468.ヘッドライナー
「つまり、ロックフェスとは――音楽鑑賞を口実に、青空の下で堂々と酒をかっ喰らう大義名分を得るイベントだ!」
初夏の陽光が降り注ぐ領主館の庭園。
青く澄み渡る空と、まるで絨毯のように広がる青々とした芝生のコントラストの中で、ラルフは高らかに宣言した。
この場所で、真っ昼間から何をしているのかといえば。
「野外で美酒を愉しむのであれば、今まさに我々がこうしているのと何が違うのだ?」
生真面目に眉をひそめ、疑問を呈したのはグレン子爵だ。貴族の鑑たる彼にとって、ラルフの言葉は少々非常識な振る舞いに過ぎたらしい。
「いや、ラルフの言うことには、一理あるな。一定数、そういう『不純だが極めて健全な目的』を以て集まる客がいるのも、また厳然たる事実だ」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、理解を示したのはお隣の領主、ファウスティン・ド・ノアレイン公爵である。
この三人、一体何をしているのか?
その視線の先には、庭園の優雅な景観に恐ろしく不釣り合いな「七輪」が鎮座していた。パチパチと爆ぜる炭火の上で、芳醇な香りを漂わせる肴が炙られている。
「ムシャムシャ。やはり、エイヒレは美味いのぉ。この炙った香ばしさがたまらん」
「グレン子爵、それ、南方諸島でヴラドおじが釣り上げてきた淡水エイのだからね? 美味いっしょ?」
「俺は、ひたすらこの厚切りベーコンを育てることに集中する」
王国を揺るがすレベルの権力者たちが七輪を囲み、昼間から熱心に野外飲みに興じている。まあ、彼らにとってはもはや日常の光景なのだが――。
「キャン! キャン! ハグッ」
突如、ラルフの背後から小気味よい鳴き声が響き、彼のローブの裾をぐいぐいと引っ張る気配があった。振り返るまでもない、お馴染みの乱入者だ。
「んっ? やっぱりお前か。コラコラ、ダメだって。エイヒレもベーコンも塩分が高すぎて体に悪い。お前にはこっち、エリカから預かってる特製のオーク肉をやるから」
そこにいたのは、例の兄弟子狼のうちの一匹だった。
この子だけは、まるで極上のサファイアを嵌め込んだかのような、鮮やかで知性的な青色の瞳を持っている。そして、輪をかけていたずらっ子だ。普段、世話をするエリカの手を焼かせるやんちゃっぷりで、彼女はいつもプリプリと怒っているのだが、そのくせ、どこか嬉しそうにしているのをラルフは見逃していない。
子狼はオーク肉を器用に引ったくると、「へっへっへっへっへ!」と鼻息荒く、満足そうに尻尾をフリフリしながら領主館の方へと去っていった。
(……絶対に人語を理解してる気がすんだけど? なんなら僕をちょっとからかうのが目的だったろ、今の)
子狼の去った足跡を見送った後、グレン子爵が再び真面目な顔で箸を動かし、手際よくエイヒレをひっくり返しながら本題に戻った。
「話を戻すが。その『ロックフェス』とやらが、音楽を中心とした祝祭であることは理解した。だが、それに果たしてどのような社会貢献性、あるいは公益性があるのだ?」
さすがは清廉潔白にして聡明、王国民の安寧を第一に考える男だ。
対するラルフは、手元のハイボールをグビリと一口、事もなげに言った。
「そりゃあ、開催に関わるすべての初期投資や運営費用は、僕が……いや、ロートシュタイン領の金庫から一括で吐き出しますよ」
「けっ! すっげーなー、相変わらず、恐ろしいほどの成金野郎だなぉ~おい!」
ファウスティンが羨ましそうに茶化すが、子爵の思考は止まらない。
「大規模なステージの設営、王都全域から集める屋台店主たちの出張補償、そして大陸中から招聘する演者への破格の好報酬……。これほどの原価を投じて、まさか客から観覧代を徴収しない、というわけではあるまい?」
「野外ですよ? 広大なオープンスペースを完全封鎖して検札を行うための運営スタッフをどれだけ雇う気ですか。それを現場で指揮命令するマネジメントコストを考えたら、完全に割に合わない。というか、物理的に無理っす」
「それでは、投資に対する回収がまるで見えん。それが果たして、経済的効果としてどのように市場へ還流するというのだ……?」
グレン子爵は顎に手を当て、眉間に深い皺を寄せる。
費用対効果の計算が立たない事業に、なぜこれほどの巨富を投じるのか。
「そりゃあね、子爵。実のところ――僕もよくわからんのですよ」
ラルフは悪びれもせず、琥珀色の液体を喉に流し込んだ。
「は?」
「どんなに緻密な需要予測を立てたところで、そんなものは机上の空論ですから。しかし、圧倒的な数の人間が集まり、同じ空間で感情を爆発的に昂ぶらせる場には、必ず新たな熱量が生まれる。天才的な経済学者がどれだけ数式を捏ね回しても予測し得ない、人間の剥き出しの『欲望』こそが、案外、沈滞した経済を強引に回す最強の起爆剤になるんじゃないかな、って」
その瞬間、グレン子爵の瞳が、畏怖を孕んだ怪しい輝きを帯びた。
(これだ……これこそが、この若き大魔導士が『天才』としても恐れられる真骨頂……!)
