第385話 女王陛下の敵
大泉晴翔が、自分を狙う動きがあると知ったのは、その日の朝だった。正確には「自分を狙っている」と断定できる情報ではない。新開市の通信網と公開配信、戴冠支持派の一部が使っている閉鎖的な連絡網、その周辺で不自然に消えたり増えたりする人間の流れを重ねると、昨夜から何人かが晴翔の公開行程を調べている。その中には元NECROMANCERもいれば、アリス派の強硬論者もいる。どこにも所属していない市民も混じっていた。共通しているのは白い帯と銀色の開いた王冠、そして昨夜から何度も繰り返されている言葉だった。「女王陛下の敵」。側近は資料を見せるなり、その日の外出予定を全て取り消すよう求めたが、晴翔は新開市西部の生活インフラ再建区画へ予定通り向かうと言った。
「先生。中止してください」
「どうしてです?」
「分かってるでしょう」
「念のため聞いています」
「戴冠支持派の一部が、あなたの動きを調べています。少なくとも二つのグループが今日の視察場所を共有した形跡がある」
「そうですか」
「そうですか、じゃない」
側近は机へ手をついた。
「警護を増やします」
「今のままで十分です」
「十分じゃありません」
「日本国側の警護車両を増やしたら、今度はどう見えます?」
「どう見えるとか言ってる場合ですか」
「政治家ですので」
「便利に使わないでください、その言葉」
晴翔は笑わなかった。昨日までなら、危険の臭いを嗅いだだけで少し楽しそうな目をしたかもしれない。今回は自分が実際に標的になっている可能性が高い。しかも狙っているのは、彼自身が新開市へ積み上げてきた不満の循環と、アリスの王冠が噛み合った結果として生まれた人間たちだった。晴翔はそれを理解していた。だからこそ、側近の警告を軽視しているわけでもなかった。
「大泉先生」
「はい」
「来ると思ってるでしょう」
晴翔は少し考えた。
「来るかもしれないとは、思っています」
「だったら」
「でも」
一拍置く。
「“来るかもしれない”という理由だけで、市民と会う予定を全て取りやめる政治家にもなりたくありません」
「建前ですよね、それ」
「建前も政治です」
「本音は?」
晴翔はすぐには答えなかった。机の上に置かれた新開市の地図、その一角に表示された今日の視察場所を指で軽くなぞる。
「確認したいんです」
「何を」
「昨日」
晴翔は静かに言った。
「歯車が、どこへ噛み直したのか」
*
視察場所は、外縁再整備区と中央市街の境目にある旧公共物流センターだった。揺り篭の日以降、何度か用途を変えながら使われてきた建物で、現在は災害備蓄の分散管理と市民向けの小規模配送拠点として再利用されている。晴翔の訪問は以前から公開されていた予定で、わざわざ今日新しく作った囮ではない。だからこそ、側近には余計に嫌だった。予定を知っていれば誰でも接触できる。晴翔は通常の警護だけを伴い、職員から備蓄の説明を受け、市民数人と言葉を交わした。本当に普通の政治家として動いていた。
「大泉先生」
年配の男が声をかける。
「はい」
「音声の件、本当なんですか」
警護員が少し身構える。晴翔は止めた。
「怪物の話ですか」
「ああ」
「似た表現を使った会話をした記憶はあります。ただ、公開されている音声が会話全体を正確に示しているかについては検証中です」
「逃げてるように聞こえますよ」
「そうでしょうね」
「認めるんですか」
「そう聞こえることを否定しても仕方がないでしょう」
男は少し面食らった。晴翔はそのまま次の質問へ答えようとした。
通信が落ちた。
最初は一台だけだった。警護員の耳元の端末。次に施設内の案内表示。さらに一部の監視映像が停止する。晴翔の側近が顔を上げた時、搬入口側で短い破裂音がした。
「先生!」
警護員が晴翔を庇う。
「下がって!」
晴翔も動いた。本当に逃げた。近くの柱を回り、警護員の指示に従って非常通路へ向かう。そこへ白い帯を腕へ巻いた数人が入ってきた。武器は軍用品ではない。作業用の防護具、拘束具、改造された市販ドローン。それでも、人数とタイミングは十分だった。
