第388話 戴冠景気
新開市が世界的な話題の中心へ躍り出るまで、時間はほとんどかからなかった。理由はいくつもあったが、その全てを一言で説明しようとすると、どうしても奇妙な言葉になる。――女王アリス。正式には、まだそんな役職は存在しない。オールドユニオンが提案し、日本国と新開市が協議しているのは《新開市特別調停官》であり、自治都市の統治者でも君主でもない。任期があり、監査があり、停止条件があり、本人の辞任も想定される、どちらかといえば面倒な行政調停職だった。ところが、そんな法制度の説明を世界中の野次馬が律儀に読むはずもない。昨日まで車椅子だった少女が自分の足で立ち、市民から「女王陛下」と呼ばれ、巨大な黒いドローンを従え、企業と国家と武装集団の間へ平然と入り、自分を敵視していたはずの政治家さえ助けた。その絵だけで十分だった。
新開市中央駅の入域ゲートには、朝から長い列ができていた。日本国内から来た観光客。海外メディア。動画配信者。自治都市研究者。企業の視察団。ドローン技術者。政治活動家。そして、少なからぬ数の、本気でアリスを一目見ようとやってきた人間たち。
「本日の入域予定者、通常日の三・八倍です」
市庁舎。
報告を受けた刀禰ミコトは、端末から顔を上げた。
「何でです」
職員が少し困った顔をする。
「……女王陛下を見たい方が」
「女王陛下ではありません」
「はい」
「特別調停官ですら、まだありません」
「はい」
「百回くらい説明しましたよね」
「百回くらいしました」
「なら」
一拍。
「百一回目をしてください」
「はい」
祝部マコトが横から資料を覗き込む。
「でも市長」
「何です」
「これ」
観光統計。
「凄いですよ」
「何が」
「宿泊稼働率」
「見たくありません」
「百パーセント近い」
「見たくありません」
「外縁民泊まで埋まってる」
「見たくありません」
「商店街の売上も」
「祝部さん」
「はい」
「あなた、面白がってません?」
「少し」
「少し?」
「かなり」
刀禰が目を閉じた。
「新開市らしいですね」
「褒めてませんよね」
「全く」
*
《アリス祭り》という名は、もう冗談ではなくなっていた。前の段階では市民が勝手に始めた小規模な催しだったが、外から人間が流れ込めば、それはすぐに産業へ変わる。《女王陛下が初めて立った広場》《アリスが晴翔を救った旧物流センター》《NECRO家族機目撃ルート》《王冠行進と反王政デモが合流した交差点》。旅行会社はそれらを半日で巡る見学コースを作り、商店街は白いフードを模した菓子を売り、子供向けには銀色の開いた王冠が飛ぶ小型ドローン玩具まで並び始めた。
アリスは、その看板を見た瞬間に立ち止まった。
「……何これ」
トミー。
「観光資源」
「私まだ生きてる」
「生前から聖地巡礼されるの、珍しいな」
「嬉しくない」
店主がアリスに気づく。
「あっ! 女王陛下!」
「違う!」
「記念写真いいですか!」
「嫌!」
「じゃあサインだけでも!」
「もっと嫌!」
トミーが横から看板を見る。
「《女王陛下御用達予定》って書いてある」
「予定って何」
「まだ食べてないからじゃね」
「食べない」
店主。
「売上の五パーセント、NECROテック被害者支援へ回しています!」
アリス。
「……」
トミー。
「また止めにくいやつ」
「ムカつく」
「買う?」
「一個」
「食うんじゃん」
「支援だから」
そこへ、海外から来た配信者の一団が駆け寄ってくる。
「Alice! Queen Alice!」
「違うって言ってる!」
翻訳端末。
《女王陛下は称号を否定しました》
配信者。
「謙虚だ!」
「違う!」
別。
「それが人気の理由なんですね!」
「帰れ!」
