420.蹂躙劇の舞台は、幽霊船
「ぎゃああああああああああッ!!」
情けない絶叫を響かせながら、ラルフは腐食の進んだ階段を駆け上がる。
「が、がぁ……っ」
「カチ……カチ、カチカチカチ……」
背後から迫るのは、もはや現世の理を捨て去った亡者たちの狂宴だ。腐乱した肉を滴らせるアンデッド、そして乾いた骨の音をリズミカルに奏でるスケルトンの群れ。狭く湿った船内の通路は、彼らの吐き出す死臭と魔素で埋め尽くされている。
「ハァ、ハァ……っ、うぉぇ、くっせー! ゾンビってこんなに臭いのかよ!」
肺が焼けるような呼吸。
出口となる甲板の篝火の光が、網膜の先にぼんやりと映し出されたその瞬間――。
「ラルフ! 伏せろッ!」
「おわっ!?」
鋭い制止の声に、ラルフは躓くように甲板へ這いつくばった。
その直後、ガオォォォォォン! という、鼓膜を直接叩き割るような爆音と強烈なマズルフラッシュが夜の闇を切り裂く。
放たれたのは魔導水平二連銃の散弾。
ラルフの頭上を掠めた無数の鉄礫が、背後に迫っていたアンデッドの頭部を熟れたザクロのように木っ端微塵に粉砕した。
「ヒィィィィィィィッ!」
ラルフは四つん這いの無様な格好のまま、必死に安全圏へと這い上がる。
さらにそこへ、パン! パン! パン! パン! と、乾いたが確実な破壊を告げる発砲音が重なった。
「いい趣味してるじゃない。本格的なゾンビ・パニック・ホラーの開幕ね」
煙を吐く散弾銃を構えるファウスティン公爵の傍らには、黒いセーラー服のスカートを夜風にたなびかせるスズが立っていた。
彼女の両手には、この世界の美意識とは明らかに異なる無機質な造形美を湛えた二丁の拳銃が握られている。
ドゴォォォォォン!
と、再び雷鳴の如き銃声が轟く。
「ああ、もう! くっそー! 《断罪清浄》!!」
腰が砕けながらも、ラルフは振り返りざまに右手を振り抜いた。
掌から解き放たれた純白の聖魔法が、闇を穿つ極光となって亡者たちを呑み込む。聖なる光に焼かれた屍人たちは、断末魔の叫びを上げる間もなくドロドロの腐液へと還っていった。
「は、早く閉めろ! 早くッ!」
息も絶え絶えに這い出したラルフの指示で、待機していたヒューズとメリッサ・ストーンが、重厚な木製の防壁を一気に押し閉じた。
「うぉー、うぉー……」
扉の向こう側から、出口を求める亡者たちのくぐもった嘆きが響く。
だが、ダンジョン化したアビエラ・グレイス号の内部こそが彼らの領域。どうやらこの堅牢な扉を物理的に突き破る知能や筋力は持ち合わせていないようだ。
「……ハァ、ハァ。……死ぬかと思った……」
甲板に大の字になり、ようやく酸素を肺に取り込むラルフ。すると、左右から呑気極まりない声が降ってきた。
「どうでした? ラルフさま」
「ねえ、ワインありました? 熟成の香りはしました?」
聖女姉妹である。
「ワインどころじゃねーやい! 中はバイオハザード状態だ! あんな死体のバーゲンセール、やってられるかってんだ!!」
ラルフは荒い鼻息と共に吐き捨てた。
真夜中、突如として具現化した幽霊船。
その拿捕そのものは、海賊公社とシャーク・ハンターズという「海のプロ」たちの鮮やかな手際によって成功した。
だが、真の地獄はその先にあったのだ。
「しかし……チラリと見えたが、数が異常だな。この船の乗組員全員がアンデッド化したとしても、あんな密度にはならないはずだ」
ファウスティンが眉を寄せ、顎の髭をさすりながら疑問を呈した。
「ああ、同感ですよ。船員はせいぜい三十人程度と聞いていたが、あの中にいたのはその数倍……いや、十倍はいましたから」
ラルフは甲板に胡座をかき、忌々しげに答える。ふと視線を落とすと、一匹のフナムシが足元を横切ろうとしており、彼は悲鳴を殺して飛び退いた。
「……完全に『湧いて』いるわね。魔素凝集が自律的な循環系を構築している。けれど、この規模の船舶でここまでの迷宮化が進むなんて……明らかに『外部からの干渉』か、何らかの特異な核があるわ」
ダンジョン・マスターであるスズは、折れたメインマストを見上げながら、その瞳に静かな違和感を宿していた。
「どうする、ラルフ様? 夜が明ければ、共和国や帝国、それに聖教国の『ハイエナども』が押し寄せてくるぜ」
ヒューズが問いかける。その視線には、ロートシュタインの一員としての栄誉を守り抜こうとする闘争心が宿っていた。
「……ふむ。ここまで来て、他所の連中に美味しいところを掻っ攫われるのは、僕の矜持が許さないな」
ラルフは眉間に深く皺を刻んだ。「めんどくせー」という逃避願望を、目の前にある「莫大な実益」が上書きしていく。
