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第398話 最前列

 大泉晴翔がその日やったことは、珍しいほど真っ当な政治家の仕事だった。日本国側と新開市代表団との間で棚上げになっていた残余交渉――サムライ・ヒーローの新開市内運用権限、日本側機体の現地法適用、NECROテック由来の住民の法的地位、都市インフラへの日本企業参加条件、そして特別調停官という暫定的な存在を今後の協定文書の中でどう扱うか――それらをまとめて進めるため、日本側代表団へ一つの提案を出したのである。アリス・ヴァーツラフコヴァーを、特別調停官として会合へ正式参加させる。それだけならば、今の新開市の現実を考えればむしろ遅すぎるほどの調整だった。


「残りの協議ですが」


 晴翔が資料をめくる。


「アリス特別調停官にも入っていただきましょう」


 比嘉日向が、すぐに顔を上げた。


「必要ですか?」


「必要でしょう」


「法的には日本国代表団と新開市代表団との協議です。特別調停官は一部項目の当事者ではありますが、全項目に参加する根拠は薄い」


「ええ」


「なら」


「法的に必要だからではありません」


 晴翔は平然と言う。


「現実に、無視できないからです」


 比嘉は数秒、晴翔の顔を見た。腹立たしいことに、正論だった。アリスの権限そのものは限定されている。だが実際には、世界中の政府、企業、報道、市民運動が彼女を新開市における最高意思決定者のように扱っている。アリスを外した協定を結べば、それだけで《日本、新開市女王を無視》《代表団、女王陛下を排除して密約》といった見出しが出ることは目に見えていた。


「これをやったら」


 比嘉。


「今度は“日本国が女王アリスを正式承認した”と書かれますよ」


「やらなくても書かれます」


「あなた最近、その理屈で何でも通そうとしてません?」


「便利な時代ですね」


「便利だと思ってるの、あなただけです」


 日本側代表団の他の面々は、比嘉ほど警戒していなかった。外交官はアリス本人との直接対話に興味を持っていたし、官僚は今後の新開市政策において彼女を抜きにした制度設計が実務上成立しないと考えていた。企業側はもっと露骨で、アリスとの面会そのものが今や国際的な宣伝材料になっていることを理解している。久我原総司も、REGALIAの今後の運用や現在行動評価の共通基準を考えれば、直接協議に意味があると認めた。結局、日本側はほとんど諸手を挙げて賛成した。


