第397話 悪党の騎士
アリスたちが作った《新開市騒乱時広報・対応分離指針》は、少なくとも最初の数日間、目に見えて効果を上げていた。騒動を起こした者の名前をアリス本人が呼ばない。特別調停官室の公式発信では、事件の主役ではなく、救助した者、武器を捨てた者、避難路を作った者、途中で降りた者を優先して扱う。治安機関、独立報道、市民記録、サムライ・ヒーローの活動ログなど、誰か一人の判断に頼らない複数の評価を並べ、アリスの一言を唯一の認証にしない。中央駅前で女王の注目を欲しがった配信者が、最後までアリス本人に名前すら呼ばれず、途中で武器を捨てた仲間の方が注目された一件は特に効いた。騒乱を起こしても、女王の視線は手に入らない。むしろ途中でやめ、誰かを助け、出口へ向かった方が社会的評価を得られる。晴翔が街へ植えた「女王へ会うための近道」は、少しずつ遠回りへ変わり始めていた。
だからこそ、大泉晴翔のもとを訪ねる者が増えた。
「先生」
「はい」
「どうすればアリスに会えます?」
晴翔は、訪ねてきた若い男を見た。二十代後半。配信会社に所属していたことがあるらしい。服装は普通だが、目だけは落ち着かない。晴翔の事務所を訪れるには何人もの秘書と警備を通したはずなのに、本人はまるで裏口から秘密結社へ入ったような顔をしている。
「普通に面会申請を出しては?」
「通らないから聞いてるんです」
「なるほど」
「先生なら分かるでしょう」
「何がです?」
「女王を動かす方法」
晴翔は少し笑った。
「アリスさんは女王ではないと仰っていますよ」
「でも実際、あの人が動けば全部動くじゃないですか」
「最近は、動かないようにしているようですが」
「それなんですよ!」
男は机へ身を乗り出した。
「騒ぎを起こしても来ない。名前も呼ばない。配信しても公式はこっち映さない。前だったらアリスを怒らせるだけで百万再生だったのに」
「それは困りましたね」
「他人事みたいに」
「他人事ですから」
男が言葉に詰まる。晴翔は何も渡さない。金も。機械も。名簿も。誰かを紹介することすらしない。ただ、質問する。
「どうして」
「何です?」
「どうしてアリスさん本人が現場へ来なくても、騒動を収められるようになったと思います?」
「サムライがいるから?」
「それだけではありません」
晴翔は机の上へ指を一つ置いた。
「現場の第三者評価」
二つ目。
「独立報道」
三つ目。
「ネット配信」
四つ。
「治安機関」
五つ。
「救助記録」
六つ。
「サムライ・ヒーロー」
最後に。
「そして」
一拍。
「途中で降りるための出口」
男が晴翔を見る。
「それらが」
晴翔。
「女王の代わりに」
「価値を配っているんです」
「……価値?」
「誰が正しかったか。誰が人を助けたか。誰が止まったか。誰が危険だったか。以前はアリスさん本人の言葉に集中しつつあった判断を、今は街の複数の仕組みが分担している」
男の目がゆっくり動く。
「じゃあ」
晴翔は何も言わない。
「そこを」
男。
「信用できなくすればいい?」
晴翔は微笑んだ。
「私はそんなこと言ってませんよ」
「でも」
「あなたが何を選ぶかは」
一拍。
「あなたの自由でしょう?」
*
別の日には、元NECROMANCERの若者が来た。彼はアリスを嫌ってはいなかった。むしろ逆だった。自分たちがかつて掲げていたものより、アリスの方が本物だったと今では認めている。だからこそ、その隣へ立ちたかった。
「アリスのサムライたち」
「騎士団ではないそうですよ」
「呼び方はどうでもいい」
「彼らが何か?」
「あいつらがいるから、アリスは来ない」
「そうですね」
「なら、どうすればあいつらより先にアリスへ届く」
晴翔はコーヒーへ口をつけた。
「届く必要があります?」
「ある」
「どうして」
「認めさせたいから」
「何を」
「俺たちも役に立てるって」