その映像が十五分後、日本語字幕付きで《女王陛下、観光客へ庶民的対応》として拡散された。
アリスは本気で頭を抱えた。
*
日本国内でも似たようなものだった。朝の情報番組では、新開市の政治情勢より先に「アリス女王陛下とは何者か」という人物紹介が組まれ、彼女が歩けるようになるまでの経緯、NECROテックの家族機、シュヴァロフの映像、晴翔救出時の発言が短く編集されて流れていた。
『世界でも珍しい、自治都市の“女王”となるかもしれない少女です』
『まだ正式就任していません』
『ですが新開市では既に絶大な支持を――』
『かわいいですしね』
日本国代表団控室。
比嘉日向がテレビへ振り向いた。
「また最後それ要る!?」
若い官僚。
「世論形成には容姿も」
「外交の話してるんですよ!」
「でも視聴率は高いです」
「だから嫌なんです!」
別の画面では、新開市行きの交通予約が急増している。
比嘉。
「何で政治危機が観光需要になるんですか」
祝部から送られてきた短いメッセージ。
《新開市だから》
比嘉。
「説明になってない!」
*
だが、観光以上に大きく動いたのは市場だった。ここ数か月、新開市では何度も都市用ドローンの価値観が書き換えられてきた。最初は火力と制圧力だった。次に救助性能。さらに市民との距離。敵味方識別。命令拒否。現在行動評価。結果として市場が見つけたのは、アリスの家族機がずっと当たり前にやっていたことだった。
人命を効率より先に置く。
対象資格を確認する前に助ける。
登録された味方だから通すのではなく、今その人間が何をしているかを見る。
守るためなら、命令そのものを無視する。
それらが、これまで軍用・警備用ドローンでは「不確実性」として嫌われていた。しかし新開市では、その不確実性こそが、都市と人間の距離を縮める性能として評価され始めていた。《VPVD》が公共インフラで結果を出し、KAGEBŌSHIが壊さずに人間を退かせ、REGALIAが所属ではなく現在行動を見るようになった。アリスの家族機そのものを再現できなくても、その判断思想を学ぶことはできる。
その瞬間。
市場が。
開いた。
大手ドローン企業。
大学研究室。
国立研究機関。
自治体向け設備会社。
小規模スタートアップ。
クラウドファンディングで一機ずつ機体を作る個人開発者まで、同時に「アリス系都市機」の開発を名乗り始めた。
アリス本人は何も知らなかった。
「何で」
彼女は端末へ表示された記事を見ていた。
《次世代アリス系家庭支援ドローン》
《Alice-Compatible Urban Guardian》
《アリス判断モデルに学ぶ都市安全AI》
《民間クラウド開発・小型シュヴァロフ構想》
「最後の何」
オスカー。
「小型シュヴァロフだそうです」
「駄目」
「私に言われても」
「消して」
「市場全体へ言ってください」
「お前OCMでしょ」
「現在のOCM本流は関係ありません」
「じゃあ何で楽しそうなの」
「市場が自分からNECRO系判断思想へ寄ってきていますので」
「私は嫌」
「そうでしょうね」
「名前使うな」
「商標を取りますか」
「取ったら余計王様っぽい」
「確かに」
「何笑ってる」
*
河島玄隆は、この状況を誰よりも冷静に喜んでいた。カワシマ重工の会議室では、KAGEBŌSHIの救助映像と市場予測が並べて表示されている。株価。自治体からの問い合わせ。公共安全分野の共同研究。海外からのライセンス協議。どれも数字が上向いていた。
「市場が追いつきましたね」
河島。
部下が訊く。
「我々の勝ちでしょうか」
「いいえ」
「では」
「市場が」
一拍。
「生まれたのです」
河島はKAGEBŌSHIの映像を見る。以前はアリスとシュヴァロフの関係を、どう再現可能な製品へ落とし込むかだけを考えていた。しかし今は、その問いを世界中の開発者が始めている。
