410.二人のエリカ④
春の柔らかな日差しが、ロートシュタインの目抜き通りを穏やかに照らしていた。
酒精の心地よい痺れに身を任せ、ファウスティン公爵は傍らの樽に肘をついて呟いた。
「そうか、あのシェイプシフターは、あのお嬢ちゃんの"下請け"として働くことになったと……」
「ええ。まあ、そういうこってして……」
ラルフは、テーブル代わりの樽の上に置いたビールのジョッキを傾け、短く応じた。
騒動から明けた翌昼。
二人の領主は、公務のない休日をこれ幸いと、青空の下での立ち飲みに興じていた。
二人の視線の先には、街の活気に溶け込む「二人の少女」の姿がある。
「はい、いらっしゃい! 辛口二つね? はいよ! ……次の方、どうぞー!」
「い、いらっしゃいませ……! カレーパン、いかがですかー……っ!」
目抜き通りの屋台でカレーパンを売る、瓜二つの看板娘たち。
ファウスティンは枝豆を口に放り込み、吟味するように目を細めた。
「なるほどな。髪型を変えるだけで、随分と印象が変わるものだ」
「エリカなりのアイデアだそうですよ。あのドリルヘアーは、あいつにとっての絶対的なアイデンティティだとかで……」
一晩明け、エリカたちの個性は明確に分化されていた。
これまで通りの縦ロールが躍るツインテールで、客を捌きまくるのがオリジナルのエリカ。
「ほらっ、ちゃっちゃと注文しなさいよ! 並んでいるうちに決めておきなさいっての!」
相変わらずの「接客とは何か?」を問い直したくなるような雑な対応。
対して、慣れない手つきで懸命にカレーパンを袋を詰めているのが、赤いリボンで金髪をサイドテールに纏めたシェイプシフターの擬態体だ。
「お、お待たせしました……っ! 中辛です! ……え?! 中辛じゃなくて辛口? ご、ごめんなさーい!」
恐縮しきりで頭を下げる姿は、本物には決して見られない殊勝さだった。
ファウスティンはビールをグビリと飲み込み、冷徹な貴族の、そして退魔師の視線を向けた。
「ふん……。魔物なら、給金を払う必要もない。確かに、これ以上ない効率的な労働力かもしれんな」
「んー、本当にそれでいいんですかね〜? 確かに本人……じゃなくて本魔は、『時々カレーライスが食べられれば、それだけで幸せです』なんて言ってますけど……」
エリカの思想信条までコピーしてしまった影響で、その魔物もまた重度のカレー中毒に陥っていた。
しかし、徹底的なまでのホワイト経営を是としていたラルフにとって、無給で労働力を搾取することには、対象が魔物であっても一抹の抵抗が拭えなかった。
「はっ、給金など渡してみろ。それを使って人間社会に紛れ込み、今度こそ取り返しのつかない事態を招きかねん。あくまでもアレは魔物なのだということを忘れるなよ?」
ファウスティンの釘を刺すような言葉に、ラルフは曖昧に頷く。
その時、屋台の方でオリジナルエリカが、サロンエプロンを外しながら、
「あ! あたし、そろそろラジオの収録があるんだったわ! ……あんた、一人で売っておきなさいよ。売り切れたら片付けて帰っていいから!」
と言い残し、エリカは風のように去っていく。
「えぇぇぇぇぇ!? そ、そんな……! 私一人で、どうしたら……はわわわわ」
戸惑いながらも、押し寄せる客の列に対応を始めるサイドテールの少女。
管理責任を負っているはずのエリカだが、そこには奇妙なほどの信頼――あるいは、単なる放任があった。
「おいっ、あれは、大丈夫なのか?」
ファウスティンが疑念を漏らす。
その少女は混乱の極致にいた。
「あぅぅ……、銀貨一枚だから、えっと、えーっと、お釣りは……一、二、三……」
指を折って計算に四苦八苦する姿に、ラルフは頭を掻いた。
「どうやら、全然大丈夫じゃないみたいですね。……しょうがない、少し手伝ってやりますか。エリカの商売に加担するのは癪ですけどね」
「……あ、いや、俺が言ったのは、そういう意味では……」
ファウスティンの呆れ声を背に、ラルフは屋台へと歩き出した。
「ほら、慌てるな。会計は僕がやってやるよ」
「あ……ありがとうございます、ラルフ様……っ!」
擬態した少女が、弾けるような満面の笑みを浮かべた。
それから暫くして、
夜。居酒屋領主館の熱気の中で、二人のエリカはテーブルに並んで座っていた。
「モグモグ……。そんなに慌てて食べなくてもいいわよ! ちゃんと新作のスモーキー・チキンカレーの味を確認しなさいな。お客さんにちゃんと説明できるようにしなきゃいけないんだからね。モグモグ……」
「モグモグ、モグモグ……! は、はい! あー、美味しいです……最高です……! あー! 美味しいよー!! モグモグ……」
仲の良い姉妹のように寄り添う光景に、周囲の客たちからも笑みが漏れる。
しかし、冒険者ギルドのヒューズだけは、信じられないものを見る目で絶句していた。
「……本当に、シェイプシフターをテイムしたのか? そんな記録、どの魔導書にも載ってないはずだが……」
「いや。それが、テイム魔法は使っていないんだよ。……謎の、信頼関係でここにいることを選んだらしい」
ラルフはグラスを磨きながら、さらりと答えた。
「しかしマスター。いつまでも二人のエリカさんじゃ不便ではないか? まだ『肉エリカ』と『三つ目エリカ』と呼び分けるのですか?」
油そばの大盛りを啜っていた女騎士ミラ・カーライルが、口元を拭って尋ねる。
「ちょっとぉ! やめなさいよ、それ! あの紋章、洗っても洗っても全然落ちなかったのよ!」
「あー……すまん。あれ、油性ペンだったからな」
エリカの抗議を軽く受け流すラルフ。すると、酔客の一人が拳を突き上げて叫んだ。
「シェイプシフターのエリカちゃんだから! 『シェイプエリカちゃん』でどうだ!」
「長いわよ! もっと略して『シェリカちゃん』がいいわ!」
別の客が畳み掛ける。その時、また別の客がふと思いついたように口を開いた。
「……シェリカ、か。エリカと一聴して聞き分けにくいな。……いっそ、『シェリー』なんてのはどうだ?」
その瞬間、店内のボルテージが跳ね上がった。
「シェリー! シェリーちゃん! 可愛い名前っ!」
「いいな、シェリーちゃん! よろしくな、シェリー!」
酔っ払いたちの爆速の承認により、彼女の新たな名は決定された。
シェリーと呼ばれた少女は、スプーンを止めて呆然とし、何故か魔物である自分を歓迎する狂騒を見渡した。
「……シェリー……。私の、名前……?! わ、私は……シェリー? シェリー!!」
その瞬間、ラルフの目が、サイドテールの少女から放たれる、"極めてユニークな魔力の揺らぎ"を捉えた。
「……ん?」
彼は即座に左目――無もなき神霊の涙に、深紅の魔力を宿す。
(……なるほど……まさか、こんなことが……?)