「大泉晴翔!」
男が叫ぶ。
「止まれ!」
晴翔は止まらない。
角。
別の二人。
晴翔の顔に、初めて本物の驚きが出た。
「……そっちにもいましたか」
「先生、走って!」
側近と分かれる。警護員一人が押さえられる。晴翔はさらに奥へ行く。非常口。開く。
そこにも。
白い帯。
「……なるほど」
晴翔は一歩下がった。
「本当に来たんですね」
「何だと」
「いえ」
手首を取られる。抵抗する。晴翔は軍人ではない。それでも簡単には捕まらないよう身体を捻り、腕を抜こうとする。別の男が肩を押さえた。
「離してください!」
「黙れ!」
「痛いですよ!」
「義弘さんはもっと痛かった!」
その名前で。
晴翔の動きが一瞬止まった。
拘束具。
手首。
締まる。
「……そうですか」
「何がだ」
「あなた方」
晴翔は息を整えながら周囲を見る。
「私を」
一拍。
「女王陛下の敵として」
「捕まえに来た?」
「当たり前だ!」
晴翔は。
笑わなかった。
「……それは」
ほんの少し。
困った顔をした。
「彼女に」
「かなり怒られると思いますよ」
*
急進派は晴翔を殺すつもりではなかった。それがむしろ厄介だった。彼らは自分たちを暗殺者だと思っていない。新開市に埋もれている証拠を暴き、晴翔と三妖機の繋がりを吐かせ、その全記録を市民へ公開するつもりだった。彼らなりには「私刑」ですらない。「制度では裁けない相手を、民衆の前へ引き出す」。そう考えている。
晴翔は旧物流センターの地下管理室へ連れていかれた。手首は拘束されたまま。正面には録画端末。
「座れ」
「もう座っています」
「ふざけるな」
「ふざけてません」
一人が机を叩く。
「津田義弘を襲わせたな」
「証拠は?」
「お前は怪物を用意すると言った!」
「似た趣旨の発言はしました」
「だったら!」
「発言と、三機への具体的な命令は別です」
「またそれか!」
「別のものを同じだと言うことはできません」
男が晴翔の胸倉を掴む。
「アリスは!」
一拍。
「証拠がないから」
「お前を止められない」
「ええ」
「義弘さんも!」
「はい」
「だから」
男。
「俺たちがやる」
そこで。
晴翔の顔から。
僅かに表情が消えた。
「……そうですか」
「何だ」
「いえ」
晴翔は彼らを見る。怒っている。義弘が傷つけられたことに本気で腹を立てている。アリスが制度に縛られ、晴翔を排除できなかったことを「女王自身にはできないこと」と解釈している。そして今、自分たちがその空白を埋めようとしている。
晴翔の歯車。
アリスの王冠。
それが。
ここで。
噛み合っていた。
「本当に」
晴翔が小さく呟く。
「思った通りには」
「回らないものですね」
「何?」
「何でもありません」
*
晴翔が予定の通信から外れたことで、最初に異常を確定したのは日本国代表団だった。比嘉が怒鳴り、警護班が動き、久我原総司へ情報が入る。《REGALIA》は公開実証機であり、本来は一政治家の私的警護機ではない。しかし誘拐が確認されれば話は変わった。
「出します」
久我原。
日本国側の担当官。
「大泉議員については現在内部調査中です」
「知っている」
「なら」
「今」
久我原は遮った。
「彼は人質だ」
担当官が黙る。
「政治的評価は後でやれ」
一拍。
「現在行動を見ろ」
《REGALIA》が動く。
ほぼ同じ頃。
別方向。
河島玄隆にも。
情報。
「大泉先生が?」
「拉致された可能性が高いとのことです」
「場所は」
「旧物流センター周辺」
「KAGEBŌSHIを」
部下が驚く。
「救出へ?」
「ええ」
「大泉氏を?」
河島は、いつもの笑顔を見せなかった。
「私には」
「彼へ」
「まだ聞かなければならないことが」
「たくさんあります」
「ですが」
「それに」
河島。
「私の敵を」
一拍。
「他人に」
「勝手に処分されるのは」
「好きではありません」
*
先に着いたのは《REGALIA》だった。白と鈍銀。王冠状のセンサー環。市街戦用の威圧的な軍用機とは違い、救助と保護を意識した比較的人型の機体が、旧物流センター前へ降りる。
