467.普通の領主とは?
居酒屋領主館の夜は、いつも通りの喧騒と熱気に包まれていた。
季節は夏へと向かう端境期。
窓の外を見上げれば、まだらに広がる濃紺の夜空が微かな涼風を運んでいるが、ひとたび店内に目を向ければ、そこは完全に別世界だった。
「ガハハガハハ!」「ガッチャンガッチャン!」満員御礼の店内では、乾杯のジョッキがぶつかり合い、豪快な笑い声が天井を揺らしている。地響きのような賑わいの中、カウンターの向こうで手際よく注文を捌いていたラルフの耳に、ひときわよく通る凛とした──しかし、どこか空腹を訴える切実な声が飛び込んできた。
「マスター! 私にもそのカキアゲ丼を!!」
ガタァッ! と勢いよく立ち上がったのは、女騎士ミラ・カーライルだ。美しい容姿に似合わぬ猛々しさで、ビシッと天井に向けて手を挙げている。
「はいよー。具材は何がいい? 色々選べるぞー!」
ラルフが気風のいい声を返すと、ミラは一瞬、きょとんとした表情を浮かべた。
「え、えぇ? そ、そうなのか? あ、こ、これか?!」
慌ててテーブルの上のメニュー表を手に取るミラ。そこには、太文字で『本日のサービスメニュー。盛り沢山かき揚げ!』と銘打たれていた。見れば、確かに客の好みに合わせて具材を自由に組み合わせられるシステムらしい。
だが、その詳細に目を走らせた瞬間、ミラの動きがピキリと凍りついた。
「んん? んんんんんんんんっ?!」
これでもかと至近距離でメニューを睨みつけるミラ。額にはうっすらと汗さえ浮かんでいる。
無理もない。
そこに並んでいたのは、およそ常識的な料理の概念を覆す混沌たるラインナップだった。
玉ねぎ、ニンジン、レンコンといった定番の野菜。
海老、タコ、イカ、そしてぷりっとした貝類。
さらにはカマボコ、キノコ類、彩りの青豆にそら豆、甘みの強いトウモロコシ。
あろうことか、ジューシーなオークのバラ肉、ヘルシーなコカトリスのササミといった魔獣肉、そして極めつけに全体をピリッと引き締める紅生姜までが、所狭しと書き連ねられている。
「ほらー。後ろも詰まるから早く決めろー」
カウンターの中からラルフが気楽に急かすが、優柔不断な生真面目さを極限まで追い詰められた女騎士は、ついに頭を抱えて叫んだ。
「な、なんだこの料理は?! こ、こんなの無理だー! 私には決められない!!」
突如として半狂乱になるミラ。
すると、そのすぐ隣で、琥珀色のウイスキーが入ったグラスを静かに傾けていた彼女の父親──カーライル騎士爵が、ふっとニヒルな笑みを浮かべて愛娘を見やった。
「ふっ。戦場では、その決断力の無さに、死神が笑うぞ?」
「はっ?! ならば ──マスター、全部盛りで!!」
戦士としてのプライドを妙な方向に刺激されたミラは、一切の思考を放棄して拳を突き出した。これにはラルフも、持っていたお玉を落としそうになりながら全力でツッコミを入れる。
「二郎系ラーメンじゃねーんだぞ! これ全部入れたら、どんだけ超巨大なかき揚げになると思ってんだっ!」
しかし、一度火がついた女騎士の暴走は止まらない。
「かまわん! ばっちこいだ!!」
ミラは自身の引き締まった、しかしこれから恐るべき質量を迎え入れるであろうお腹を、バンッ! と景気よく叩いてみせた。
(というか、アイツ、本当にどこにそれだけの容量があるんだよ……)
ラルフは表面上は呆れ顔を作りつつも、内心では戦慄を禁じ得なかった。
何しろ彼女は、このカキアゲ丼を注文する前に、すでに餃子を五皿、ジューシーな唐揚げを十数個は綺麗に平らげ、喉を鳴らしながらビールを十杯はおかわりしていたはずなのだ。
普通の人間なら「シメ」として注文する段階である。だが、彼女のあの堂々たる態度を見るに、この規格外の巨大かき揚げ丼すら、これから始まる大食い劇の『前哨戦』に過ぎないのかもしれない……そう思うと、ラルフの背筋に冷たいものが走った。
