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第338話 判決の影

 新開市の空は、列の熱と機械の熱で濁っていた。


 巨大デモはもはや一つの意思ではなく、いくつもの怒りと願望と不安が、たまたま同じ方向へ流れているだけの怪物になっている。

 その上を、リヴァイアサンという別の怪物がふらふらと歩く。


 雫が思い描いていたような、堂々と列を止める“秩序の顔”ではなかった。

 未完成の巨体は、たしかに圧倒的だった。

 雫の制御を外れかけていてもなお、三機の大型ドローンが束ねられたその質量と出力と装甲は、十分すぎるほど現実の脅威になっていた。


 義弘とKUSANAGIの連携攻撃ですら、その進路をわずかに変えるのが精いっぱいだった。

 日本国のサムライ・ヒーローたちが横合いから攻撃を重ねても、関節は軋むだけで、致命的な損傷は入らない。

 リヴァイアサンは、彼らの猛攻など気にも留めないように、ただ街を傷つけながら前へ出る。


 その前へ、黒い影が飛び込んだ。


 シュヴァロフ。


 高架の影から滑り込むように現れた戦闘用ドローンは、光を反射しない黒い輪郭のまま、リヴァイアサンの側頭部にあたるセンサー塊へ、一撃だけを叩き込んだ。

 鈍く、重い衝撃音。

 巨体が、たしかによろめく。


 たった一機のドローンの一撃に、あれほど巨大な怪物が重心を崩された。

 その事実に、デモ隊の一角がざわめく。


「何だ、今の……」

「黒い……」

「アリスの……?」


 リヴァイアサンは、半拍遅れて態勢を立て直した。

 胸部にあたる装甲が唸る。

 補助脚がアスファルトを削る。

 そしてその前方に、まるで群衆を背に庇うように、シュヴァロフが胸部装甲を展開した。


 肩位置の精密作業用上腕が開き、下腹から装甲化された戦闘腕がせり出す。

 いつものように静かで、穏やかで、それでいて誰よりも警戒心の強い生き物めいた所作だった。


 その瞬間だけ、リヴァイアサンの曖昧なAIは、異様にはっきりした判断を見せた。


 敵。


 そう認識したようにしか見えなかった。


 リヴァイアサンの進路が変わる。

 ふらついていたはずの巨体が、シュヴァロフへ向けて明確な殺意を持ったように軸を合わせ、轟音とともに突進した。


「来る!」


 義弘が叫ぶ。

 だがシュヴァロフは、声より先に動いていた。


 正面から受けない。

 アリスのドローンらしい戦い方だ。

 新開市の都市構造を使う。

 歩道の段差、街路樹の根元、看板の支柱、高架の陰、搬送用スロープ。

 シュヴァロフはそれら全部を足場と障害物と遮蔽物へ変え、リヴァイアサンの突進の角度だけを少しずつ外していく。


 巨体がビルの外壁をかすめる。

 外装材が剥がれ、広告パネルが砕け、粉塵が人波の上へ降る。

 シュヴァロフはその粉塵の陰へ一瞬だけ消え、次には別角度からリヴァイアサンの脚部接合部を打つ。

 牽制。

 破壊ではなく、向きを変えさせるための一撃。


 義弘もそれを読んだ。


「KUSANAGI、上だ!」


 白いサムライ・ヒーローが跳ぶ。

 義弘の声は短いが、もう十分に通る。

 KUSANAGIは高架の補助梁を踏み、リヴァイアサンの肩部補助ユニットへ斬撃を叩き込んだ。

 火花。

 外装が一枚、吹き飛ぶ。

 だが、それだけだ。


「硬い……!」


 KUSANAGIの声には、驚きよりも苛立ちが強い。

 義弘も同じ感想を抱いていた。

 未完成。

 不安定。

 なのに、壊れない。


「日本国側、右脚部を叩け! そこしかズレない!」


 KAGUTSUCHIが叫び、日本国のサムライ・ヒーローたちが散る。

 だが、その呼びかけに合わせたように、周囲の群衆ドローンが突然牙を剥いた。


 雫だ。


 リヴァイアサンの視界と挙動の中に、シュヴァロフがいる。

 そしてそのシュヴァロフの中に、アリスがいる。

