第390話 歯車の女王
津田義弘が病院を抜け、中央行政区へ入ったという報告を受けた時、大泉晴翔は新開市中央部から少し離れた日本国代表団の臨時執務区画にいた。《新開市特別調停官》の暫定権限発動からまだ一時間も経っていない。机上には、支持派と反対派の流入数、治安機関の配置、企業警備機の稼働状況、アリス系ドローン同士の衝突発生地点が、次々と上書きされていた。昨日までなら、それらの中心に晴翔自身の名前があったはずだった。だが今、街の視線はアリスへ集中している。女王。特別調停官。王冠の最初の命令。彼女が権限を握ったことで、晴翔が当初作ろうとした「正義から悪党を生み、止め、救って戻す」という循環はほとんど原形を失っていた。それでも歯車は止まっていない。むしろ、人間と機械と市場と政治を巻き込み、誰にも制御できないほど速く回っている。その真ん中へ、負傷した義弘が戻ってきた。
「津田さんです」
側近が中央行政区の映像を拡大する。白いサムライ・スーツ。胸部の応急装甲。左膝を庇う僅かな動き。それでも、義弘はアリスの隣に立ち、空を埋めるアリス系ドローンの動きを追っていた。
「ええ」
「病院を抜けました」
「そうですね」
「驚かないんですか」
「少しは」
「全然見えません」
晴翔は画面を見る。義弘が一機の軌道を指し、アリスがグリンフォンを動かす。ほんの数秒の修正で、二機の都市守護機が接触せずに済む。アリスは全部を止めようとしている。義弘は全部を直そうとはしていない。人が死ぬ噛み合わせだけを探し、そこへ小さな隙間を入れている。
「始めましたね」
「何を」
「調整を」
側近が嫌な顔をした。
「だから?」
晴翔は少しだけ黙った。机の端に並ぶ三つの古い識別表示。《NU=E》。《ON=MORAKI》。《GASYA=DOKURO》。前回の戦闘で義弘を病院へ送った三妖機は、既に修復を終え、学習した戦闘データを新しい挙動へ反映している。ただし、今日の目的は義弘を倒すことだけではなかった。
「出しましょう」
「……三機を?」
「はい」
「中央行政区ですよ」
「知っています」
「アリスもいる。治安機関も、企業警備も、NECROも、一般市民もいる」
「だからです」
「何が目的です」
晴翔は中央行政区の映像へ視線を戻した。支持派の小型機が反対派の警備ドローンを止め、別の機体がその行動を過剰介入と判断してさらに止める。誰も殺そうとしていない。誰も破壊を目的にしていない。それでも、守ろうとする判断同士がぶつかり始めている。
「今」
晴翔。
「津田さんが」
「歯車を外し始めています」
「だから邪魔する?」
「それだけではありません」
「では」
晴翔はアリスを見る。白いフード。自分の足で走り、怒鳴り、機体を振り分けている。数時間前、自ら《新開市特別調停官》を名乗り、悪党から降りる出口を制度へ組み込んだ少女。
「彼女にも」
一拍。
「回してもらいましょう」
*
最初に異常を感知したのは義弘だった。
「アリス」
「何!」
「通信切れ!」
「どれ!」
「全部じゃねえ!」
中央行政区の上空には既に何十種類もの通信が飛び交っている。治安機関。企業。支持派。反対派。アリス系都市機。個人所有機。配信。救助。警告。そこへ、ほんの僅かな誤差が入り始めた。負傷者の座標が二十メートルずれる。避難経路が一本だけ別方向へ表示される。支持派側の機体へ「アリスへの接近者あり」という警告が出る一方、反対派側には「大型武装機が民間人へ接近中」と表示される。完全な嘘ではない。アリスへ近づいている人間はいる。大型機も動いている。ただ、その意味と位置が少しずつ違う。
義弘の顔が変わった。
「ヌエ!」
アリスが空を見る。
「またあいつ!?」
「情報食うな!」
「分かってる!」
