第391話 女王の味方
翌朝、新開市に君主が誕生した。少なくとも、世界はそう理解した。実際に起きたことはもっと複雑だった。《新開市特別調停官》は限定的な暫定権限しか持っておらず、新開市代表団はその先行付与に正式な異議を記録している。アライアンスは中央行政区の混乱が人命を脅かす水準へ達したため独自判断でF.QRE.D.QVEとVPVDを投入し、むしろ広域ハッキングを始めたアリス自身まで制止した。アリスの指揮を受けたわけではない。服従などしていない。ところが、世界中へ流れた映像は、その内側にあった複雑な事情を綺麗に削ぎ落としていた。白いフードの少女が群衆の中心に立つ。アリスが腕を上げる。直後、アライアンスの高速機動隊が空を埋め、大量のVPVDが街路へ入り、暴走していた都市守護機群を制圧する。そして騒乱が終わる。映像としては、それだけで十分だった。
《アライアンス、アリス女王への服従を表明》
《新開市全勢力、“歯車の女王”の下で統合》
《事実上から正式へ――新開市元首アリス誕生》
《女王アリス、アライアンス中立戦力まで指揮》
《新開市、世界初のNECRO君主制都市へ》
「違う!」
朝から何度目か分からないアリスの声が、療養施設の休憩室へ響いた。
「アライアンス従ってない!」
トミーが画面を見る。
「声明も出てるぞ」
「それ見せて!」
アライアンス広報。
《アライアンスは、アリス・ヴァーツラフコヴァー氏を新開市の君主として承認した事実はありません。F.QRE.D.QVE及びVPVDの投入は、中立インフラ保全及び市民の生命保護を目的とした独立判断です》
アリス。
「ほら!」
次。
報道。
《アライアンス、“女王アリス”の地位を正式には否定せず》
「否定してる!」
トミー。
「文章書いた奴、泣いてそうだな」
「もっと強く書け!」
「どうやって」
「『違う』って!」
「外交文書じゃなくなるぞ」
別の画面では、日本国内の情報番組が新開市情勢を解説していた。
『アライアンス側は王政承認を否定していますが、実際には昨日、アリス特別調停官の介入とほぼ同時に中立戦力が展開しています』
『つまり実務上は協力関係にある、と』
『少なくともアリス氏が新開市最高権力者として機能していることは疑いないでしょう』
「疑え!」
アリスが怒鳴った。
その頃、日本国代表団の控室では比嘉日向も似たようなことをしていた。
「何でそうなるんですか!」
職員。
「どれでしょう」
「全部です!」
「一応、日本政府としては新開市の統治体制について正式な見解を出していません」
「なのに何で『日本、アリス政権を事実上承認』になるんですか!」
「昨日の暫定権限付与を日本側が支持したので」
「限定的な調停権ですよ!」
「見出しには長いので」
「短くして嘘にしないでください!」
*
問題は、報道だけでは済まなかったことだった。言葉が繰り返されれば、それを前提に実務を始める人間が出る。そして政治において、「皆がそう扱っている」という事実は、時として条文より強い。午前九時、新開市外務窓口には三つの外国政府から照会が届いた。そのうち二つは新開市代表団宛てだったが、同文の写しが《新開市特別調停官アリス・ヴァーツラフコヴァー閣下》にも送られていた。午前九時四十二分、別の国はもっと直接的だった。《新開市元首アリス陛下への表敬使節派遣について》。十時を過ぎると海外企業も動き始め、都市インフラ参入、新型ドローン共同研究、医療支援、自治協定への投資、文化交流と、ありとあらゆる案件に「アリス氏の事前理解を得たい」という一文が付くようになった。
アリスは、執務スペースへ運ばれてきた書類の山を見た。
「何これ」
御堂環。
「あなた宛てです」
「何で」
「皆さん、今後新開市で活動するなら、あなたの了解を取っておくべきだと判断しているようです」
