第387話 他人の歯車
ヴェラ・クラウスが新開市へ降り立って最初に感じたのは、懐かしさではなかった。危険だった。もっと正確に言えば、危険が多すぎて、かえって街全体が奇妙な平穏に見えることへの違和感だった。以前の新開市にも武装勢力はいた。企業の大型ドローン、行政の治安部隊、アライアンス、外様のサムライ、違法拡張区画へ入り込んだ武装集団。兵士として見るなら、脅威の種類は多かったが、まだ分かりやすかった。どこに火力があり、誰が誰を敵視し、どの道路が補給路で、どの建物が拠点なのかを見れば、戦場の輪郭はおおよそ掴めた。だが、今は違う。空港区画を出て車両で中央部へ向かうだけで、白い帯を腕に巻いたアリス戴冠支持者と、黒い札を掲げた専制反対派が同じ歩道を逆方向へ歩き、少し先では日本国との協調を訴える技術者集団が街頭討論を行い、その上空を企業連の広報ドローンが飛び、さらにその映像を面白がった配信者と導線屋が追いかけていた。治安機関はそれらを止めず、交差点ではアライアンスの中立機が黙々と道路補修をしている。どこにも銃声はない。火も出ていない。それでも、ヴェラには街全体が、あと指一本で引き金が落ちる巨大な機関銃のように見えた。
「……戦場ね」
同行しているOCM海外部門の連絡員が窓の外を見る。
「現在、武力衝突は確認されていません」
「だから?」
「いえ」
「撃ってないだけよ」
ヴェラは前方の交差点へ視線を移した。戴冠支持者と反王政派が向かい合っている。怒鳴り合い。だが、救急搬送用の車両が来ると、両方が同時に道を空けた。車両が抜ければ、また互いに怒鳴り合う。ヴェラはその動きを見て、小さく鼻を鳴らした。
「面倒ね」
「以前より?」
「ずっと」
「大泉晴翔が関係していると?」
ヴェラは答えず、携帯端末へ表示された新開市の情勢資料へ目を落とした。晴翔が直接作ったものもあれば、そうでないものもある。だが、どの対立にも似た構造があった。不満がある。隣に別の不満を持つ相手がいる。武器になるものがある。見物人がいる。救済策まで用意されている。そして、それぞれが自分で選んだと思いながら動く。晴翔は戦闘命令を出していない。街に「撃て」と言っていない。それでも、撃てる場所を増やしてある。
「大泉晴翔という男」
ヴェラが呟いた。
「弾丸を置く人間だと思っていたけど」
「違う?」
「射線を作るのね」
「それは評価ですか」
「利用価値の確認よ」
*
オスカー・ラインハルトから面会要請が届いたのは、ヴェラが入域手続きを終えるより早かった。正式には現在のOCM本流側の管理責任者として、旧海外部門出身者が新開市へ入った以上、活動目的と持ち込み装備について確認したいというものだった。断ってもいい。しかし断れば、最初から隠し事があると宣言するようなものだ。ヴェラは素直に指定された場所へ向かった。素直に従ったところで、オスカーがそれを信用するとは思っていない。
面会室へ入ると、オスカーだけではなかった。白いフード。黒い髪。片目を覆う前髪。赤い瞳。そして、以前と違うところが一つ。
立っていた。
アリスは自分の足で立ち、壁際に寄りかからず、ヴェラを見ていた。後ろにはシュヴァロフ。少し離れてグリンフォン。王宮などではない。会議用の無機質な部屋だ。それでも、今の新開市でこの構図を撮影すれば、数分もしないうちに「女王陛下と旧OCM使者の謁見」という字幕をつけられるだろう。
「なるほど」
ヴェラはアリスを見る。
「本当に女王様になったのね」
「帰れ」
「挨拶が早いわね」
「女王って言ったから」
オスカーがため息をついた。
「ヴェラ」
「久しぶり」