納得の溜息をつくラルフ。
その一部始終を見ていた魔獣生態学者のヴィヴィアンが、肩を震わせて駆け寄ってきた。
「……見たか、ラルフ? テイマーである私ですら、こんな事象は見たことがない。新しい論文が、いや、魔導学の歴史が書き換わるぞ?」
ヴィヴィアンは冷や汗を流しながら、カウンター越しに小声で問いかけた。
「ああ。あのシェイプシフター……いや、シェリーは、魔導接続によるテイムじゃない。……この店の客たち、いや、『この場所そのもの』との間に、不可逆的な"絆"を結んでしまったようだな……」
名付けは縁を結ぶ行為だ。
通常は主従、あるいは親子のような縁となる。
例えば、ラルフと深紅のワイバーン『レッドフォード』がそうだ。
しかしシェリーが結んだのは、特定の個人ではない。
居酒屋領主館という空間、そこに集う人々という「概念」と、魂のレベルで深く繋がってしまったのだ。
暗いダンジョンの深層で、冒険者を欺き、その命を奪う役割を与えられていた魔物は今、この喧騒の一部として生きるという新たな運命を獲得したのである。
「あまりにも……めんどくせー事実だな、おい。公表なんてしたら、それこそ大騒ぎだぞ」
ラルフは思考を一時棚上げすることにした。昼からの酒のせいで、これ以上の難題に挑む気力はない。
「ふぅ。さ、食べ終わったわね? 給仕に戻るわよ、シェリー!」
「は、はい、エリカ様!」
二人の少女は再びホールへと駆け出していく。
カウンターの前を軽やかに通り抜けるシェリーを、ラルフは呼び止めた。
「おい、シェリー! 疲れたらすぐに言えよ。あいつのバイタリティに付き合ってたら、魔物だろうが身が持たねえぞ。適度にサボれ」
シェリーは一度、きょとんとした顔で足を止めた。そして、ラルフに向かって――。
これまで見たどんな擬態よりも眩しい、心からの笑顔を向けた。
「ありがとうございます、ラルフ様! でも、大丈夫です! だって、私……ここが大好きです! 凄く、凄く楽しいですからっ! エリカ様も、皆さんも! もちろんラルフ様も……私、大好きです!!」
超新星爆発のごとき、混じり気のない純粋な笑顔。
それを真正面から浴びたラルフは、目を見開き、胸の奥が締め付けられるような感覚に陥った。
キュンっ! と音を立てるほどの……強烈な、保護欲だ。
「……よし! シェリー。お前は今日からウチの子だ! エリカがいつかどこかへ巣立っていったとしても……シェリー、お前はずっとここにいていいからなっ!」
思わず零れた本音。
すると、それを聞いていた周囲の客たちが一斉に色めき立った。
「シェリーちゃん! 我が辺境伯家の養子にならないか!?」
「いや、やっぱりシェリーちゃんの方を、ウチの店の二号店店長としてスカウトしたいですね!」
「シェ、シェ、シェリーちゃん……! あー、お、俺の、俺の新たな推し……! 尊い、尊すぎる……ッ! ぐへっへっへっへっ……」
貴族、商人、荒くれの冒険者。
あらゆる身分が、一瞬にして彼女の笑顔の虜になってしまった。
もう、魔物かどうかなど、どうでもいいらしい……。
その光景に、一瞬で怒りが沸点に達した者が、
――約一名。
「……あ、あ、あ……ッ! アンタたちねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」
エリカの怒号が、ロートシュタインの夜を震わせた。
ラルフは思う。
エリカが二倍になり、騒がしさが二倍になるのでは?
という懸念は、正しかった。
しかし、それは――、
エリカという存在は、一人いるだけでも十二分に喧しいのだなぁ〜。
と、再確認するだけのことだった。
来月の5/4、文学フリマ東京42
行ってみることにしました。
出展ではないす。単に当日、会場をフラフラしてます。
なんなら、居酒屋領主館をお読み頂いている方は、是非、お声掛け下さいませ!