「画面見るな!」
「じゃあ何見るの!」
「目の前!」
「多すぎる!」
「だからだよ!」
その瞬間、灰色の都市守護機が反対派の列へ向けて一歩踏み出した。実際には倒れた人間を救助するためだった。だが別の機体が、その動きを群衆への進撃と判断して割り込む。肩がぶつかる。転倒。さらに救助機が来る。その救助機を別の機体が「転倒機体への強制接収」と判定する。
《NU=E》は何も壊していない。
ただ。
全員の「正しい」を。
ほんの少しずつ。
ずらした。
「右!」
義弘が叫ぶ。
「どっち!」
「お前から右!」
「今向き変わった!」
「知らねえよ!」
アリスがグリンフォンを飛ばす。そこへ、義弘の視界の端を、大きな黒い影が横切った。
静かだった。
羽ばたきの音すらほとんどない。
折り畳まれた鳥のような装甲。
不格好な翼。
夜でもないのに、影から染み出したような黒。
《ON=MORAKI》。
義弘が息を止める。
「……違う」
「何!」
「こいつ」
ON=MORAKIの頭部が、義弘を見ていなかった。
その向こう。
アリス。
「今回」
義弘。
「お前だ!」
黒い飛行機体が、ゆらりと高度を落とした。
*
《GASYA=DOKURO》は、その少し前から既に道路の下へ入り込んでいた。工事区画の旧保守坑、閉鎖された搬送路、揺り篭の日以降に使われなくなった地下設備。その骨格めいた巨体が路面を割って姿を現した瞬間、支持派も反対派も悲鳴を上げた。巨大な肋骨状装甲。長い腕。人型に見えるのに、人間の比例からは明らかに外れた四肢。
「また出た!」
「三妖機!」
「アリスを守れ!」
「近づくな!」
シュヴァロフが反応する。
黒い巨大腕。
アリスへ。
戻る。
その前へ。
GASYA=DOKURO。
ぶつかる。
鋼。
衝撃。
路面。
沈む。
「シュヴァロフ!」
アリス。
シュヴァロフはGASYAの肩を掴み、横へ押し退けようとする。しかし、以前より反応が速い。GASYAはシュヴァロフが「人間を巻き込まない」角度へ力を逃がす癖を知っている。わざと群衆側へ重心を崩し、シュヴァロフ自身に力を抜かせる。
義弘がワイヤを射出する。
「俺行く!」
「駄目!」
「お前狙われてるだろ!」
「お前怪我人!」
「知ってる!」
跳ぶ。
その着地点へ。
GASYAの別腕。
振り下ろされる。
「――っ!」
義弘は空中でワイヤを切り替え、身体を捻った。完全には避けきれない。巨大腕の外縁が白いサムライ・スーツの肩へ当たり、義弘の身体が道路脇の柵へ叩きつけられた。
「義弘!」
「来んな!」
左膝。
激痛。
息。
詰まる。
それでも。
起きる。
「……おかしい」
アリス。
「何が!」
「こいつら」
義弘が歯を食いしばる。
「前より」
一拍。
「頭いい!」
*
その理由の一つを、晴翔自身は知らなかった。
ヴェラ・クラウスは旧OCM海外部門の仮拠点で、中央行政区の戦況を見ていた。三妖機が姿を現した時、同行員がすぐに彼女を見る。
「大泉が動かしました」
「見れば分かる」
「介入しますか」
「もうしてる」
同行員が顔を向ける。
「いつ」
「昨日」
ヴェラは別画面を開いた。旧海外部門の戦術保管庫から、意図的に「廃棄漏れ」として残した都市戦闘ログ。大型守護機が人間を庇う時に生じる死角。複数無人機が同時に非致死制圧を行った際の挙動競合。NECRO系機が保護対象を挟んだ時、どちら側へ身体を置く傾向があるか。どれも晴翔へ直接送ってはいない。ただ、旧OCM系統の認証を持つ機体なら拾える場所へ置いた。
「大泉を助けるのですか」
「違う」
「では何のために」
ヴェラは画面の義弘を見る。
「津田義弘は」
一拍。
「邪魔なのよ」
「誰にとって」
「戦場を」
「利用したい人間」
「全員にとって」