ラルフ・ドーソンの世間的な評価は、世界最高峰の魔導士という点に集約されている。しかし、グレンから見れば、彼の商売人としての先見の明は、むしろ悪魔的ですらあった。
この一見だらしなくハイボールを飲んでいる若き領主は、経済という名の巨大な魔物を、恐ろしいほど多角的な視点で捉えている。
凡庸な貴族であれば、自らの懐に入る直接的な税収だけを帳簿上で眺め、小手先の増税や搾取を画策するだろう。
だが、彼は違う。
一手先、三手先――いや、経済の乗数効果による百手先までの循環を読み切っているのだ。
複雑怪奇な市場の原理原則に則った数式に、本来ならば数値化不可能な「人間の感情」や「熱狂」というボラティリティの極めて高い“動的変数”を完璧に当て嵌め、市場全体のパイを拡大させようとしている。
(やはり! 凄まじい男だ。無料という参入障壁の排除によって爆発的なトラフィックを生み出し、そこから発生する二次消費。更には、三次的、四次的経済効果までをも視野に入れているのか……!?)
――と、グレン子爵が勝手に限界まで神格化した感動を抱いている真っ最中。
当のラルフは、網の上でいい感じに脂を滴らせているベーコンをひっくり返しながら、脳内でまったく別のことを考えていた。
(まあ、ぶっちゃけ人が大量に集まりゃ、何かしら金は動くべ? 祭りってそういうもんだし)
要するに、前世の野生の勘である。
ラルフの前世の日本は、限られた消費者というパイを高度な理論で奪い合う、洗練され尽くしたマネーゲームの社会だった。
マーケティング、ブランディング、マーチャンダイジング……。
よくわからない横文字が飛び交うビジネスの最前線では、一見スマートに見えるビジネススキームの裏で、大人たちのドロドロした思惑と莫大な金が動いていた。
エンタメも大規模なイベントも、すべてはその延長線上にある。
それを理屈ではなく、ただの経験則による「テキトーな感覚」で口にしているだけなのだが……まさに野良の天才! いや、"誤解の産物"であった。
しかし、そこでラルフは一つの重大な問題に思い至る。
(あ、やべ。圧倒的に出演者が足りないんだった……)
そこで、彼はまたしてもその場の思いつきで、テキトーな誘いを口にした。
「あ、そうだ。ファウストさんも、ステージ出る? なんか、そういうの、好きそうだし」
カラン、と氷が鳴る。
酒を喉に流し込もうとしていたファウスティンの動きが、ピタリと止まった。その双眸が、前世の業火を灯したかのようにギラリと輝く。
「……俺が……か?」
「そうそう! なんかそういう音楽とか、僕より詳しそうじゃん。それに、ファウストさんって、普段から無駄に渋くて良い声してるしさ!」
確信があった。二人はお互いが「転生者」であることを、なぜか暗黙の了解として決定的な言及を避けている。しかし、ファウスティンが時折、無意識に漏らす前世のロックカルチャーの専門用語を、ラルフは聞き逃していなかった。
「ふむ……」
ファウスティン公爵は、おもむろに腰掛けていた小さな丸太から立ち上がった。
そして、ゆっくりと振り返り、何かに導かれるように、青々とした芝生の中央へと歩みを進める。
ラルフとグレン子爵の位置からは、彼の背中しか見えない。
張り詰めた沈黙が庭園を支配する。
そして。
「ボーカルで……いいか?」
地を這うような重低音の呟き。
「へっ? あ、ええ。まあ、その、歌えるなら全然……」
予想だにしないガチなトーンに気圧され、新たなハイボールを作ろうとしていたラルフの手元が狂った。タンブラーからウイスキーがボトボトと溢れ出し、芝生に浸みていく。
次の瞬間だった。
「This is……」
「え?」
ラルフがその前世の言語――つまり、英語に耳を疑った、まさにその刹那。
「Sound Cheeeee〜eeeeee〜eeeeeeck♪!!!!」
鼓膜を、そして初夏の青空を文字通り一閃の雷のごとく切り裂く、圧倒的なハイトーンボイスが炸裂した。
伝説的全盛期のロック・ボーカリスト、あるいは怪鳥のごとき豪快さでありながら、極限まで精密に制御されたピッチコントロールと、美しくも凶暴なビブラート。
ラルフの脳裏に、前世の記憶が鮮烈に蘇る。
(こ、……これ、『外タレ』の、本番前のステージで、『謎に歌が上手い誰か』がやる、サウンド・チェックの身内ノリのやつだっ!!!)
凄まじい声量と音圧の波動により、庭園の隅でとぐろを巻いて爆睡していたワイバーンのレッドフォードが、「ビクリッ!」と巨体を跳ね上がらせて首を持ち上げた。完全に寝ぼけ眼で、敵襲かと周囲をキョロキョロと見回している。
一方、七輪の前に残されたラルフとグレン子爵は、完全に開いた口が塞がらなくなっていた。
貴族の鑑たる子爵は、あまりの衝撃に箸からエイヒレを落とし。
ラルフは、ウイスキーまみれの手で固まっていた。
あまりにも想定外すぎるファウスティンの隠しスキルと、異世界人の理解を置き去りにする謎のパフォーマンスに、脳の処理が追いつかない。
静寂が戻った庭園で、ファウスティン公爵はゆっくりと、ドラマチックに振り返った。
「…………そういうの、一回でいいから……やってみたかったんだっ!」
そこには、大の大人が、いや、一国の領主が、まるで少年のように純粋で、すんごい嬉しそうな満面の笑みを浮かべて立っていた。
「あ……そ、そうっすか……。うん。良かったっすね……」
ラルフは、乾いた声でそう絞り出すのが精一杯だった。
こうして、王都を震撼させることになる未曾有の「ロックフェス」に、出演者としてファウスティン公爵が電撃参戦することが決定した。




