「……しない」
「なら寝ろ」
「まだ使節団」
「三岐と祝部に任せろ」
「OU」
「動くなって言っとけ」
「晴翔」
「私が見る」
アリスが真鍋を見る。
「逃がさない?」
真鍋。
「法の中でならな」
「……うん」
*
その頃、晴翔は自室で三つの画面を眺めていた。一つには日本側へ提出した「特別調停官の非国家元首性確認案」。一つには、アリスを女王として扱い始めた世界中のニュース。そして最後の一つには、まだ誰にも見せていない三つの新しい札。
《TEN=GU》
《MIKOSHI=NYUDO》
《KYO=KOTU》
側近が疲れた顔で訊いた。
「先生」
「はい」
「女王陛下、怒ってるそうです」
「そうでしょうね」
「協力するんですよね」
「しています」
「怒らせながら?」
晴翔は画面から目を離さなかった。
「敵ですから」
「……」
「王冠を」
一拍。
「被せるだけなら」
「一日で済む」
側近。
「さっきも言ってましたね」
「でも」
晴翔は、新開市で今も残っている王党派と反王政派の投稿を眺めた。オールドユニオンはアリスを国家元首に近い存在として扱いたがっている。企業は彼女の認証を欲しがる。外国は彼女を外交窓口にしたがる。新開市代表団は権限を制度へ返そうとする。アリス自身は一刻も早く王冠を外したい。
「脱がせるとなると」
一拍。
「皆さん」
「自分の利益を」
「守りたくなるでしょう?」
側近。
「つまり」
晴翔。
「きっと」
わずかに笑う。
「長くなりますよ」
側近は、机の隅に並ぶ三つの兵器計画を見た。
「その間に」
「はい」
「これも作る?」
「ええ」
「何に使うんです」
晴翔は少し考えた。
「分かりません」
「は?」
「まだ」
一拍。
「その方が」
「面白いでしょう?」
*
アリスは王権を否定するために、オールドユニオン軍へ命令した。市民を守るために、サムライ・ヒーローへ仕事を振った。事故を防ぐために、企業機へ道路を空けさせ、NECROテックの兄弟姉妹へ救助を頼み、反王政デモ側にいたサムライ・ヴィランにまで倒れた人間を運ばせた。治安機関は真鍋の指揮で動き、日本製守護機は自分の判断で人を守り、それぞれの制度と意思で動いていた。それでも、外から見れば全てが白いフードの少女を中心に噛み合った。
結果。
新開市では。
誰も。
死ななかった。
それは。
良いこと。
だった。
アリス自身も。
そこだけは。
否定できない。
だが。
その成功を。
見た。
世界は。
別のことを。
確信した。
オールドユニオンの軍隊が、彼女の言葉で止まった。
外国使節が、彼女へ挨拶を求めた。
支持者も反対者も、彼女を中心に街へ集まった。
ヒーローも。
ヴィランも。
企業も。
治安機関も。
救助のため。
同じ街で。
動いた。
アリスだけが。
その王冠を。
外そうとしている。
そして。
最も危険な。
悪党の一人まで。
彼女が。
王冠を。
外すことを。
手伝おうとしていた。
理由は。
善意ではない。
女王を失いたくない者たちが、王冠へしがみつく。
女王を辞めたいアリスが、それを振りほどく。
辞めさせたい者も。
辞めさせたくない者も。
それぞれ。
正しい理由。
持っている。
大泉晴翔にとって。
それ以上に。
長く。
深く。
回る。
歯車は。
なかった。
その夜。
新開市の街には。
もう。
戴冠行列など。
残っていなかった。
それでも。
見えない。
王冠だけが。
昨日より。
確かに。
重くなっていた。




