第393話 女王の騎士
アリスは、烈火のごとく怒った。怒ったというより、病室の扉を開けた瞬間から既に怒りそのものになっていた。新開市特別調停官としての予定を二つ飛ばし、国外使節との面会を環へ押しつけ、祝部が「せめて歩く速度落とせ、医者に走るなって言われてるだろ」と追いかけても無視して、療養施設の奥へ自分の足でずかずか進んだ。義弘の病室の前には医療スタッフが二人おり、そのさらに横には真鍋までいたが、誰も止めようとはしなかった。止めれば自分まで焼かれると分かっていたからである。扉が開く。ベッドの上では津田義弘が、昨日までより明らかに増えた固定具と包帯に囲まれていた。肋骨骨折。胸部打撲。肩関節損傷。左膝の炎症悪化。医者から見れば「なぜこの人間は毎回治療途中で戦闘を追加するのか」と問い詰めたい状態だったが、その問いをするより先にアリスが来た。
「晴翔」
義弘が顔を上げる。
「何が」
「殺す」
「待て」
「三匹でしょ」
「違う」
即答だった。
アリスの目が細くなる。
「じゃあ誰」
「……」
「誰」
「ちょっと事情が」
「誰」
祝部が後ろから入ってくる。
「アリス、尋問になってる」
「黙って」
「はい」
トミーは窓際の椅子に座り、義弘の包帯を眺めていた。
「俺も晴翔じゃないと思うぞ」
「何で」
「三妖機なら、病院の壁もう一枚くらいなくなってる」
アリスがトミーを見る。それから義弘を見る。
「じゃあ誰」
「……言えねえ」
その返答が一番まずかった。
「は?」
「今は」
「言えない?」
「まあ」
「お前」
アリスの声が低くなった。怒鳴られるより怖い種類の声だった。
「三回」
「何が」
「病院抜けた」
「二回じゃ」
「三回!」
「……数えてたのか」
「二回重傷!」
「今回は重傷ってほど」
病室の隅にいた担当医が無言で義弘を見る。
「……重傷です」
義弘。
「先生まで」
「私は医師です」
アリスは端末を開いた。画面には《新開市特別調停官・暫定権限一覧》が表示される。
「晴翔、新開市から出す」
祝部。
「できない」
「特別調停官」
「その権限に追放ない」
「作る」
「作るな」
「日本に返す」
「本人日本人だよ」
「うるさい!」
義弘が息を吐いた。肋骨が痛んだらしく、僅かに顔をしかめる。
「やめろ」
アリスが振り向いた。
「お前は黙って!」
「俺が殴られたからって」
「だからでしょ!」
「だから駄目だ」
アリスの顔が止まる。
「俺が殴られた。それでお前が権限増やしたら」
一拍。
「晴翔の思う壺だ」
その名前だけは効いた。アリスは本当に数秒黙った。だが、怒りそのものが消えたわけではない。
「じゃあ犯人言え」
「それは」
「言え」
「……」
「ほら!」
祝部が慌てて手を上げた。
「はい、ここで一回整理しよう。晴翔の追放はなし。新しい権限を怒りで生やすのもなし。義弘さんは犯人を言えない。アリスは怒ってる」
「整理して何になるの」
「俺が安心する」
「しなくていい」
アリスは義弘を睨み続けた。義弘も珍しく視線を逸らした。まさか、「晴翔の歯車を回していた雫を再起不能にしようとしたCRADLE LESSONの隊員と、俺が雫を守るために殴り合った」と説明するわけにはいかなかった。アライアンスとの関係まで悪化する。何より、今のアリスがそれを聞けば、雫のいる収監施設へシュヴァロフ以下全戦力を連れて乗り込む可能性があった。昨日、ようやく王冠の暴走をアライアンスに止められたばかりの少女へ、そんな燃料を投げる気にはなれない。