『拘束対象の解放を要求します』
施設内部。
急進派。
「日本国だ!」
「やっぱり来た!」
「晴翔を取り返しに来たぞ!」
晴翔が顔を上げる。
「まあ」
一拍。
「来ますよね」
「黙れ!」
《REGALIA》が進む。入口に置かれていた改造作業ドローンが道を塞ぐ。
『現在、人員の不法拘束を確認』
『拘束解除を要求』
急進派の一人が外へ叫ぶ。
「大泉晴翔は新開市を実験場にした!」
『当該容疑についての捜査判断は、本機の任務範囲外』
『現在行動:人員拘束』
『停止を要求します』
「お前らが守るから裁けないんだ!」
別の急進派は近くに残っていた一般職員を裏口から逃がしていた。《REGALIA》のセンサーがそれを捉える。避難誘導は妨害しない。晴翔の拘束だけを解除対象として評価する。以前なら「この集団は敵か味方か」という分類で躊躇した局面だった。
『避難誘導行動、妨害対象外』
『拘束行動のみ停止要求』
急進派。
「何だこいつ」
「味方扱いしてるのか敵扱いしてるのか」
違う。
今。
何をしているか。
その瞬間。
別の壁が。
外から。
押し開かれた。
鈍い灰青色の巨体。
《KAGEBŌSHI》。
「カワシマ重工!」
「ほら見ろ!」
「晴翔と企業が繋がってる!」
晴翔が拘束されたまま眉を上げた。
「……河島さんまで?」
急進派側では、その二機が同時に現れたことだけで物語が完成してしまった。日本国。カワシマ重工。晴翔。それらはやはり同じ側だった。証拠など必要ない。今、目の前で二機が晴翔を取り返しに来ている。
それが。
戦闘を始めた。
*
《KAGEBŌSHI》は人間を殴らなかった。大型の改造作業機を掴み、横へずらし、別の無人機の射線を腕で塞ぐ。最近、アリスの家族機から模倣し始めた「壊さずに退かす」挙動が、ここでは確かに機能していた。しかし、相手側も黙ってはいない。元建設用の大型機が《KAGEBŌSHI》へ体当たりする。別のドローンが上部構造物を落として進路を塞ぐ。
『警告』
《REGALIA》が天井材を支える。
その隙間を《KAGEBŌSHI》が抜ける。
急進派。
「止めろ!」
発射。
軍用兵器ほどではない。それでも大型機へ使えば危険な威力を持つ改造投射器。
《KAGEBŌSHI》肩部。
被弾。
巨体が揺れる。
河島。
『反撃は対機械限定』
操縦担当。
『接近しています!』
『人間へ向けないでください』
『では』
『地面があります』
《KAGEBŌSHI》が一歩踏み込み、急進派の小型無人機の前へ腕を落とす。路面が割れ、衝撃で機械が姿勢を崩す。
それを。
急進派側は。
「攻撃された!」
と受け取った。
次。
さらに。
火が増える。
*
「どこ!」
アリスは走っていた。
『走るな!』
医療担当から。
「無理!」
『昨日歩行許可を出したばかりです!』
「今無理!」
『意味が違います!』
グリンフォンが上空。シュヴァロフも今日は義弘の監視を一時的に別の治安機へ任せ、アリスの後を追っている。コロボチェニィク、ダム、ディーも動く。
だが。
場所が。
錯綜していた。
『旧物流三区』
真鍋。
「今四区って言った!」
『誤報だ!』
「ちゃんとしろ!」
『今してる! 戴冠派の連絡網で偽情報が回ってる!』
「ヌエ?」
『違う! 多分人間だ!』
「そっちの方が面倒!」
別の通報。
晴翔が既に移送された。
別。
晴翔はまだ物流センター。
別。
日本国部隊が突入。
別。
カワシマ重工が晴翔を奪った。
誰かが意図的に混乱させているものもある。単純な伝言ミスもある。配信者の推測が事実として再共有されたものもある。
アリス。
「全員」
「勝手に話増やすな!」
『アリスさん』
環。
『無茶です』
「知ってる!」
『何が正しいか』
「行って見る!」
それが。
アリスだった。
*
アリスが旧物流センターへ到着した時には、もう救出作戦という言葉では足りなかった。外壁には複数の穴。白い《REGALIA》が倒れかけた鋼材を支え、《KAGEBŌSHI》は二機の改造大型ドローンを人間から引き離そうとしている。急進派の小型機が建物上部を飛び、警告音と怒鳴り声が混ざっていた。治安機関は周囲を封鎖しているが、中へ強行すればさらに戦力が増える。
