466.ロックなんか聴いてきた
初夏の澄んだ青空を突き刺すようにそびえ立つ、謎の巨木『リグドラシル』。
領主館の裏庭に、ある日突如として現れたその圧倒的な質量を前に、二人の男が首が痛くなりそうな角度で見上げていた。
一人は、お馴染み、数々の奇策で世界を揺るがすラルフ・ドーソン公爵。
そしてもう一人は、彼の元同級生にして、若くして錬金薬学の権威に上り詰めた堅物、アルフレッドである。
しばしの沈黙の後、アルフレッドが学者らしい重々しい口調で、眼鏡のブリッジを押し上げながら声を漏らした。
「……なぁラルフ。我々はジャングルの学術調査へ赴く前に、まずこの『世界樹もどき』を徹底的に解明すべきだったのではないか?」
「んふぅーーーーーーーーーーっ」
地鳴りのような、それでいて魂が半分口から抜けたような、なんとも形容しがたい不気味な溜息がラルフの口から漏れ出た。
アルフレッドはあからさまに嫌悪の表情を浮かべる。
「なんだその、嫌悪感を催す不躾な溜息は?」
「呆れすぎてな、脳の言語野生領域が消失しかけてんだよ。いいかアルフレッド。ここに人類未到達レベルの未知がそびえ立っていながら、何が悲しくて意気揚々と荒波を越え、ジャングルで蚊に刺されに行く必要があったんだって話だよ」
「それを選択したのは……悲しいかな、我々、か? ……。というか、わざわざ調査などせずとも、彼女に直接生態を聞けば一発で解決するのではないか?」
アルフレッドが呆れ顔のまま、すっと人差し指を差した。その指の先には――。
「グガァァァァーーーッ! スピーーー、ゴ、ゴッ、ぶほぉッ!」
広大な裏庭に響き渡る、およそ可憐な知的生命体のものではない、飢えた猛獣のような爆音の鼾。
そこにいたのは、最高位のエルフであるはずの美女、ユロゥウェルだった。
その姿を目にしたアルフレッドは、あまりの衝撃に逆に感銘を受けたように、ポツリと呟いた。
「うむ……素晴らしいな。光の差し込み方と言い、彼女の四肢の伸び具合と言い……まるで、教会の奥に飾られた宗教画のようだ」
「いやどこがだよ?! どうなってんだアレ! 寝相の悪さがカンストして限界突破してんだろうがっ!!」
ラルフのツッコミは極めて正当だった。
ユロゥウェルは両腕を左右に広げ、リグドラシルの太い枝から垂れ下がった頑丈な蔦に、文字通り「吊るされて」いた。
確かに、差し込む木漏れ日と白皙の肌のコントラストは、磔刑に処された悲劇の女神に見えなくもない。
だが悲しいかな、彼女は昨晩も領主館の酒を浴びるように飲み干し、昼近くになっても絶賛泥酔泥眠中の、ただのポンコツエルフなのだ。
その証拠に、彼女の奏でる寝息は、にわかに変拍子を刻み始める。
「グガァ……、ガッ、ゴッ………………」
ぴたり、と音が止まった。
「あ、あれ? おいアルフレッド、あれ、息止まってね?」
ラルフが不安そうに顔を強張らせ、木の上の女神(仮)を見上げる。
数秒の無音の後――。
「…………ゴハァァッ!! ハァ、ハァ、ハァ……クカァァァァ……」
「完全に睡眠時無呼吸症候群だろコレ!! おいアルフレッド、薬学の力で、なんかこう、一発で無呼吸が治るヤバい錬金薬とか処方してやれよ!」
「無理を言うな! あのエルフ、確か二万年近く生きているのだろう?! その永きにわたる生存戦略と生命の叡智は、間違いなく俺の浅薄な知識よりも深遠なる領域に到っているはずだ。つまり、これが彼女にとっての『最適解の呼吸法』なのだ……きっと!」
「どんな深遠だよ! 早死にするタイプの深遠だろ! もう二万年も生きたなら、何が早死になんだって?!