GASYAが義弘の移動先を先回りする。
ヴェラの目が細くなる。
「そう」
「そこ」
彼女は命令しない。
三妖機は晴翔のものだ。
ただ。
戦い方を。
貸した。
*
もう一つの理由は、もっと遠くにいた。
収監施設。
海井雫。
中央行政区の映像を見ながら、指先だけが忙しく動いていた。アリスがグリンフォンを飛ばす。シュヴァロフがGASYAを押さえる。義弘が負傷した身体で走る。
「……まだ」
監視員。
「何か?」
「別に」
雫は画面を見ている。
「もっと」
一拍。
「驚けよ」
前回、自分が数行の言葉を置いただけで街は動いた。今回は、もっと面白いものが見える。晴翔の三妖機。その通信形式。旧OCM。完全な制御はできない。する必要もない。
雫が触ったのは。
中央行政区の。
目。
民間ドローン。
導線監視。
配信カメラ。
アリス系機が共有している混雑情報。
それらの一部を。
三妖機が。
覗ける。
ようにする。
直接の命令ではない。
「ここに人がいる」
「ここをグリンフォンが通った」
「シュヴァロフが今この角度を向いた」
「義弘が次に使えそうなワイヤ固定点はここ」
その程度。
でも。
三妖機には。
十分。
「……うわ」
雫が少し笑う。
「食うの早」
監視員。
「課題ですか」
「うん」
「難しい?」
「全然」
雫は。
自分が晴翔を助けているとは。
思っていない。
ただ。
アリスを。
驚かせたい。
それだけだった。
*
「……一人じゃねえ」
義弘が呻く。
アリス。
「何!」
「こいつら!」
ON=MORAKIが建物の陰へ消える。次の瞬間、全く違う方向から現れる。
「晴翔一人で」
一拍。
「動かしてねえ!」
「何で分かる!」
「癖が増えすぎだ!」
NU=Eが偽情報を流す。GASYAがヴェラの旧戦術ログを使ってシュヴァロフの死角へ入る。ON=MORAKIは雫が開いた観測窓から、アリスの周囲にいる機体の動きを異常な精度で読んでいる。
義弘には。
全部の正体までは。
分からない。
でも。
噛み合わせが。
複数の手で。
作られている。
「アリス!」
「何!」
「モラキ見失うな!」
「見えてない!」
「じゃあグリンフォン!」
「ヌエのせいで座標ズレる!」
「目で探せ!」
「空飛べって!?」
その瞬間。
アリスの後ろ。
空気が。
揺れた。
ON=MORAKI。
翼を。
閉じる。
落ちる。
爪。
アリス。
振り返る。
遅い。
「――っ」
シュヴァロフ。
来ない。
GASYA。
押さえている。
コロボチェニィク。
反対側。
ダムとディー。
群衆の避難。
グリンフォン。
上空。
義弘。
遠い。
黒い爪が。
白いフードへ。
迫る。
そして。
横から。
人間が。
アリスを。
突き飛ばした。
*
「……は?」
アリスが路面へ手をつく。
目の前。
人。
晴翔。
「痛っ……」
黒い爪が晴翔の肩から脇腹へ浅く走り、上着が裂け、血が滲んだ。致命傷ではない。だが、晴翔自身が一瞬息を止める程度には深い。
「お前!?」
「こんにちは」
「何してんの!」
「説得を」
「誰の!」
「皆さんの」
「馬鹿!」
ON=MORAKIが再び上昇する。
義弘。
「追わせんな!」
シュヴァロフがGASYAを押し返す。
GASYA。
退く。
NU=E。
通信。
急減。
三妖機は。
判断した。
晴翔本人が射線へ入った。
GASYAはシュヴァロフを完全拘束できない。
義弘も再び動き始めた。
これ以上。
継続する。
利得。
低い。
ON=MORAKIが翼を広げる。
GASYA。
建物の陰。
NU=E。
識別。
消える。
「逃げる!」
アリス。
義弘。
「追うな!」
「でも!」
「追ったら向こうの場所だ!」
前回と同じ。
アリスが。
止まる。
晴翔。
脇腹。
押さえる。