「私にそんな権限ない」
「ありません」
「じゃあ返して」
「既にその旨は回答しています」
「なら何でまだあるの」
環が一枚取る。
「《法的権限の有無とは別に、実務上のご理解を賜りたい》」
「もっと嫌」
鳴海梓が端末を見ながら言う。
「断っても記事にはなる」
「何て」
「《アリス女王、海外企業の新開市参入を拒絶》」
「じゃあ受けたら」
「《女王アリス、海外企業参入を承認》」
「何もしない」
「《女王、沈黙で圧力》」
アリスが机へ額をつけた。
「詰んでる」
環。
「かなり」
そこへ担当職員が、小さな箱を抱えて入ってきた。
「アリス特別調停官」
「何」
「国外政府から正式使節団が到着しました」
「代表団に」
「既に面会希望を出しています」
「じゃあいいじゃん」
「その上で」
一拍。
「こちらを」
箱の中には正式な外交文書が入っていた。厚い紙。国家紋章。封蝋。
宛名。
英字。
**HER MAJESTY ALICE VÁCLAVKOVÁ**
アリスが固まった。
「……受け取らない」
「返送しますか」
アリスは口を開いた。
止まった。
返せば。
《女王アリス、国書受領を拒否》。
受ければ。
《新開市女王、初の外国国書を受理》。
環がアリスの顔を見ている。
梓も何も言わない。
「……置いといて」
職員。
「保留として?」
「うん」
「承知しました」
職員が出ていく。
トミー。
「《女王陛下、国書を熟慮中》」
「殴るよ」
「俺に言うなよ、世間に言え」
*
もっと悪いことが起きたのは、新開市内部だった。世界がアリスを王と決めた瞬間、その物語には敵が必要になった。アリス本人は前日の宣言で明確に言った。反対する者は敵ではない。支持する者も兵隊ではない。しかし、「女王アリス」という分かりやすい物語に対して、権力集中へ反対する新開市代表団、市長、民主派の立場は、さらに分かりやすい別名へ翻訳された。
《新開市共和派、女王政権に抵抗》
《反アリス勢力、市行政内部にも》
《女王権限に異議を唱える旧体制派》
《刀禰市長、アリス政権との対立深まる》
《代表団内“反王政ブロック”》
祝部マコトは端末を見ながら、真顔で言った。
「俺、昨日まで新開市代表だったよな」
三岐透子は書類を書き続けながら答えた。
「今も代表です」
「ニュースだと反乱軍になってるんだけど」
「訂正申請を出してください」
「何件目」
「二十二件目です」
「二十二回も同じことやるの?」
刀禰。
「二十三回目もしてください」
「市長まで」
「諦めれば事実になります」
そこへアリスが入ってくる。
「私の敵じゃない!」
祝部。
「分かってるよ!」
「なら何で!」
「分かってないのが!」
祝部が端末を持ち上げる。
「世界なんだよ!」
アリスが止まる。
三岐が静かに言う。
「あなたが昨日、“反対する人は敵ではない”と明言したこと自体は記録されています」
「じゃあ」
「同じ報道の三分後に《女王、反対派に寛大な姿勢》と出ました」
「……」
刀禰。
「あなたが否定するほど、“慈悲深い君主”という物語に吸収される状況です」
アリス。
「最悪」
「同感です」
*
アライアンスの内部会議が開かれたのは、その日の午後だった。“我々”の会議がこれほど急に招集され、しかも政治的な議題で紛糾するのは珍しい。アライアンスは本来、国家でも政府でもない。インフラを維持し、都市間の最低限の接続を守り、揺り篭の日以来の断絶を埋めるための巨大な中立機構だ。だからこそ、特定地域の政治体制について「誰が正統な支配者か」を判定することは、極力避けてきた。
その会議へ。
アリスが。
参加した。
氷の母へ直接頼み込んだからだった。
「入れて」
『あなたは“我々”の構成員ではありません』
