413.革命の次章
「ラルフ様。このようなことを貴方様にご相談申し上げるのが、どれほどお門違いで厚顔無恥なことか……重々承知しております。ですが、もう、自分一人ではどうにもならなくて……」
領主館の執務室。
豪奢なデスクを挟んだ対面に座る男は、絞り出すような声とともに項垂れた。その背中は、見ているこちらまで胸が締め付けられるほどに小さく丸まっている。
「いや。構わないさ。苦しい時は誰かを頼るものだ」
ラルフは椅子に深く背を預け、穏やかな、しかし力強い眼差しを男に向けた。
「ラルフ様……。恥を忍んで……そ、その。助けて下さいませ」
「……そうだなぁ。状況は把握した。僕が何か、とっておきの策を考えてやる。とにかく安心してくれ。大丈夫だ、絶対になんとかしてやるからさ」
その言葉に、男の目から堪えきれない涙が溢れ出した。
「ほ、本当に……申し訳ねぇです。ラルフ様の慈悲深さに甘えるようなことになっちまって……」
男は幾度も深く頭を下げると、憑き物が落ちたような、しかしどこか救われた表情で退室していった。
彼は領地内の屋台街でラーメン屋を営む職人だ。断腸の思いで主へと打ち明けた深刻な悩み――それは、あまりにも理不尽で、かつ残酷な現実だった。
「……ま、そんなことも、起こり得るわな」
彼が去った執務室で、ラルフは天井を仰ぎ見て溜息を漏らした。
しかし、その傍らに控える無表情なメイド、アンナの断罪は容赦がなかった。
「売上が落ちて生活が立ち行かぬなど……主観的に見れば、ただの経営努力不足に過ぎません。それを恥じることもなく、領主である旦那様に縋り付くとは。自尊心というものがないのでしょうか」
「まあ、そう言うな。アンナ。どうしたって、生まれ持った商才や器用さには個人差がある。それなのに、資本主義という名のデスゲームに、皆が等しく放り込まれるんだ。彼のような経済的敗者が現れるのは、構造上の必然……、いや、弊害だよ」
「……確かに。何よりも相手が、……いえ『立地』が悪すぎますね」
「僕も、そう思う……」
アンナの指摘に、ラルフも苦い顔で同意する。
あの男の屋台は、運命の悪戯か神の嫌がらせか、あの『ポンコツラーメン』の真隣に割り振られていたのだ。国王が認めた王家の印を冠する超人気店の隣で商売をするのは、竹槍で戦車に挑むようなものである。
「それで、どうなさるおつもりですか? まさか、個人的な貸付で茶を濁すような真似はなさらないでしょうね」
「まさか。……抜本的な解決にならない支援は、ただの延命措置に過ぎないからね」
ラルフは椅子の脚をグラグラと揺らし、思考の海へと潜っていく。
すると、アンナが冷徹に追撃を加えた。
「その『問い合わせの書状』の山も、お忘れではありませんよね?」
「うぐっ……」
視線の先には、デスクの上にそびえ立つ紙の塔があった。
そこにあるのは、すべて切実な要望。
――「居酒屋領主館に出前の注文ができるというのは、本当ですか?」
急速な発展を遂げるロートシュタイン領は今、空前の建設ラッシュに沸いている。王都や隣国から大挙して押し寄せる労働者たちの間で、深刻な「今日の昼飯どうする問題」が発生していた。
現場周辺には店がなく、かといって昼時の屋台街は"激混み"……かといって弁当を持参する余裕もない。
そんな彼らにとって、現場まで温かいメシを届けてくれるという「領主館デリバリー」の噂は、砂漠で見つけたオアシスのように、まことしやかに広がってしまっていたのだ。
「……どうせ、何かお考えがあるのでしょう?」
アンナの言葉は、皮肉を通り越してもはや絶対的な信頼の響きを帯びていた。
「『どうせ』とは何さ!? 人聞きが悪い。……まあ、実はあったのよね。ずっと温めていた案が」
ラルフは目を細め、不敵な笑みを浮かべた。
