431.ウザすぎる親子
魔導士連盟・総評議長、ヴェルグ=ラモン。
その伝説的な名を聞けば、誰もが冷徹な賢者が塔の深淵で真理を追究する姿を想像するだろう。しかし今、その当人は、ロートシュタインの喧騒を象徴するような『居酒屋領主館』の片隅で、ジョッキを片手に眉間に深い皺を刻んでいた。
彼の視線の先にあるのは、酒の肴ではない。
卓上に置かれた、不気味なほどに鮮やかな紫色の輝きを放つ魔石だ。
「……これは、確かに。危うい魔導波長を感じるなぁ。ただの高純度の魔石とは到底思えん」
蓄えられた白い髭が、彼が言葉を発するたびに揺れる。老賢者の眼光は、酒の酔いなど微塵も感じさせない鋭さで、その小さな結晶を射抜いていた。
「聖教国の司祭たちにも依頼したんすけどねー、この石に関する資料は一切見つからなかったんすよ」
そう言って後頭部をポリポリとかくのは、この店の主であり、王国屈指の魔導研究者としての顔も持つ領主、ラルフだ。
「これがダンジョン・コアとして機能していた……か。信じがたいな。このサイズでは魔力容量も知れている。物理法則を無視した高密度化がなされているとでも言うのか?」
銀色の瞳を細め、食い入るように石を見つめるのは宮廷魔導士ヴィヴィアン・カスターだ。彼女の指先が、無意識にテーブルをトントンと叩く。それは彼女が深い思考の迷宮に入り込んだ時の癖だった。
この紫色の魔石こそ、あのアビエラ・グレイス号を幽霊船へと変貌させた元凶。
そして今、その幽霊船は未曾有の大改修工事の真っ只中にあった。
白く再塗装され、神秘的な威容を取り戻しつつある巨大な船体を、船長のメリッサ・ストーンは悦悦とした表情で毎日眺めているらしい。海賊公社から「船長がうっとり見上げているばかりで、一向に仕事に戻ってくれません。何とかしてください」という、もはや笑えない陳情がラルフの元に届くほどには。
「しかし、これは……あまりに『綺麗』過ぎる。自然界の摂理を嘲笑うかのような完璧さだ」
不意に口を開いたのは、いつの間にか王国魔導指南役という重職に収まっていたグローズ・ハインドだ。
赤ワインの入ったグラスを揺らしながら、彼は魔導職人特有の執念深い観察眼で石を吟味していた。
「む? グローズ殿、何か気づいたことが?」
ヴェルグが鋭い横目を向ける。
「本当に、これは切り出された天然物なのか? 一点の曇りも、内包物も、成長の跡すら見当たらない。魔導士として長い年月を過ごしてきたが、こんな『無垢』な石は見たことがない」
かつて共和国に吸収された小国で燻っていた彼だが、その知見は、この場の重鎮たちに引けを取らない重みを持っていた。
「……なあ、これ。ラルフの母上なら、何か判るんじゃないか?」
ヴィヴィアンの提案に、ラルフは「あー……」と気まずそうに声を漏らした。
「ん〜。まあ、ダメ元で聞いてみますか。……母上ぇー! ちょっと頼みがー!」
ラルフの呼びかけに応じ、奥の特別席――クレア王妃たちと女性特有の、そして極めて下世話な世間話に花を咲かせていたジャニス・ドーソンが、トットットと軽い足取りで駆けてきた。
「なに? ラルフ。お小遣いでも欲しいの?」
茶目っ気たっぷりの笑顔を向ける彼女に、ラルフは即座にツッコミを入れた。
「いや、僕もう、いい大人ですからね? というか、ここでの父上と母上の飲食代、全部支払ってるの、僕なんですけどー?!」
ドーソン公爵家の隠居生活を満喫している両親だが、間違いなく一家の経済的支柱は、このラルフであった。
「それでそれで! 何か面白いこと?」
期待に目を輝かせて覗き込むその姿からは、彼女が王国最高峰、特級魔導士にして「魔女」の称号を戴く超常の存在であるとは到底思えない。ラルフは盛大な溜息を吐きながら、紫の石を指差した。
「これですよ。これ。例の幽霊船の核です。この正体が判らなくて、こうして間抜け面で雁首揃えて頭を抱えてるわけですね……」
「あー、なるほどね! どれどれ、ちょっと拝見……」