「やれやれ……」と苦笑しながら、ラルフは手早く巨大かき揚げの具材を準備し始める。
すると、カウンター席の、ある意味では一番の特等席に陣取っていた人物が、お猪口を傾けながらラルフに声をかけてきた。
この国の最高権力者、ウラデュウス国王その人である。
高級な冷酒をちびりとやりながら、国王は興味深そうに目を細めた。
「で。あの、なんだったか……ロック、フェス? とか言ったか。それはまた、どんな企みなのだ?」
此度、ラルフが国王に提案したのは、このロートシュタイン領ではなく、国家の中枢である『王都』での新たな大規模祭りの開催だった。領主として富を蓄え、金貨を文字通り山のように溜め込んでいるラルフに、王国の経済中心地でその資金を盛大に吐き出させる。それは国王の視点から見ても、実に見事で理に叶った経済政策だった。
「ええ。今回は、これまでの祭りとは趣向を変えて、音楽を中心にしたフェスティバルにします」
ラルフは手元でオーク肉を刻みながら、国王と視線を合わせることなく、淡々と、しかし確かな手応えを含んだ声で答えた。
「ほう……」
国王は顎を撫で、過去の記憶を呼び起こすように天井を見上げた。
「『街道整備記念式典』でも、先の『ロートシュタイン祭』でもやったな。あの、人々の心を昂ぶらせる楽団の演目……なるほど、今回はその音楽のみに特化するというわけか。ならば、構成もシンプルで簡単そうだな」
納得がいったというように頷き、ウラデュウス国王は冷酒をクイッとひと舐めする。
だが、ラルフの計画がそんな大人しいもので収まるはずがなかった。
「いやいや。それだけじゃありませんぜ。お馴染みのメンツだけじゃなく、演者を大幅に増やします。まずは──『聖女シスターズ』……」
「あ、あやつら、か……。あれ? そういえば、あの二人はどこへ行った? 今日は見かけんが」
国王は思い出したように店内をキョロキョロと見渡した。いつもなら、この時間帯の居酒屋で真っ赤な顔をしてお互いにくだらない絡み酒をしている、あの微笑ましくも騒がしい酔っ払い仲良し姉妹の姿が、どういうわけか見当たらない。
ラルフは包丁の手を止めず、視線だけで店の勝手口のほうを指し示した。
「アイツらなら、裏庭で『謎の訓練』をしてますよ」
その頃、
店の裏庭では、壮絶な精神のぶつかり合いが繰り広げられていた。
「ハァ?! お前らマジで言ってんの?! 踊りってのはなぁ、小手先のステップじゃねえ、感情の発露なんだよ! 湧き上がる魂の具現化よ?! なんでそんな簡単なこともわかんねーんだよ!」
激しい熱弁を振るっているのは、この度めでたく学園の芸術学科講師に赴任した、一流の舞踏家タデウス・ウッドカーヴァーだ。その指導は、まさに鬼神の如き厳しさ。
その目の前で、地面にばったりと這いつくばり、魂が抜けかけた状態で息も絶え絶えになっている二人の聖女がいた。
「うわ〜ん!! もうヤダーーー!!」
涙目で砂を噛むような声をあげるトーヴァ。
「お姉ちゃん! もうこれ、絶対に無理っ! 聖教国に帰ろう! ね、今すぐ荷物まとめてさ。そうしよ!」
完全に心が折れ、現実逃避を始めるマルシャ。
ついに限界を迎えた二人のギブアップ宣言だった。しかし、鬼講師の耳にそんな泣き言が届くはずもない。
「逃げられると思ってんじゃねーよ! 一度でも芸術にその身を捧げようとした者が、これしきのことで弱音を吐いてんじゃねえぞ!」
タデウスの怒号に、二人の聖女は最後の力を振り絞って、息の合った、しかし涙ながらの反論を夜空に響かせた。
「「別に芸術に身を捧げたつもりはありませーん」」
ガチのトーンで響き渡る、聖女シスターズの魂の叫びであった。
そして、防音などあってないような居酒屋の店内にいたウラデュウス国王は、ふとお猪口を持つ手を止めた。
「はて? 何か今、裏庭のほうから、絹を裂くような、あるいは尊い何かが崩壊するような声が聞こえたような……」