「知ってる」
『では』
「私の名前で揉めてる」
一拍。
「入れて」
氷の母は少しだけ沈黙した。
『傍聴なら』
「喋る」
『……』
「喋る」
『分かりました』
「最初からそうして」
『臨時参加者として登録します』
「うん」
会議は、最初から冷えていなかった。アライアンスとしては珍しく、明確に意見が割れていた。
『我々は即時に、アリス・ヴァーツラフコヴァーを新開市の君主として認めないと声明すべきだ』
一人。
『昨日の映像によって、我々の中立性が大きく毀損している。あれを放置すれば、他都市でも“中立インフラは現地支配者の軍隊である”という誤認が生じる』
別。
『政治体制を評価することそのものが中立からの逸脱だ。新開市が王政であろうと共和制であろうと、我々が判定することではない』
さらに。
『しかし現実として、各国・各企業はアリスを窓口として動き始めている。実務上、彼女を新開市の代表者として扱った方がインフラ調整は速い』
「嫌!」
アリスが即座に割り込んだ。
『まだ発言順ではありません』
「その案嫌!」
『記録しました』
「採用するな!」
別の声。
『CRADLE LESSONの投入を提案する』
会議。
少し。
静かになる。
『政治的熱狂が一個人へ過度に集中し、都市インフラへ二次的な不安定化をもたらしている。アリス・ヴァーツラフコヴァー本人を一時保護し、政治活動と外部接触を停止させることで、熱源を分離できる可能性がある』
アリス。
一瞬。
止まる。
そして。
「それやって」
今度は。
本当に。
会議が。
止まった。
氷の母の視線が、静かにアリスへ向いた。
「私閉じ込めて」
「CRADLE LESSONでも何でもいい」
「私いなくなって」
一拍。
「これ止まるなら」
「やって」
氷の母は、すぐに返事をしなかった。その沈黙は優しさではない。むしろ逆だった。アリスが何を期待しているのかを見定め、その期待そのものを切るための時間だった。
『いいえ』
アリス。
「何で」
『アライアンスは』
一拍。
『あなたを救うための組織ではありません』
アリスの顔が固まった。
「でも」
『今もです』
「今、私のせいで」
『あなた一人のせいではありません』
「でも私閉じ込めたら」
『世界は何と見るでしょう』
アリス。
黙る。
氷の母。
『アライアンスが、新開市の女王を拘束した』
『中立インフラによる政変』
『女王の廃位』
『アリス陛下の幽閉』
『あるいは』
一拍。
『女王救出運動の開始』
アリス。
「……」
『あなたを拘禁すれば』
氷の母。
『王冠は消えません』
会議は静かだった。
『むしろ』
『我々自身が』
『“拘束する価値のある新開市最高権力者”として』
『あなたを扱ったことになる』
「じゃあ」
アリス。
「私辞める」
『辞めればよいでしょう』
「なら」
『その後』
氷の母。
『あなたを“退位した女王”と呼ぶ者を』
『我々が止める理由はありません』
「……」
『復位を求める支持者も』
『“正統な新開市政府はアリスである”と主張する外国勢力も』
『あなたを奪還しようとする者も』
「止めて」
『インフラを脅かせば』
「そうじゃなくて!」
氷の母は、少しも声を荒らげなかった。
『そうではないからです』
それが。
氷より。
冷たかった。
アリスは、アライアンスが最後には何とかしてくれると思っていた。強硬手段でもいい。CRADLE LESSONで眠らされてもいい。自分を隔離してくれてもいい。自分が王冠を脱げなくなった時、外から巨大な手が伸びてきて、その王冠ごと引き剥がしてくれればいい。アライアンスならできる。氷の母ならやるべき時にはやる。そう思っていた。
だが。
アライアンスは。
アリスの味方ではない。
それは裏切りではなかった。
最初から。
そういう組織だった。