よくわかんねーけどさっ!」
ひとしきり大騒ぎしたものの、偉大なるエルフの鼻提灯が割れる気配は微塵もない。二人は「触らぬ神に祟りなし」という格言を胸に、美しきエルフを吊るしたまま、そっとその場を後にすることにした。
勝手口から厨房を通り抜け、昼下がりの『居酒屋領主館』の客席へと入る。
歩を進めながら、アルフレッドは横目でラルフを盗み見た。
「というかラルフ、ロートシュタイン領が現在直面している、最大にして最悪の贅沢な悩み――『金余り問題』をどうする気なのだ? 陛下がブチ切れてたよな?」
「んー、まぁ色々とプランは練ってるさ。新しく創設する予定の『高等教育学校の奨学金基金』だろ、あとはコール・ディッキンソンの未開の島への投資。……最悪、僕の毎日の酒代と娯楽費として華麗に横領するっていう、国家転覆級のプランも視野に入れているのだ」
「なるほど。最後のアイデアを堂々と口にするあたり、君の倫理観がとうの昔に崩壊していることだけはよく理解できた」
幼馴染みの冷徹なツッコミに、ラルフは不敵に笑う。
「冗談だよ。要するに、使い道がないなら領民にそのまま等しく配ればいいのさ。つまり――『ベーシック・インカム』の導入だ!」
胸を張って高らかに宣言するラルフ。
アルフレッドは、またもやこの相棒の口から飛び出した未知の異界語に眉をひそめた。
この男は時折、誰も知らない知識の引き出しから、奇妙な概念を引っ張り出してくる。
すると、薄暗い客席の奥から、間抜けた声が響いた。
「あ〜、ラルフさまぁ〜。お小遣いちょうだ〜い。金貨一〇〇〇枚……いや、贅沢は言わないから五〇〇枚くらいでいいよぉ〜?」
そこにいたのは、昼間から最高級の赤ワインのボトルを抱え、すっかり出来上がっている聖女トーヴァ・レイヨンだった。
「ふざけんじゃねえよこのダニ! 働かざる者食うべからずだ、自分で汗水垂らして稼げ! 見ろアルフレッド、これだよ。歪んだ富の分配は、こうして社会の害虫を生み出す温床になるんだ……!」
「ちょ、ちょっとぉ! 私みたいな可憐な聖女捕まえてダニとか害虫とか、言葉の暴力が服着て歩いてるわ〜、この領主さま〜」
「お前さぁ、今度新設される『蒸留音頭専門学科』とかいう、名前からして頭の悪そうな学科の初代教授の椅子を狙ってるらしいな?! おまけに『聖女酔教』とかいう新興宗教の立ち上げの噂はなんだ! 既得権益に全力で寄生するその姿、ダニと言わずして何と言う! いや、ダニに失礼だ!」
「はぁ~? 別にいじゃ〜ん。楽して稼いで何が悪いのさ〜? 資本主義の勝利の方程式だよ〜」
ぐだぐだとテーブルに突っ伏す聖女を無視し、ラルフはアルフレッドに向き直った。
「……というわけだ、アルフレッド。現金をそのままばら撒く案は却下だ。本当に困窮している層を救うならまだしも、この国にこれ以上、怠惰を極めた労働のドロップアウターを増やすわけにはいかない」
息もつかせぬ勢いでまくしたてるラルフを見ながら、アルフレッドは強烈な既視感を覚えていた。
(いや……『楽して生きていきたい精神』の体現者という意味では、お前がこの王国の筆頭代表格ではなかったか……?)