「生きていたのですね」
「あなたも」
「残念ですか」
「少し」
「奇遇ですね」
アリスが二人を交互に見る。
「仲悪い?」
「普通です」
オスカー。
「普通じゃないわ」
ヴェラ。
「どっち」
「どちらでも構いません」
「面倒」
オスカーが資料を開いた。
「目的を確認します」
「書類に書いたでしょう」
「あなたの言葉で聞きたい」
「二つ」
ヴェラは椅子へ座った。
「一つ。第三者技術監査員として、アリス系技術を基礎に進みつつある新開市の都市機械基準を見る」
アリスの眉が動く。
「私の技術?」
「あなた一人の技術じゃない。あなたの家族がやっていた判断、優先順位、救助挙動。それを企業や行政が規格に落とし始めている」
「真似?」
「そうとも言う」
「嫌」
「もう遅いわ」
オスカー。
「もう一つは?」
「海外部門が新開市に残した物の回収」
オスカーの目が僅かに細くなる。
「何を残したのです」
「あなたに一覧を渡す義務が?」
「新開市で回収作業を行うなら、少なくとも危険物についてはあります」
「面倒な街になったわね」
「帰れば」
アリス。
「その選択肢はもう聞いた」
ヴェラはアリスへ目を向ける。
「でも安心して。戦争をしに来たわけじゃない」
「戦争しに来る奴、だいたいそう言う」
「経験豊富ね」
「お前らのせい」
ヴェラは小さく笑った。オスカーは笑わない。
「大泉晴翔氏とは、どういう関係です?」
「入口を作ってもらっただけ」
「協力関係では」
「利用関係」
「どちらが、どちらを?」
ヴェラは少し考えてから答えた。
「これから決める」
アリス。
「やっぱ帰れ」
「あなた、交渉向いてないわね」
「知ってる」
その即答に、ヴェラは今度こそ少しだけ面白そうな顔をした。
*
面会を終えた後、ヴェラは監査員用に用意された仮拠点へ戻らず、そのまま旧OCM海外部門の残置資産確認へ向かった。事前に新開市側へ提出した回収申請は、意図的に狭い範囲しか記されていない。「旧海外部門の保守部品および非稼働資産」。嘘ではない。ただ、どの倉庫に何があるかまで全ては書かなかった。OCM海外部門が新開市から撤退した時、資産の全てを持ち出せたわけではない。いくつかは第三者名義の倉庫へ隠し、いくつかは分解し、いくつかは「廃棄予定」として登録だけを消した。それは捲土重来のための備蓄でもあり、当時の海外部門にとっては単なる撤退時の保険でもあった。
車両が古い物流区画へ入る。ヴェラには懐かしい道だった。しかし、現在の公開地図では途中から倉庫群が別会社の管理地として表示されている。旧OCMの名はない。
「大泉晴翔には、場所を知らせるのですか」
同行員が訊いた。
「知らせない」
「では、なぜこのタイミングで」
「回収するから」
「それだけですか」
ヴェラは窓の外を見た。
「旧認証を使うわ」
「ログが残ります」
「当然」
「晴翔側に捕捉される可能性が」
「あるでしょうね」
「知らせるのと同じでは?」
「違う」
車両が止まる。
「私は何も教えない」
「しかし」
「気づくなら」
一拍。
「使える男ってことよ」
「気づかなければ」
「その程度だったってだけ」
倉庫の扉へ、古い認証端末が接続される。何年も死んでいたOCM海外部門の物流コードが、一度だけ新開市のネットワーク上に復活した。短い認証。開錠。内部照明。
埃。
コンテナ。
保守部品。
そして、奥。
大型機。
VX-07 HOUND。
数機。
さらに、重い装甲シルエットを持つVX-30 PANTHER。分解保管されたVX-32 TIGER。翼部だけが別架台へ吊られたVX-48 EAGLE。
同行員。
「残っていたんですね」