「問題は」
「何でしょう」
「誰でもアリス系を名乗れることです」
別画面。
粗雑な模倣。
家庭用監視機。
安価な警備ドローン。
アリスの名を広告に使っているだけで、実際には単なる追跡装置という製品まである。
「認証規格が必要でしょう」
「誰が認証します?」
部下。
河島。
少し。
笑う。
「さて」
会議室の視線が。
一つの名前へ。
向く。
アリス。
*
「こっち見るな」
アリスは、本人がいないはずの河島の会議を見たわけでもないのに、その日だけで似た視線を何十回も受けていた。研究機関が来る。企業が来る。日本国の公共開発グループが来る。海外自治体の視察団まで来る。
「アリスさん、優先順位モデルについて共同検証を」
「知らない」
「ですが、あなたの家族機の挙動が」
「家族だから」
「だからこそモデル化を」
「嫌」
「監修だけでも」
「嫌」
「お名前の使用許諾を」
「もっと嫌」
「国家安全規格への参考意見を」
「私国じゃない」
「新開市を代表して」
「代表してない!」
御堂環が隣で資料を抱えている。
「落ち着いてください」
「何で増えるの」
「市場です」
「市場嫌い」
「それを止める権限はありません」
「今度そればっか」
環。
「権限を欲しがっている人の台詞ではありませんね」
アリスが睨む。
「欲しいのそこじゃない」
「分かっています」
しかし、アリスが何を欲しいかと、街が彼女へ何を載せようとしているかは、もう同じではなかった。政治的な王冠。市場での認証権威。観光資源としての象徴性。NECROテックの倫理的原型。アリス本人が嫌がるたびに、「利権に興味のない女王」という新しい物語まで増えていく。
病室でそれを見ていた義弘は、低く唸った。
「……もう王冠だけじゃねえ」
トミー。
「何が」
「市場まで」
一拍。
「頭に乗ってる」
「重そう」
「笑い事じゃねえ」
「でもアリス本人、何も契約してないぞ」
「それでも」
義弘。
「一言で」
「金が動く」
「嫌いって言えば?」
「落ちる」
「良いって言えば?」
「上がる」
トミー。
「女王じゃん」
「言うな!」
*
晴翔の歯車は、当初の目的だけを見れば、既に失敗していた。正義の中へ不満を育て、機会を与え、一時的な悪党を生み、その悪党を正義が止め、出口を用意して再び正義へ戻す。晴翔はその循環によって新開市の各勢力を測り、統一された政治ブロックになることを防ぎ、日本国が調停者として入り続ける余地を作ろうとした。
今。
誰も。
そんな回り方をしていない。
晴翔の執務室。
側近が、観光客数と市場投資額と政治集会予定を同じ画面へ並べた。
「先生」
「はい」
「最初の目的」
「覚えてます?」
「正義の中から」
一拍。
「適度に悪党を出すことです」
「今」
画面。
女王観光。
アリス系ドローン市場。
技術認証。
街頭集会。
国際報道。
「全然違います」
「ええ」
「失敗ですよね」
晴翔は。
少し。
考えた。
「目的としては」
一拍。
「完全に」
「なのに」
「はい」
「何でこんな回ってるんですか」
晴翔は画面を眺める。
「回転数だけなら」
「最初より」
「上ですね」
「嬉しそうに言わないでください」
「評価しているだけですよ」
「失敗を?」
「失敗した仕組みが」
一拍。
「別用途で」
「想像以上に動いているのは」
「興味深いでしょう」
側近。
「普通は止めるんですよ」
「誰が?」
「作った人が!」
晴翔は返事をしなかった。
*
アリスが《新開市特別調停官》の権限を本気で欲しいと考えたのは、観光客や市場のためではなかった。むしろ、そこから外れた場所にいる人間たちのためだった。