「……思ったより」
一拍。
「痛いですね」
「知るか!」
「でも」
「喋るな!」
*
晴翔がアリスを庇った映像は、ほぼリアルタイムで世界へ流れた。昨日はアリスが拉致された晴翔を救った。今日は晴翔が三妖機からアリスを庇った。その数秒だけを切り取れば、政治的な和解の象徴としか見えない。
《大泉晴翔、アリス女王を庇い負傷》
《敵対関係を越えた救出》
《日本国政治家、女王陛下を守る》
だが。
現場にいた人間は。
別の意味へ。
変えた。
「晴翔が女王陛下に近づいた!」
支持派。
「こいつが三妖機を!」
「捕まえろ!」
反対派。
「出来レースだ!」
「日本とアリスが組んでる!」
「晴翔を逃がすな!」
晴翔が。
押される。
「待ってください」
一人。
肩。
掴む。
「先生!」
護衛。
遠い。
晴翔自身が。
強引に。
振り切って。
ここまで来た。
「大泉!」
一発。
頬。
晴翔の身体が。
よろける。
「何するの!」
アリス。
人波。
間。
一人。
さらに。
晴翔を。
殴る。
倒れる。
「晴翔!」
義弘。
「アリス待て!」
「今人質!」
「人質じゃねえ!」
「似たようなもん!」
アリスが走る。
負傷した脚ではない。
もう。
自分の脚。
それでも。
身体は。
まだ。
長時間の全力運動に。
慣れていない。
ふらつく。
「シュヴァロフ!」
黒い巨体。
GASYAを。
完全に。
振り切る。
巨大腕。
群衆へ。
振り下ろさない。
左右へ。
押す。
もう一本。
晴翔。
掴む。
「ぐっ!」
晴翔が。
空中へ。
持ち上がる。
「雑!」
アリス。
シュヴァロフの腕が。
少し。
止まる。
「今いい!」
巨大腕。
晴翔。
アリスの。
側へ。
降ろす。
「痛いですね」
「黙れ!」
晴翔は唇の端に血をつけたまま、アリスを見る。
そして。
笑った。
「何」
アリス。
「何笑ってる」
「回しましたね」
「……何」
「あなたが」
アリスの顔が。
固まる。
*
「何言ってんの」
晴翔は、治療班が近づいてくるのを見てもすぐには動かなかった。
「私は」
一拍。
「ずっと」
「見たかったんです」
「何を」
「あなたが」
晴翔。
「歯車を」
「回すところを」
アリス。
「は?」
義弘が晴翔を見る。
その顔から。
少し。
血の気が。
引く。
「……お前」
晴翔は義弘へは答えない。
「今まで」
「アリスさんは」
「歯車の外にいました」
「違う」
「止める人だった」
「だから違う!」
「でも」
晴翔の視線が。
中央行政庁舎。
その上に掲げられた。
《新開市特別調停官》の。
暫定表示へ。
向く。
「今日」
「王冠を取った」
「王冠じゃない!」
「制度を動かした」
「出口作っただけ!」
「人を動かした」
「殴らせないため!」
「機械を動かした」
「助けるため!」
晴翔。
「ええ」
一拍。
「全部」
「正しい理由ですね」
「……」
「次は」
晴翔。
「街そのものを」
「回す」
アリスの目が。
赤く。
鋭くなる。
「私は」
一拍。
「止める」
「止めるために」
晴翔。
「回すんでしょう?」
アリス。
言葉。
止まる。
「悪党の女王なんて」
晴翔。
「要りません」
「じゃあ何」
晴翔は。
少し。
笑った。
「歯車の女王」
一拍。
「止める」
「助ける」
「戻す」
「新開市中の」
「全部を」
「あなたの判断で」
「回してくれる人」
義弘。
「晴翔」
「はい」
「黙れ」
「でも」
「黙れ」
アリス。
晴翔。
睨む。
「……殺す」
晴翔。
「先ほど」
「悪党を固定しないと」
「宣言したばかりですよ」
「今だけ例外」
義弘。
「例外作んな!」
トミー。
「一時間も保ってねえぞ新制度」
「うるさい!」
*