「ええ」
「稼働できますか」
「状態次第」
ヴェラは焦らなかった。封印状態を確認。電源系統。劣化。認証鍵。武装安全装置。どれも順番に見る。本当に回収するつもりだった。ここで無理に動かす理由はない。
ただ。
一度。
旧物流認証が。
生きた。
それだけで。
十分だった。
*
収監施設の評価室で、海井雫は晴翔の用意したプログラムを三日目にしてほとんど退屈し始めていた。提示される課題は簡単だった。既知の脆弱性を探す。権限分離の不備を検出する。模擬環境で侵入ルートを構築する。監視員は一応見ているが、雫からすれば、学校の試験問題を解かされているようなものだった。
「終わった」
監視員。
「まだ三十分です」
「終わったから」
「確認します」
「好きにして」
雫は椅子へ深く座った。画面の隅には、評価プログラム用の実環境観測窓がある。前日の時点では触らなかった。晴翔が残した穴だと分かっていたからだ。触った瞬間、自分がどう動くかを晴翔に見られる。そのことが癪だった。
だが。
今日。
一つ。
妙なものが。
流れた。
失効済み企業コード。
旧物流認証。
OCM。
雫の身体が少し起きる。
「……何これ」
監視員。
「何かありましたか」
「別に」
雫は課題画面を開いたまま、別の経路から観測窓を覗く。普通の利用者なら見えない。だが、雫には十分だった。認証が一度だけ復活した場所。古い第三者名義倉庫。そこへ繋がる消された輸送記録。さらに、その倉庫を起点とする過去の部品管理番号。
「OCM……」
検索。
VX。
雫の目が。
僅かに。
見開く。
「うわ」
「今度は何です」
「虫いた」
「施設に?」
「ネットに」
「意味が分かりません」
「いいの」
HOUND。PANTHER。TIGER。EAGLE。
全てが完全稼働状態とは限らない。
でも。
面白い。
以前の雫なら。
自分で入った。
自分で起動した。
自分で奪った。
そして、自分がアリスより上だと証明しようとした。
画面。
新開市。
晴翔の歯車。
雫は。
少し。
考える。
「……別に」
小さく。
「私がやらなくて」
「いいじゃん」
監視員。
「何がです?」
「独り言」
雫は自分からVXの制御系へ入らなかった。
代わりに。
三つ。
別の場所へ。
情報を置いた。
一つは、旧軍用ドローンの個体識別や廃棄機体を収集している好事家たちの閉鎖掲示板。
《旧OCMの未登録VX、まだ寝てる》
位置情報は曖昧に。
二つ目。
新開市の導線屋たちが使う匿名共有網。
《今夜、旧物流区で面白い画が撮れる》
そして。
三つ目。
愉快犯的なハッカーが集まる小さなコミュニティ。
《旧VX認証、一部生きてる》
それだけ。
動かせとは。
書かない。
暴れさせろとも。
言わない。
雫は。
椅子へ戻る。
「さて」
数分。
一人。
食いつく。
二人。
別の人間へ。
転送。
五人。
位置を特定。
誰かが。
旧認証方式を調べ始める。
雫は。
目を細めた。
「……ほんとだ」
自分で。
何もしなくても。
人が。
動く。
*
午後七時二十一分、旧物流区の倉庫前には、本来なら誰もいないはずだった。ところが、最初に来たのはドローン好事家だった。旧VX機の残存情報を確認しようと、小型カメラ機を飛ばす。それを追って、配信者が来る。さらに導線屋が、倉庫正面ではなく高架側へ回れば内部が映えると情報を流す。
「マジである?」
「OCMのHOUNDだって」
「動くの?」
「認証死んでるだろ」
「いや、生きてるって」
「誰情報?」
「知らん」
「やってみようぜ」
そこで。
愉快犯が。
触った。
最初は。
本当に。
遊びだった。
旧認証の応答を確認。
