412.オムライス食堂
「早速」という言葉を辞書で引けば、まさにこの状況が挿絵として載るのではないか。
そう思わざるを得ないスピード感で、翌日の昼過ぎには王都から「ドナドナ」されるようにして孤児たちが到着した。
居酒屋領主館での修行を志願したのは、少年少女合わせて六人。
「よろしくお願いします!」
前庭に整列し、声を揃えて挨拶する彼らの瞳には、未知なる地への不安よりも、美食の街として名を馳せるロートシュタイン領での新生活に対する、眩いばかりの希望が宿っていた。
「はいはい、よく来たな。……とりあえず、堅苦しい挨拶より先に、まずは昼メシだ。さっさと中に入れー」
領主ラルフの出迎えは、拍子抜けするほど簡素だった。
しかし、その有無を言わせぬ促しには、空腹の子供たちに対する彼なりの不器用な気遣いが滲んでいる。
一歩足を踏み入れた館の中で、彼らを待っていたのは――。
「いらっしゃいませー!」
「はじめまして! ロートシュタインへ、そして居酒屋領主館へようこそ!」
ミンネとハルの、春の陽だまりのような笑顔だった。
孤児たちはその輝きと、異様な空間に、思わず一際大きく目を見開いた。
「う、わぁ……すごい……!」
「広ーい! ここ、本当にお店なの……?」
王都の格式高い施設ですらお目にかかれないような、開放感あふれる空間。
磨き抜かれた一級品の家具が並び、壁には緻密な魔法陣が刻まれたレリーフや、歴史を物語る伝説級の魔剣が美術品のように飾られている。
公爵家としての威光と、大魔導士としての神秘が同居するその光景は、子供たちの想像を遥かに超えていた。
「ねぇ、これ何だろう?」
一人の少女が、壁際に置かれた奇妙な鉢植えに手を伸ばしかけた。
「ストーップ!」
ラルフの声。少女は手を止めた。
その時、どこからかプーンと一匹のハエが迷い込み、その植物の「蕾」と思われた場所へ降り立った。
――バクッ!
刹那、蕾だと思われていた部分は凶悪な「口」へと変貌し、無慈悲にハエを呑み込んだ。
「あー。それは『スナップリング』っていう、植物系の魔導生物だ。衛生管理の一環で置いてるんだが、迂闊に触るなよ。お嬢ちゃんの細い指なんて、スパッと簡単に持っていかれちまうぞ!」
ラルフが、少しだけ意地悪な笑みを浮かべて忠告する。その言葉に、少女は引き攣った顔で慌てて手を引っ込めた。
「さあ! みんな座って! おかわりは山ほど用意してあるからね!」
聖教魔導士という鉄火場から転身したオルティ・イルが、今は聖職者らしい柔和な笑顔を振りまいている。かつての武力組織にいた頃の面影はなく、彼女は今、自らが手掛けた料理で子供たちが笑顔になる瞬間を、誰よりも心待ちにしているようだった。
「さあさあ! 遠路はるばる、お疲れ様! ジュースも選び放題よ。葡萄にオレンジ、コーラにサイダー。好きなのを選んでちょうだい!」
テーブルに宝石のような色彩のボトルを並べたのは、共和国のエージェントでありながら、現在は連絡員として潜伏中――いや、駐在中のヨランダ・カームだ。
「さあ、速やかに着席を。本日、皆様は『お客様』として扱われますが、明日からは私と旦那様の指揮命令下で、厳格な労働に従事していただきます」
メイド長アンナの冷徹な宣告が、浮き足立つ子供たちの背筋を正させる。
「ア、アンナ。ちょっと、初日から怖がらせないでくれ。もっと穏やかに、こう、優しく……」
ラルフが猫背をさらに丸めてたしなめるが、アンナは少しだけ不服そうに、しかし完璧な所作でため息を吐くだけだった。
やがて運ばれてきた料理に、孤児たちの歓声が爆発した。
「うわぁ! 何これ、すごく綺麗!」
「あ! これ、街道整備の式典で見たことがある……。ええと、確か……」
すると、
「今日はオムライスよ! 特製カレーソースとハヤシソース、どっちもかけ放題よ。ガンガン食べなさい!」
カウンターの中からエリカが鋭く、しかし景気良く叫んだ。
ラルフが歓迎会のメインディシュに選んだのは、前世においても不動の人気を誇った王道、オムライスだ。