「それなら、人を助ければいい」
若者の顔が歪む。
「それじゃ埋もれる」
「なるほど」
「KASANEだのGhost Heroだの、アリスの周りにはもう全部いる。普通に助けたって、あいつらの一人にしかなれない」
「では」
晴翔は、ごく自然に言った。
「彼らに」
「何です?」
「対等な相手が」
一拍。
「必要なのかもしれませんね」
若者が止まる。
「対等な」
「サムライ・ヒーローが制度として存在する」
「……」
「都市が彼らを支援する。整備する。治療する。評価する。失敗しても再出動できる。なら」
晴翔は少し楽しそうに首を傾ける。
「敵役だけが」
一拍。
「偶然である必要があります?」
「……悪役用のサムライ?」
「私はそうは言っていません」
「でも」
「人間は」
晴翔。
「名前をつけるのが好きですから」
若者はしばらく黙った後、小さく笑った。
「サムライ・ヴィラン」
晴翔は否定しなかった。
*
それから、言葉だけが歩き始めた。晴翔が「サムライ・ヴィランを作れ」と命令した記録はどこにもない。金を渡した者もいない。誰かへ機材を配った事実もない。それでも、彼のところから帰った者たちは、それぞれ別の場所で同じ言葉を使い始めた。
ある新興企業は、《都市戦闘用サムライ装備の対抗評価プラットフォーム》と説明した。ヒーロー用サムライ・スーツの防御能力を実戦的に検証するため、敵対役に相当する高度装備を用意する必要がある、と。
ある政治団体は、もっと立派な言葉を使った。
《英雄が権力になった時、誰が英雄を止めるのか》
《女王の騎士に剣があるなら、市民にはその剣を受け止める盾が必要だ》
《ヒーローが正義であることを証明するためには、正義を試す存在が必要である》
ある配信者集団はもっと単純だった。
《サムライ・ヒーローとガチで戦えばアリス来る説》
ある元企業ヒーローは、かつて契約終了と同時に装備も役割も失った自分を思い返し、「ヒーローだけが正義の側へ就職できるのは不公平だ」と語った。
日本系の急進的な自治介入派は、「アリス直属と化しつつある新開市サムライ戦力への対抗手段」として評価した。
元NECROMANCERの一部は、「アリスを守る者より強ければ、アリス自身に認められる」と解釈した。
全員が違う目的を持っていた。
誰も晴翔の部下ではない。
誰も同じ組織へ所属していない。
ただ。
形だけ。
似ていた。
サムライ・ヒーローへ。
対抗する。
サムライ・ヴィラン。
*
アリスたちが最初に異常へ気づいたのは、戦闘ではなかった。記録だった。
「これ何」
中央行政区の小さな会議室。アリスが画面を指す。祝部、鳴海梓、真鍋、御堂環が並び、複数の救助評価ログを見ている。
「同じ奴」
アリス。
「三か所で人助けしてる」
祝部。
「人気者?」
「同時刻」
「分身?」
真鍋。
「偽造だ」
画面には、同じ人物名。同じ装備ID。しかし発生地点は北区、西区、旧物流区。移動できる距離ではない。
「誰が」
「調べてる」
別の記録。
救助映像。
市民を抱えて走るサムライ。
独立報道A。
《サムライ・ヒーローが負傷者を救助》
別媒体。
《未登録武装者が市民を拘束》
さらに短尺動画。
《女王の騎士、市民を暴行》
アリス。
「同じ映像じゃん!」
梓。
「前後が違う」
「どれ本物」
「全部、本物の映像」
「じゃあ」
「意味を作ってる」
梓は別の画面を出す。救助対象が騒動参加者だったこと。サムライが暴れている相手を拘束し、その直後に負傷を確認して抱えて運んだこと。前半だけ切れば暴行。後半だけ切れば救助。双方とも映像そのものは偽造ではない。
「評価そのものが」
一拍。
「攻撃されてる」
アリスの顔が硬くなる。
「何で」
祝部が少し黙った後に答える。
「お前に」
「何」
「戻すため」
アリス。
止まる。
「皆が」
祝部。
「第三者評価信用できない」