 新開市代表団側も断れなかった。三岐透子は、アリスが暫定権限を先行取得した一件以来、制度上の距離が開いてしまったことを重く見ていた。祝部マコトはもっと単純だった。


「俺ら」


 一拍。


「このままだと永遠に反乱軍扱いだぞ」


 三岐。


「表現が軽すぎます」


「ニュースの方が重すぎるんだよ。《女王派対民主派》《王党派対共和派》って、俺ら一回もそんな話してないのに」


「だからこそ、同席しているところを見せる意味はあります」


「だろ?」


 こうして、日本国、新開市代表団、そして特別調停官アリスを同じ卓につける会合が設定された。


 晴翔は、表向きには完璧な調整役だった。


 それが余計に、アリスと義弘には気持ち悪かった。


     *


「晴翔いる?」


 アリスは資料を受け取って最初にそれを聞いた。


 祝部。


「いる」


「嫌」


 三岐。


「日本国側代表の一人です」


「外して」


「できません」


「特別調停官」


「その権限はありません」


 アリスが露骨に眉を寄せる。


「私、権限足りなすぎ」


 祝部。


「増やそうとするなよ」


「言ってない」


「顔が言ってる」


「殴るよ」


「はい」


 三岐はため息をつきながら資料を置いた。


「大泉議員の提案自体は合理的です」


「だから嫌」


「合理的だから嫌がるのはやめてください」


「晴翔が合理的なことするとき、だいたい裏ある」


「そこは否定しません」


「ほら」


 その日の夕方、アリスは義弘の病室へ行った。シュヴァロフは相変わらずベッド脇にいる。義弘は退院にはまだ遠いが、顔色だけはかなり戻っていた。


「絶対何かする」


 アリス。


「多分」


 義弘。


「何もしねえ」


 アリス。


「それもっと嫌」


「だろうな」


「何で」


 義弘はしばらく資料を見ていた。


「今回あいつ」


 一拍。


「見たいだけだ」


「何を」


「お前と」


 義弘。


「サムライ・ヴィラン」


 アリスの目が細くなる。


「……見物?」


「最前列でな」


「政治会談使って?」


「政治会談だからだろ」


「意味分かんない」


「晴翔には分かってる」


 義弘は資料を閉じ、天井を少し見た。


「日本国代表団、新開市代表団、お前、サムライ・ヒーロー、報道、企業。そこに今、サムライ・ヴィランって新しい席までできた」


「うん」


「全部同じ場所に集まる」


「だから」


「一番いい席だ」


 アリスはますます嫌そうな顔をした。


「最低」


「褒めてない」


「分かってる」


 しばらく沈黙した後、義弘の表情が少しだけ険しくなる。


「でも」


「何」


「これ、二つ怖い」


「二つ?」


「一つ」


 義弘。


「あいつ、自分がサムライ・ヴィランに関わってるって疑われるのを怖がってねえ」


 アリス。


「……」


「普通なら距離取る。あんなもんが出た直後に、自分から新開市の中心に入ってこねえ」


「でも晴翔」


「来る」


「疑われても?」


「調べさせりゃいいって思ってる」


 アリス。


「戻れるから」


「そうだ」


 晴翔は悪党の席に座ることそのものを恐れていない。疑われ、捜査され、批判され、失脚しても、戻れる道があるならそれでいい。むしろ、それを「悪党から帰ってきた政治家」という再生の物語へ変えることすらできる。


「もう一つ」


 義弘。


「あいつ」


「サムライ・ヴィランに」


「自分が狙われるのも」


 一拍。


「許容してる」


 アリス。


「普通」


「自分が作ったって疑われてる悪党の近く行かない」


「晴翔は行く」


「何で」


「怖いからだ」


 アリスが黙る。


「怖くねえと」


 義弘。


「あいつには意味がねえ」


「……頭おかしい」


「知ってる」


「サムライ・ヴィラン全部、晴翔が動かしてる?」


 義弘は首を横に振った。


「そこ勘違いすんな」


「でも種は」


「蒔いた」


「じゃあ」


「でも次に誰が晴翔本人を斬りに来るか」


 一拍。


「あいつも知らねえ」


 アリスはしばらく黙った後、低く言った。


「やっぱ」


「何」


「晴翔」


 一拍。


「除かないと駄目」


 義弘の目が細くなる。


「追放か?」


「違う」


「じゃあ」


 アリス。


「仕組みから」


 義弘が、ほんの少しだけ笑った。


「やっと」


「何」


「そこ来たか」


「何が」


「殴っても戻る」


「追い出しても戻る」


「失脚させても戻る」


「なら」


 一拍。


「帰ってきた時」


「同じ場所に」


「戻れねえようにするしかねえ」


 アリス。


「うん」


 シュヴァロフが僅かに頭部を動かした。


 義弘。


「何でお前まで頷くんだよ」


     *


 会合当日、中央行政区は朝から異様な空気に包まれた。日本国代表団の車列。新開市代表団。特別調停官室。治安機関。日本側警備。サムライ・ヒーロー。REGALIA。報道各社。海外メディア。祝部の公式配信。行政区周辺には何重もの規制線が敷かれた。