晴翔を拉致した急進派。
NECROMANCERの一部。
VX暴走事件へ面白半分で侵入した若いハッカー。
企業機を攻撃して拘束された市民。
反王政デモで暴力寸前まで行った活動家。
晴翔の歯車から生まれた「悪党」は、既に何人もいた。
問題は。
その後だった。
悪いことをした。
止められた。
そこまではいい。
だが、彼らが一度「危険人物」「反自治勢力」「親日過激派」「反日テロ予備軍」「女王過激派」と名札を貼られれば、その名札だけが残る可能性がある。晴翔が用意していた「出口」は、彼の歯車の一部として利用されていたからこそ危険だったが、出口そのものが不要なわけではない。
アリスはそこを理解していた。
「悪いことした奴は」
新開市代表団との協議。
「止める」
三岐透子。
「当然です」
「でも」
アリス。
「止めた後」
「全員まとめて」
「一生悪党にするの」
「駄目」
三岐。
「誰もそのような制度を提案していません」
「制度じゃなくてもなる」
「世論ですか」
「企業も」
「警察も」
「ネットも」
一拍。
「一回名前ついたら」
「ずっとそれで見る」
刀禰が静かに聞いている。
「では」
三岐。
「何を求めます」
アリスは資料を出す。
「特別調停官の」
一拍。
「一部」
「先に」
「使わせて」
部屋の空気が変わった。
祝部。
「……今?」
「うん」
三岐。
「あなたはまだ」
「任命されていません」
「知ってる」
「なら正式な手続きを待ってください」
「待てない」
「なぜ」
アリスは。
少し。
言葉を探した。
「今日」
「悪党になった奴が」
一拍。
「明日まで」
「人間でいられる保証」
「ないから」
三岐。
「だから制度があります」
「追いついてない」
「それを理由に」
一拍。
「制度を飛び越えるのですか」
アリス。
「……」
「あなたが」
三岐の声は冷たい。
「日本国とオールドユニオンの支持を背景に」
「新開市代表団の承認前に」
「権限を取る」
「それは」
一拍。
「あなたが止めようとしてきたことと」
「何が違うのです」
アリスは。
黙った。
祝部が。
珍しく。
冗談を言わなかった。
「アリス」
「何」
「俺たち」
一拍。
「新開市の代表だぞ」
「知ってる」
「俺ら飛ばして」
「OUと日本から」
「権限もらうって」
「それ」
祝部。
「自治なのか?」
アリスの顔が。
少し。
強張った。
「知らない」
「知らないでやるのか」
「でも」
一拍。
「今」
「間に合わない方が」
「嫌」
祝部。
「俺たちを」
「敵に回すぞ」
「敵にしない」
「そう見える」
「反対する奴」
「敵じゃない」
「じゃあ」
「何なんだ」
アリス。
「反対する人」
祝部が。
黙る。
「それでも」
アリス。
「やる」
*
アリスが先行付与を求めた権限は、彼女を王にするようなものではなかった。むしろ逆だった。暴力行為を行った集団を即座に一括して敵対組織へ指定する前に、一定時間の調停猶予を置く。投降・離脱者の安全を一時的に保証する。武装解除した者への報復や私的制裁を停止させる。治安機関、日本国側警備、企業警備、民間武装組織を同じ調停卓へ呼び出す。未登録大型戦力には一時停止を要求できる。事件関係者の証拠を保全し、「組織全体」と「個人」を分けて扱うための暫定保護措置を取る。
敵を倒す権限ではない。
敵から。
降りるための。
道を。
塞がせない権限。
アザドは資料を読んですぐに理解した。
『先行付与は可能だ』
「ほんと?」
『条件付きだ』
「また条件」
『当然だ』
「何」
『任期。発動条件。記録保存。監査。停止手続き。そして権限の目的外使用を禁じる』
「うん」
『お前が欲しいのは』
一拍。
『王冠じゃないな』
アリス。
少し。
黙る。
「うん」