「報道信用できない」
「配信信用できない」
「現場ログ信用できない」
一拍。
「じゃあ誰に決めてもらう?」
真鍋。
「アリス」
会議室。
静かになる。
アリス。
「……最悪」
*
療養施設へ持ち込まれた報告を読んで、義弘はしばらく黙っていた。相変わらず胸には固定具。左膝も完全には戻っていない。シュヴァロフは病室の出入口側へ座り、義弘が立ち上がる気配を見せるたび巨大な腕を僅かに動かす。
「評価が使えない」
アリス。
「配信もぐちゃぐちゃ」
「報道も」
「救助記録も」
「全部」
義弘。
「王冠」
アリス。
「何」
「返しに来たな」
「誰が」
「晴翔」
アリス。
目。
鋭くなる。
「晴翔がやった?」
「違う」
「じゃあ」
「やり方」
一拍。
「教えた」
「何で分かる」
「俺なら」
義弘は一度息を吸い、折れた肋骨に響いたのか顔をしかめる。
「あいつだったら」
「お前を直接殴るより」
「お前なしで回る仕組み」
一拍。
「壊す」
アリスの表情が。
険しくなる。
「何で」
「最後」
「皆」
義弘。
「お前に聞きに来るからだ」
「……」
「誰が正しい?」
「どの映像が本物?」
「どのサムライがヒーロー?」
「誰を褒める?」
「誰を止める?」
一拍。
「女王陛下に」
「お決めいただきましょう」
アリス。
「嫌」
「知ってる」
「絶対嫌」
「だから」
義弘。
「踏ん張れ」
「どうやって」
「知らん」
「役立たず!」
「病人に言うな」
トミー。
「逃げ回って病人になったけどな」
「お前最近それ好きだな」
*
晴翔は一方で、日本国内の古い人脈を静かに動かし始めていた。ただし、そこにも「ヴィラン支援」という文字は一つもなかった。中古サムライ・スーツの流通安全化。退役装備の認証制度。民間整備事業者の登録。戦闘用義肢・補助装置の安全検査。元企業ヒーローの再就職支援。民間警備会社向け事故保険。高危険度職種に対応できる医療ネットワーク。装備犯罪へ対応する法務支援。そして、所有者不明・契約失効・企業倒産によって宙に浮いたサムライ用部品の合法オークション制度。
側近は一覧を見て、頭を抱えた。
「先生」
「はい」
「これ」
「何でしょう」
「ヴィランの補給網ですよね?」
「中古装備市場の健全化です」
「整備技術者まで登録してます」
「安全性は重要でしょう?」
「医療施設も」
「怪我人を放置しますか?」
「弁護士まで」
「法治国家ですから」
「元ヒーローの再就職制度は?」
「必要でしょう」
「その再就職先に民間対抗訓練会社が混ざってます!」
「合法企業ですね」
「先生!」
晴翔は、本当に楽しそうに資料を見る。
「何です?」
「悪党を育てて」
「その言い方は良くないですね」
「装備直して」
「安全管理です」
「怪我したら治して」
「人道的です」
「捕まったら弁護士つけて」
「権利です」
「出てきたら仕事まで用意する?」
晴翔は少し考えるような顔をしてから、以前と同じ調子で言った。
「人を転ばせるなら」
一拍。
「立ち上がれる場所くらい」
「用意しておかないと」
側近。
絶句。
「また走ってもらえませんから」
「……先生」
「はい」
「使い捨てより怖いですよ、それ」
晴翔が笑う。
「使い捨ては嫌いなんです」
*
最初の一人が現れたのは、その三日後だった。
新開市中央部。旧金融街から行政区へ続く広い交差点。午後四時。人通りは多い。だから最初に見つけた者の多くは、それを新しい企業サムライの宣伝だと思った。
黒い装甲。
既存の日本製サムライ・スーツに近い骨格。しかしメーカー識別は消されている。肩と胸の装甲は複数規格を組み合わせ、右腕には細身の高周波刀、左腕には大型防護板。派手な角も、悪役らしい装飾もない。むしろ無骨だった。
未登録。
でも。
明らかに。
プロが。
組んだ。