 当然。


 ニュース。


《日新首脳会談、本日開催》


《女王アリス、日本国代表団と正式会見》


《新開市議会、女王陛下との和解へ》


 アリス。


「全部違う」


 祝部。


「今日は訂正諦めよう」


「嫌」


「まだ始まってないのに疲れるぞ」


「もう疲れてる」


 三岐。


「会合中は配信コメントを見ないでください」


「見るの祝部」


「俺も今日は見ない方がいい気がする」


「仕事して」


「はい」


 アリスが会場へ入る。日本側代表団。比嘉。久我原。晴翔。新開市側。三岐。祝部。複数の実務担当。アリスは晴翔と目が合った瞬間、露骨に顔をしかめた。


 晴翔。


「おはようございます」


 アリス。


「帰れ」


 比嘉。


「始まる前からやめてください」


「こいつが」


「今日は日本国代表です」


「知ってる」


「なら」


「嫌」


 晴翔が少し笑う。


「歓迎されて嬉しいです」


「してない」


     *


 会合そのものは、意外にも最初の一時間ほど順調だった。日本側サムライ・スーツを新開市内で運用する場合、現地治安機関が緊急停止要請を出せること。REGALIAを含む日本側自律機は、新開市の《現在行動評価》に準じた動作基準を受け入れること。日本側企業による都市インフラ参入は、新開市側の複数機関による認証を経ること。NECROテックの兄弟姉妹についても、OCMとの契約関係とは切り離して住民・就労・医療・教育面から検討する専門部会を設置すること。アリスは何度も「私を恒久制度に入れるな」と要求し、日本側の文案に《特別調停官の承認》と書かれている箇所を見つけるたびに削らせた。


「ここ」


 アリス。


「私いらない」


 日本側官僚。


「しかし暫定期間中の最終調整として」


「駄目」


 三岐。


「私も削除に賛成です」


 アリス。


 少し。


 三岐を見る。


 三岐。


「特別調停官を協定上の恒久的な最高承認主体に置くのは制度趣旨に反します」


 アリス。


「……うん」


 祝部。


「お」


 二人。


 祝部を見る。


「何ですか」


「いや」


「何」


「仲直りした?」


 アリス。


「殴るよ」


 三岐。


「会議中です」


 祝部。


「はい」


 だが、そのやり取りには確かに以前より棘が少なかった。三岐はアリスの暫定権限取得そのものに異議を持っていたし、アリスは「手続き」を盾に動きを止められることを嫌っていた。それでも、アリスを恒久的な王冠へ固定しないという一点では、二人の目的は同じだった。