アリスはしばらく義弘を見ていたが、やがて病室の入口へ顔を向けた。
「シュヴァロフ」
黒い巨体が、音もなく入ってきた。
義弘の顔が引きつる。
「待て」
「ここ」
アリスがベッド脇を指す。シュヴァロフは素直にそこへ移動し、巨大な身体を折り畳むように座った。長い腕の一つが、さりげなく病室の出口側へ置かれる。
「アリス」
「何」
「こいつ連れてけ」
「嫌」
「俺囚人じゃねえぞ」
「囚人以下」
「何でだよ」
「囚人は三回逃げない」
トミー。
「前科三犯」
「前科じゃねえ!」
「今度出たら」
アリスがシュヴァロフを見る。
「折って」
義弘が固まる。
「おい」
アリス。
「ベッド」
「主語先に言え!」
シュヴァロフは義弘を見た。義弘は黒い巨体を見返す。
「お前、分かってるよな」
シュヴァロフは返事をしない。ただ巨大な腕が、ベッド柵を軽く握った。
「分かってねえ顔だな」
「顔ないだろ」
トミー。
「余計怖い」
アリスはようやく少しだけ怒気を弱めたが、それでも視線は硬かった。
「ブージャムは療養施設」
「うん」
「シュヴァロフはここ」
「おい」
「義弘、戦力から外す」
その一言だけは、義弘にも少し刺さった。
「……勝手に決めんな」
「勝手に出る奴に言われたくない」
「俺まだ動ける」
「動くな」
「ヒーローが」
「他にもいる」
アリスはそこで、ほんの少しだけ目を伏せた。
「使う」
*
その日の午後、新開市中央行政区の一室に、今までなら同じ会議室へ揃うことのなかった顔ぶれが並んでいた。白縫玲音――BANSHEE。ドラウグル。リン。OCM本流側のGhost Hero。神代朔、《KASANE》。新開市に残っている外様サムライ隊。そして、女王騒動以降「アリスの親衛隊になりたい」と半ば冗談、半ば本気で名乗りを上げていた若いサムライ・ヒーローたち。アリスはその全員を前にして立っていた。本人は白いパーカーに黒いバッグといういつもの格好なのに、座っている側は装甲服や戦闘スーツばかりである。そのせいで、どう見ても「女王が騎士団を召集した」ようにしか見えなかった。
「最初に言う」
一同が静かになる。
「親衛隊じゃない」
「はい、陛下!」
「陛下って言うな!」
若いサムライが慌てる。
「失礼しました、特別調停官!」
「それはいい」
別の一人が訊いた。
「津田さんは?」
「病院」
「指揮には?」
「入れない」
KASANEの顔が少し硬くなる。
「では、津田さんの代わりを」
「いない」
アリスは即答した。
「義弘の代わり」
一拍。
「誰もしなくていい」
KASANEが言葉を止める。
「じゃあ」
「自分の仕事して」
アリスは全員を見る。以前なら、ここで「義弘が足りない」「私が行く」と考えただろう。昨日もそうだった。全部を自分で止めようとして、全部の鍵を握ろうとして、アライアンスに自分ごと止められた。今の新開市では、晴翔だけではない。ヴェラもいる。まだ正体を掴めていない別の回し手もいる。企業も市場も市民運動も、晴翔の作った回し方を覚え始めている。アリス一人と家族機だけで追いつく量ではなかった。
「今、新開市」
「火種多すぎ」
「全部私が行くの無理」
一人の若いサムライが勢いよく頷く。
「お任せください、女王陛下!」
「だから!」
「すみません!」
「私のために動くな」
空気が少し変わる。
「人が危ないから動いて」
「私が言ったからじゃなくて」
「自分で見て」
「止める奴止めて」
「助ける奴助けて」
一拍。
「私見てから決めるな」
リンが腕を組む。