KASANEが最初に現場へ到着した。アリスの命令ではない。治安機関からの未登録武装者確認要請を受け、自分の判断で近隣任務から転進した。
「そこで止まってください」
黒いサムライ。
止まる。
「所属を」
「ない」
「機体登録番号」
「ない」
「武装解除を」
「断る」
周囲の人間たちが距離を取る。だが完全には逃げない。配信端末が何台も向けられていた。
KASANE。
「目的は」
黒いサムライ。
一拍。
「証明」
「何を」
「女王の騎士が」
KASANEの目が細くなる。
「本当に」
一拍。
「ヒーローなのか」
「私は女王の騎士ではありません」
「そうか」
「新開市のサムライ・ヒーローです」
「なら」
黒いサムライが刀を抜く。
KASANEも。
構える。
だが。
相手。
攻撃。
しない。
「一つ聞く」
「何を」
「アリスが」
一拍。
「俺を敵だと言ったら」
KASANE。
止まる。
「お前は」
「俺を斬るのか?」
「……」
「アリスが」
黒いサムライ。
「俺を味方だと言ったら」
「守るのか?」
KASANE。
答えない。
「お前は」
一拍。
「ヒーローなのか」
「騎士なのか」
その言葉は、神代朔が一番触れられたくない場所へ入った。津田義弘に憧れた。アリスを守りたい。アリスなら間違わないと、心のどこかで思っていた。
――義弘なら何するか考えないで。
――お前、神代朔でしょ。
――神代朔の仕事して。
KASANEはゆっくり刀を下げた。
「今」
黒いサムライ。
「何だ」
「あなたは」
一拍。
「誰も襲っていない」
「そうだ」
「未登録武装は違法です」
「そうだな」
「武装解除には応じてもらいます」
「断ったら」
「止めます」
「アリスが何と言っても?」
KASANE。
一拍。
「今」
「あなたが何をするかを」
「見ます」
黒いサムライは。
数秒。
黙る。
それから。
「なるほど」
僅かに。
笑った。
「なら」
刀。
地面。
突き立てる。
路面。
割れる。
KASANEが僅かに身構える。
「次は」
黒いサムライ。
「人がいる場所で」
「試す」
「待て!」
KASANEが踏み込む。
同時に黒いスーツの背部推進器が短く噴射し、路地へ飛び込む。追跡用ドローンが上がる。だが都市構造をよく知っている。二つ目の角を曲がった時点で、既に姿は消えていた。
残された。
刀。
一本。
そして。
路面へ。
白い塗料で。
短い文字。
《SAMURAI VILLAIN》
*
十分後には、その単語が新開市中を走っていた。
《サムライ・ヴィラン、新開市に出現》
《女王騎士団へ挑戦状》
《黒いサムライ、KASANEへ「お前はヒーローか騎士か」》
《新たな悪党文化の誕生か》
《英雄権力への対抗者》
アリス。
「何それ」
祝部。
「サムライ・ヴィラン」
「見れば分かる!」
「もうトレンド一位」
「早い!」
「名前は?」
アリス。
「呼ばない」
「まだ分かってないけど」
「分かっても呼ばない」
「対策は?」
「する」
「誰として扱う?」
アリスは少し考えた。
「今」
一拍。
「危ないこと」
「しようとしてる奴」
祝部。
「名前じゃない」
「それでいい」
KASANEからの報告映像を見て、アリスはしばらく黙った。
「神代」
『はい』
「何で追わなかった」
『追跡はしました』
「捕まえなかった」
『……市民への即時危害がなく』
「うん」
『追跡戦で周囲へ被害を出す可能性の方が高いと』
「自分で決めた?」
KASANE。
一拍。
『はい』
アリス。
「じゃあ」
「それでいい」
KASANE。
少し。
黙る。
『アリス』
「何」
『私』
一拍。
『あなたの騎士ですか』
アリスの顔が。
険しくなる。
「違う」
即答。
「お前」
「神代朔」
「それで」
「サムライ・ヒーロー」
「私が敵って言っても」
一拍。
「今、人助けてる奴なら」
「斬るな」
『……はい』