 晴翔は。


 その様子を。


 楽しそうに。


 見ていた。


 アリス。


「何」


 晴翔。


「何がです?」


「笑ってる」


「良い会合だと思いまして」


「気持ち悪い」


 比嘉。


「大泉先生、今日は本当に黙っていてください」


「はい」


 晴翔は素直に黙った。


 それが。


 また。


 気持ち悪かった。


     *


 最初の警報が入ったのは午前十一時七分だった。


『第二区、未登録サムライ一名』


 真鍋の回線。


 アリス。


「何してる」


『道路封鎖』


「市民に攻撃?」


『まだ』


「KASANE」


 別回線。


『近い。向かう』


「自分で見て」


『了解』


 会合。


 続く。


 三分後。


『南側、未登録サムライ二。自称サムライ・ヴィラン』


 アリス。


「増えた!」


 真鍋。


『治安機関とGhost Hero向かわせた』


「うん」


 さらに。


『西側、日本代表団車列の予備経路付近に未登録機』


 比嘉。


「ちょっと待ってください!」


 アリス。


「私に言わないで!」


「あなたの街でしょう!」


「私のじゃない!」


 祝部。


「今の、今日一番大事だからもう一回言って」


「配信すんな!」


 三岐。


「会議を中断しますか?」


 アリス。


 一瞬。


 立ちかける。


 止まる。


 昨日まで。


 何度も。


 やった。


 自分。


 行かない。


「続ける」


 比嘉。


「大丈夫なんですか?」


「大丈夫じゃない」


「では」


「でも」


 アリス。


「私行かなくても」


「止める奴いる」


 比嘉は少しだけ黙った。日本側代表団の一部も、窓の外や警戒画面を見る。


 遠く。


 サムライ。


 走る。


 REGALIA。


 移動。


 Ghost Hero。


 展開。


 治安機関。


 規制。


 女王。


 玉座。


 座る。


 ように。


 見える。


 アリス。


 それに気づいて。


「最悪」


 祝部。


「言うな」


     *


 新開市各地では、サムライ・ヒーローとサムライ・ヴィランの小規模な衝突が次々に始まっていた。第二区では《KUROGANE》と呼ばれるようになった黒いサムライが、再びKASANEの前へ現れた。前回と同じく無差別攻撃はしない。ただ、今度は人通りのある大通りを選び、あえて衆人環視の中で刀を抜いた。


「今度は」


 KUROGANE。


「人がいる」


 KASANE。


「だから何です」


「試すと言った」


「私は試験装置ではありません」


「ヒーローなら」


 一拍。


「試される」


「誰に」


「守る相手に」


 KASANEは刀を抜く。


「なら」


 一拍。


「守る相手を」


「巻き込むな」


 両者。


 激突。


 別の地区では、派手な赤い装甲を着た配信系ヴィランが、カメラを十機も引き連れて「女王の騎士団へ公開挑戦」と叫びながらサムライ・ヒーローへ戦闘を仕掛けた。政治団体を背景に持つ未登録サムライは《日本との密約を許すな》と掲げて行政区へ近づこうとし、企業系の一機は「対抗性能試験」の名目でREGALIAを狙った。


 そして。


 もう一人。


 最初から。


 晴翔。


 狙っている。


 サムライ・ヴィランが。


 いた。


     *


「休憩にしましょう」


 正午前、三岐が提案した。会合は一度区切られ、日本側と新開市側の担当者が別室で文案整理に入る。アリスはそのまま席に残り、真鍋の現場情報を確認していた。


 晴翔が立つ。


 比嘉。


「どこへ行くんです?」


「休憩です」


「この建物の中でお願いします」


「少し外の空気を」


「駄目です」


「なぜ?」


「外にサムライ・ヴィランがいます!」


「ええ」


「分かってるなら」


 晴翔。


「だから」


 一拍。


「見に」


 比嘉。


「行くな!」


 アリス。


 顔。


 上げる。


「お前」


 晴翔。


「はい」


「ほんとに行くの?」


「せっかくですから」


「何がせっかくなの」


「最前列です」


 アリスの顔が。


 さらに。


 険しくなる。


「義弘」


 通信。


『何だ』


「当たった」


『何が』


「晴翔」


「見物」


『だろうな』


 アリス。


「止めて」


『俺病院』


「役立たず」


『知ってる』


 晴翔は本当に外へ出た。護衛と側近がつく。比嘉は「日本国代表団の一員が勝手に戦闘地域へ出るな」と最後まで怒鳴っていたが、晴翔は聞かなかった。


     *


 新開市の街は、晴翔にとってひどく魅力的だった。警報。規制線。配信者。遠くを走るサムライ・ヒーロー。路地の上を飛び越える未登録機。避難誘導する治安機関。KAGEBŌSHIが転倒した車両を持ち上げ、REGALIAが市民の現在行動を評価しながら進路を変える。