『我々は』
氷の母。
『新開市において』
『インフラの守護者です』
『新開市の王を選ぶ者でも』
『王を倒す者でもありません』
『道路』
『通信』
『医療』
『水』
『電力』
『避難路』
『それらが脅かされれば』
『我々は動きます』
『あなたが脅かしても』
『あなたの敵が脅かしても』
『同じです』
「じゃあ」
アリス。
「私が王様になるの」
「止めない?」
『政治的な意味では』
一拍。
『止めません』
「……」
『同時に』
『助けもしません』
アリス。
小さく。
「役立たず」
『中立とは』
氷の母。
『時々』
『そう見えるものです』
「嫌い」
『知っています』
*
会議はその後も続いた。アリスを君主として積極的に否認すべきだという意見と、それ自体が政治介入だという意見は最後まで完全には一致しなかった。アリスを事実上の代表として扱うべきだという実務派も引かなかった。CRADLE LESSON投入案は否決された。最終的に採択されたのは、いかにもアライアンスらしい、誰にとっても少しずつ不満の残る決定だった。
アライアンスは、アリス・ヴァーツラフコヴァーを新開市の君主として承認しない。
同時に、新開市の政治体制を決定する権限を持たないため、王政・共和制その他の体制選択そのものには介入しない。
《新開市特別調停官》については、正式に合意された限定的権限のみを実務上認識する。
VPVD、F.QRE.D.QVE、その他アライアンス中立インフラは、アリスの指揮下に入らない。
アリス、新開市代表団、市長、日本国、企業、民主派、アリス支持派、その他全ての勢力を、インフラ利用と人命保護の上では同一基準で扱う。
CRADLE LESSONは政治的正統性をめぐる争いには使用しない。
『これが』
氷の母。
『我々の答えです』
アリス。
「何もしてくれない」
『ええ』
「私が脱ぐ方法も?」
『それは』
一拍。
『あなたと』
『新開市が』
『見つけてください』
「……最悪」
『もう一つ』
「何」
氷の母はアリスを見る。
『以前』
『王冠は』
『被るより』
『脱ぐ方が難しいと』
『言いましたね』
「うん」
『訂正します』
アリスの目が動く。
『あなたが脱いでも』
一拍。
『他人が』
『まだ被せ続けることがあります』
アリスは。
何も。
言えなかった。
*
会議から戻ったアリスを待っていたのは、今度は敵意ではなく、歓迎だった。それが余計につらかった。療養施設ではNECROテックの兄弟姉妹たちが、昨日からずっと浮き足立っていた。彼らにとってアリスが新開市の最高権力者と見なされることは、恐怖より先に希望だった。
「アリス!」
「見た?」
「海外のニュース!」
「NECROの政治参加の話まで出てる!」
「医療指定変えられるかもしれないって!」
「今度の市民登録、俺たちも普通枠に入れるんじゃない?」
「外で働ける?」
「学校も?」
「女王がNECROなんだぞ!」
アリスの顔が。
少しずつ。
曇る。
「女王じゃない」
「でも、アリスが上なら変えられるだろ!」
「今まで無理だったやつ!」
「これでやっと」
一人。
笑う。
「日の当たるところ」
「出られるじゃん」
悪意は。
一つも。
なかった。
だからこそ。
アリスには。
痛かった。
「……違う」
リン。
「何が?」
「私」
一拍。
「そういうために」
「偉くなったんじゃない」
「でも使えばいいじゃん」
「せっかくなんだから」
「アリスが決めれば通るんだろ?」
アリスの赤い瞳が。
ゆっくり。
オスカーへ。
向く。
「お前」
「はい」
「こいつら」
一拍。
「私の意思の」
「味方でいて」
オスカーが。
止まった。
「女王の味方じゃなくて」
「私の」
「……」
「お前なら」
アリス。
「分かるでしょ」
オスカーは。