 雫は直感していた。


「やっぱりお前だ」


 倉庫奥の端末群に囲まれたまま、雫は笑っていた。

 引きつった、乾いた笑いだ。


「まだ出てくるんだ」


 彼女は群衆の上を漂う即席武装ドローンをまとめて掴んだ。

 護衛用。

 撮影用。

 民生改造機。

 全部、いまこの瞬間だけの凶器になる。


 日本国のサムライ・ヒーローたちの進路へ、次々にぶつける。

 横合いから、頭上から、足元から。

 刃物のような正確さはない。

 だが数で削るには十分だ。


「っ……!」


 KAGUTSUCHIが一機を斬り落とした直後、別の二機が背後へ回る。

 KUSANAGIの援護へ回るはずだった味方が、妨害に足を取られる。

 日本国のサムライ・ヒーローたちの連携が崩れた。


 義弘は、それを舌打ちで飲み込むしかなかった。


「雫……!」


 答えるように、リヴァイアサンがさらに前へ出る。

 シュヴァロフがまた一撃を入れ、巨体の顔を群衆の薄い側へずらす。

 だが、誘導し続けるには火力が足りない。

 押し返せない。

 ただ、向きを誤魔化しているだけだ。


 義弘はそこで、やり方を変えた。


 腰のワイヤー機構を解放する。

 電磁アンカーが近くの高架補助骨へ噛みつき、次の瞬間には義弘の身体が斜め上からリヴァイアサンへ引き寄せられる。


 ワイヤー機動。


 真正面から斬れないなら、組み付く。

 巨体そのものではなく、継ぎ接ぎの弱い箇所を探す。

 義弘らしい、意地の悪い戦い方だった。


 リヴァイアサンの肩と胸部の継ぎ目。

 企業群の見せ物設計なら、そこはどうしても接合が甘くなる。

 そこへ義弘は刃を滑り込ませ、ねじ切るように力をかける。


 だが、手応えが異常に重い。


 鋼材が何重にも重なり、さらに別機体由来の補強まで噛んでいる。

 義弘の刃は確かに入る。

 だが、怪物はびくともしない。


「ふざけた強度だな……!」


 吐き捨てた直後、リヴァイアサンの体幹が揺れる。

 義弘はワイヤーを切り替え、振り落とされる前に別の位置へ飛び退いた。

 その動きすら、リヴァイアサンは意に介さない。

 ただ、前へ出る。


     *


 病室のアリスは、シュヴァロフの視界越しにその光景を見ていた。


 病院端末を束ね、無理やり底上げした自前の端末。

 そこから伸びる制御線は、細く、不安定で、それでもたしかにシュヴァロフへ届いている。

 視界の端にノイズが走る。

 脈動と一緒に、頭の奥が焼けるように痛む。

 NECROテック側の過負荷警告が画面の隅でちらついていたが、アリスはもう見ていなかった。


「右」


 短く言う。

 シュヴァロフがリヴァイアサンの前脚を捌く。

 次に、


「そこ、下がる」


 群衆の密度が高い箇所へ向かいかけた巨体の進路を、また少しだけずらす。


 うまくいっているわけではない。

 完璧な支配ではない。

 シュヴァロフの側にも損耗が出始めている。

 戦闘腕の一部にはすでに亀裂が入り、左肩の精密腕は衝撃で挙動が少し鈍くなっていた。


 それでも、まだ守れている。

 少なくともリヴァイアサンが群衆へ真正面から突っ込むのを、いまは止めている。


 だが、怪物災害の最中に完全に逃げ切れる群衆ばかりではない。


 足をもつれさせた者。

 配信しながら後ろを見ていて転んだ者。

 パニックで逆流しかけた者。

 救護通路へ入り損ねた老人。

 そういう遅れが、必ず生まれる。


 リヴァイアサンの側面から補助腕が薙ぎ払うように振られた時、シュヴァロフはそれを避けきれた。

 避けきれたが、その先に逃げ遅れた群衆がいた。


 アリスは考えるより先に命じた。


「庇って」


 シュヴァロフが身体を滑り込ませる。

 黒い機体が、まるで大きな鳥が翼で雛を囲うみたいに、戦闘腕を広げてその一角を覆った。