今回あえて採用したのは、「ふわとろ系」ではなく、薄焼きの卵でしっかりと包み込んだ、どこか懐かしさを覚えるオールド・スタイル。
大人数分を一度に、かつ最高の状態で仕上げるための、機能美すら感じさせる選択である。
「ほら! ちゃんと野菜も好き嫌いせず食べろよ。その為にサラダのドレッシングも色々と用意したんだから。自分好みの味を見つけてみてな!」
テーブルに並ぶ色とりどりの小瓶。
店内そのものが巨大な宝石箱。
まるで神話の如く、その中に迷い込んだでしまったような色彩の奔流。
子供たちは目を白黒させていた。
マザー・ヒルデガルドもまた、当然のように席に着く。
「ほう。私の分まであるとは、気が利くじゃないか。どれ……私は、白ワインを貰おうかのぅ」
(もう飲むのかよ……真っ昼間から……)
呆れ果てるラルフだったが、ここで言葉を返せば、彼女の口から倍以上の反撃ダメージが飛んでくるのは明白だ。ラルフは大人しく、棚から秘蔵のボトルを差し出した。
「どぞ……」
「ん? これも、はじめて見る銘柄だねぇ? どれどれ……」
ボトルを傾け、満足気にラベルを吟味する。
――そして、全員が席に着くと。
「よし、みんな! 食べる前に一つ覚えてほしいことがある。手を合わせて、こう言うんだ。――『いただきます』。これが、この店の流儀だぞ〜」
「……あの、公爵様。それは、どの神様に捧げる儀礼なのでしょうか?」
一人の少女が、教会の教育を受けた者らしい純粋な疑問を投げかけた。
「特定の神様だけじゃない。この言葉を伝える相手は『すべて』だ。かつて命だった食材、それを育てた農家、料理を作った者、そしてそれらを育んだ大自然。宗教や宗派を超えた、人としての感謝の気持ちを込めて欲しいんだ」
「感謝の、気持ち……わかりました!」
不安が消え、元気な返事が返ってくる。
「それじゃあ、いくぞ。せーのっ……!」
「「「いただきます!!」」」
賑やかな昼食が始まった。
公爵家という敷居の高さを忘れ、子供たちは次第にこの場に溶け込んでいく。
「美味しい……これ、本当に美味しい!」
「ねっ? こっちのソースも美味しいよ!」
「ムシャムシャ! 野菜がすごく甘い! こんなの初めてだ! 生の野菜って、こんなに美味かったのか?!」
「うわっ! びっくりした! えっ? なにこのコーラって?! 僕の口の中、なんか刺さってない?! ねぇ! 刺さってないっ?!」
弾む会話、溢れる笑顔。
「キャッハッハッハッハ!」
「さ、サラダおかわりくださーい! ムシャムシャ」
「刺さってないよ〜。大丈夫! このシュワシュワが楽しいんだよ〜」
ロートシュタインの孤児たちも、王都の孤児たちも、その垣根はすぐに騒がしい交流に溶けて消えた。
ラルフはその光景に目を細めつつ、隣で唸っているエリカに視線をやった。
「ん、どうした? 食べないのか?」
「……カレーソースとハヤシソース、どっちを先にかけるべきか、究極の選択を迫られているのよ……」
相変わらずのこだわりを見せる彼女に、ラルフはふと悪戯心を抱いた。
「たまにはケチャップだけの、スタンダードなのもいいぞ。あっ……そうだ! オムライスがさらに美味しくなる『魔法の呪文』を、僕が書いてやろう」
そういえば、"大きなお兄さんたち"が来店する、"とある特殊なカフェ"というカルチャーを、ラルフは思い出したのだ。
「えっ!? 本当にそんな魔法があるの!?」
大魔導士の言葉を信じ、エリカは目を輝かせて皿を差し出した。
ラルフは恭しくケチャップを手に取り、慣れた手つきで一文字を走らせる。
それは……。
その一文字は……。
――『肉』。
またも、このネタ。
見覚えのある、呪術的な紋様にも見えるそれ。
案の定、エリカはスンッ……、と無表情になると、
「…………だからっ! なんなのよ、これっ!! 何の呪いなのよっ?!」
金髪のツインテールを荒ぶる鞭のように振り回し、エリカの絶叫が店内に響き渡る。
だが、憤慨しながらも口に運んだそのオムライスが、悔しいほどに絶品だったことが、彼女をさらに地団駄踏ませる結果となったのだった。