「そんなことだろうと思いましたよ。旦那様の言うところの、諸問題をマルっと解決させる、そんな『大騒動』の種が、既におありなのですね?」
「騒動って言うな! プロジェクトと言え! 労働力が増えた今だからこそ、発動できる大規模な作戦があるんだよ」
「また王国中を巻き込む社会変容にならなければいいのですが……」
「失礼な。いつ、誰が毎回そんな大騒動を起こしてるって言うんだ?」
ラルフはアンナの瞳を覗き込んだ。
しかし、アンナは無言。
一滴の感情も含まない、絶対零度の視線を真っ直ぐにラルフへと向け続けた。
一秒、二秒、三秒……。
「痛い! 痛い痛い痛いっ! なんか、アンナの視線が胸の奥に物理的に刺さって痛いっ!」
ラルフは顔を逸らして胸を押さえた。
どうやら、自覚はあったらしい。単なる「善意」や「思いつき」が、最終的に国家予算を左右するレベルの激震に発展し続けてきた、その自歴が。
「もしも今度が、これまで以上に大規模な社会変容をもたらすのなら、国王陛下にあらかじめご相談なさるのが賢明かと。仲良しなのですから」
「おいおい、大げさすぎるって! たかがメシ如きで、革命なんて起きるわけないだろ!」
再び、アンナの氷結視線。
一秒……、
「……はい! すみませんでしたっ! 今夜、ヴラドおじに相談してみます!!」
速攻で観念するラルフ。
このロートシュタインを「美食の聖地」にまで変貌させたのは、他でもない、ラルフの無自覚な「美味しい革命」の積み重ねだった。
当初はただ、「この世界、居酒屋がなくね? ないなら、自分で作ればいいじゃない!」という素朴な動機だったのだ。
それがまさか、王国外にまで波及する社会現象になるとは、誰が予想できただろうか。
「それで? いったい今度は何を企んでいるのですか?」
「まあ、それは……今夜の、居酒屋での発表をお楽しみに、ってことで!」
その時、ガチャリと執務室のドアが勢いよく開かれた。
「むぅ~! ラルフのパパさんとママさん、ズルい! 二人ともSランク冒険者だなんて、聞いてない!」
不機嫌そうに頬を膨らませて入ってきたのは、ダンジョン・マスターのスズ。その背後からは、豪快な笑い声が続く。
「はっはっは! いやー、まさかお嬢ちゃんがあんな一級品の迷宮の主だったとは驚いたぜ。なかなか骨のある、楽しめるダンジョンじゃねーか!」
ヴォルフガング・ドーソンが、満足げにスズの黒髪を撫でる。
「フッフッフッ。スズちゃんのダンジョン、凄かったわねー! 東大陸にある『夢幻迷宮』に匹敵するレベルよ〜! あー、楽しかったわねー! 特に最後のあの、巨大機械魔獣が」
ジャニス・ドーソンもまた、爽やかな笑顔を浮かべている。
ラルフはその光景だけで、すべてを察した。
まるでスーパーでの買い物帰りのような気軽さで帰還した両親。
おそらく、スズが誇るあの千層を超える「岩島ダンジョン」を、散歩がてらに踏破してきたのだろう。
王国最強、いや"人類最強の番"と評される規格外の二人なら、納得するしかない。
「んっ? おいおい、ラルフ。お前、また何か企んでるな? 顔に書いてあるぞ」
「えっ!? わ、わかるの? さすが親父……」
一瞬、肉親ならではの直感に感動しかけたラルフだったが、母ジャニスの言葉に凍りついた。
「……ええ。確かに、何か書いてあるわね。とてもはっきりと」
「え? は? 何が?」
ラルフは自分の顔をぺたぺたと触る。
そして、アンナを見ると、彼女は静かに手鏡を差し出してきた。
「ええ。書いてありますよ。朝からずっと……。これを……」
ラルフは恐る恐る鏡の中の自分を覗き込んだ。
そこには。
額のど真ん中に、力強い筆致で書かれた、『肉』の一文字。
「……エリカァぁぁぁぁぁぁぁぁ!!! おいっコラァアアアア!!!!」
寝ている間に完璧な報復を完遂されていたことに気づき、ラルフの絶叫がロートシュタインの空を切り裂いた。