不審そうに頭上を見上げる国王。しかし、面倒な説明を省きたいラルフは、即座にそれをシャットアウトした。
「気のせいでしょ。空耳です、空耳」
「そ、そうか……?」
国王を言いくるめると、ラルフは知らん顔を決め込んだ。
そして、ウラデュウス国王は質問を続ける。
「あとは、どんな演者を用意する予定なのだ?」
「もちろん、宮廷楽長であるオルランドさんにも声をかけます。宮廷楽団が出なきゃ、恰好がつかないでしょ? あとは……そうですね。そこの、商標権とパブリシティ権が色々と大人の事情で怪しい、『スパイス・ガールズ』だな」
ラルフが呆れたような、しかしどこか楽しげな視線で指差した先。そこには、いつの間にか華やかなオーラを纏った一団が立っていた。
「まあ、あたしがいなきゃ、どんなお祭りもはじまらないわよね? ほら、アンタ達も、国王陛下にしっかりと挨拶しなさい!」
胸を張って高らかに言い放ったのはエリカだ。彼女の後ろには、気合の入った表情の貴族令嬢たちがずらりと控えている。エリカの合図とともに、彼女たちは一歩前に出て、完璧なポーズと共に名乗りを上げた。
「私は、メラニー!」
「私は、ベビー!!」
「シンシアと申しますわ!」
「ヴィクトーリアよ!」
「メラニーです!」
──名前が被っている。というか、ツッコミどころが多すぎる。
あまりにも貴族令嬢たちが堂々と、しかもどこか誇らしげに異国のトップアイドルのようなコードネームを名乗るものだから、国王はお猪口を片手にしたまま、完全に思考が停止してしまった。ウラデュウスの脳内処理能力が限界を迎えている。
その静寂を察知したエリカは、すぐに血の気が引いた顔になった。
「いや、あんたら、バカっ!! 確かにそう名乗りなさいって教えたけど、空気を読みなさいよね、空気を! それを本物の一番偉い人にガチでやるんじゃないわよ!」
金髪の豪華なドリルツインテールを激しく振り回しながら、意図を全く汲みきれなかった舎弟令嬢たちにお説教をたれるエリカ。
一応は、一般常識を心得ていたらしい⋯⋯。
そしてその直後、事の重大さに気づいた彼女たちは──エリカを含めた六人の貴族令嬢が一糸乱れぬ動きで、床にダイナミックな五体投地をキメた。
それを見届けた国王は、ゆっくりと視線をラルフに戻した。
「うん……濃いな。なんか、濃い⋯⋯。我が王国には普通の人がいない気がしてきたぞ……」
ぽつりと呟き、国王はまたチビリと冷酒を飲んだ。だが、胃の痛くなるようなその濃さこそが、いまやこのロートシュタインの活力そのものなのだと、国王は半ば諦め混じりに受け入れてもいた。
「まあ、そういうこってして……ほら、ミラ、取りに来い! お待ちどう! 全部盛りかき揚げ丼だ!」
ドンッ!!
とカウンターに置かれたのは、もはや丼の境界線を無視して、あらゆる具材がラグビーボール並みの質量で大爆発している、文字通りの『超巨大かき揚げ丼』だった。立ち上る油とタレの香ばしい匂いが、暴力的なまでに食欲をそそる。
「おぅ、おおおおおぅうぅっ! これは、見た目からして絶対にヤバい!!」
女騎士は目を輝かせ、奪い取るような勢いでラルフの手から巨大な丼を引ったくり、自分のテーブルへと意気揚々と持ち帰っていった。
ようやく一息ついたラルフは、額の汗を拭い、カウンターの内側にある小さな丸椅子にどさりと腰掛けた。やれやれ、これで祭りの企画も通ったし、あとは準備を進めるだけだ。
──そう思った、その時だった。
「で? お前も、当然出演するんだよな?」
「……え?」
国王が何気なく放ったその一言に、ラルフの思考が完全にフリーズした。
「いや。だって、お前とソニアの『ラルフ&ソニア』をやるんだろ? あのフォークデュオを」
至極当然と言わんばかりの、国王の冷徹な、しかし確信に満ちた言葉。
その瞬間、ラルフの脳裏に激震が走った。
(しまったーーー! 完全に忘れてたっ!!!!!)
