表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
居酒屋領主館【書籍化&コミカライズ進行中!!】  作者: ヤマザキゴウ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

419/421

419.迷える幽霊船

「はいよ、お待ち。カジキの握りだ!」


「モグモグ……ラルフ様。これ、ただのカジキじゃありませんからね! 特A級の魔魚『トライデント・マーリン』ですから! モグモグ……」


「ラルフ様ー! 煮付けはまだぁ? ツマミが足りない!」


「うるせーな、もうちょい待て! 仕上げにこの青ネギを潜影蛇手させたら完成だ」


 何故か、最新鋭魔導船『ウル・ヨルン号』の調理場に立ち、荒くれ者たちに腕を振るっているのは、この領土の主たるラルフ公爵その人であった。


 またしても、一人で出し抜こうとしたことに対する、領民たちからの「ささやかな罰則」に、彼は観念したように包丁を握っている。

 だが、その手つきは玄人さながらの鮮やかさで、素材の旨味を極限まで引き出していた。


「ムシャムシャ……それにしても、見つからないわねー、幽霊船」


 海賊公社のメリッサ・ストーンも、今宵は毒気を抜かれたようにラルフの料理のご相伴に与っていた。


「マスター! このマーリンの握り、表面を軽く炙って貰えませんか! この脂は化ける! 私は確信する!」


 戦場では無双を誇る女騎士ミラまでもが、この幽霊船騒動に首を突っ込み、頬を赤く染めてジョッキを呷っている。


 しかし、これだけの精鋭が揃いながら、今日一日の捜索成果は皆無に等しかった。

 日はとっくに沈み、港に係留されたウル・ヨルン号の食堂では、捜索の疲れを癒やす――という名目の、賑やかな宴が催されていた。


「ほらよ、煮付けの完成だ! 食え!」


 ラルフが大皿をドスンとテーブルに置くと、食欲をそそる甘辛い香りが一気に広がった。


「うわぁ、いい匂い……! ラルフ様の料理は、やっぱり魂に響きますね!」


 フィセが鼻をひくつかせ、目を輝かせる。

 このトライデント・マーリンは、捜索の合間に『シャーク・ハンターズ』が連携して仕留めた、鋭い角を持つ巨大なカジキの魔獣だ。


「お姉ちゃん、この煮付け……重厚な赤ワインに合わせるべきかしら、それともキレのある米酒かしら?」


「どっちでもいいわよ! 美味いものに細かい理屈は野暮ってものよ。女神リュシアーナ様も、そう言うに違いないわ! キャッハッハッハ!」


 聖女姉妹は、もはや聖職者の欠片もない様子で飲んだくれている。


「……お前ら、本気であの船を狙ってたのか?」


 ラルフが呆れ果てたように問いかける。


「当然よ! もともと『アビエラ・グレイス号』は、私たち聖教国の資産なんですもの」


「そうそう! 呪われているっていうなら、私たちの浄化魔法が火を噴くわ。不浄な魂も、ついでにヴィンテージ・ワインの不純物も綺麗さっぱりね!」


 胸を張る彼女たちだが、その本音が「幻のワインを飲みたい」という至極真っ当な、そして極めて世俗的な欲望であることは、今更指摘するまでもない。


「しかし。これだけ広範囲を捜索して尻尾も掴めないとなると……。潮の流れに乗って、もうどこか遠い海域へ流されちまったのかもな」


 ラルフは冷えたビールを喉に流し込み、焦燥と諦念が混じった溜息を吐き出した。


「何か、特定の『条件』が揃わないと具現化しない……とか?」


 聖女トーヴァが、不意に真面目な顔で仮説を口にした。


「条件、か……。おいメリッサ。お前があの日見た時、周囲はどういう状況だった?」


「ふむ……。天候は快晴、穏やかな昼間だったわ。だが、突如として身を切るような冷たい霧に包まれ、風が死んだ。真昼だというのに、その周囲だけが夜のような闇に塗り潰されたのよ」


「まさか……隠蔽魔法の類か? いや、百年間も自律稼働し続ける魔法なんて聞いたことがない。それに、一体誰が、何のために?」


 魔導研究者としてのラルフの脳細胞が、高速で回転を始める。

 すると、聖女マルシャが傍らに置いていた分厚い聖典を開き、興味深げに呟いた。


「『アビエラ・グレイス』。その名は聖書に記された、純潔を司る女神アビエラに由来するわ。そんな神聖な名を冠した船が、単なる呪い程度で幽霊船になるのかしらねぇ」


「……女神の名を借りようと、それは人が造り出した無機物に過ぎない。海に散った怨念と絶望、そして澱んだ魔素。それらが複雑に絡み合えば、神聖な器こそが最悪の『呪物』に成り果てるものだ」


 食堂の隅で静かにビールを嗜んでいたファウスティン公爵が、重々しい声で付け加えた。隣領の主である彼までもが、この異常事態かせぎどきに居ても立ってもいられず駆けつけていたのだ。