「すごいですねえ」


 側近。


「観光じゃないんですよ!」


「知っています」


「戻りましょう」


「もう少し」


「何を見るんです」


 晴翔。


「分かりません」


「それが一番怖いんです!」


 近くで衝撃音。二本の刃がぶつかる。人々が歓声を上げる。晴翔がそちらを見る。


「……本当に」


 一拍。


「増えましたね」


「あなたのせいでは?」


「証拠は?」


「そういう話じゃない!」


 その時。


 別方向。


 声。


「大泉晴翔!」


 護衛が即座に前へ出る。路地の奥から一体の未登録サムライが現れた。鈍い灰色。既存企業の量産フレームを改造したものらしい。右腕に短槍。左腕に簡易盾。


 側近。


「先生、下がって!」


 晴翔。


 逆に。


 一歩。


 前。


「何で前行くんです!」


 サムライ・ヴィラン。


「お前が」


「悪党を」


「作ったんだろ!」


 晴翔。


「そう思われてるんですね」


「お前倒せば!」


 槍。


 向ける。


「女王が」


 一拍。


「俺を見る!」


 晴翔の目が。


 楽しそうに。


 細くなる。


「なるほど」


 側近。


「嬉しそうにするな!」


 ヴィラン。


 突進。


 護衛。


 構える。


 晴翔。


 避けない。


 その瞬間。


 横。


 白銀。


 閃く。


 サムライ・ヒーローが割り込み、槍を弾いた。さらにREGALIAが走り込み、ヴィランと晴翔の間へ立つ。


『現在行動評価』


『対象A:民間人への直接攻撃行動』


『対象B:被攻撃状態』


『保護優先:対象B』


 晴翔。


「おや」


 側近。


「おや、じゃない!」


 未登録サムライが再度踏み込む。ヒーローが受ける。REGALIAが晴翔の退避路を作る。


「先生!」


「はい」


「走って!」


「分かりました」


 晴翔は。


 笑いながら。


 走る。


「楽しそうにするな!」


     *


 会場では、現場映像がアリスの端末へ届いていた。


「……こいつ」


 アリス。


 義弘。


『分かったろ』


「何が」


『狙われても』


 一拍。


『得なんだよ』


 晴翔は今。


 被害者。


 である。


 サムライ・ヴィランに。


 襲われる。


 日本国代表。


 ヒーロー。


 守る。


 REGALIA。


 守る。


 映像。


 世界中。


 流れる。


 晴翔。


 また。


 別の席。


 座る。


「……気持ち悪い」


『だろ』


「義弘」


『何』


「やっぱ」


 一拍。


「こいつ」


「除く」


『だからどうやって』


「仕組みから」


 義弘。


 少し。


 黙る。


『それなら』


「うん」


『考える価値ある』


 アリスは画面を閉じる。


「会議続ける」


 三岐。


「よろしいのですか」


「晴翔死んでない」


 比嘉。


「言い方!」


「REGALIAいる」


 久我原。


「保護行動継続中です」


「じゃあいい」


 祝部。


「すごいな。昨日までなら飛び出してた」


 アリス。


「行ったら」


 一拍。


「晴翔喜ぶ」


「それは嫌だな」


「だから行かない」


     *


 午後の会合は、騒動の最中とは思えないほど具体的な成果を出した。日本側自律戦力の新開市内運用では、新開市治安機関の現地停止権を明記する。REGALIAを含む機体について、固定された敵味方識別より現在行動評価を優先する共通原則を試験採用する。NECROテックの兄弟姉妹については、OCMの所有物や研究資産ではなく、個別の法的人格を前提とした地位検討へ移行する。さらに、特別調停官は協定の恒久的な最高承認主体には置かない。


 その文言を読み上げた時、アリスは三岐を見る。


「これ」


「はい」


「いい」


 三岐。


「私もそう思います」


「……」


「何ですか」


「別に」


 祝部。


「仲直り」


 二人。


「黙って」


 祝部。


「はい」


 日本側も最終的に受け入れた。アリスを制度上の王冠へ固定しない。今の巨大な政治的影響力を無視はしないが、それを恒久的権限へ変換しない。その一点だけでも、この日の会合には意味があった。