すぐには。
答えなかった。
その沈黙だけで。
アリスには。
分かった。
「……お前も?」
「私は」
「何」
「彼らを」
一拍。
「守りたい」
「私も!」
「知っています」
「じゃあ!」
「だからこそ」
オスカーは、珍しく言葉を慎重に選んだ。
「あなたが」
「事実上の新開市最高権力者として扱われていることに」
一拍。
「価値がないとは」
「言えません」
アリスの顔から。
何かが。
落ちた。
「法的地位」
オスカー。
「医療保障」
「居住権」
「就労」
「教育」
「NECROテック研究の合法化」
「政治参加」
「今まで」
「何年かかるか分からなかったものが」
「あなたの権限と影響力があれば」
「大きく」
「進められるかもしれない」
「……」
「私は」
一拍。
「その可能性を」
「無視できません」
アリスは。
しばらく。
オスカーを見ていた。
「私」
「それ」
「嫌だって言ってる」
「分かっています」
「じゃあ」
「でも」
オスカー。
「兄弟姉妹が」
「救われる可能性まで」
「見ないふりは」
「できません」
正しい。
多分。
オスカーとしては。
正しい。
彼は。
家族を。
守ろうとしている。
昔から。
ずっと。
だから。
アリスは。
怒れなかった。
ただ。
「……分かった」
それだけ言って。
離れた。
*
SABLEからの連絡が来たのは、その直後だった。
『アリス』
「何」
『大丈夫?』
「大丈夫じゃない」
『そう』
「女王って呼ばない?」
『呼ばない』
「私が辞めたいって言ったら」
『止めない』
「権限使えば」
『使ってほしいことはある』
「ほら」
『でも』
一拍。
『アリスが嫌なら』
『それを理由に』
『あなたを閉じ込めたりはしない』
アリスが少しだけ黙る。
「……うん」
環は、ずっと王冠を否定していた。梓もアリスを制度や象徴ではなく、一人の人間として記録することへ固執していた。真鍋は特別調停官の権限には従うが、アリス本人へ媚びることはなく、必要なら平然と「邪魔だ」と言う。トミーはそもそも王冠に敬意などない。義弘は、アリスが全部を握ろうとした瞬間に止めた。シュヴァロフたち家族機も、アリスが王だから守っているわけではない。
アリスは。
その数を。
数えようとして。
途中で。
やめた。
少なかったからではない。
数えた瞬間。
それ以外の全員を。
「味方ではない」
と。
決めてしまいそうだったから。
それは。
自分が。
一番。
したくないことだった。
*
「祝部さん」
三岐が呼び止めた。
「何」
「どこへ行くつもりです」
「アリスんとこ」
「代表団の会議があります」
「任せる」
「あなたも代表です」
「だからだよ」
三岐の手が止まる。
「今」
祝部は端末をポケットへ入れた。
「代表団の俺が」
一拍。
「あいつの横にいないと」
「“代表団全部が女王の敵”って」
「本当になるだろ」
三岐は。
少し。
祝部を見た。
「王党派になるのですか」
「ならない」
「では」
「アリスの横にいる」
「同じに見られますよ」
「知ってる」
「あなた自身も」
「王権協力者と」
「呼ばれるでしょう」
祝部。
少し。
笑う。
「もう反乱軍って呼ばれてるし」
「増えても一個だろ」
「軽いですね」
「重くしたって」
一拍。
「アリス軽くならないだろ」
三岐。
「代表団の交渉実務は」
「任せた」
「逃げるのですか」
祝部は。
少し。
真顔になる。
「逆」
一拍。
「俺が」
「俺の仕事しに行く」
*
祝部マコトが始めた配信のタイトルは、極めて簡単だった。
《女王陛下じゃなくて本人に聞く》
配信開始から三十秒で視聴者は十万を越えた。五分で世界各国の自動翻訳字幕がつき、十五分後には海外メディアが切り抜きを始めた。祝部はいつものようにカメラへ笑いかけたが、その笑いは普段より少しだけ硬かった。