「じゃあアリス何するの」
「全体見る」
「命令は」
「必要ならする」
「必要じゃなかったら」
「自分でやって」
ドラウグルが短く頷く。
「了解」
KASANEだけは少し複雑な顔をしていた。
「津田さんなら」
アリスの目が細くなる。
「義弘なら何するか」
「考えないで」
「でも」
「お前」
アリス。
「神代朔でしょ」
「……はい」
「じゃあ」
「神代朔の仕事して」
KASANEは、しばらく黙った。
「了解しました」
今度の返事は、少し違った。
*
もちろん、その会議が外へ出た瞬間、世界は全く別の物語を作った。
《アリス女王、直属サムライ部隊を正式編成》
《Ghost Heroも王権下へ》
《“歯車の女王”に騎士団誕生》
《津田義弘に代わる新親衛隊》
アリス。
「違う!」
祝部。
「うん、もう分かってた」
「何で毎回!」
「絵が悪い」
「私悪くない」
「女王扱いされてる人がサムライ二十人集めたら、まあ」
「だから女王じゃない!」
「なので配信します」
祝部は、本当にその日のうちに配信を始めた。タイトルは《女王の騎士じゃないらしいので本人たちに聞く》。カメラの前には、任務前の若いサムライ・ヒーローたちが数人並んでいる。
「質問です」
祝部。
「アリスの命令だから出動するんですか?」
一人が胸を張る。
「もちろん――」
「それ」
祝部。
「多分アリスが一番嫌いな答え」
「え」
横からアリス。
「嫌」
「ほら」
「じゃあ聞き直します」
祝部はサムライを見る。
「人が危ないから」
「行くんですか?」
少し。
間。
「……はい」
「アリスが何も言わなくても?」
「はい」
「女王じゃなくても?」
「……はい」
祝部。
「なら」
一拍。
「それでいいだろ」
カメラへ向く。
「これは女王陛下の騎士団ではありません」
アリス。
「陛下って言うな」
「演出」
「嫌」
「新開市のヒーローです」
アリスが。
少し。
祝部を見る。
「それ」
「何」
「好き」
「珍しく褒められた」
「調子乗るな」
「はい」
配信のコメント欄では、《王の道化師が騎士団を否定》《女王陛下、騎士の自律性を尊重》《アリス王政、分権型騎士制度へ》と、また別方向へ誤読が始まっていた。祝部は一度画面を見て、無言で閉じた。
「見なかったことにする」
「賢い」
*
ヴェラ・クラウスは、その配信を見ていた。旧OCM海外部門の仮拠点。目の前には新開市中央部の戦力配置、アリスの新しい即応体制、サムライ・ヒーローの個別能力、Ghost Heroの運用状況が並んでいる。同行員はその画面と、別枠に開かれている旧OCM残置資産一覧を見比べ、嫌そうな顔をした。
「試すんですか」
「何を」
「今の騎士団を」
「騎士団じゃないそうよ」
「ではヒーロー部隊を」
ヴェラは微笑む。
「そうね」
「何のために」
「見たいから」
「何を」
「アリスが」
一拍。
「人間のヒーローを」
「どう使うか」
同行員の顔がさらに硬くなる。
「市街地でVXを動かすつもりですか」
「起動試験」
「それを暴走と言います」
「古い警戒命令を復帰させるだけよ」
「今の新開市では旧IFFに一致する対象がほとんどありません」
「でしょうね」
「つまりほぼ全てを未識別脅威として扱う」
「そうなるかも」
「死者が出ます」
ヴェラがようやく同行員を見る。
「出させないために」
一拍。
「ヒーローがいるんでしょう?」
返答はなかった。