「私が味方って言っても」
「人殺してたら」
「止めろ」
『はい』
「それだけ」
KASANE。
深く。
息。
吐く。
『了解』
*
海井雫は、収監施設の限定端末でその映像を見ていた。外部ネットワークへ手は出せない。今は《寵愛目的騒乱》の技術解析を手伝っている。それでも、黒いサムライがKASANEへ問いかける映像を見た瞬間、手が止まった。
「……だっさ」
職員。
「何がです」
「名前」
「サムライ・ヴィラン?」
「そのまんまじゃん」
「分かりやすいですが」
「だからダサい」
雫は映像を巻き戻した。
《女王の騎士が、本当にヒーローなのか》
もう一度。
《アリスが俺を敵と言ったら、お前は俺を斬るのか》
雫。
眉。
寄せる。
「これ」
職員。
「何です」
「晴翔」
「証拠は?」
「ない」
「では」
「でも」
雫。
画面。
睨む。
「あいつなら」
一拍。
「こうする」
「なぜ」
「アリスを殴らない」
「……」
「アリスがいなくても」
「回るところ」
「殴る」
職員が雫を見る。
「詳しいですね」
「うるさい」
「以前協力していましたから?」
「協力してない」
「では」
「勝手に」
一拍。
「真似してただけ」
雫の声が少し低くなる。
「だから」
「分かる」
それは。
雫にとって。
初めてだった。
晴翔の。
やり方。
火をつけるためではなく。
火が。
どこに。
つけられるか。
読むために。
使う。
*
同じ頃、ジュリウス・ニエレレもまた別の場所から記録を見ていた。彼の任務対象は依然として海井雫だった。だが、ここ数日で雫の現在行動は明確に変わっている。外部へ火を投げる側から、限定的とはいえ火を消す側へ。そのため、能力切断の優先度は下がった。
一方で。
別のものが。
増えている。
大泉晴翔との面談記録。
それ自体は違法ではない。
相談者。
活動家。
技術者。
企業関係者。
元ヒーロー。
配信関係者。
誰も。
晴翔から。
金を。
受け取っていない。
武器も。
受け取っていない。
なのに。
帰った後。
似た。
行動。
始める。
氷の母。
『海井雫から』
ジュリウス。
「違う」
『では』
「中心が」
一拍。
「移動している」
『どこへ』
ジュリウス。
少し。
考える。
「人から」
『……』
「思想へ」
氷の母。
沈黙。
ジュリウス。
「切断」
『何を』
「できない」
それは、《CRADLE LESSON》にとって非常に珍しい答えだった。人間なら拘束できる。武器なら奪える。通信なら遮断できる。施設なら止められる。
しかし。
誰かが。
「こうすればいい」
と。
覚えた。
やり方。
それは。
腕を。
折っても。
消えない。
*
夜、日本国内の小さな会議室に、晴翔はいた。出席者は防衛企業の元技術者、中古装備流通業者、法務担当、医療事業者、民間警備会社、保険会社、再就職支援事業者。表向きの議題は、《高危険度装備従事者向け民間安全基盤整備研究会》。どこにもヴィランとは書かれていない。
「中古サムライ・スーツの認証を統一したいと思っています」
晴翔。
「事故が多い」
装備業者。
「用途制限は?」
「当然必要です」
「新開市へ持ち込む場合は?」
「現地法に従うべきでしょう」
「元企業ヒーローが個人購入するケースは?」
「合法なら問題ありません」
側近が横から晴翔を見る。
晴翔は。
何も。
悪いこと。
言ってない。
「高危険度の対抗訓練を行う民間企業への保険は?」
保険会社。
「制度がないと引き受けにくい」
「では作りましょう」
「負傷時の指定医療先も」
「必要ですね」
「法的紛争が起きた場合は」
「弁護士が必要でしょう」
「退職後の再就職は?」
「もちろん」
側近。
耐えきれず。
「先生」
「はい」
「ヒーローに補給網があるなら」
一拍。
「ヴィランにも必要って」
「言おうとしてません?」
会議室。
少し。
静かになる。