「で、ラルフ様。今夜は領主館に戻られるんですか?」


 フィセの問いに、ラルフは少し考えてから答えた。


「いや……んん。一度は心が折れたが、このために休暇をねじ込んだんだ。僕は明日も捜索に参加することにした。この船に一泊させてもらえるか?」


「なら、ロートシュタイン組としてしっかり連携しましょうぜ! また俺たちを出し抜こうなんて、二度と許しませんからね!」


 シャーク・ハンターズの男たちが、半分本気で、半分は酔った勢いで気炎を上げる。

 ラルフは苦笑し、「わかったわかった」と手を振った。


「すまんがフィセ、僕が泊まれる部屋は余っているか?」


「……一番奥の船倉でよろしいですか?」


「……も、物置き?」


 一国の公爵であり、この地の絶対的な領主である自分を物置に押し込もうという、領民たちの相変わらずの不敬(あるいは親愛)っぷりに、ラルフは軽い頭痛を覚えた。


「まあ、そこでいいや。……頼むよ」


「ラルフさまー! 握り追加ぁ!」


「はぁ……。もう、誰か手伝ってくれよー!」


「モグモグ……ラルフさまのお寿司が一番美味しいんですもん!」


 まるで、居酒屋領主館の喧騒を持ってきたかのような賑わいが続き。


 そして――。


 夜半過ぎ。


 ラルフは船倉の中で、パチリと意識を覚醒させた。

 彼が身を横たえているのは、船倉に不似合いなほどに豪奢な天蓋付きベッド。マジックバッグから自室の愛用品を丸ごと持ち出すという、彼の用意周到さと生活水準への妥協のなさに、フィセたちは呆れ果てていたのだが、本人は至って快適だった。


 だが、その違和感は眠りの中にまで浸食してきた。


 春先の海が冷えるのは承知の上だ。

 しかし、この冷気は異常だ。

 皮膚に針を突き立てるような、底冷えのする静寂。


 コン、コン、コン!


 激しくドアを叩く音。


「ラルフ様! ラルフ様、起きてください! 霧です! メリッサ船長が言っていた、あの霧が降りてきました!」


 フィセの切迫した声。

 ラルフは瞬時にベッドから跳ね起き、毛布を跳ね除けてドアを開けた。


「……嘘だろ。こんな、海岸のすぐ近くにか?」


「はい! メリッサ船長が叫んでいます。『あの日と、全く同じだ』って!」


「よし、行くぞ!」


 二人は入り組んだ通路を駆け抜け、狭い階段を一気に駆け上がった。


 甲板に出ると、そこには既に武装を整えた一同が集結し、濃密な白銀の壁の向こうに目を凝らしていた。


「ラルフ様ー! これです、あの日私が見た光景そのものです!」


 隣に係留された海賊公社の船の甲板から、メリッサが悲鳴に近い声を上げる。

 ラルフは見上げた。海賊船のメインマスト、その見張り台の上で、冷たい霞を浴びながら双眼鏡を覗く影があった。


「あ、ヒューズも来てたのか! おーい、何か見えるか!」


 ラルフの呼びかけに、ヒューズの声が頭上から降ってくる。


「……ダメだ、霧が濃すぎる! だが、気配が……普通じゃねぇ。空気が、震えてやがる……!」


 凄腕の冒険者としての勘が警鐘を鳴らす。


 そこへ、浜の方から二人の冒険者が駆け寄ってきた。


「ラルフ様、ご報告が! 先刻まで焚き火を囲んで酒を呑んでいた地元の漁師たちが、この霧が出た瞬間に顔を真っ青にして逃げ出しました!」


「どういうことだ?」


「……『この霧が出たら、呪いがやってくる。外に出れば魂を啜られる』。そう、村の古い伝承にあるそうで……」


「民間伝承……。まさか、百年間ずっと、この海辺の民は『それ』を知っていたのか?」


 その時。

 暗闇と霧を切り裂く、ヒューズの絶叫が降り注いだ。


「――ラルフ様! 来るぞ! とてつもなく……デカい!!」


 全員の視線が、ヒューズの指し示す方向へと吸い寄せられた。

 霧の奥底から、音もなく、巨大な岩山のような影が這い出してきた。


「うっ……?!」


 フィセが思わず口元を押さえ、一歩後ずさった。

 漆黒の船体にびっしりと張り付いた、病的なまでに増殖したフナムシとフジツボの群れ。その視覚的な嫌悪感と、死臭にも似た潮の香りに、居合わせた誰もが身の毛をよだらせた。


 ラルフは意を決し、左目に宿る『名もなき神霊の涙』に魔力を流し込んだ。

 深紅の魔力光が夜の闇を射抜き、彼の視界が「真実」を捉える。


「……こ、これは……まさかっ!」


 思わず叫びが漏れる。

 すると、背後から音もなく歩み寄ってきたスズが、 淡々とした、しかし確信に満ちた声をかけた。


「ラルフ。わかったわよね……。あなたのその目なら、これが何に成り果てたのか」


「……なるほどな。なんでお前がこの件に首を突っ込んできたのか、ようやく合点がいったぜ。スズ、お前……この可能性を想定していたんだな?」


 ラルフはたじろぎながらも、その口元をニヤリと歪めた。

 ダンジョン・マスターであるこの少女が、ヴィンテージ・ワインに興味を持つはずがなかったのだ。

 スズは力強く頷き、漆黒の亡霊――アビエラ・グレイス号を見上げた。


「そう……この船……『ダンジョン化』してる」


 濃密な霧は、さらに温度を下げ、現世と冥府の境界を凍りつかせていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
更新お疲れ様です。 ダンジョン化した船…しかも百年のヴィンテージものダンジョンとは。お宝以上に呪いとか負のモノがたんまり溜まってそう→ワインも呪いの酒になってそうですなぁ…。 それでは今日はこの辺…
ダンジョン化してる幽霊船・・・・【愛の思い出】とか有りそうやな(スットボケ
自分を大蛇丸と信じて止まない公爵が魚料理で優勝する小説です。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