「はい。今、世界中で」
「アリス女王陛下が新開市を支配していることになっています」
横。
アリス。
「してない」
「アライアンスまで従っているそうです」
「従ってない」
「新開市代表団は反乱勢力だそうです」
「違う」
「刀禰市長は?」
「敵じゃない」
「三岐透子」
「敵じゃない」
「俺」
アリス。
一拍。
「うざい」
祝部。
「敵では?」
「うざい」
「よし」
コメント欄が一瞬だけ笑いで流れる。
祝部も。
少し。
笑う。
だが。
すぐに。
真顔へ。
戻った。
「じゃあ」
「アリス」
「何」
「何が欲しい」
アリス。
「……権限」
「それは昨日聞いた」
「じゃあ」
「王冠?」
「いらない」
「人気?」
「いらない」
「新開市を支配したい?」
「したくない」
「日本を追い出したい?」
「違う」
「企業全部従わせたい?」
「違う」
「NECROだけ優遇したい?」
アリス。
少し。
止まる。
「……違う」
「じゃあ」
祝部。
「何」
アリスは。
カメラを。
見なかった。
祝部を見る。
そして。
少し考えた。
「私が」
一拍。
「いなくても」
「戻れる街」
祝部。
黙る。
「悪いことして」
「止められて」
「でも」
「それで終わりじゃなくて」
「悪党って言われて」
「もう何もできないとか」
「ずっと敵とか」
「そういうの」
一拍。
「嫌」
コメント。
流れる。
「私が」
「助けなくても」
「誰か助けて」
「私が決めなくても」
「自分で決めて」
「私がいなくても」
アリス。
「ちゃんと」
「回って」
祝部。
「じゃあ」
「女王は?」
アリス。
即答。
「いらない」
「もっと分かりやすく」
「私を」
一拍。
「王様にしないで」
コメント欄が。
一瞬。
止まったように見えた。
アリスは続ける。
「私が王様って言えば」
「全部簡単になるの」
「知ってる」
「私に聞けばいい」
「私に許可取ればいい」
「私が止めればいい」
「私が助ければいい」
「でも」
一拍。
「それ」
「嫌」
「私」
「ずっと」
「それやったら」
「私いなくなった時」
「何も残らない」
祝部は。
何も。
補足しなかった。
編集もしない。
質問だけ。
置く。
「新開市代表団は」
「必要?」
「必要」
「市長は」
「必要」
「反王政派は」
「いていい」
「アリスに反対しても?」
「いい」
「女王陛下を嫌いでも?」
「女王陛下じゃない」
「そこね」
「殴るよ」
「はい」
そして。
祝部。
「最後」
「何」
「俺ら」
一拍。
「お前に守ってもらわないと」
「民主主義できないの?」
アリスが。
止まる。
祝部は。
カメラではなく。
アリスを。
見た。
「俺たち」
「お前に反対する」
「でも」
「お前の敵じゃない」
「それくらい」
一拍。
「自分で」
「守らせろ」
アリスは。
長く。
黙った。
それから。
小さく。
「……うん」
*
配信は猛烈に広がった。同時に、祝部への批判も猛烈に増えた。
《祝部マコト、女王陛下の広報官へ転身》
《共和派代表が王政へ寝返り》
《アリス宮廷の道化師》
《王の道化師・祝部マコト》
《女王に媚びる新開市代表》
祝部は、配信後の廊下でコメントを見ながら笑った。
「王の道化師だって」
アリス。
「嫌ならやめれば」
「やだね」
「何で」
「お前」
一拍。
「俺のこと」
「敵じゃないって」
「守っただろ」
「それは」
「今度は」
祝部。
「俺の番」
アリスの目が。
少し。
動く。
「恩返し?」
「それもある」
「他は」
祝部。
端末をポケットへ。
戻す。
「お前が王様じゃないって言ってる奴が」
「王様反対派の中に」
一人もいなくなったら」
一拍。
「本当に終わりだろ」
アリス。
「……」
「俺は」
祝部。
「お前の権限集中に」