 そして。


 そこへ。


 晴翔。


 戻ってくる。


 服。


 少し。


 汚れている。


 髪。


 乱れている。


 側近。


 完全に。


 疲弊。


 晴翔。


 楽しそう。


 比嘉。


「どこ行ってたんですか!」


「新開市を」


 一拍。


「見てきました」


 アリス。


「遊んでた」


 晴翔。


「否定はしません」


「帰れ」


「まだ会議中です」


「何で戻ってくるの!」


「日本国代表ですから」


「そこだけ真面目にすんな!」


 晴翔は席へ戻る。


 資料。


 読む。


「かなり進みましたね」


 三岐。


「あなたが不在だったので」


 祝部。


「強い」


 晴翔。


「それは良かった」


 比嘉。


「反省してください」


「はい」


「してないでしょう」


「はい」


     *


 収監施設の海井雫は、その日の騒動を限定端末越しに見ていた。技能転用プログラムの再審査は続いており、今の彼女は外へ触れられない代わりに、公開情報や切り出された技術ログを解析することを許されている。


 映像。


 晴翔。


 街。


 出る。


 サムライ・ヴィラン。


 狙う。


 ヒーロー。


 守る。


 REGALIA。


 守る。


 晴翔。


 逃げる。


 その後。


 何事も。


 なかったように。


 会議。


 戻る。


 雫。


「……」


 職員。


「何です」


「これ」


「何がです」


「普通に」


 一拍。


「倒しても」


「駄目じゃん」


「誰を」


 雫。


「晴翔」


 職員。


「倒す、とは」


「知らない」


「物理的に?」


「それも」


「政治的に?」


「それも」


 雫は画面を巻き戻す。ヴィランに襲われる晴翔。守られる晴翔。笑う晴翔。


「こいつ」


「悪事」


「バレても」


「戻る」


「失脚しても」


「戻る」


「捕まっても」


「多分」


「戻る」


「狙われたら」


「今度は」


 一拍。


「被害者」


 職員は何も言わない。


「悪党の席」


 雫。


「降りる」


「別の席」


「座る」


「また」


「戻る」


 少し。


 ぞっと。


 する。


「……再生」


 職員。


「何ですか」


「こいつ」


「再生する」


 それは、義弘がずっと見ていたものだった。倒しても戻る。悪党にしても帰る。責任を取ることすら出口へ変える。晴翔は失敗しないのではない。失敗しても、自分を次の形へ作り替える。


 雫。


 考える。


 普通に。


 倒す。


 駄目。


 なら。


「出口」


 職員。


「何を」


「なくせば」


 一拍。


「戻れない」


 口にした瞬間。


 義弘。


 顔。


 浮かぶ。


 悪いことした奴は止める。


 でも。


 戻れなくするのは。


 俺の仕事じゃねえ。


 雫。


 止まる。


「……」


「海井さん?」


「何でもない」


「今、出口をなくすと」


「独り言」


 雫は画面を消す。


「出口なくしたら」


 一拍。


「私」


「晴翔より」


「悪い?」


 職員。


「何の話です?」


「だから独り言」


 雫は椅子へ深く座り直した。


「……面倒」


 その言葉が。


 誰かに。


 似ていることには。


 まだ。


 気づかなかった。


     *


 ジュリウス・ニエレレは、雫の検索履歴そのものではなく、正式に監視対象として共有された技能転用プログラムの活動傾向だけを見ていた。晴翔の政治的再起。過去の失脚例。役割転換。世論回復。支持基盤。法的出口。危機後の再評価。雫が以前より明らかに大泉晴翔という一人の人間の構造へ関心を向け始めている。


 氷の母。


『現在行動は』


 ジュリウス。


「変化中」


『危険ですか』


 少し。


 沈黙。


「まだ」


 一拍。


「分からない」


『能力切断を』


「現時点では」


「勧告しない」


『理由は』


「考えている」


『それだけですか』


 ジュリウス。


「考えることは」


 一拍。


「まだ」


「行動ではない」


 氷の母。


『現在行動評価』


「はい」


 ジュリウスは画面を閉じた。


     *


 会合が終わる頃、新開市の空は夕方の色へ変わっていた。行政区の外では、まだ数件のサムライ・ヴィラン事案が続いている。KASANEとKUROGANEの戦闘は双方の撤退で終わり、他の未登録機の多くも治安機関とサムライ・ヒーローによって押し戻されていた。晴翔を狙った一機は拘束された。