アリスの怒りは、晴翔だけへ向かなかった。晴翔。支持派。反対派。市場。企業。観光客。自分の名前を使って物を売る人間。自分の名前で相手を殴ろうとする人間。自分の家族の挙動を切り出し、モデル化し、売り込み、模倣し、それぞれの正義で互いを止めようとする機械。自分は頼んでいない。女王になりたいとも言っていない。アリス系という名前を付けろとも言っていない。それなのに今、中央行政区の空には、自分の真似をした「子供でもない子供」が何十機も飛び、互いを危険と判断して殴り合っている。
一機の小型ガード機が、反対派の人間を守るため支持派機へ体当たりする。
支持派側の機体が。
反撃。
別。
増える。
「もう」
アリス。
小さく。
「知らない」
義弘。
「おい」
「全部」
アリス。
「止める」
「待て」
赤い目。
端末。
開く。
「アリス」
「私の真似して」
通信。
走る。
「私の名前使って」
一機。
制御系。
触る。
「私のためって」
二機。
止まる。
「勝手に」
五。
「殴り合うな!」
十。
アリス系機の多くは、完全に同一のコードではない。しかし共通する。救助優先。現在行動評価。NECRO由来の優先順位。アリスの家族機から模倣された判断層。その共通部分を、アリスは見つける。
「全部!」
アクセス。
「座れ!」
一機。
膝。
落ちる。
二機。
ローター。
止まる。
三機。
電源。
低下。
企業側。
『何をしている!』
「黙れ!」
『当社の機体です!』
「今!」
一拍。
「私の!」
反対派。
『それは市民団体所有機です!』
「今人殴ってる!」
『制御権を返せ!』
「止まったら!」
義弘の顔が。
変わる。
「アリス!」
「何!」
「やめろ!」
「何で!」
「それやったら!」
義弘。
「お前が」
一拍。
「全部の鍵になる!」
「今止めないと人死ぬ!」
「分かってる!」
「じゃあ!」
「だから!」
義弘は、痛む膝を引きずりながらアリスへ近づく。
「死ぬ噛み合わせだけ!」
「間に合わない!」
「全部握るな!」
「今だけ!」
「その“今だけ”を!」
一拍。
「晴翔が待ってたんだよ!」
アリスの指が。
一瞬。
止まる。
晴翔。
血を流しながら。
その二人を。
見ている。
彼が。
見たかった。
光景。
アリスが。
救うために。
全体を。
握る。
*
その時。
上空。
空気が。
変わった。
最初に聞こえたのは、低い連続振動だった。一機ではない。編隊。規則的。人間の熱狂とも、企業機の警告音とも違う。
義弘が。
空を見る。
「……来た」
アリス。
「何が」
楔形。
複数。
鳥脚。
鋭い装甲。
《F.QRE.D.QVE》。
高速機動隊。
その後ろ。
道路。
高架。
広場。
外縁。
各方向。
大量の。
《VPVD》。
アライアンス。
中立インフラ機群。
「何で!」
アリス。
返答は。
ない。
F.QRE.D.QVEが。
一斉に。
降りる。
楔。
乱戦するアリス系機の間へ。
刺さる。
ただし。
攻撃ではない。
隊列。
押し分ける。
進路。
分断。
通信。
隔離。
VPVD。
人間。
救助。
転倒者。
持ち上げる。
負傷者。
運ぶ。
支持派。
反対派。
区別。
しない。
さらに。
アリスが。
ハッキングしている機体。
その通信まで。
隔離。
「ちょっと!」
アリス。
「何してる!」
通信。
開く。
冷たい。
声。
『やりすぎです』
氷の母。
「今忙しい!」
『だから』
一拍。
『止めています』
「誰を!」
『あなたも』
アリス。
止まる。
「……は?」
『アリス系機群の相互制圧』
『未登録戦力の混在』
『民間人密集』
『複数主体による通信介入』
『そして』
一拍。
『特別調停官による』
『広域非認可ハッキング』
「人助けてる!」
『そうですね』
「なら!」
『人助けのためなら』
一拍。