 次の瞬間、リヴァイアサンの打撃がシュヴァロフへ直撃する。


 凄まじい衝撃が、病室のアリスの視界にもそのまま跳ね返った。

 白いノイズ。

 耳鳴り。

 そして金属が引き裂かれる音。


 シュヴァロフの戦闘腕が、根元から粉砕される。


 右の下腕。

 左の補助装甲。

 胸部装甲を兼ねていた複数の部位が、一撃で砕けて飛び散った。


「っ――!」


 アリスが息を詰める。

 病室のベッド柵を握る指が強くなりすぎて、白くなる。


 雫は、その瞬間を逃さなかった。


「そこだ」


 笑い声に近い息が漏れる。

 せっかくの好機。

 シュヴァロフが怪物に組み付かれ、アリスの制御線が太く露出している。

 なら機体を壊すのでは足りない。

 向こう側のアリス本人を殺す。


 雫のハッキングが、シュヴァロフ経由でアリスの端末へ逆流し始める。

 病院端末を束ねている今のアリスは、普段より演算も通信も強い。

 だが同時に、逆流した負荷が身体へ返りやすい。


 警告音が病室で一斉に鳴る。


『過負荷』

『神経同期異常』

『NECRO負荷上昇』


 文字列がいくつも走る。

 視界が赤く点滅する。

 アリスの頭蓋の奥へ、釘を何本も同時に打ち込まれたような痛みが走った。


「……ぁ、ッ……!」


 声がうまく出ない。

 ベッド脇の端末が勝手に再起動を繰り返し、モニタの心拍線まで乱れる。

 トミーが悪態をつき、SABLE がアリスの肩を支える。


「切って!」


 SABLE が叫ぶ。


「切れない……!」


 アリスは歯を食いしばる。

 切ればシュヴァロフとの線も切れる。

 いま切れば、怪物の真下でシュヴァロフが死ぬ。

 その向こうにはまだ人がいる。


 リヴァイアサンは、粉砕した戦闘腕ごとシュヴァロフへ組み付き、上から押し潰そうとしていた。

 黒い機体の装甲が軋み、変形し、アリスの端末へ痛みのようなノイズが返る。


「アリス」


 義弘の声が、回線越しに入る。

 短い。

 だが、何かを決めた声だった。


     *


 義弘は、怪物の足元で一度だけ呼吸を整えた。


 リヴァイアサンは硬い。

 正面の装甲を切っても意味がない。

 肩の補強も、胸部の継ぎ目も、壊し切るには足りない。

 だが、組み付きのために脚部と体幹を繋ぐ関節だけは、怪物が怪物であるためにどうしても可動を残している。


 そこだ。


 義弘はまたワイヤーを射出した。

 今回は高架ではない。

 リヴァイアサン自身の外装の継ぎ目。

 半ば無理やり噛ませ、反動を逆利用して自分の身体を怪物の足元へ引き込む。


 踏み潰しの直前。

 シュヴァロフがまだ下にいる。

 群衆の悲鳴。

 日本国のサムライ・ヒーローたちの足止め。

 その全部の中で、義弘の世界だけが細く尖る。


「そこだろ」


 誰に言うでもなく、刃を振る。


 白のサムライ・スーツが、緩やかな弧ではなく、ほとんど線のような最短軌道で切り抜ける。

 リヴァイアサンの右脚関節、その外装ではなく、一瞬だけ露出した内部接続部へ。


 手応えが変わった。


 今までのような“切れているのに足りない”感触ではない。

 確かに中へ届いた手応え。


 次の瞬間、リヴァイアサンの右脚が不自然に沈む。

 支持を失った側の関節が、半ば切断されたように折れ、組み付きの圧がわずかに崩れた。


 シュヴァロフの上にかかっていた重みが、そこで初めて外れる。


 アリスはノイズの向こうで、その一瞬だけをはっきり感じた。


「義弘……!」


 呼んだ声は、痛みでほとんど悲鳴だった。


 雫は、その光景を見て逆上した。


「また」


 最初は低く。

 次にはもう、取り繕いのない怒声だった。


「また邪魔するのか!」


 せっかくの好機だった。

 アリスを殺せる。

 アリスさえ消せば、怪物だろうと列だろうとどうでもいい。

 その瞬間を、また義弘が切り開いた。