『出口か』
「……うん」
アザド。
『なら』
「何」
『出口を作る権限だけ取れ』
「晴翔止めるのは?」
『別だ』
「面倒」
『権力とはそういうものだ』
「嫌い」
『知ってる』
*
皮肉なことに、日本国側では新開市代表団よりもアリスへの先行権限付与を歓迎する声が強かった。
「限定的な調停権であれば」
日本国代表団。
「むしろ早期に認めた方が現場安定へ寄与する」
比嘉。
「早期って言葉で全部進めないでください!」
「市民支持も高い」
「だから危ないんです!」
「日本国との交渉窓口も明確になる」
「窓口は新開市代表団です!」
「だが現実として、市民はアリス氏の承認を求めている」
「現実が制度を食べ始めてるから困ってるんですよ!」
そこへ晴翔。
「私は」
一拍。
「アリス氏への」
「限定的な」
「先行権限付与を」
「支持します」
遠隔参加していたアリスが、すぐに画面を見る。
「何で」
「必要だからです」
「お前が言うと怪しい」
「そうでしょうね」
「何かする気?」
「今は」
一拍。
「ありません」
アリス。
目を細める。
「ほんと?」
「はい」
「信じない」
「それは自由です」
晴翔は。
本当に。
何もしなかった。
*
「先生」
会議後。
側近。
「本当に何もしないんですか」
「ええ」
「アリスが権限を取ろうとしてますよ」
「知っています」
「あなたを止めるためでしょう」
「一部は」
「なら止めないんですか」
晴翔は資料を閉じる。
「今」
「アリスさんが」
一拍。
「私の歯車へ」
「制度を」
「組み込んでくれていますから」
「止めるための制度です」
「目的は」
「そうでしょうね」
「じゃあ」
「制度になれば」
晴翔。
「残ります」
「……」
「私がいなくても」
「悪党から降りる出口を」
「守る制度が」
「残る」
「それ」
「先生にとって得なんですか」
「分かりません」
「分からないのに支持する?」
晴翔。
「分からないから」
一拍。
「面白いのでしょう」
側近。
「そこへ戻るんですね」
*
オスカーもまた、晴翔の動きを追う余裕を削られていた。理由はヴェラだった。旧OCM海外部門の資産回収。残存倉庫。VXシリーズ。三妖機へ流用された可能性のある旧戦術データ。海外部門と晴翔の接触。どれも放置できない。
ヴェラ本人は。
驚くほど。
おとなしかった。
「何もしてませんね」
リン。
オスカー。
「それが嫌なのです」
「何で」
「ヴェラだからです」
アリス。
「怪しい」
「ええ」
「でも今何してる」
「技術監査」
「倉庫の資産整理」
「報告書提出」
リン。
「真面目じゃん」
オスカー。
「それが怪しいのです」
遠く。
ヴェラ。
「聞こえてるわよ」
オスカー。
「聞かせています」
「性格悪いわね」
「あなたに言われたくありません」
ヴェラは笑っただけだった。
彼女は知っていた。
晴翔が自分だけを。
切り札にしているわけではない。
もう一枚。
いる。
誰かは知らない。
それで。
十分だった。
だから。
ヴェラは。
今。
動かない。
別の札が。
切れるのを。
待っていた。
*
収監施設。
雫は。
全部。
見ていた。
アリス。
特別調停官。
先行権限。
オールドユニオン。
日本国。
新開市代表団。
反対。
支持。
市場。
観光。
女王。
ネット。
晴翔。
雫は。
画面を。
見ながら。
小さく。
笑った。
「……熱すぎ」
監視員。
「何がです」
「街」
「新開市ですか」
「うん」
「前からでは」
「違う」
雫は。
前回。
VXの倉庫を。
人へ。
知らせた。
それだけで。
街が。
動いた。
今回は。
もっと。
簡単だった。
倉庫すら。
いらない。
兵器も。
いらない。
ただ。
言葉。
雫は匿名アカウントを一つ作る。