HOUND一機。
補助電源。
起動。
「動いた!」
歓声。
配信。
閲覧者。
増加。
別のハッカー。
「俺も入れる」
PANTHER。
起動試験。
ここで。
古いVX同士の。
識別系統が。
衝突した。
倉庫内には、ヴェラたちが回収確認のために部分的に復帰させた旧管理サーバーがある。外部からの不正な起動要求。複数機への異なる認証。旧式の戦術リンクは、それを正規の緊急再編成命令と誤認した。
HOUND。
動く。
PANTHER。
センサー。
展開。
配信者。
「やば」
「止めろ!」
「俺じゃない!」
誰かが。
さらに。
触る。
倉庫内。
警報。
*
「我々ではありません!」
OCM海外部門の同行員が叫んだ。ヴェラは倉庫内部の通路で、起動したHOUNDを見ていた。機体は古い。しかし軍用であることに変わりはない。光学迷彩系統が断続的に動き、半透明の影が保管ラックの間を走る。
「分かってる」
「外部侵入です!」
「それも見れば分かる」
「遮断を!」
「待って」
同行員がヴェラを見る。
「何を」
ヴェラの目は。
外。
倉庫へ向かってくる。
複数の信号。
治安機関。
企業連。
民間ドローン。
アリス派の警戒網。
日本系機械の監視信号。
たった。
一つの。
古い倉庫。
そこに。
火がついた。
それだけで。
新開市の。
あちこちから。
戦力と。
人間が。
集まってくる。
「……速い」
「何がです」
ヴェラは。
少しだけ。
笑った。
「なるほど」
一拍。
「こうやって」
「使うのね」
「大泉ですか?」
「違う」
ヴェラは起動したHOUNDへ向かう。
「街を」
*
最初に到着した治安機関の機体へ、HOUNDが反応した。旧式識別では新開市治安機のコードが登録されていない。未知勢力。警戒。威嚇。
「未登録軍用機、起動確認!」
「OCM系!」
「外へ出すな!」
治安機関が封鎖。
その外。
企業連の警戒ドローン。
「旧OCM軍用機が暴走!」
「誰が入れた!」
「第三者監査枠だろ!」
「日本国か!」
ネット。
《OCM海外部門、新開市再侵入》
《アリス戴冠直後に軍用機持ち込み?》
《晴翔が呼んだってマジ?》
《旧OCM倉庫からVX起動》
情報が。
事実より。
速く。
増える。
PANTHERが倉庫壁面を押し破る。
治安機関。
射線。
企業機。
接近。
HOUND。
光学迷彩。
消える。
そして。
横から。
ヴェラ。
「伏せて!」
旧指揮コード。
短距離。
強制停止要求。
一機。
HOUND。
止まらない。
「古い」
ヴェラは舌打ち。
PANTHER。
旋回。
砲口。
「それは撃たせない」
ヴェラが倉庫内に残されていた保守端末を蹴るように起動し、旧権限で射撃許可系統だけを奪う。砲口。
停止。
その瞬間。
別の企業機が。
PANTHERへ。
突入。
「馬鹿!」
衝撃。
壁。
崩れる。
「敵機制圧!」
「撃つな!」
「OCMが操っている!」
「今止めてる!」
「証明できるか!」
そこへ。
アリス。
まだ。
来ていない。
だから。
誰も。
止める。
中心が。
ない。
*
雫は。
全部。
見ていた。
もちろん収監施設から。
自分が直接触った機体は一機もない。旧認証を起動したのも別人。VX同士の戦術リンクを壊したのも別人。治安機関へ通報したのも、配信を見た誰か。企業連を呼んだのは、さらに別の誰か。
雫がしたのは。
場所を。
置いただけ。
なのに。
画面。
治安機関。
企業。
OCM。
ヴェラ。
導線屋。
配信者。
全部。
走る。
「……すご」
雫の指が。
止まる。
晴翔。
あいつが。
やっていたこと。
自分で。
殴らない。