 日本側代表団の窓際。


 晴翔。


 街。


 見る。


 遠く。


 サムライ。


 跳ぶ。


 追跡光。


 走る。


 警報。


 響く。


「面白いですねえ」


 比嘉。


「口に出さないでください」


「失礼」


 アリス。


 少し離れたところで。


 晴翔。


 見る。


「お前」


「はい」


「今日」


「何かした?」


 晴翔は少し考える。


「会合を調整しました」


「それ以外」


「街では?」


「うん」


「何も」


 アリス。


 目。


 細くなる。


「ほんと?」


「本当に」


「サムライ・ヴィラン」


「私も襲われました」


「だから怪しい」


「被害者に厳しいですね」


「お前だから」


 晴翔。


「それは差別では?」


「現在行動評価」


「なるほど」


「今」


 一拍。


「お前」


「楽しんでる」


 晴翔。


 笑う。


「はい」


 アリス。


「最悪」


「ありがとうございます」


「褒めてない」


「知っています」


 アリスは晴翔の顔をしばらく見た。悪党。政治家。被害者。調整役。見物人。どの席にも座れる。どの席からも降りる。殴って終わるような相手ではない。


「晴翔」


「はい」


「いつか」


 一拍。


「お前」


「戻れないようにする」


 晴翔の笑みが。


 少しだけ。


 変わる。


「殺す、という意味ですか?」


「違う」


「追放?」


「違う」


「失脚?」


「違う」


「では」


 アリス。


「帰ってきても」


 一拍。


「同じ場所」


「ないようにする」


 晴翔は数秒、何も言わなかった。


 そして。


 心底。


 嬉しそうに。


 笑った。


「それは」


 一拍。


「楽しみです」


 アリス。


「喜ぶな!」


     *


 同じ頃。収監施設。


 海井雫は。


 晴翔。


 笑う。


 映像。


 見ていた。


 アリス。


 言う。


《帰ってきても、同じ場所ないようにする》


 雫。


 止まる。


「……」


 自分。


 考えた。


 出口。


 なくす。


 アリス。


 違う。


 帰ってくる。


 こと。


 止めない。


 戻る場所。


 変える。


 雫。


 何度も。


 その言葉。


 考える。


「……何それ」


 職員。


「何がですか」


「知らない」


 でも。


 少し。


 腹が立つ。


 また。


 自分より。


 先。


 行かれた。


 ような。


 気がした。


 普通に倒しても、大泉晴翔は戻ってくる。悪事を暴いても、失脚させても、捕まえても、殴っても、それだけでは終わらない。あの男は悪党の席を降り、被害者の席へ座り、政治家の席へ戻り、必要ならまた悪党になる。失敗すら再生の材料へ変える。


 なら。


 倒すとは。


 何なのか。


 殺すことではない。


 追放することでもない。


 失脚させることでもない。


 出口を。


 全部。


 潰すことでも。


 多分。


 ない。


 晴翔を。


 戻れなくする。


 のではなく。


 晴翔が。


 戻ってきた時。


 以前と。


 同じ。


 場所へ。


 戻れない。


 ようにする。


 海井雫は、その違いをまだ言葉にできなかった。ただ、それが自分が考えた「出口をなくす」よりも遥かに難しく、そして多分、津田義弘がずっとやろうとしていたことなのだと、ぼんやり理解し始めていた。


 窓の向こうでは。


 今日も。


 サムライ・ヴィラン。


 走っている。


 ヒーロー。


 追う。


 日本国。


 新開市。


 交渉。


 進む。


 アリス。


 王冠。


 外そうと。


 する。


 そして。


 晴翔。


 最前列で。


 全部。


 見る。


 怖がりながら。


 楽しみながら。


 自分が。


 舞台へ。


 引きずり込まれることまで。


 含めて。


 大泉晴翔は。


 その日も。


 新開市を。


 存分に。


 満喫していた。


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