「反対」
「うん」
「代表団飛ばしたのも」
「まだ怒ってる」
「うん」
「特別調停官の制度も」
「監査増やしたい」
「うん」
「でも」
一拍。
「お前が」
「王様になりたいわけじゃないって」
「それは」
「俺が」
「言う」
アリス。
「何で」
「お前が言うと」
「謙遜扱いされるから」
「……」
「反対派の俺が言った方が」
「まだ」
「面倒だろ?」
アリス。
少しだけ。
笑った。
「うざい」
「知ってる」
*
義弘は病室へ戻されていた。前日以上に左膝を悪化させ、医療スタッフから本気で叱られ、今度こそベッドへ固定されても文句を言えない状態だった。トミーが配信の切り抜きを見せる。
「マコト」
「道化師になったな」
「見えてる」
「いいの?」
義弘。
「ああ」
「代表団側だろ」
「ああ」
「アリスに反対してる」
「ああ」
「なのに横いる」
「だからいい」
トミー。
「何で」
義弘は。
画面。
祝部。
見る。
「王様の横に」
一拍。
「王様じゃねえって」
「言う奴が」
「一人くらい」
「いねえとな」
「お前は?」
「俺は」
義弘。
自分の膝を見る。
「こっち」
「何が」
「殴り合い止める方」
「政治は」
「知らん」
トミー。
「逃げた」
「役割分担だ」
「便利な言葉」
義弘は少し笑った。
「それに」
一拍。
「俺一人じゃ」
「足りねえ」
*
晴翔も、その配信を見ていた。頬にはまだ前日の打撲痕。脇腹にはON=MORAKIにつけられた傷の処置。包帯の増えた政治家は、祝部の配信を最初から最後まで見た。
側近。
「祝部氏」
「アリス側につきましたね」
晴翔。
「違います」
「違う?」
「ええ」
「でも横にいる」
「アリスさんの」
一拍。
「味方に」
「なったのでしょう」
側近が晴翔を見る。
「同じでは?」
「全然」
「どう違うんです」
「女王の味方なら」
晴翔。
「王冠がなくなった時」
「離れるかもしれない」
「アリスさんの味方なら」
一拍。
「王冠を」
「外そうとする」
「……」
「これは」
晴翔。
少し。
困った顔をした。
「嫌ですね」
「先生が?」
「ええ」
「珍しい」
晴翔は。
祝部が。
アリスへ。
反対を。
明言する。
場面を見る。
「役割ではなく」
「人間に」
「味方されると」
一拍。
「歯車へ」
「入れにくい」
「でも祝部氏は」
「晴翔先生とも友人でしょう」
晴翔の視線が。
少し。
止まる。
「ええ」
「なら」
「先生の味方でも」
「それも」
一拍。
「違うでしょうね」
側近。
「寂しいですか」
晴翔。
少し。
笑う。
「さて」
だが。
その笑いは。
いつもより。
薄かった。
*
アライアンスが出した最終声明も、結局は世界へ正しく届かなかった。
《アライアンスはアリス・ヴァーツラフコヴァー氏を新開市の君主として承認しない》
報道。
《アライアンス、“女王アリス”の称号を形式上否定》
《実務関係は継続》
《アリス政権と中立インフラ、独立した協力関係へ》
《女王陛下、アライアンスの自治権を尊重》
アリス。
「何で!?」
氷の母。
『こうなりますね』
「知ってた?」
『ある程度』
「先に言え!」
『言っても同じだったでしょう』
「ムカつく!」
『それも知っています』
アリスは。
本気で。
画面を。
切ろうとして。
止めた。
「氷の母」
『何でしょう』
「ほんとに」
一拍。
「何もしてくれない?」
『インフラが脅かされれば』
「そうじゃなくて」
『では』
一拍。
『何も』
アリス。
目を閉じる。
「……分かった」
『はい』
「嫌い」
『先ほど聞きました』
「二回言う」
『受領しました』
*