ジャニスがひょいと、その禍々しいはずの魔石を手に取った。
その様子を眺めていたヴェルグが、鼻を鳴らしてビールを呷る。
「ふん! ゴクゴク……プハァ〜! ジャニスや、もしそれが解析できたら、向こう十年の飲み代は儂が持ってやろう。まあ、天下の大賢者である儂がこうして手こずっているのだ、無理だろうがな!」
口髭に白い泡をつけたまま、老賢者は豪快に笑った。
しかし。
「……ふーん。なるほどね。これ、"人工魔石"だわ。いわゆる『聖結晶』。……あまり、質の良いモノではないわね」
「え?」
「……は?」
「……え」
その場にいた全員の思考が凍りついた。
手に取ってから、一秒にも満たない。思考のプロセスさえ飛ばしたかのような、あまりにも断定的な答え。
「は、母上?! 何それ、どういうこと?!」
一流の魔導研究者である自負があるラルフにとっても、それは未知の単語だった。
「あら、知らない? 多分これ、失われた古代の魔導国家『カランディア』の技術を応用した、外法魔術の産物よ。こんなものが聖教国の船から出てくるなんて、ちょっと不自然ね……」
ジャニスの瞳に、一瞬だけ真剣な色が宿る。
テーブルを囲む面々は、無言で顔を見合わせた。歴史の闇から這い出してきたかのような、あまりに厄介すぎる情報の断片。
「……もし、私の推測が正しければ。当時の聖教国は、ダンジョンを『戦略兵器』として王国に提供しようとしていた……とかかしら?」
その言葉は、爆弾のようにその場に投下された。
「……当時の王国の、仮想敵国とは一体どこだったんだ……?」
ヴィヴィアンが、絞り出すように呟く。
百年前。この王国の裏側で、どんな血生臭い計画が動いていたのか。共和国か、帝国か、あるいは――。
しかし、ラルフは急速に深まる思考の沼から、強引に意識を引き剥がした。
「……ま、そこまで分かったなら、あとは『賢者の塔』で本格的に解析してもらえばいいですよね」
「……いや、お前がやれ。こういう面倒な実務は、若いお前が得意だろう?」
ヴェルグが慌てて石を押し返してくる。
「いやいやいや! こういうのはその道のプロにお任せするのが一番ですって!」
「何を言う?! お前も賢者の塔の一員だ。義務を果たせ、義務を!」
「チッ……!」
ラルフの舌打ちが店内に響く。
「ところでぇ、ヴェルグ先生? 向こう十年、飲み代タダっていう約束、忘れてませんわよねー?」
ジャニスが、悪魔のような微笑みを浮かべてヴェルグに詰め寄った。
「うっ……」
最高峰の魔導士ともあろう男が、盛大に、たじろぐ。
「みなさまー! 今日はヴェルグ先生の奢りですってよー!!」
ジャニスがくるりと身を翻し、店全体に響き渡る声で宣言した。
瞬間、店内のボルテージは最高潮に達した。
「ふぉおおおー!!」
「タダ酒最高ーー!」
「賢者ヴェルグさま! あんた、世界一の魔導士だよ!!」
事情を知らない一般客までもが、歓喜の声を上げてジョッキを突き上げる。
「ぐっ?! や、やめい! ジャニスだけならいざ知らず、なんでそうなる?!」
しかし。
「さすが! 王国の賢者さまは気前がいいなぁ!」
「ねぇ! 賢者の塔とか、魔導士連盟って何してるのかさっぱりわからなくて、利権を貪ってる連中だと思ってたけど。見直したわ!」
と、客たちの大歓迎の声。
「ゴハァッ!!」
目に見えない衝撃波を受けたかのように、ヴェルグは胸を押さえて沈没した。民衆の純粋な期待、(という名の圧力)を裏切る勇気は、彼にはなかった。
「ら、ラルフや……。情けだ、少し金を貸してくれないか?」
かつての教え子に、震える声で泣きつく老賢者。
しかし、ラルフの対応は冷徹だった。
「いいですよ。……じゃあ、その代わりに、コレの解析、お願いしますね?」
ポン、と手渡された呪いの結晶。
ヴェルグの額に、ド派手な青筋がピキリッ! と浮かび上がった。
手塩にかけて育てた(つもりだった)王国最強の魔導士、そしてその母親も……。
この魔導士、親子二代……あまりに、ウザすぎる。