晴翔は。
側近を見る。
「それ」
「言っていいんですか」
晴翔。
笑う。
「駄目ですか?」
「駄目です!」
何人かが咳払いした。晴翔は書類へ視線を戻す。
「では訂正します」
側近。
少し安心。
「高危険度装備を扱う者にも」
一拍。
「安全に」
「失敗できる環境が」
「必要です」
側近。
「全然訂正してない!」
「そうですか?」
*
会議が終わった後、晴翔は一人、端末で新開市の映像を見ていた。黒いサムライ。KASANE。その背後に群衆。画面には《SAMURAI VILLAIN》の文字。
側近。
「先生が作ったんですか」
「いいえ」
「本当に?」
「ええ」
「名前も?」
「知りませんでした」
「装備は?」
「知りません」
「じゃあ」
晴翔。
「誰かが」
一拍。
「自分で」
「座ったんでしょう」
「何に」
「悪党の席に」
側近。
「嬉しそうですね」
「少し」
「何が嬉しいんです」
晴翔は画面を見たまま答えた。
「以前は」
「怪物が足りなかった」
「……」
「正義の味方が」
一拍。
「多すぎた」
「だから先生が用意した」
「ええ」
「今は?」
晴翔。
微笑む。
「必要ない」
側近の顔が。
少し。
引きつる。
「何が」
「私が」
晴翔。
「悪党を」
「用意する必要が」
「もう」
「ない」
*
新開市には、既にヒーローを支える仕組みがあった。サムライ・スーツの整備。治療。保険。法的責任。社会的評価。再出動。敗北しても、怪我をしても、次の日にはまた誰かを助けられるようにする制度。アリスたちはさらに、悪い行動から降りた者にも出口を作り始めた。武器を捨てれば、そこで一度止める。悪党という席から降りた人間を、永遠に悪党のまま固定しない。
晴翔は。
そこを。
見ていた。
ヒーローが。
戻れる。
なら。
ヴィランも。
戻れる。
それなら。
悪党になる。
危険は。
以前より。
小さい。
負けても。
終わりではない。
責任を。
取る。
降りる。
治療する。
弁護を受ける。
仕事へ。
戻る。
そして。
もし。
もう一度。
悪党の席へ。
座りたくなったら。
また。
座れる。
大泉晴翔は、悪党を使い捨てにはしなかった。
もっと。
丁寧に。
使う。
壊れても。
直す。
負けても。
戻す。
戻った者が。
また。
自分で。
走れるように。
する。
*
翌朝、新開市では二人目の《サムライ・ヴィラン》を名乗る動画が投稿された。最初の黒いサムライとは別人だった。機体も違う。思想も違う。《女王の騎士団による治安独占へ対抗する》と宣言する。
三時間後。
三人目。
《サムライ・ヒーローの能力を実戦で評価する》
さらに。
四人目。
《アリスに認められるには、アリスの騎士を超えればいい》
祝部。
「増えてる」
アリス。
「消して」
「ネットから?」
「存在」
「無茶言うな」
真鍋。
「組織じゃない」
「何で」
「繋がりがない」
「じゃあ何」
「流行」
アリス。
最悪の顔。
「もっと嫌」
鳴海梓。
「思想とブランドが先に出来てる」
祝部。
「ブランド」
アリス。
「誰が作った」
義弘から通信。
『晴翔』
アリス。
「殺す」
祝部。
「それも報酬になるからやめろ」
「……」
アリス。
さらに。
怒る。
*
その日の夕方。黒いサムライが残した刀は、治安機関の証拠保管庫へ入っていた。メーカー刻印は削られ、複数社の部品を組み合わせた痕跡。違法改造。ただし、爆発物も毒物も、無差別殺傷用の仕掛けもない。
真鍋。
「妙に安全だ」
アリス。
「悪党なのに?」
「悪党だからだろ」
「何で」
義弘。
通信越し。
『戻る気だからだ』
アリス。
「……」
『晴翔の臭い』
真鍋。
「本人の証拠はない」
『分かってる』
「なら」
義弘。
『晴翔を止めりゃ終わる段階じゃ』
一拍。
『もうねえな』
アリス。
「じゃあ」
「何止めるの」
義弘は少し黙った。
『席』