喉まで出かかった言葉を、アルフレッドは辛うじて飲み込んだ。ここで一を言えば、謎の語彙をフル活用した百の屁理屈が返ってくる。この面倒くさい元同級生の相手をするには、大人のスルー技術が必要不可欠なのだ。
しかし、それにしても今日のラルフは言動が支離滅裂すぎる。
一体何を企んでいるのか。
チリン、と小気味よい音を立ててドアベルが鳴り、一人の少女が軽快に入ってきた。
「ラルフさま〜。婆さま、裏の庭にいたろっかー?」
ピュアな瞳を輝かせる、エルフの少女ミュリエルだ。
「ああ、ミュリエル。安心しろ、お前の婆さまなら『彼女は樹上にありて、世はすべて事もなし』状態だ。文字通りな」
「へっ?」
元ネタの詩を知る由もないミュリエルは、小鳥のように小首を可愛らしく傾げた。
「まぁ、それは置いておいてだ」
ラルフはパンッと両手を叩き、ニヤリと悪魔的な笑みを浮かべた。
「手っ取り早く、かつ経済を爆発的に回しながら、合法的に金をばら撒く秘策が一つだけある」
「……ほう。一応、真面目な打開策を用意していたのだな」
アルフレッドが少しだけ見直したような目を向ける。もはや、この男のどこまでが冗談で、どこからが本気なのかを見極めるのは、錬金術の精密鑑定より難しい。
「それはな……祭りだ!」
ラルフは天高く拳を突き上げた。
「祭り? あぁ、去年の夏に実施した『ロートシュタイン祭』を、今年もまた大規模に開催するということか?」
あれは凄まじい狂乱の日々だった。
ロートシュタイン領の全力を挙げた、世界最大規模のエンターテインメント。あの祭りをきっかけに、この領地は周辺諸国から「美食と娯楽の聖地」として確固たるブランディングを確立したのだ。
だが、ラルフの企みは、相変わらず常人の斜め上を行く。
「チッチッチ。甘いなアルフレッド。今回はその前哨戦として――舞台を『王都』に移す」
人差し指をユラユラと横に振り、得意満面になる領主。
「王都だと……? まさか、あの『街道整備記念式典』の時のように、王国全体を巻き込むつもりか?」
「フッフッフ、その通り。だが今回はただの式典じゃないぞ。なんと、この世界の歴史を塗り替える、王都初の、いや、この世界初の、『ロック・フェス』を開催するのだーーーっ!!」
「は、え……? ろ、ろっく……ふぇす……?」
完全に未知の単語の濁流に押し流され、アルフレッドは盛大にたじろいだ。
だが、こうなってしまった瞬間のラルフ・ドーソンを止められる人間が、この世界に存在しないことも彼はよく知っている。
(というか、こいつ……なぜ急にこんなイベントの企画にやる気を出しているんだ……?!)
いつまで経っても掴めない旧友の生態に、アルフレッドの処理能力は限界を迎えつつあった。
ラルフの脳内には、おそらくフェスの開催、それに伴う膨大な利益まで、すでに完璧なビジョンが見えているのだろう。
が、今はそれを多く語らず、「ニヒヒッ」と企みに満ちた笑みを浮かべるだけだった。
と、その時。ラルフは不意に表情を和らげ、シャツの袖をまくり上げながらカウンターの中へと入った。
「あ、そうだ。アルフレッド、昼飯まだだろ? 食ってくか? 今から『かき揚げ丼』作るんだけど」
アルフレッドは本日何度目か分からない溜息を、今度はそっと飲み込んで、小さく笑った。
「ラルフ……まだ、俺の知らない料理を隠し持っていたのか? まぁいい、ありがたく頂こう」
観念したようにカウンターの丸椅子に腰掛ける。
「まぁね! この前、南方諸島から持ち帰った、この『川海老』がまた絶品でさぁ。これで揚げるかき揚げは最高だぞ!」
ニカリと悪ガキのように微笑みながら、愛用の包丁を握る元同級生。
アルフレッドは、どれだけ地位が上がろうが、どれだけ大金を手にしようが、料理を前にした時の彼の本質はあの頃と何も変わらないのだなと、呆れるべきか、あるいは奇妙な安堵を覚えるべきか迷っていた。
トントントン、と軽快なリズムで野菜が刻まれ、瑞々しい海老が捌かれていく。
その心地よい音の最中、ラルフが魔導コンロに火をつけながら、あまりにも唐突に、何でもないことのように言った。
「そういえばさぁ……アルフレッド。お前、『コミカライズ版』だと、すっごいイケメンに描かれているぞ?」
「……ん? は? ……え、すまない、また何を言っているのだ?」
錬金薬学の権威たる高名な学者は、お玉を持ったままニヤつく幼馴染みを前に、本日最大級の困惑に包まれるのだった。