アリスは。
立ち止まった。
「……何これ」
真鍋。
『お前の支持者だ!』
「知らない!」
『向こうは知ってる!』
「知らないものは知らない!」
アリスが前へ出る。
シュヴァロフ。
巨大腕。
グリンフォン。
翼。
「撃つな」
家族機が。
止まる。
アリスは通信系統を開いた。
「全員!」
声。
施設内。
外。
機械。
人間。
「止まれ!」
一瞬。
本当に。
止まった。
《REGALIA》の射撃系統が待機。
《KAGEBŌSHI》も腕を止める。
急進派の何人かが振り向く。
「女王陛下!」
「今それいい!」
アリスが怒鳴る。
「晴翔放せ!」
静かになった。
急進派。
「……え?」
「放せ!」
「でも」
「今!」
「陛下!」
「だから違う!」
「こいつは!」
男が晴翔の肩を掴む。
「義弘さんを襲わせた!」
「証拠ない!」
「音声が!」
「それと」
一拍。
「三匹動かしたのが」
「同じってまだ分かってない!」
「でも!」
「でもじゃない!」
別の男が叫ぶ。
「陛下には」
「言えないんです!」
アリスが。
止まる。
「……は?」
「あなたは」
「特別調停官になる!」
「新開市全体を見る人になる!」
「そんな人が」
「個人的な敵を」
「討てなんて」
「言えるわけがない!」
別の者。
「だから!」
「俺たちがやる!」
アリスの顔から。
表情が。
消えた。
「私が」
一拍。
「言えないことを」
赤い目。
「勝手に」
「作るな」
「でも」
「作るな!」
声が。
建物内へ。
響いた。
「私が」
「晴翔止めるって言ったからって」
「私が」
「晴翔殺したいって」
「勝手に変えるな!」
「殺しません!」
急進派。
「捕らえて」
「証拠を」
「それも駄目!」
「じゃあまた戻る!」
その言葉。
アリスが。
少しだけ。
止まる。
「こいつは」
急進派の男。
「また戻る!」
「何やっても」
「政治家に戻る!」
「正義の側に戻る!」
「今止めなきゃ」
「また同じことする!」
アリスは。
それを。
否定できなかった。
自分も。
そう思ったから。
晴翔の再生を。
止めるために。
王冠へ。
手を伸ばした。
だからこそ。
「……だからって」
アリスは。
歩く。
「今」
一歩。
「人質にしていい理由には」
もう一歩。
「ならない」
*
急進派の一人が、焦って改造機の腕を上げた。《REGALIA》が反応。《KAGEBŌSHI》も反応。シュヴァロフの巨大腕が前へ出る。
「止まれ!」
アリス。
全機。
止まる。
人間だけが。
止まりきれない。
「近づくな!」
急進派。
「晴翔を渡したら!」
「また全部元に戻る!」
「アリスさん!」
晴翔が。
初めて。
声を上げた。
「来ない方が」
「黙れ!」
「はい」
アリスは。
晴翔の方へ。
歩く。
急進派と。
晴翔。
その間へ。
入る。
「陛下」
「どいてください!」
「嫌」
「そいつは敵です!」
アリス。
「今は」
一拍。
「人質」
「でも!」
「敵かどうかは」
「あとで決める」
そして。
「今」
赤い瞳が。
急進派を見る。
「晴翔」
「私の保護対象」
《REGALIA》のセンサー環が回る。
行動評価。
アリス。
人質保護。
晴翔。
拘束対象。
急進派。
人員拘束。
機体の武装が。
下がる。
それを見て。
河島が通信越しに言う。
『KAGEBŌSHI』
一拍。
『攻撃停止』
部下。
『しかし』
『今』
河島。
『アリスが』
『救出しています』
《KAGEBŌSHI》も。
腕を。
下げた。
そして。
急進派の中で。
一人。
また一人。
武器が。
下がった。
*
「お前ら」
アリスは彼らを見る。
何人かは泣いていた。義弘のことを本気で心配していた者もいる。アリスが政治に縛られて晴翔を止められないことへ、本気で怒っていた者もいる。だからといって、やったことが消えるわけではない。
「私の味方かどうか」
一拍。