旧OCMの残置倉庫で、何年も眠っていた認証が順番に目を覚ます。VX-07 HOUND。VX-30 PANTHER。VX-32 TIGER。再組立されたVX-48 EAGLE。最新ではない。だが都市戦闘用軍用機としては今も十分に危険で、何より、それぞれ役割が違う。HOUNDは見つからない。PANTHERは街路を使う。TIGERは正面から止めなければならない。EAGLEは空を取る。
ヴェラは端末を閉じた。
「さあ」
「女王様」
一拍。
「騎士を」
「見せて」
*
第一報は十五分後だった。
『旧物流区東側、未登録軍用機起動!』
真鍋の通信がアリスの端末へ入る。
「また!?」
『VX-07。複数』
「事故?」
『さらに南側でPANTHER確認』
一拍。
『西の保管区画からTIGER』
「……」
『上空反応』
「何」
『EAGLE系』
アリスの顔が変わった。
「こんな都合いい事故」
真鍋。
『私もそう思う』
「雫?」
『収監施設のアクセスは全部止めてる』
「晴翔」
『直接の動きは見えない』
「じゃあ」
アリスの赤い目が鋭くなる。
「誰か」
一拍。
「回してる」
祝部。
「ヴェラ?」
「分かんない」
「でも」
アリス。
「絶対」
「見つける」
「何を」
「回してる奴」
その直後、治安機関側の映像に一機のHOUNDが映る。光学迷彩が一瞬だけ外れ、市街地の路地へ消える。別地点ではPANTHERが無人搬送車を押し退け、古い戦術警戒アルゴリズムに従って進路を確保し始めていた。TIGERはまだ完全起動前だが、重火器系統へ電力が回りつつある。
アリスは立ち上がる。
「全員」
サムライたち。
Ghost Hero。
待つ。
「仕事」
「了解!」
今度は。
誰も。
「陛下」
とは。
言わなかった。
*
女王アリスの出陣は、世界的なイベントになった。本人がどれだけ否定しようと、中央行政区から複数のサムライ・ヒーロー、Ghost Hero、グリンフォン、コロボチェニィク、ダムとディーが一斉に出動すれば、「親征」以外の単語を使う気のない媒体はいくらでもあった。
《歯車の女王、騎士団を率いて出陣》
《新開市王国軍、旧OCM軍用機を迎撃》
《女王陛下親征》
移動車両の中。
アリス。
「全部違う」
祝部。
「戦ってから訂正しよう」
「何で私毎回これ」
「有名人だから」
「嫌」
「知ってる」
だが、アリスは今回、自分が先頭へ飛び出さなかった。グリンフォンを空へ上げる。コロボチェニィクは避難路の確保。ダムとディーは交通インフラの切り替え。Ghost HeroはHOUNDの探索へ。サムライ部隊は三つの区域へ分散させる。自分は移動指揮所から全体を見る。
「KASANE、西」
『了解。TIGER対応へ』
「一人で正面行かない」
『では増援を』
「自分で必要数決めて」
『……はい』
「リン」
『HOUND追う』
「市民先」
『分かってる』
「グリンフォン、EAGLE見る。攻撃しなくていい」
祝部が横で端末を見ながら、少しだけアリスを見る。
「何」
「いや」
「何」
「ちゃんと分けてるなと思って」
「昨日怒られたから」
「誰に」
「全員」
*
最初に交戦したのは、若いサムライ・ヒーローだった。旧商業区の細い通り。光学迷彩を使うHOUNDが、避難中の配信者二人を追っている。ヒーローは刀を抜いたまま、耳元の通信へ叫んだ。
『アリス!』
「何!」
『攻撃許可を!』
「は?」
『HOUNDが民間人へ接近しています!』
「見えてる!」
『許可を』
「何で私に聞くの!」
『指揮官だから!』
「人襲ってるでしょ!」
『はい!』