「何」
『悪党になれば』
「女王に見てもらえる」
「ヒーローと戦える」
「配信される」
「負けても出口がある」
一拍。
『その席自体が』
「得になってきてる」
アリスの顔が。
強張る。
『そこ』
「変えねえと」
「次々」
「座るぞ」
アリス。
「……面倒」
『そうだな』
「私」
「王様やめたいだけなのに」
『知ってる』
「何で悪党の就職制度まで」
『晴翔に聞け』
「殺す」
『だからそれもやめろ』
*
その夜、海井雫は限定端末で、新しく投稿された「サムライ・ヴィラン募集」らしき匿名掲示板を見ていた。直接アクセスはできない。ただ解析用に切り出されたデータを見るだけ。それでも、そこに並ぶ言葉は嫌になるほど分かった。
《アリスに認められたい》
《騎士団より強いと証明したい》
《一回捕まっても終わりじゃない》
《今は出口がある》
《ヒーロー側が制度化されてるなら、敵側も制度化すればいい》
雫。
「……ほんと」
職員。
「何です」
「晴翔」
「本人の関与は」
「知らない」
「では」
雫。
「でも」
一拍。
「最悪」
以前なら。
面白い。
と思った。
自分も。
やってみたい。
と思った。
アリスを。
驚かせる。
なら。
最高。
だった。
今は。
少し。
違う。
「これ」
「何です」
「止めるの」
「できる?」
職員。
「こちらが聞きたいのですが」
「うるさい」
雫は端末へ向き直る。
「……考える」
アリスには。
言わない。
見てほしいからではない。
勝ちたいからでもない。
それでも。
考える。
*
同じ夜、日本では晴翔が中古サムライ装備の安全流通制度に関する文書へ署名していた。違法性はない。表向きにはむしろ健全な制度である。所有者不明の危険装備が闇市場へ流れるより、登録された整備業者を通し、安全検査を受け、保険と医療と法務を紐づけた方がいい。
その制度を。
誰が。
使うか。
晴翔は。
決めない。
ヒーローかもしれない。
警備会社かもしれない。
企業テストパイロットかもしれない。
そして。
悪党の席へ。
自分から。
座りたい者かもしれない。
側近。
「先生」
「はい」
「本当に」
「何も命令してませんよね」
「してません」
「武器も」
「渡してません」
「金も」
「渡してません」
「サムライ・ヴィランになれとも」
「言ってません」
「なのに」
側近。
端末。
見る。
新開市。
黒。
白。
赤。
異なる。
未登録。
サムライ。
映像。
増えている。
「増えてる」
晴翔は。
少しだけ。
楽しそうに。
頷いた。
「ええ」
「何でです」
晴翔。
一拍。
「席が」
「空いていたから」
側近。
「悪党の?」
「ええ」
「先生が用意した?」
晴翔。
首。
横。
「いいえ」
「では」
晴翔は新開市の映像を見た。
アリス。
サムライ・ヒーロー。
制度。
出口。
報酬。
評価。
その全部。
回る。
街。
「皆さんが」
一拍。
「必要だと」
「思ったのでしょう」
正義の味方が多すぎる街には、かつて怪物が足りなかった。だから大泉晴翔は、怪物を用意した。自分で悪党の席を作り、そこへ誰かを座らせ、正義に倒させ、救い、戻し、また走れるようにした。
だが。
もう。
違う。
晴翔が。
悪党を。
用意する。
必要はない。
晴翔が。
用意したのは。
悪党そのものではなく。
悪党に。
なりたい者が。
自分で。
鎧を着て。
自分で。
名前をつけ。
自分で。
舞台へ。
上がれる。
道。
だった。
ヒーローに。
制度がある。
騎士団に。
補給がある。
女王には。
出口がある。
なら。
悪党にも。
敗北した後。
帰ってこられる。
道を。
そして。
新開市に。
最初の。
サムライ・ヴィランが。
生まれた。
次の。
サムライ・ヴィランも。
その次も。
晴翔の。
命令ではなく。
自分の。
足で。
悪党の席へ。
歩き始めていた。