「今」
「どうでもいい」
急進派。
「……」
「人攫った」
「武器使った」
「街壊した」
一人が俯く。
「駄目」
「でも」
「駄目」
アリスは言い切る。
「だから止める」
「終わったら」
一拍。
「話は聞く」
「俺たちを」
「捨てない?」
アリスの眉が動く。
「何で」
「……」
「悪いことしたからって」
「お前ら全部」
「人間じゃなくなるわけじゃない」
晴翔が。
拘束されたまま。
アリスを見る。
「でも」
アリス。
「今やったことは」
「駄目」
「そこ」
「混ぜるな」
治安機関が。
ようやく。
中へ入る。
今度は。
戦闘ではなく。
拘束。
晴翔の手首も。
解かれた。
*
晴翔は立ち上がった。拘束具の跡が赤く残っている。額にも小さな傷。上着は汚れていた。いつもの若々しく整った政治家というより、普通に事件へ巻き込まれた被害者にしか見えない。
アリスが。
睨む。
「お前」
「はい」
「わざと?」
晴翔の目が。
ほんの少し。
動いた。
「何がでしょう」
「捕まった」
周囲が。
静かになる。
「わざと」
晴翔は。
すぐには。
答えなかった。
「捕まることを」
一拍。
「避けるための選択肢を」
「いくつか」
「取らなかったのは」
「事実です」
アリスの顔が。
険しくなる。
「やっぱり!」
「ただし」
晴翔。
「ここまでになるとは」
「本当に」
「思っていませんでした」
「馬鹿!」
「否定しません」
「死んだらどうすんの!」
「死にたくありません」
「じゃあ!」
「だから」
晴翔が。
少し。
息を吐いた。
「怖かったですよ」
その言葉は。
本物だった。
アリスは。
一瞬。
止まる。
晴翔の手。
僅かに。
震えている。
「……お前」
「はい」
「ほんと」
一拍。
「気持ち悪い」
「よく言われます」
「褒めてない」
「知っています」
*
事件の映像は、戦闘が終わるより早く日本国内へ流れた。
**《大泉晴翔議員、アリス急進支持派に拉致》**
**《“女王陛下の敵”として拘束か》**
**《REGALIA、KAGEBŌSHIが救出作戦》**
そして。
最も強く。
回った映像。
アリスが。
晴翔の前へ。
立つ。
『敵かどうかはあとで決める』
『今は人質』
『晴翔、私の保護対象』
昨日まで、晴翔は「新開市へ怪物を用意しようとした政治家」だった。今日、彼はアリス過激支持者に拉致された被害者になった。しかもアリス本人が、自分を「敵」として私刑にかけようとした支持者を止め、晴翔を救った。
世論は。
当然。
動いた。
《アリス本人ですら大泉を敵認定してない》
《音声だけで叩きすぎたんじゃないか》
《むしろ過激アリス派の方が危険》
《大泉は被害者だろ》
《だから疑惑が消えたわけじゃない》
《でも拉致は駄目》
《アリスが一番まともなこと言ってる》
《女王陛下、敵を救う》
晴翔の政治的再生は。
また。
速度を上げた。
*
病室。
義弘はその映像を見ていた。自分が行けない場所で。《REGALIA》。《KAGEBŌSHI》。アリス。急進派。晴翔。
トミー。
「晴翔」
「得したな」
「ああ」
義弘の顔は。
苦い。
「……あいつ」
「何」
「王冠まで」
一拍。
「歯車に」
「噛ませやがった」
「わざと?」
「半分は」
義弘は晴翔が危険へ入りたがることを知っている。
「でも」
「全部じゃねえだろ」
「何で」
義弘は。
アリスが。
晴翔の前へ。
立った映像を。
戻す。
『今は人質』
「ここ」
トミー。
「アリス?」
「ああ」
「お前の代わり?」
義弘は。
首を振った。
「違う」
「じゃあ」
義弘は。
少しだけ。
笑った。
「こいつの」
一拍。
「やり方だ」
トミー。
「いいの?」
「何が」
「女王陛下」
「やめろ」
「本人も言ってるだろ、晴翔を敵に固定しなかった」
義弘は黙った。
「……そこは」
「正しい」
「でも王冠は?」
「知らん」
「晴翔は?」
「知らん」
「じゃあ何知ってる」
義弘。
「俺が」
一拍。
「まだ病院にいるってことだよ」
シュヴァロフの巨大腕が。
病室入口で。
静かに。