反対派が多い場所へ。
《アリスはまだ正式任命されてない》
《なのに日本国とOUを後ろ盾に権限だけ先に取ろうとしてる》
《今声を上げなかったら、正式就任後じゃ遅いんじゃない?》
《“善人だから大丈夫”で権力集中を許すの?》
送信。
次。
別の場所。
支持派。
《晴翔の歯車で悪党扱いされた人間を守ろうとしてるのがアリス》
《それを制度論で止めてる人たちは誰を守ってるの?》
《女王陛下を支持するって言ってた人たち、反対派に好き放題させてるだけ?》
雫は。
一度。
止まる。
「……女王陛下」
自分で。
書いて。
嫌そうな顔。
「ムカつく」
でも。
送る。
殴れ。
とは。
一言も。
書かない。
集まれ。
とも。
言わない。
抗議しろとも。
攻撃しろとも。
言わない。
ただ。
問いを。
置く。
数分。
反応。
十。
三十。
百。
千。
「……早」
反対側。
《緊急集会を》
《議会前へ》
《今止めないと権力固定される》
支持側。
《アリスを一人にするな》
《特別調停官支持集会》
《反対派の包囲を許すな》
雫の指が。
止まる。
「私」
一拍。
「そこまで」
「言ってないんだけど」
監視員。
「何です?」
「何でもない」
それでも。
増える。
反対。
支持。
言葉が。
勝手に。
強くなる。
*
ヴェラは、監査拠点の端末でその増幅を見ていた。反王政系の集会予定。特別調停官支持派の対抗集会。投稿の発生時刻。異様に似たタイミング。
「あら」
同行員。
「何です」
「もう一枚」
「何が」
ヴェラ。
少し。
笑う。
「あの男の」
一拍。
「切り札」
「特定できますか」
「いいえ」
「なら」
「十分よ」
ヴェラは端末を閉じた。
「晴翔じゃない」
「何で分かるんです」
「雑だから」
「またそれですか」
「出口を作ってない」
「では誰が」
「知らない」
「調べます?」
ヴェラは。
少し考え。
「今は」
「いい」
「なぜ」
「面白いから」
*
病院。
トミーが。
画面を見ていた。
「今度は晴翔?」
義弘は。
投稿。
拡散。
集会。
導線。
全部。
見る。
「違う」
「また?」
「もっと」
一拍。
「雑だ」
「誰」
「分からん」
「じゃあ」
義弘。
嫌そうに。
画面を見る。
「増えた」
「何が」
「大泉が」
トミー。
「一人だろ」
「やり方を」
一拍。
「使う奴が」
「増えた」
義弘は。
それを。
口にした瞬間。
自分で。
嫌になった。
晴翔本人を。
止めれば。
終わる。
そういう話では。
なくなっている。
「……面倒くせえ」
トミー。
「いつも言ってるな」
「今回は」
一拍。
「本当に」
「面倒だ」
*
夜九時。
二つの告知が。
ほぼ同時に。
新開市中へ。
流れた。
《特別調停官・先行権限付与阻止 緊急市民集会》
場所。
中央行政区。
翌日。
午後。
その数分後。
《アリス特別調停官支持 市民防衛行進》
場所。
同じ。
時間。
ほぼ。
同じ。
真鍋。
「誰だ!」
治安機関。
「何がです」
「導線組んだ奴!」
「まだ集会始まってません!」
「絶対いる!」
別端末。
導線屋。
《二つの行進が第四連絡広場で交差すると最高》
真鍋。
「ほらいた!」
「違法行為はまだ」
「もう嫌だ!」
アリスも。
その告知を。
見ていた。
環。
「止めますか」
アリス。
「止められない」
「では」
「殴らせない」
環。
少し。
アリスを見る。
「それが」
一拍。
「あなたの」
「先行権限ですか」
アリス。
「まだない」
「明日」
「取ります?」
一拍。
「取る」
*
三岐は、その夜もう一度アリスへ会った。
「この状況で」
「先行付与を強行すれば」
一拍。
「火に油です」
「分かってる」
「なら」
「でも」
アリス。