 雫はもう、リヴァイアサンを“止める側”の顔で使うつもりなど残っていなかった。

 怪物は踏み潰せばいい。

 義弘とシュヴァロフごと。

 その下に、アリスの線も一緒に埋めればいい。


「潰せ!」


 リヴァイアサンが、右脚の異常も無視して重心を前へ投げる。

 巨体が崩れたまま突っ込むような、最悪の踏み潰しだった。


 その時、空気が変わった。


 熱狂でも、悲鳴でも、怪物の振動でもない。

 もっと冷たい、もっと重い秩序の気配が、上空から降りてくる。


 最初に見えたのは、整然とした光の列だった。

 次いで、無音に近い低空機動音。

 そして、誰もが知っているのに、見たくはなかったシルエット。


 アライアンス。


 F.qre.d.qve の隊列が、夜気を裂くように現れる。

 その中央にいるのは、SOFFest。

 場を終わらせるための重さ。

 高速機動隊の中でも、“出た時点で今日はここまでだ”と理解させるための重装備。


 デモの空気が、一瞬で変わった。

 祭りではない。

 抗議でもない。

 判決だ。


 SOFFest は、リヴァイアサンの踏み潰しを真正面から受けた。


 いや、受けたように見えたが違う。

 重い。

 厚い。

 遅い。

 だが、その遅さが“場を変える重さ”そのものになっている。


 リヴァイアサンの巨脚が振り下ろされるその軌道へ、SOFFest が影を落とす。

 接触。

 地面が揺れる。

 それでもSOFFest は崩れない。

 むしろ“ここから先へは通さない”という物理的な判決そのものみたいに、怪物の動きを止めた。


 続いて F.qre.d.qve の列が左右から入り、進路を塞ぎ、逃げ道を消し、リヴァイアサンという怪物を一つの終了状態へ押し込める。

 SOFFest の主装備が唸る。

 重い。

 派手ではない。

 だが、当たったものが“もう続けられなくなる”類の力だ。


 リヴァイアサンの胸部装甲が割れた。

 補助脚が折れた。

 継ぎ接ぎのフレームが悲鳴を上げ、内部導管が裂ける。

 そこから先は、もはや戦いではない。

 判決の執行だった。


 巨大な怪物が、初めて明確に後ろへ崩れる。


 病室のアリスは、ノイズに塗れたシュヴァロフの視界越しに、その巨体が崩れていくのを見た。

 頭痛はひどい。

 視界は半分以上白く潰れている。

 NECROテックの暴走警告も消えない。

 だが、それでも分かる。


 終わる。


 その理解が、ようやく全身の緊張を切った。


 アリスは短く息を吐く。

 それは笑いではない。

 安堵の残りかすみたいなものだった。


 次の瞬間、意識が途切れる。


     *


 病室で、SABLE はアリスの身体が前へ倒れそうになるのを見た。


「アリス!」


 反射的に手を伸ばす。

 だが、その手が届くより先に、アリスの身体は何かに支えられていた。


 目には見えない。

 なのに確かに、落ちるはずの重みが途中で止まっている。


 SABLE はそこで、背筋を冷たいものが走るのを感じた。


 不可視の手。


 ゆっくりと顔を上げる。

 病室の空気の中に、見えないはずの輪郭がある。

 そこにいるとしか思えない静けさがある。


 CRADLE LESSON。


 アライアンスの切り札。

 人間による判決装置。

 気絶したアリスを、まるで墜落物を回収するように、しかし不思議なほど丁寧に支えていた。


 そして、その不可視の気配は、SABLE の方を向いている。


 見つめている。

 声はない。

 威圧もない。

 だが、そこには確かに意思があった。


 SABLE は動けなかった。

 病室の中で、崩れた怪物の残響と、アリスの浅い呼吸と、不可視の判決だけが静かに残っていた。

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