動いた。
「分かってる! 出ねえよ!」
*
夜。
晴翔は日本国側医療区画の簡易処置室にいた。大きな負傷はない。手首の擦過傷。肩の打撲。額の小さな裂傷。それでも医師からは今日は休めと言われている。上着は外され、シャツの袖を捲り、手首には白い包帯が巻かれていた。
側近は。
怒っていた。
「先生」
「はい」
「質問していいですか」
「どうぞ」
「今日」
一拍。
「わざと捕まりました?」
晴翔は。
少し考えた。
「捕まる可能性を」
「高くする選択は」
「しました」
「同じです!」
「違いますよ」
「どこが!」
「本当に来るかは」
「知りませんでした」
「来たじゃないですか!」
「ええ」
「戦闘になった!」
「ええ」
「死ぬ可能性もあった!」
「ええ」
側近。
「怖かった?」
晴翔が。
黙る。
包帯を巻かれた手を見る。
指先。
まだ。
僅かに。
震えていた。
「……とても」
晴翔は。
素直に。
答えた。
「本当に?」
「死にたくありませんから」
「なら何で!」
「それと」
晴翔は。
自分の胸へ。
手を置いた。
「これとは」
「別なんでしょうね」
「何が」
心臓。
まだ。
少し。
速い。
爆発。
崩れた天井。
《REGALIA》。
《KAGEBŌSHI》。
武器を持った急進派。
自分の命。
そして。
自分の前へ。
歩いてきた。
アリス。
何一つ。
確定していなかった。
死ぬかもしれなかった。
本当に。
怖かった。
今でも。
思い出すと。
身体の奥が。
強張る。
それなのに。
その恐怖の。
すぐ隣。
別の感覚。
痺れ。
熱。
生きているという。
ひどく。
鮮明な。
実感。
晴翔は。
ゆっくり。
息を吐いた。
「……困ったな」
「何がです」
「まだ」
一拍。
「気持ちいい」
側近が。
本気で。
嫌そうな顔をした。
「医者呼びますよ」
「もういますよ」
「別の医者です」
「精神科ですか?」
「必要でしょう」
晴翔は。
そこで。
小さく。
笑った。
「怖かったんですよ」
「ええ」
「本当に」
「だからでしょうね」
「何が」
晴翔は。
包帯の上から。
自分の手首を。
軽く触った。
「まだ」
一拍。
「少し」
「痺れてる」
「先生」
「はい」
「気持ち悪いです」
「今日二人目です」
*
処置が終わった後も、晴翔はすぐには部屋を出なかった。壁面端末へ今日の記録を並べる。急進派。自分。REGALIA。KAGEBŌSHI。そしてアリス。
映像。
『晴翔、私の保護対象』
晴翔。
見る。
戻す。
もう一度。
『敵かどうかはあとで決める』
「……本当に」
側近。
「何です」
「困りましたね」
「政治的には」
「あなた得してますよ」
「ええ」
「支持率も戻るでしょう」
「恐らく」
「アリス本人に助けられた」
「ええ」
「じゃあ何が」
晴翔は。
画面の中の。
アリスを見る。
「次に」
一拍。
「何をするか」
「分からない」
「……」
「王冠を被れば」
「もう少し」
「敵と味方を」
「決める側へ寄ると思っていました」
「でも」
「彼女は」
一拍。
「私を」
「人質として見た」
「それだけですか」
「それが」
晴翔。
「困るんです」
側近は。
ため息。
「先生」
「はい」
「顔」
「何です」
「嬉しそうですよ」
晴翔が。
自分でも。
気づく。
少し。
笑っている。
「……そうですか」
「困ってるんですよね?」
「困っています」
「なのに?」
晴翔は。
答える。
「困っているから」
一拍。
「いいんですよ」
側近が。
とうとう。
何も言わなくなった。
*
晴翔は別の画面を開いた。
三つ。
《NU=E》。
《ON=MORAKI》。
《GASYA=DOKURO》。
それぞれ。
整備中。
義弘との戦闘記録を。
学習済み。
次に出せば。
さらに。
強い。
「三妖機」
側近。
「次はいつ?」
「その前に」
晴翔。
「少し」
「考え直します」
「性能に問題が?」
「逆です」
「?」
「よくできすぎている」
晴翔は《NU=E》を指す。
「これは」
「嘘の道を作る」
《ON=MORAKI》。
「これは」