『都市中の機械を』
『あなた一人の鍵にしてよいとは』
『なりません』
アリスの顔が。
強張る。
「私」
一拍。
「特別調停官!」
『おめでとうございます』
「今それ言う!?」
『ですが』
氷の母。
『王冠が』
『VPVDを』
『所有することはありません』
「……」
『中立インフラは』
『あなたの軍隊ではない』
「知ってる!」
『では』
一拍。
『止められてください』
F.QRE.D.QVEが。
アリスのハッキング経路を。
切る。
一機。
アリスが押さえていた機体。
制御権。
消える。
代わりに。
VPVD。
物理的。
押さえる。
「私まで!?」
『あなたもです』
アリス。
「……ムカつく!」
『結構です』
*
アライアンスの介入は、圧倒的だった。F.QRE.D.QVEは個々の機体の正義を評価しない。誰がアリス支持か、誰が反対か、誰が企業所有かも、今この瞬間の制圧対象を決める最上位条件にはしない。人命を脅かす衝突を分断し、通信を切り、物理的に距離を取らせる。VPVDはその隙間から人間だけを抜き、倒れた柵を直し、狭くなった退避路を広げ、火災の初期消火を行う。
アリスが止めようとした機体も。
アリスを止めようとした機体も。
アライアンスには。
同じ。
「危険な相互干渉」
だった。
シュヴァロフが。
アリスの前へ。
一歩。
出る。
F.QRE.D.QVE。
止まる。
シュヴァロフ。
攻撃。
しない。
F.QRE.D.QVEも。
攻撃。
しない。
数秒。
互いに。
見る。
アリス。
「シュヴァロフ」
黒い巨体。
一歩。
下がる。
義弘が。
それを見て。
息を吐く。
「それでいい」
「何が」
アリス。
「全部」
「止まった」
「違う」
「何が違う!」
「お前」
義弘。
一拍。
「止められた側だ」
アリスが。
睨む。
「同じ」
「違う」
「何で!」
「お前が」
一拍。
「全部止めたんじゃねえ」
義弘。
「お前も」
「止められた」
「……」
「それでいい」
アリスは。
答えない。
「王様が」
義弘。
「止められねえ街になったら」
一拍。
「終わりだ」
アリスの指が。
ゆっくり。
端末から。
離れる。
*
だが。
世界から見えたものは。
全く。
違った。
アリスが中央行政区で右手を上げる。
その直後。
F.QRE.D.QVE。
大量。
降下。
VPVD。
一斉。
展開。
乱戦するアリス系機群が。
次々。
停止。
人間。
救出。
道路。
確保。
映像だけなら。
簡単だった。
《アリス女王陛下、アライアンス高速機動隊を投入》
《新開市特別調停官、都市騒乱を完全鎮圧》
《中立インフラVPVDも女王側へ》
《アリス、都市全域ドローンへ停止命令》
《王冠の権限、実質発動》
日本国側。
比嘉。
「違う!」
新開市行政。
刀禰。
「違います!」
祝部。
「誰か字幕止めろ!」
配信。
増える。
《女王陛下、アライアンスまで従える》
《新しい都市統治モデル》
《アリス連合成立か》
氷の母。
『違いますね』
職員。
「訂正声明を?」
『出してください』
「効果は」
一拍。
『期待しません』
*
晴翔は、中央行政区から少し離れた医療車両の中で処置を受けていた。ON=MORAKIにつけられた傷は浅いが、暴徒に殴られた頬と肋骨の方が痛む。側近は完全に怒っていた。
「先生」
「はい」
「何で現場に行ったんです」
「説得を」
「嘘」
「本当ですよ」
「何割」
「三割くらい」
「残り七割!」
晴翔は答えず、画面を見る。
アリス。
F.QRE.D.QVE。
VPVD。
「先生」
「はい」
「計画通りですか」
晴翔が。
少し。
黙る。
「途中までは」
「途中?」
「彼女に」
一拍。
「歯車を」
「回してほしかった」
「回しましたね」
「ええ」