「なら今止めろ!」
一拍。
『……了解!』
サムライが飛び込む。HOUNDの迷彩が崩れる。爪と刀がぶつかる。サムライは機体を破壊するのではなく、後脚の駆動部を斬り、進路だけを止める。配信者が逃げる。
アリス。
「次」
祝部。
「命令したじゃん」
「違う」
「何が」
「判断返した」
「細かいな」
「大事」
その言葉を、自分で言ってから。
アリス。
少し。
止まる。
大事。
だった。
*
南側ではPANTHERが街路を遮蔽として使い、治安機関の小型機を寄せつけていなかった。そこへドラウグルと二人のサムライが入る。PANTHERが砲口を向ける。だが発射の直前、側面から大きな影が割り込んだ。
KAGEBŌSHI。
鈍い青灰色の装甲。
多腕。
かつてシュヴァロフを模倣するためだけに作られ、今は救助と保護の動作を覚えた歩行戦闘車が、砲弾を受ける位置ではなく、後方で転倒した輸送車の前へ立った。
「河島」
アリスが通信を開く。
『はい』
「お前も?」
河島玄隆の声は、いつもの笑みが見えるようだった。
『都市守護機の市場ですから』
「マッチポンプ?」
一瞬。
沈黙。
『今回は』
一拍。
『違います』
「今回はって言うな」
『事実ですので』
KAGEBŌSHIはアリスへ指示を求めなかった。転倒車両から人を引き出し、PANTHERの射線から退避させ、余った腕で壊れた防護壁を持ち上げる。
アリスは。
少し。
それを見る。
「……それでいい」
祝部。
「何が」
「自分でやってる」
「KAGEBŌSHI?」
「うん」
昨日、自分を真似た機械たちが互いを殴り合った。同じアリス系でも、全てが失敗ではない。自分を見ずに人を助ける機械もいる。
その事実が。
少しだけ。
嬉しかった。
*
西区画のTIGERは正面から強かった。旧式とはいえ重戦闘機。装甲も火力も厚い。KASANEが先行し、二人のサムライが左右へ広がる。
『アリス、正面から押さえます』
「何人」
『三名』
「足りる?」
『……』
「私に聞かない」
KASANE。
息。
『追加一名、頼みます』
「誰」
『近いのは外様隊の二番機』
「じゃあ呼んで」
『了解』
少しして。
『アリス』
「何」
『ありがとうございます』
「私何もしてない」
『でも』
「神代」
一拍。
「お前が決めた」
『……はい』
「それでいい」
TIGERの正面火力へ、四人のサムライが別々の角度から入る。誰も女王の親衛隊ではない。誰も義弘の代役でもない。自分で見て、自分で足りないと判断し、自分で仲間を呼んだ。
その映像が。
遠く。
別の一人にも。
届いていた。
*
収監施設。海井雫の端末は、外部へ触れられなくなっていた。技能転用プログラムは停止。観測窓も閉鎖。できるのはニュースと公開映像を見ることくらいだった。
中央画面。
アリス。
サムライ。
Ghost Hero。
VX。
雫は、ずっと黙って見ていた。
義弘のことが、頭から離れない。
自分がVXの情報を流した。
支持派と反対派を煽った。
三妖機へ目を貸した。
それを知っても。
義弘は。
自分を。
守った。
「……馬鹿」
また。
言う。
画面では、若いサムライがHOUNDへ飛び込み、逃げ遅れた配信者を助ける。別のヒーローがPANTHERの前で倒れた市民を拾う。KASANEたちがTIGERを囲む。
雫。
目。
細める。
「……こいつら」
もし。
自分が。
そこにいたら。
犯罪者。
ハッカー。
歯車を回した人間。
アリスの邪魔をした奴。
それでも。
助ける?