夜、新開市中央部の照明は、いつもより明るかった。外国使節。報道陣。観光客。アリス系技術の視察団。王冠を模した光るドローン。反王政の横断幕。その横で「女王陛下万歳」と書かれた旗が揺れ、さらにその間をVPVDが何事もなかったように道路清掃している。世界はアリスを王と認め、新開市はその認識を否定しながら、その認識によって流れ込む人と金と政治を処理し続けていた。
祝部は。
帰らなかった。
アリスの仮執務室。
端。
椅子。
座る。
端末。
見る。
「まだいるの」
「いる」
「代表団」
「三岐さんが殺気出してた」
「戻れば」
「明日戻る」
「じゃあ今日帰れ」
「やだ」
アリス。
「何で」
「独りにしないため」
アリスの表情が。
少し。
固くなる。
「私」
「一人じゃない」
「知ってる」
「義弘いる」
「病院」
「トミー」
「病院」
「真鍋」
「仕事中」
「SABLE」
「海外向け配信の火消し」
「環」
「企業面談止めてる」
「梓」
「記録整理」
「シュヴァロフ」
祝部。
「それはいる」
黒い巨体。
壁際。
じっと。
祝部を見る。
「……怖」
アリス。
「帰る?」
「帰らない」
少し。
沈黙。
祝部。
「今日の配信」
「何」
「意味あったと思う?」
アリス。
「知らない」
「俺も」
「じゃあ何でやった」
「やらないより」
一拍。
「マシかなって」
アリス。
「雑」
「お前に言われたくない」
少し。
また。
沈黙。
「明日もやる?」
祝部。
アリス。
「叩かれる」
「もう叩かれてる」
「王の道化師」
「結構いいだろ」
「ダサい」
「お前に言われたくない」
一拍。
「歯車の女王」
アリス。
「殴る」
「はいはい」
祝部は。
笑った。
でも。
帰らなかった。
世界はアリスを必要としていた。女王として。新開市特別調停官として。NECROテックの象徴として。人間の営みに最も近いドローン技術の原型として。新開市へ入るための判定基準として。企業の認証者として。外国政府の交渉相手として。支持者の希望として。兄弟姉妹の未来を開く鍵として。誰もがアリスを求め、誰もが善意や利益や期待を持って彼女へ近づいていた。
アライアンスは。
アリスを。
救わなかった。
中立だから。
NECROテックの兄弟姉妹は。
アリスの王冠を。
喜んだ。
ようやく。
日の当たる場所へ。
出られるから。
オスカーも。
その王冠で。
守れる家族の数を。
考えた。
悪意ではなかった。
むしろ。
善意ばかりだった。
だからこそ。
重かった。
アリスが何者であるかではなく、アリスを何に使えるかを考える人間が増えていく。王冠を被ったことで、以前よりも遥かに多くの人間がアリスを見ていた。それなのに、アリス本人を見ている人間は、むしろ減ったように感じられた。
それでも。
ゼロではなかった。
義弘は、アリスが全部を握ろうとすれば止める。
トミーは、王冠を被っていても平気で悪態をつく。
真鍋は、必要なら特別調停官へ「邪魔だ」と言う。
SABLEは、アリスが辞めると言っても引き止めない。
環は、アリスの支持者に「宮廷になるな」と言い続ける。
梓は、女王ではなく人間としてのアリスを記録する。
シュヴァロフたちは、王冠があるからではなく、アリスだから側にいる。
そして。
王の敵と呼ばれた。
新開市代表団の中から。
祝部マコトが。
残った。
祝部は、王に仕えたのではなかった。
王冠を。
外すために。
王の横へ。
立った。
代表団を裏切ったと言われ。
共和派を捨てたと言われ。
女王へ媚びたと言われ。
王の道化師と。
世界中から。
笑われながら。
それでも。
アリス本人の声を。
流し続ける。
女王陛下ではなく。
新開市特別調停官でもなく。
NECROの象徴でも。
歯車の女王でもない。
ただ。
アリス・ヴァーツラフコヴァーという。
一人の。
口の悪い少女を。
世界へ。
見せ続ける。
アリスたちを。
新開市で。
独りにしないために。