「火がついた後」
「逃げる道」
「ない方が」
一拍。
「もっと嫌」
三岐。
「あなたは」
「私たちを」
「敵に回します」
「敵にしない」
「政治では」
「そう見えることが」
「あります」
「反対する人」
「敵じゃない」
「それでも」
「権限を取る?」
アリス。
「うん」
三岐。
「なぜ」
「止めた後」
一拍。
「戻れる場所」
「残すため」
三岐は。
しばらく。
黙った。
「大泉晴翔と」
「同じ言葉です」
アリスの顔が。
強張る。
「違う」
「何が」
「晴翔は」
「回すために」
「出口作った」
「私は」
一拍。
「回さないために」
「出口残す」
三岐。
「結果が違う保証は?」
アリスは。
答えられなかった。
「ない」
三岐。
「それでも?」
「やる」
*
晴翔の執務室。
翌日の集会情報。
先行権限。
支持。
反対。
全て。
並ぶ。
側近。
「先生」
「はい」
「また」
「回り始めました」
「ええ」
「今回は」
「先生」
「何もしていない」
「ええ」
「誰です」
晴翔は。
少し。
考える。
ヴェラ。
もう一枚。
雫。
しかし。
確証はない。
「私の」
一拍。
「知らない誰かでしょうね」
「本当に?」
「本当に」
「気持ち悪いくらい嬉しそうです」
晴翔。
「いいですね」
「何が!」
「とうとう」
一拍。
「私まで」
「観客になれる」
側近が。
本気で。
頭を抱えた。
*
収監施設では、雫が翌日の参加予定数を見ていた。反対派。支持派。どちらも数千。さらに、見物人。配信者。記者。導線屋。観光客。技術者。アリスを一目見たいだけの人間まで、中央行政区へ集まり始めている。
自分がしたのは。
数行。
それだけ。
反対派へ。
問い。
支持派へ。
問い。
殴れとも。
囲めとも。
戦えとも。
言わなかった。
それでも。
街は。
勝手に。
強くした。
「……私」
雫が。
小さく。
呟く。
「何も」
「してないのに」
言った後。
自分で。
首を振る。
「違う」
一拍。
「した」
言葉を。
置いた。
それだけ。
そして。
新開市が。
走った。
雫は。
画面から。
目を。
離せなかった。
「あいつ」
一拍。
「これ」
「ずっと」
「やってたの?」
晴翔。
直接。
殴らない。
誰かへ。
命令しない。
ただ。
不満と。
機会と。
道を。
少し。
近づける。
あとは。
自分で。
選ばせる。
雫は。
初めて。
大泉晴翔という男の。
気持ち悪さを。
少しだけ。
理解した。
そして。
理解したからこそ。
少し。
怖くなった。
自分が。
今。
同じことを。
やっている。
それでも。
指は。
端末から。
離れなかった。
新開市では、観光客が王冠を買い、企業がアリス系技術へ投資し、市民がアリスの権限を巡って喧嘩し、国家がその権限を歓迎し、代表団が自治を守ろうと反発し、アリス本人だけが王冠を嫌がりながら、それでも誰かが悪党から降りるための出口を守ろうと王冠へ手を伸ばしていた。
晴翔が最初に作ったのは。
正義の中から。
悪党を。
循環させる。
歯車だった。
今。
新開市で。
回っているものは。
もう。
違う。
話題。
熱狂。
市場。
権力。
反発。
支持。
観光。
技術。
そして。
また。
話題。
全てが。
次の熱を。
生む。
巨大な。
都市そのものの。
回転。
アリスと義弘は、その回転を止める方法を探していた。晴翔は、自分でも予想しなかった形へ変わった歯車を眺めていた。ヴェラは、その戦場としての利用価値を測っていた。そして雫は、まだ収監施設の中にいながら、たった数行の言葉でその回転へ手をかけた。
翌日。
二つの巨大な集会が。
同じ場所へ。
向かう。
その中心で。
アリスは。
とうとう。
王冠の。
最初の権限を。
取りに行く。