義弘だけが。
変なのか。
それとも。
ヒーローというものが。
本当に。
そうなのか。
雫は、画面の中の一人ひとりを見る。今までなら誰が強いか。誰の機体が上か。誰がアリスへ近いか。それだけを見ていた。
今日は。
違った。
「……あの中で」
一拍。
「私を」
「守る奴」
雫。
小さく。
「何人」
「いるんだろ」
返事は。
ない。
*
VX-48 EAGLEが新開市の空へ上がった頃、世界中の配信視聴者は最高潮に達していた。再組立機で完全な軍用性能ではない。それでも翼を広げ、高層ビルの間を抜ける姿は十分に戦争の機械だった。グリンフォンが追う。さらに飛行対応装備を持つサムライ二名が上がる。
『女王陛下!』
「違う!」
『EAGLEをこちらで――』
「何したいの!」
『高度を落とし、グリンフォンに捕捉させます!』
「じゃあやって!」
『許可は』
「今自分で言った!」
『……了解!』
二人が左右へ展開し、EAGLEの逃げ道を絞る。グリンフォンが真上から翼端へ接触。EAGLEが姿勢を崩す。地上ではダムとディーが落下予測地点から人を退かせる。コロボチェニィクが道路中央へ立ち、落ちた機体を受け止める準備をする。
アリスは。
全部を見る。
でも。
全部へ。
手を出さない。
最後に。
EAGLE。
落ちる。
コロボチェニィク。
三対の腕。
受ける。
道路。
沈む。
でも。
市民。
無傷。
アリスが。
息を吐く。
真鍋。
『全域でVXの制圧進行。HOUND二、停止。PANTHER一、拘束。TIGER、行動不能。EAGLE、確保』
「死者」
『なし』
「負傷」
『軽重合わせて十数名。今のところ命に関わる者なし』
アリス。
目。
閉じる。
「……よし」
祝部。
「勝った?」
「違う」
「じゃあ」
「止めた」
「似てる」
「違う」
*
制圧されたVXの制御系統を調べた時、アリスはまた怒った。使われているのは旧OCM海外部門の認証。警戒命令の復帰。現行新開市側IFFとの不整合。事故を装うには綺麗すぎる。かといって、ヴェラ本人が直接「暴れろ」と命令した証拠はない。
「……ヴェラ」
祝部。
「証拠ある?」
「ない」
「じゃあ言わない方が」
「臭い」
「警察用語じゃない」
「私には分かる」
「特別調停官用語でもない」
アリス。
「見つけたら」
一拍。
「殴る」
「特別調停官」
「個人的に」
「ならまあ」
「いいの?」
「良くはない」
遠く離れた仮拠点で、ヴェラは同じ映像を見ていた。TIGERを止めるKASANEたち。HOUNDを追い込む若いサムライ。KAGEBŌSHI。グリンフォン。アリスは全員へ細かく命令していない。むしろ、判断を返している。
「良いわね」
同行員。
「何がです」
「騎士団」
「本人は否定しています」
「だから」
ヴェラが笑う。
「面白いのよ」
「事故扱いは無理でしょう」
「事故とは言ってない」
「起動試験?」
「ええ」
「アリスはあなたを疑っています」
「でしょうね」
「危険では」
ヴェラ。
「やっと」
一拍。
「こっち見たじゃない」
*
その頃、義弘は病室でシュヴァロフと睨み合っていた。正確には義弘だけが睨んでいる。シュヴァロフはベッド脇へ座ったまま、出入口を完全に塞いでいる。
「トイレ」
シュヴァロフ。
動かない。
「行かせろ」
腕。
一本。
伸びる。
車椅子。
持ってくる。
「そこまでじゃねえ」
トミー。
「信用ないんだよ」
「お前まで」
「三回」
「数えるな」
義弘は諦めて端末を手に取った。画面上ではアリスたちのVX戦が続いている。自分が出る必要はない。出ればアリスが怒る。何より、若いサムライたちはちゃんと自分で動いている。
「……やれてんじゃねえか」
トミー。
「誰」
「全員」
「寂しい?」
「少し」
「言うんだ」
「少しくらいな」
それでも、義弘には別の仕事があった。
「シュヴァロフ」
黒い巨体。
「通信だけだ」
動かない。
「逃げねえ」
巨大腕が、義弘の足元へ少し近づく。
「分かったって」