自分で。
奪わない。
自分で。
敵を。
作らない。
ただ。
道具を置く。
機会を置く。
誰かに。
見せる。
あとは。
勝手に。
選ぶ。
「自分で」
雫。
「やらなくても」
一拍。
「いいんだ」
監視員。
「何がです?」
「別に」
雫は。
笑わなかった。
でも。
画面を見る目が。
少し。
変わっていた。
*
「また!」
アリスが現場へ着いた時には、旧物流区の一角が完全に戦闘区域へ変わっていた。HOUND二機が迷彩状態で倉庫外周を走り、PANTHERは半壊した壁際で企業機と押し合い、まだ完全組立されていないTIGERの補助系統まで何者かに起動されている。治安機関は封鎖線を維持し、企業連は「自衛」を理由に機体を増やし、配信者は高架上からカメラを向けていた。
「誰がやった!」
アリス。
ヴェラ。
振り返る。
「知らない」
「お前の倉庫!」
「私の倉庫だから」
一拍。
「私が開けたとは」
「限らない」
「晴翔?」
「それも」
「知らない」
アリス。
睨む。
ヴェラ。
「本当に」
「知らない」
アリスは。
一瞬。
止まる。
ヴェラの現在行動。
HOUNDの進路を塞いでいる。
PANTHERの射撃系統を止めている。
旧OCM機を。
暴走させる側ではなく。
止める側。
ヴェラ。
気づく。
「何」
「別に」
「敵か味方か」
ヴェラは。
少し笑った。
「決めてる?」
アリス。
「今」
「考えてる」
「なら」
ヴェラはHOUNDへ旧停止コードを送りながら言った。
「今」
一拍。
「私が」
「何してるか」
「見れば?」
アリスの顔が。
少し。
嫌そうになる。
「……私の言葉」
「便利ね」
「勝手に使うな」
「思想に著作権はないでしょう」
「ムカつく」
「それは後」
PANTHER。
再起動。
「来る!」
アリス。
「シュヴァロフ!」
黒い巨体。
前へ。
*
そこからの収束は、早かった。アリスが敵味方の所属ではなく現在行動ごとに役割を切り分ける。ヴェラは旧OCM機の認証と弱点を伝える。治安機関は人間の避難へ集中。企業連には無断射撃停止を要求。シュヴァロフがPANTHERの砲身を物理的に押さえ、コロボチェニィクが転倒した企業機を持ち上げる。ダムとディーは崩れた倉庫壁面から配信者を救助し、グリンフォンが上空からHOUNDの迷彩歪みを追う。誰かが一つでも「OCMだから撃つ」「企業だから通す」と単純化すれば衝突は拡大しただろうが、アリスはそこを許さなかった。
「HOUND右!」
「見えてる!」
ヴェラ。
「見えてないでしょう」
「グリンフォンが見てる!」
「それはあなたじゃない」
「家族だからいい!」
「雑ね!」
「うるさい!」
ヴェラが笑う。
「あなた」
「何!」
「昔より面倒になったわ」
「お前に言われたくない!」
HOUND。
跳躍。
シュヴァロフの巨大腕。
掴む。
床へ。
押さえる。
射撃なし。
停止。
最後に残ったPANTHERも、ヴェラが保守系統から緊急閉鎖を通し、アリスが外部から電源系統を遮断させたことで沈黙した。
死人は出なかった。
だが。
負傷者。
十数名。
倉庫。
大破。
企業機。
二機損傷。
治安機関機。
一機中破。
何より。
映像が。
もう。
新開市中へ。
流れていた。
*
《OCM軍用機、新開市で暴走》
《晴翔が招いた監査員ヴェラ・クラウス、現場に》
《旧海外部門の武器庫が発覚》
《日本国は知っていたのか》
《アリス、OCM海外要員と共同鎮圧》
《女王陛下、また現場へ》
《企業連、無断介入》
《旧VX技術を新開市で接収すべきとの声》
《OCM資産返還反対運動》
《海外企業排除デモ予告》