「逃げ道を狩る」
《GASYA=DOKURO》。
「これは」
「最後に」
「潰す」
「強いでしょう」
「ええ」
「津田さんを一度倒した」
「はい」
「でも」
晴翔。
「津田さんは」
「見抜いた」
「三つの仕事を」
「ええ」
「機械は」
「仕事をする」
一拍。
「仕事が分かれば」
「彼は」
「噛み合わせを変える」
側近。
「次は三機も学習しています」
「それでも」
「機械です」
「じゃあ」
「何が足りないんです」
晴翔は。
今日の。
アリスへ。
画面を戻した。
「人間」
側近。
「兵士?」
「違います」
「エージェント?」
「それも」
「少し違います」
「じゃあ何」
晴翔は。
静かに。
言った。
「間違える人」
「……」
「怒る人」
「予定を変える人」
「敵を助ける人」
「味方を殴る人」
一拍。
「私を」
「裏切れる人」
側近。
「切り札が」
「先生を裏切ったら」
「意味がないでしょう」
晴翔。
「ありますよ」
「どこに」
「私にも」
一拍。
「結果が」
「分からなくなる」
側近が。
晴翔を見る。
「三妖機は」
晴翔。
「強い」
「賢い」
「しつこい」
「壊せる」
「でも」
一拍。
「驚かせては」
「くれない」
晴翔は。
今日の。
アリスを。
見る。
「人間は」
「驚かせてくれる」
*
晴翔が最初に開いたのは、現在のOCM本社系統とは直接繋がっていない古い海外部門の人員記録だった。複数国軍歴。新型軍用パワードスーツ高危険度対人制圧運用。WEREWOLF担当。
表示。
**VERA KLAUS**
側近。
「……ヴェラ・クラウス」
「知っています?」
「資料では」
「信用できます?」
晴翔は。
少し考える。
「全く」
「駄目じゃないですか!」
「だからいい」
「またそれですか」
「私の言う通りに動くなら」
晴翔。
「三妖機でいいでしょう」
「彼女に何をさせるんです」
「それも」
一拍。
「彼女に」
「決めてもらいます」
「任務になってない」
「ええ」
「頼めます?」
「そこからですね」
晴翔は。
次。
もう一つ。
記録を。
開く。
側近の顔が。
さらに。
悪くなった。
「……先生」
「はい」
「まさか」
収監記録。
技術犯罪。
不正機体利用。
再犯防止プログラム。
現在。
施設内。
**海井 雫**
「この子」
「収監中ですよ」
「知っています」
「出すんですか」
「いいえ」
晴翔は。
即答した。
「出しません」
「じゃあ」
「収監施設では」
晴翔。
「技術犯罪者向けの」
「更生プログラムを」
「拡充するべきだと思いませんか」
側近が。
嫌な顔をする。
「やめてください」
「何を」
「その言い方」
「犯罪者の技能を」
「全部奪って」
「社会復帰させるのは」
「合理的ではありません」
「正論で」
「嫌なこと始めないでください」
晴翔は端末を操作する。
「監視付き」
「限定端末」
「サイバー防御評価」
「公共インフラの脅威分析」
「そういう形で」
「能力を」
「社会へ戻す」
「それ自体は」
「普通の更生政策です」
「ええ」
「でも先生」
側近。
「雫に」
「外へ触れる隙間を」
「わざと残すつもりでしょう」
晴翔は。
少し。
黙った。
「隙間?」
「とぼけないでください」
「施設側の運用を」
「わざと」
「少し緩くする」
「完全に遮断されてたら」
「雫は何もできない」
「先生が」
「窓を作るつもりでしょう!」
晴翔は。
側近を。
見た。
「証明できます?」
「最悪だ!」
晴翔が。
小さく。
笑う。
「彼女の身体は」
一拍。
「収監施設に」
「置いておけばいい」
「……」
「でも」
「手までは」
晴翔。
「閉じ込めなくて」
「いいでしょう」
「ハッキングさせる気ですよね」
「私は」
「更生のための」
「技術評価制度を」
「整えるだけです」
「絶対嘘だ」
「嘘ではありません」
「全部でもないでしょう!」
晴翔は。
答えなかった。
*
端末には。
三匹。
《NU=E》。
《ON=MORAKI》。
《GASYA=DOKURO》。
そして。
二人。
ヴェラ・クラウス。