「なら成功でしょう」
「でも」
晴翔。
F.QRE.D.QVE。
見る。
「別の歯車が」
「彼女を」
「止めた」
「失敗?」
晴翔は。
少し。
笑う。
「いいえ」
「また?」
「もっと」
一拍。
「面白くなりました」
「先生」
「はい」
「本当に嫌いです、その感想」
「そうですか」
晴翔は画面のアリスを見る。自分が欲しかった「歯車の女王」は一瞬だけ現れた。救うために、止めるために、アリスは自分の判断で他人の機械へ手を伸ばし、街全体を一つの方向へ押し始めた。
しかし。
その女王を。
別の仕組みが。
止めた。
晴翔にとって。
それは。
失敗では。
なかった。
予測外。
だった。
そして。
予測外は。
いつも。
彼を。
少しだけ。
幸せにした。
*
中央行政区の混乱が完全に収束したのは、日が落ち始めてからだった。負傷者は出た。破損した機体も多い。だが、死者はいない。F.QRE.D.QVEの一部は既に撤収し、VPVDは戦闘が終わった道路を、何事もなかったように直している。割れた舗装。倒れた柵。焼けた案内板。支持派も反対派も、まだ互いを睨みながら、それぞれ別の退避路へ誘導されていた。
アリスは。
立っていた。
疲れていた。
脚。
痛い。
肩。
重い。
頭。
痛い。
その周り。
止められた。
無数の。
アリス系。
小さい機体。
大型機。
白。
灰。
銀。
黒。
自分の家族ではない。
でも。
自分たちを。
真似た。
機械。
義弘が。
隣へ。
立つ。
「どうだった」
アリス。
「何が」
「王冠」
アリスは。
しばらく。
黙った。
「最悪」
義弘。
「だろ」
「でも」
一拍。
「脱がない」
義弘が。
アリスを見る。
「まだ」
アリス。
「出口」
「足りない」
「……そうか」
「止める?」
「お前を?」
「うん」
義弘。
少し。
考える。
「今日」
一拍。
「止められたろ」
アリス。
「アライアンスに」
「なら」
「まだいい」
「何が」
「止められる」
義弘。
「王冠なら」
一拍。
「まだ」
「被ってても」
「街は終わってねえ」
アリスは。
何も。
言わない。
そこへ。
トミー。
「おい」
「何」
「新しい呼び名できてる」
「見せるな」
「もう見えてる」
街頭ディスプレイ。
ニュース。
巨大字幕。
**《歯車の女王アリス――新開市全ドローンを鎮圧》**
アリス。
止まる。
「……誰」
トミー。
「何が」
「これ」
「言い出した奴」
義弘。
「知らん」
「殺す」
「今日禁止しただろ」
「……殴る」
トミー。
「大して変わってねえな」
義弘が。
少し。
笑う。
アリスは。
全然。
笑わなかった。
その日、アリスは王冠の最初の権限を使い、悪党という席から降りようとする人間のために、ひとつの出口を制度へ作った。そして同じ日に、自分を模倣した社会が、自分の名前を使い、自分の家族の判断を真似しながら互いを殴り始めたことに耐えきれず、都市中の機械を自分一人の手で止めようとした。晴翔が望んだ「歯車の女王」は、確かに一瞬だけ新開市に立った。救うために。止めるために。正しい理由だけを抱えて、自分の判断で街全体を握ろうとする女王として。
だが。
その女王へ。
従わない機械が。
いた。
その女王を。
止める仕組みが。
残っていた。
VPVDはアリスの軍隊にはならなかった。F.QRE.D.QVEは王冠へ跪かなかった。義弘はアリスが全てを握ることを許さなかった。そしてシュヴァロフさえ、最後にはアリスが止まるのを待った。
だから。
まだ。
晴翔の勝ちではない。
そして。
アリスの勝ちでもない。
ただ世界だけが。
そんな内側の事情など知らず。
新しい女王が。
ついに。
新開市の。
歯車を。
手にしたのだと。
熱狂していた。