止まっていた。
火種。
また。
増える。
昨日まで。
アリスの王冠へ。
集中していた。
新開市の熱が。
分岐する。
OCM。
日本国。
企業。
旧軍事資産。
技術所有権。
新開市自治。
新しい。
争点。
新しい。
席。
*
日本国側の執務室で、晴翔は第一報を読んでいた。旧OCM倉庫。VXシリーズ。暴走。ヴェラ。アリス。治安機関。企業連。
側近が。
入ってくる。
「先生」
「はい」
「あなたですか」
「違います」
「即答ですね」
「本当に違います」
「ヴェラを入れたのは先生でしょう」
「ええ」
「旧OCM倉庫を開けた」
「彼女ですね」
「VXが暴走」
「それは」
晴翔。
「違うでしょう」
「何で分かるんです」
「ヴェラなら」
一拍。
「もう少し」
「綺麗にやります」
側近。
「じゃあ誰が」
晴翔は。
ログを見る。
旧物流認証。
一度だけ復活。
その後。
匿名網。
情報流出。
ドローン好事家。
導線屋。
愉快犯。
さらに。
ほんの僅か。
晴翔自身が。
制度改定で。
開いた。
収監施設側。
観測系統。
確証はない。
ただ。
晴翔の目が。
少し。
開く。
「……ああ」
「何です」
晴翔。
画面。
ヴェラ。
雫。
直接。
繋がっていない。
でも。
一人が。
火薬庫の扉を。
見えるようにした。
もう一人が。
そこに。
火薬があると。
人へ。
教えた。
そして。
火をつけたのは。
別人。
「使ったんですね」
「誰が」
「二人とも」
「何を」
晴翔は。
少し。
笑った。
「私の」
一拍。
「歯車を」
側近。
「笑ってる場合ですか」
「笑ってませんよ」
「笑ってます」
晴翔は。
自分の口元へ。
触れる。
「……そうですか」
*
病院。
義弘は。
ニュースを。
見ていた。
トミー。
「晴翔?」
「違う」
義弘。
即答。
「何で分かる」
「回し方が」
一拍。
「雑だ」
「雑?」
「大泉なら」
「出口まで」
「作る」
「今回は?」
「ない」
義弘は。
画面を見る。
暴走。
治安機関。
企業。
OCM。
アリス。
「火ぃつけて」
「その後」
「どうなるか」
「誰も」
「決めてねえ」
トミー。
「じゃあ」
「誰」
義弘は。
しばらく。
黙る。
「誰か」
一拍。
「あいつの」
「真似」
「始めやがった」
トミー。
「晴翔の歯車を?」
「違う」
義弘。
苦い顔。
「歯車じゃねえ」
「回し方だ」
その言葉を。
義弘自身が。
一番。
嫌がった。
*
現場の後処理中、ヴェラは破損したPANTHERを見上げていた。焦げた装甲。割れた道路。治安機関が周囲を封鎖し、アリス派の救助班が負傷者を運んでいる。
同行員。
「海外部門へ報告します」
「ええ」
「資産回収計画は」
「続行」
「この状況で?」
「だからこそ」
ヴェラは街の向こうを見る。すでに抗議行動の告知が流れている。OCMを排除しろ。旧資産を新開市へ移管しろ。海外企業の軍事資産を許すな。逆に、技術を検証して公共機へ転用しろという声もある。
「便利ね」
「何がです」
「大泉晴翔の」
一拍。
「戦場」
「彼が今回動かしたわけではありません」
「知ってる」
「なら」
ヴェラ。
「だから」
「便利なのよ」
*
収監施設。
雫。
画面。
VX暴走。
止めるアリス。
ヴェラ。
企業。
治安。
全部。
もう。
終わった。
監視員。
「今日は」
「評価を終了します」
「うん」
「何か」
「問題は」
「ない」
雫は。
画面を。
閉じる。
少し。
考える。
自分は。
VXを。
動かしていない。
でも。
動いた。
「簡単じゃん」
「何がです」
「何でもない」
雫は。
椅子から。
立つ。
そして。
一瞬。