そうなのだ。
ラルフと吟遊詩人のソニアは、今やこの国で飛ぶ鳥を落とす勢いの大人気売れっ子フォークデュオなのだ。そんな彼らが発起人となる音楽イベントを開催するとなれば、周囲が彼らをステージに引っ張り出そうとするのは、火を見るより明らかだった。
それは、ラルフの企みとは、違う――、
実は、ラルフの密かな企みはこうだった。
王命として自分がイベンターに徹すれば、やることだけやって、本番は『ロックフェスの一般観客』として、ビールを片手にかっ喰らいながら、ステージから生み出される重低音のビートに身を委ね、ただただ楽しむことができる──。
近頃は領主としての業務を部下に委託できる体制も整ってきた(色んな人にご迷惑はかけるが!)。ならば、公務という大義名分にかこつけて、前世で楽しんだあのロックフェスのような、野外で酒と音楽に溺れる極上の『休暇』を密かにもぎ取ろうとしたのだ。
それが、まさか、自分が演者としてステージに立たされる羽目になるとは……!
⋯⋯というか、冷静になって現状を整理してみる。
・今、ロートシュタイン領では新たな学校建設の真っ只中で、その総指揮を執っている。
・日々の領主としての公務もある。
・大魔導士として、そして最先端の魔導研究者としての顔もある。
・さらには、一部のマニアに熱狂的なファンを持つ売れっ子陶芸家というもう一つの顔。
・そして、今まさに立っているこの居酒屋領主館の経営だ。
・そこに、追い打ちをかけるように「大人気ミュージシャン」という世間の重すぎる評価とステージ出演が重なる。
この状況⋯⋯、どこかで聞いたことがある。
・本業を持ちながらも、「小説家になろう」への毎日投稿を担当編集者から笑顔で厳命され、
・書籍第一巻の発売にあたっては、特典SSを含めた加筆修正を、公式発表の通り『八万字』という──もはやほぼ一冊分とも言える狂気の文字数を書かされ、
・さらに同時進行でコミカライズの綿密な打ち合わせをこなしている、
そんな――"どこかのライトノベル作家"の労働環境よりも圧倒的にブラックだ。
しかし、作者の愚痴など知ったことではないが、ラルフの精神は限界だった。
絶望に染まった目で首を横に振った。
「いや。無理……。絶対に、今回は無理です……」
その弱々しい拒絶の言葉が店内に響いた瞬間。
「え……」
「は?」
「ん? ええぇ、──そんなの、ラルフさまが出ないなら意味ないけど?」
ピキィン、と店内の空気が凍りついた。
客席の喧騒が嘘のように静まり返ると同時に、そこにいるすべての常連客、領民たちの『総意』としての冷ややかな呟きが、一本の矢となってラルフの胸を突き刺した。
思わず客席の殺気なのか期待を振り返って察知した国王は、お猪口を持ったまま困ったように笑った。
「ハハッ、⋯⋯ラルフ。これ、お前がやらんと、ダメなんじゃねーの?」
逃げ場を完全に塞がれたラルフは、幽霊のようにゆらりと立ち上がり、虚空を見つめた。
そして、かつて前世の伝説的アイドルが残した解散コンサートのセリフのように、辿々しく、悲痛な宣言を口にした。
「……僕、普通の、領主に、戻りたい……」
その切実な願いを聞いた、国王、エリカ、令嬢たち、ミラ、そして店内にいた全客の心の声が完全に一致した。
(((((いや、絶対に無理だろ……)))))
それこそが、その場にいた全員の、揺るぎない総意であった。