「でも、ラルフ様。数は多くても、あの屍人たちは魔導銃で倒せるんですよね?」
フィセが、いつかラルフから贈られた魔導銃を、まるで宝物のように大切そうに抱えながら尋ねる。
ラルフは考えた。
深く、沈思黙考する。
この世界に、前世の「殺戮の合理性」――すなわち近代的な銃火器を普及させることは、彼が最も忌避してきた禁忌の一つだ。それが一度解き放たれれば、この世界の戦争は取り返しのつかない悲劇へと変貌することを知っているからだ。
しかし。
「……よし。ファウストさん、ヒューズ、メリッサ。それにフィセ、こっちへ来い」
ラルフの低い声に、全員が表情を強張らせて集まった。
「お前たちに一つだけ、魂に刻んで欲しい約束がある。この技術、そしてこの力を、決してロートシュタイン以外に持ち出さないこと。そして――これを絶対に『ヒト』に向けないと」
重苦しい沈黙が流れる。
だが、その言葉の裏にある「信頼」の重みを、彼らは敏感に感じ取っていた。全員が、迷いのない瞳で深く頷く。
「スズ! どうせ用意してるんだろ!? 景気良く頼むわ!」
ラルフの合図を受け、スズが静かに一歩前へ出た。
彼女の影から取り出されたマジック・バッグ。その中から、まずはファウスティンに「それ」が手渡された。
「ファウストさん。あなたの銃は装弾数二発。この『物量作戦』には不向きよ。だから、これを使って」
「お、おい……こりゃあ、まさか……っ?!」
「この銃の名、あなたなら知っているはずよ」
スズの問いかけに、ファウスティンは肉食獣のような笑みを浮かべた。
「ああ……知っているとも。『AK-47』。別名、カラシニコフ。自由を求め、あるいは秩序を破壊する者たちが手にした、抵抗の証だ」
彼はその武骨な木製のストックを、愛おしそうに、かつ力強く握りしめた。
「え、えぇ!? 私たちも、そんな凄いものを使っていいの!?」
メリッサがたじろぐ。彼女にとって魔導兵器とは、特権階級の象徴であり、自分のような海の荒くれ者が手にできる代物ではないと思っていたのだ。
「全員分、用意してあるわ。……そして、ラルフ。あなたはこれね」
スズがラルフに差し出したのは、もはや「銃」という概念すら超越した、鋼の怪物だった。
多銃身からなる回転式機関銃。
前世のフィクション作品にて、その咆哮を何度も目にした。破壊の化身――M134、ミニガン。
「おいおい……これじゃあ『掃討』じゃなくて『蹂躙』だろうが。殺意が高すぎるぞ、スズ」
ラルフの頬を冷や汗が伝う。だが、兵器としての忌避感以上に、かつて画面越しに見ていたあの「圧倒的な破壊劇」を自ら演じることへの、不謹慎な昂揚感が彼を支配し始めていた。
「ヒューズさんには、これ。……絶対に、似合うと思ったから」
「な、なんだこれは……鉄の棍棒か?」
ヒューズに渡されたのは、戦車さえも貫く巨躯を誇る対戦車ライフルだ。彼はその常人には持ち上げることも困難な鉄の塊を、事も無げに肩に担いでみせた。
「よっし! そんじゃあ、ここからは『サバイバル・ホラー』の時間は終了だ。これからは、『圧倒的火力によるFPS』の幕開けだ! 力でねじ伏せ、ワインを奪いに行くぞ! いくぞ野郎ども!!」
ラルフは詳細な作戦説明も、ましてや銃の扱い方の講習すら省き、意気揚々と幽霊船の深淵へと再び飛び込んでいった。
「ちょ、ちょっとラルフ様! あー、もう! 待ってください!」
「マスター、これは、ここを引けばいいのか? ……お、おおっ!?」
フィセとミラが戸惑いながらも、加速するラルフの背中を追って駆け出す。
再び、暗く狭い階段を駆け下りながら、ラルフは絶叫した。
「こうなりゃヤケだ! 全員、景気よくぶっ放せ!
ロックンローーーーール!!」
直後、アビエラ・グレイス号の百年の眠りは、完全に崩壊した。
暗い船内に、硝煙の香りが爆発的に広がる。
毎分六千発という狂気的なサイクルで放たれる鉛の飛礫が、狭い通路を埋め尽くしていた亡者たちを、一瞬にして肉片と骨粉へと還元していく。
甲板で待機していた聖女たちは、そのあまりの衝撃音に身を震わせた。
「ラルフさま、なんか急に楽しそうになったね? お姉ちゃん……」
「ねー。相変わらず、頭おかしいねー」
呆れと困惑を混ぜ合わせた表情で見守る一同だったが、この「幽霊船捜索レース」におけるロートシュタイン・チームの勝利を、その音だけで確信していた。
深淵の底から響いてくるのは、亡者の叫びではない。
それは、近代兵器という名の圧倒的な暴力が奏でる、一方的な殲滅のシンフォニーだった。