アリスの。
映像を。
見る。
「……これなら」
小さく。
「まだ」
「届く」
*
同じ夜、新開市では再び小さな歯車がいくつも噛み始めていた。OCM海外部門の残置資産を新開市側が接収するべきだと主張する市民団体が生まれ、その反対側では「海外企業の財産権を侵害すれば日本国との自治交渉にも悪影響が出る」と対日協調派が反発した。企業連は旧VX技術を公共救助機へ転用できると主張し、NECROMANCERの一部は軍用機をまた新開市へ入れるのかと怒り、導線屋は翌日のデモが最も美しく交差する道路をもう計算している。誰も晴翔から指示を受けていない。ヴェラからも。雫からも。それでも、全員が自分の理由で動き始めた。
アリスの王冠は、確かに一度、晴翔が作った悪党の循環へつっかえ棒として入り込んだ。街中に散っていた怒りを一つの制度議論へ集め、暴力を減らし、次の悪党が生まれる余地を狭めた。だが、その歯車が止まったからといって、回し方まで消えたわけではなかった。
ヴェラ・クラウスは、一つの倉庫を見せるだけで街全体へ射線を引けることを知った。海井雫は、一つの情報を置くだけで何十人もの人間が自分から走り出すことを知った。二人とも晴翔から「こうしろ」と命令されていない。晴翔自身、旧VXを暴走させるつもりなどなかった。ヴェラは資産を回収しようとしただけであり、雫も倉庫の情報を何人かへ投げただけだった。実際に認証を破り、機体を起こし、暴走させたのは別の人間だった。
それでも。
回った。
大泉晴翔が新開市へ作ったものは、もはや単なる装置ではなかった。装置なら壊せる。制度なら改正できる。物流網なら封鎖できる。政治家なら落選させられる。だが、人間が一度「回し方」を覚えてしまえば、その人間の頭の中から方法だけを取り除くことはできない。
執務室で、晴翔は今日の映像をもう一度見ていた。ヴェラがPANTHERの射撃を止める場面。アリスと並び、互いに罵りながらHOUNDを止める場面。そして、誰が最初に火をつけたのか、最後まで誰にも分からない通信ログ。
「先生」
側近。
「はい」
「困ったことになりましたよ」
「ええ」
「あなたを止めても」
「もう止まらないかもしれない」
晴翔は。
少し。
黙った。
「そうですね」
「嬉しそうに言わないでください」
「嬉しいわけでは」
晴翔は。
画面を見る。
だが。
口元。
僅かに。
上がっている。
「……ありませんよ」
「説得力ないです」
晴翔は否定しなかった。自分が作った歯車が、自分の手から離れた。それは政治家として考えれば最悪だった。自分が責任を取っても終わらない。自分が失脚しても終わらない。自分の作った出口すら、誰かが別の入口として使うかもしれない。
なのに。
面白い。
自分の予測から。
また。
外れた。
「ヴェラさんは」
晴翔。
「戦場として」
「使い方を覚えた」
「雫さんは」
「情報として」
「使い方を覚えた」
「先生は」
側近。
「何を覚えたんです」
晴翔は。
少し考えた。
「歯車は」
一拍。
「貸せるんですね」
「貸したつもりなんですか」
「いいえ」
「では」
晴翔は。
静かに。
笑った。
「勝手に」
「借りていった」
アリスの王冠が止めた歯車は、再び回り始めていた。ただし今度、それを押した手は大泉晴翔のものではない。ヴェラ・クラウスと海井雫。晴翔が自分にも制御できないからこそ盤面へ置いた二枚の人間の切り札は、期待どおりに晴翔の命令を待たなかった。
そして、その日。
津田義弘が恐れた通り。
新開市で増えたのは。
新しい歯車ではなかった。
晴翔がいなくても。
歯車を回せる。
人間だった。