義弘は暗号回線を開いた。接続先。
アライアンス。
氷の母。
応答は早かった。
『何でしょう』
「ジュリウスを」
一拍。
「引け」
『できません』
「即答かよ」
『はい』
「雫の件」
「俺が責任持つ」
氷の母の表情は通信越しでも変わらない。
『責任は』
一拍。
『権限ではありません』
義弘。
「嫌な言い方すんな」
『事実です』
「今、雫のアクセスは止まってる」
『一時的です』
「俺が見張る」
一拍。
『あなたが?』
「何だよ」
『三度病院から無断離脱し』
『二度重傷を負い』
『現在も医療監視対象となっている』
「そこ突く?」
『監視者として適切でしょうか』
トミー。
「正論」
「黙れ」
義弘は画面へ顔を戻す。
「でも」
「能力切断はやりすぎだ」
『海井雫は現在』
一拍。
『新開市の混乱の一翼を担っていると』
『我々は考えています』
「知ってる」
『VX残置資産の発見』
『政治集会の増幅』
『都市観測情報の不正中継』
『三妖機への間接支援』
「……ああ」
『それなのに』
氷の母。
『なぜ』
一拍。
『彼女を庇うのです?』
義弘は。
すぐには。
答えなかった。
雫は。
やった。
人を。
動かした。
機械を。
動かした。
中央行政区の混乱。
三妖機。
義弘自身も。
危険へ。
晒された。
庇う理由など。
ない。
「庇いたくて」
一拍。
「庇ってるんじゃねえ」
『では』
義弘は、胸を少し押さえた。折れた肋骨が呼吸のたびに痛む。
「俺が」
一拍。
「ヒーローだからさ」
氷の母は。
数秒。
黙った。
『“ヒーローだから”』
『脅威を放置する?』
「違う」
『では』
「止める」
一拍。
「でも」
「壊して」
「終わりには」
「しねえ」
『再発したら』
「また止める」
『何度でも?』
「何度でも」
『非効率です』
「知ってる」
『あなたは死にます』
義弘。
少し。
笑う。
「それも」
「知ってる」
トミーが、横で笑わなくなった。
「だから」
義弘。
「俺一人で」
「やる気もねえよ」
『……』
「アリスが出口作った」
「真鍋が捕まえる」
「裁判する奴が裁く」
「祝部が喋る」
「医者が治す」
担当医。
「そこは絶対に忘れないでください」
義弘。
「聞いてたのかよ」
「大声なので」
義弘は苦笑する。
「俺は」
一拍。
「壊されそうな奴がいたら」
「間に入る」
「それだけ」
氷の母。
『CRADLE LESSONは』
一拍。
『撤退させません』
義弘の目が細くなる。
「……そうか」
『海井雫の現在行動を』
『継続評価します』
「能力切断は」
『必要と判断した場合』
『実施します』
義弘。
「その時は」
氷の母。
『また』
一拍。
『我々と戦いますか』
「ああ」
『アライアンスを』
『敵に回しても?』
義弘は。
少し。
笑った。
「敵に」
一拍。
「固定すんなよ」
氷の母。
目。
僅かに。
変わる。
「その時」
「俺とお前が」
一拍。
「ぶつかるだけだ」
『……現在行動評価』
「そういうこと」
『あなたは』
一拍。
『アリスの影響を』
『強く受けていますね』
「逆だ」
義弘。
「多分」
一拍。
「お互い様だよ」
*
夕方、最後のVXが完全停止した。市街戦として見れば短い。宣伝として見れば完璧だった。市民を守り、死者を出さず、旧軍用機を止め、新開市のサムライ・ヒーローとGhost Hero、アリス系都市機が共同で機能した。世界中の見出しは当然のように、《女王アリス、騎士団を率い旧OCM軍を撃破》《新開市王国軍、初陣で勝利》《歯車の女王の軍事指揮能力が実証》と並んだ。
アリスは。
その全部を。
嫌そうに見た。
「軍隊じゃない」
祝部。
「うん」
「騎士じゃない」
「うん」
「私の勝利じゃない」
「うん」
「じゃあ何」
祝部。
「ヒーローが」
一拍。
「人助けした」
アリスは。
少し。
黙った。
「それでいい」
「配信する?」
「して」
「了解」
*
帰還した若いサムライの一人が、アリスの前でヘルメットを外した。まだ興奮が残っている。頬には軽い擦り傷。