海井雫。
側近が。
画面を見た。
「……五枚」
「何が」
「先生の」
「切り札」
晴翔。
「三匹と」
一拍。
「二人」
「ええ」
「どっちが強いと思います?」
「聞きたくないです」
「私は」
晴翔は。
しばらく。
画面を見る。
「二人だと思います」
「戦闘能力なら三機でしょう」
「そういう意味ではなく」
「なら」
「三匹は」
晴翔。
「私の言うことを」
「聞きます」
一拍。
「二人は」
「聞かないかもしれない」
側近。
「何でそれが強いんです」
「義弘さんにも」
「アリスさんにも」
一拍。
「何をするか」
「読めないから」
晴翔は。
ヴェラの記録へ。
触れる。
次。
雫。
「敵を」
「助けるかもしれない」
「私を」
「裏切るかもしれない」
「三妖機を」
「壊すかもしれない」
「アリスを」
「守るかもしれない」
「義弘さんを」
「困らせるかもしれない」
側近。
「先生自身が」
「一番危ないですよ」
「ええ」
晴翔は。
素直に。
頷いた。
そして。
今日。
自分が。
死にかけた時の。
感覚が。
また。
胸の奥に。
少しだけ。
戻ってきた。
怖い。
本当に。
嫌だった。
死にたくない。
手首はまだ痛い。
爆発の音も。
覚えている。
アリスが来なかったら。
《REGALIA》の判断が違っていたら。
《KAGEBŌSHI》が一歩踏み込みすぎていたら。
急進派の誰かが。
あと少し。
興奮していたら。
終わっていた。
その可能性を。
思い浮かべるたび。
背筋が。
冷える。
同時に。
身体の奥で。
あの。
痺れるような。
心地よさが。
また。
蘇る。
大泉晴翔は。
自分でも。
それを。
正常だとは。
思っていなかった。
でも。
嫌いではなかった。
むしろ。
それがあるから。
自分は。
まだ。
次を。
見たいのだと。
知っていた。
「先生」
「はい」
「二人とも」
「本当に」
「使うんですか」
晴翔は。
少し。
考えた。
「使う」
「という言い方は」
「違いますね」
「じゃあ?」
晴翔は。
古いOCM海外回線へ。
接続要求を。
送る。
同時に。
雫の収監施設における。
技術更生プログラムの。
見直し案を。
別の経路へ。
回す。
「放します」
「ヴェラを?」
「二人とも」
「雫は刑務所ですよ!」
「身体は」
一拍。
「でも」
晴翔。
「外へ出なくても」
「手は」
「届くでしょう?」
「……」
「三匹の怪物は」
晴翔は。
画面を見る。
「私の言うことを」
「聞きます」
ヴェラ。
雫。
「だから」
一拍。
「次は」
「言うことを」
「聞かないものを」
「盤面へ」
「置いてみましょう」
「それを」
側近。
「切り札って」
「言うんですか」
晴翔は。
今日。
自分を。
敵ではなく。
人質として。
助けた。
アリスの映像を。
もう一度。
開いた。
そして。
まだ。
指先に。
残っている。
恐怖の。
痺れを。
確かめるように。
笑った。
「ええ」
一拍。
「自分まで」
「切れるかもしれないから」
晴翔。
「切り札なんでしょう?」
大泉晴翔は、今日、自分の計算から外れたものに救われた。女王になるはずの少女が、敵を決める代わりに人質を助けた。自分が生み出した歯車が、自分を殺しかけた。自分を助けに来た機械同士が、それぞれ別の正義で戦場へ入り、少し間違えばその救出そのものが死因になっていた。その全部が、恐ろしくて、迷惑で、困るほど予測不能だった。そして、その予測不能さの中心で生き残ったという事実が、晴翔の身体の奥へまだ消えない熱を残していた。
だから。
三匹では。
足りなかった。
次に。
必要なのは。
命令を。
聞かないもの。
自分にも。
義弘にも。
アリスにも。
次が。
分からない。
人間。
画面の中で、古いOCMの回線が接続待機へ切り替わる。別の場所では、海井雫の収監記録に、新しい技術更生評価の審査項目が静かに追加されていく。その二つが、これから何をするのか。晴翔自身にも分からなかった。
それが。
何より。
恐ろしかった。
そして。
何より。
心地よかった。