「女王陛下!」
「違う!」
「すみません!」
「何」
「ご命令のおかげで、HOUNDを止められました!」
アリス。
少し。
その青年を見る。
「私の命令で」
「人助けたの?」
「……」
「違うでしょ」
青年。
戸惑う。
「でも」
「HOUNDが人襲ってた」
「うん」
「お前見た」
「はい」
「止めた」
「はい」
「じゃあ」
一拍。
「次も」
「自分で助けて」
青年は。
少し。
驚いた。
女王から。
褒美でも。
命令でもなく。
そんな言葉を。
受け取るとは。
思っていなかった。
「……はい」
今度は。
しっかり。
答えた。
アリス。
頷く。
「それでいい」
*
その映像を、海井雫も見ていた。若いサムライは、アリスへ忠誠を誓わなかった。アリスも求めなかった。次に誰かが危険なら、自分で見て、自分で助けろ。それだけ。
「……ヒーロー」
雫。
小さく。
言う。
今まで。
その言葉は。
アリスの隣に立つ資格だった。
勝ち負けを。
決める称号だった。
注目される。
席。
くらいに。
思っていた。
でも。
義弘は。
自分が。
犯罪者だと。
知っていて。
守った。
今日。
別のヒーローたちは。
女王の命令ではなく。
知らない市民を。
助けた。
雫は。
画面の。
自分の顔が。
反射しているのを。
見る。
「あの中で」
一拍。
「私を」
「守る奴」
何人。
いるのか。
そして。
もう一つ。
初めて。
考える。
自分なら。
誰かを。
守れるのか。
*
夜。病室では義弘が、ようやく医療スタッフから「今日だけは安静にしてください」という無意味に近い注意を受けていた。シュヴァロフはまだ横にいる。トミーは寝転がっている。アリスはVX事件の後処理で戻っていない。
通信画面。
氷の母。
まだ。
切れていなかった。
『最後に』
「何」
『確認します』
「うん」
『海井雫は』
『あなたの仲間ですか』
義弘。
少し。
考える。
「知らん」
『味方ですか』
「知らん」
『では』
「それ」
義弘。
少し。
笑う。
「今決める必要」
「あるか?」
氷の母。
沈黙。
「悪いことしたら」
「止める」
「壊されそうなら」
「守る」
「その時」
「何してるか」
「見ればいい」
一拍。
「アリスが」
「言ってただろ」
『……ええ』
「だから」
氷の母。
『あなたは』
『海井雫を』
『庇うのではない』
「うん」
『その時』
『壊される人間を』
『守るだけ』
「そう」
『たとえ』
『それが悪党でも』
義弘は。
目を閉じる。
胸。
痛い。
膝。
痛い。
全身。
痛い。
それでも。
「庇いたくて」
一拍。
「庇ってるんじゃねえ」
義弘。
静かに。
言う。
「俺が」
一拍。
「ヒーローだからさ」
氷の母は、それ以上何も言わなかった。
新開市ではその日、「女王の騎士団」が誕生したと世界中が騒いだ。アリスがサムライ・ヒーローを集め、Ghost Heroを動かし、旧OCMの軍用VXシリーズを撃退した。その映像だけを見れば、確かに王が騎士へ命じ、騎士が王の敵を倒したように見えた。
けれど。
アリスが。
本当に。
彼らへ。
求めたものは。
逆だった。
私を見るな。
私の命令を。
待つな。
人を見ろ。
危険を見ろ。
自分で。
助けろ。
王冠がヒーローを騎士へ変えようとする街で、アリスは王冠の力を使いながら、その王冠から一人ずつヒーローを外そうとしていた。祝部はそれを言葉へ変え、世界へ流した。義弘は病床から、悪党であるかもしれない少女を壊すための巨大な中立機構へ、自分の身体一つで再び立ちはだかると告げた。
誰の命令でもなく。
誰の臣下でもなく。
正義の席に。
永遠に。
座っているからでもなく。
その時。
目の前に。
助けるべき人間が。
いるから。
動く。
海井雫は。
その日。
初めて。
「ヒーロー」という言葉を。
アリスに勝つための。
称号ではなく。
自分で。
選び続ける。
仕事として。
見始めていた。




