409.二人のエリカ③
「はい! では『本物のエリカはどっちだクイズ!』……早速いってみよう!」
場を支配するラルフの軽妙な仕切りにより、居酒屋『領主館』は突如として異世界のクイズ番組会場へと変貌した。カウンターの中、即席のMCと化した店主の宣言に、店内の常連たちが固唾を呑んで見守る。
「さて、第一問! 基本となるカレースパイス、その構成要素を答えよ!」
「「はい!」」
二人のエリカが、示し合わせたようなシンクロ率で鋭く挙手した。
「おおおおっとぉぉぉぉ、"サードアイ・エリカ"の方がコンマ数秒早かったか! どうぞ!」
「ターメリック、クミン、コリアンダー、レッドチリ。さらにカルダモン、シナモン、クローブ、ブラックペッパー。あとは生姜とニンニク!」
「おおおぉ……っ!」
立て板に水のごとき完璧な回答に、ギャラリーからどよめきが上がる。しかし、額に『肉』の文字を刻まれたエリカが、鼻で笑って追撃した。
「ふんっ、甘いわね……。隠し味の『醤油』を忘れるなんて、あたしの偽物にしては詰めが甘いんじゃないかしら?」
「…………くっ!」
重箱の隅をピンセットでつつくような執拗な指摘。これにはサードアイ側も苦虫を噛み潰したような顔をする。
「はい、では第二問! 先ほどリネア夫人から極秘に入手した情報です。……エリカのお尻にはホクロがあるそうですが、それは右と左、どっち!?」
すると、
「「ハァァァァァァァ!? 言いたくないわよ、そんなこと! っていうかお母様! 娘のプライバシーを何だと思ってるのよ!!」」
顔面を沸騰させ、同時に立ち上がって激昂する様は、もはや鏡合わせの美学すら感じさせた。
だが、その狂騒に冷水を浴びせるように、ギルドマスターのヒューズが冷静な、しかし致命的な指摘を口にする。
「ラルフ様……シェイプシフターという魔物はな、対象の記憶や思考までも深いレベルで模倣しちまうんだ。表面的な問答じゃあ、判別は不可能に近いぜ」
「……なるほどな。思考までトレース済みか。つくづく、めんどくせー魔導生物だなー」
ラルフが腰に手をやり、思案の吐息を漏らす。すると、冷酒ですっかり出来上がった国王ウラデュウスが、酔っ払い特有の放言を投げかけた。
「よいではないか。一人はラルフが引き取り、もう一人はデューゼンバーグ家が引き取れば丸く収まる。どうだ、名案だろう?」
「……いや、陛下。魔物を伯爵家の籍に入れるわけには……」
リック・デューゼンバーグ伯爵が戦慄していると、今度はカウンターの端からポンコツラーメン三娘のパメラが身を乗り出した。
「じゃあ、エリカちゃん。ウチの店に来ない? 即戦力として大歓迎だよ!」
「おう! そりゃあいい。王都の二号店を任せられる有能な店長を探してたんだ!」
と、マジィ。
「エリカさんなら、ウチの厨房もバッチリ仕切れるっす!」
と、ジュリ。
事業の成長曲線が右肩上がりの彼女たちは、もはや労働力が人か魔物かなどという倫理的ハードルを、あっさりと飛び越えていた。
「お、おぅ……なら、ほら。どっちがいいか選んでみろ」
ラルフが呆れ半分に二人を押し出す。ポンコツ三人娘は興味津々に二人を覗き込み、鑑定を始めた。
「うーん……"肉エリカ"さんの方が、ちょっと目元がキツいような?」
「何よ! 肉エリカって! あたしをA5ランクの食材みたいに呼ばないでよっ!」
「サードアイ・エリカさんの方が、微妙に肉付きが良い気がするわ」
「なっ?! 乙女に向かって失礼すぎるでしょ!!」
ツインテールを振り回して憤慨する二人を見て、三娘は朗らかに笑った。
「「「わかんないねー! まあ、どっちでもいいや!」」」
そんな脳天気な結論に、
「「ラーメン屋なんて元からやる気ないわよ!!」」
怒号までが完璧に重なる。ラルフは深く、長いため息をついた。
「こりゃ……埒が明かないな。それに、そろそろ、なんか飽きてきた……」
その言葉に、店内の常連たちが一斉にジト目を向ける。
(……白々しい。お前なら、とっくに見抜く算段がついているはずだろう)
そんな無言の総意が店を満たす。ヴィヴィアンに至っては、
「飽きたとは何だ、この性格破綻者が……」
と、かつての同級生の悪癖を苦々しく反芻していた。
というか、ラルフの左目、"無もなき神霊の涙"を発動させれば、すぐに判別できそうなものを。
絶対に、この天才魔導士は、この事態を、ちょっと、楽しんでいる……。
確信しかない……。
「よーし! もう一つ試すか。そんじゃ、二人ともついてこい。外に出るぞー」
二つの月が夜空に静止し、春の穏やかな風が草原を撫でる。
芝生の上に、巨大な影が伏していた。
「おーい、"お母さん"! 野生の勘を貸してくれ」
ラルフの呼びかけに、フォレストウルフの『お母さん』が、威風堂々たる足取りで歩み寄る。
懐いている自負があるはずの二人のエリカだったが、この時ばかりは緊張に頬を強張らせ、冷や汗を流していた。
お母さんは、目の前にいる何故か増殖した二人の「よく喋る傲慢な人族」を不思議そうに眺めた後、まず『肉エリカ』に鼻を寄せた。クンクンと匂いを嗅ぎ、短く「ワッフ!」と一声。
肉エリカは安堵の表情を浮かべ、恐る恐るその頭を撫でた。
しかし。
フォレストウルフが"サードアイ・エリカ"を見た瞬間、空気の温度が凍りついた。
「グウウウウウゥゥゥ……ッ!!」
牙を剥き出しにし、大地を揺らすような低い威嚇音。
サードアイ・エリカが、恐怖に顔を引きつらせて一歩後退る。
ラルフの鋭い眼光が、その致命的な「拒絶」を捉えた。
「……あ、あ……」
狼狽える三つ目エリカ。
一方、肉エリカは腕を組み、勝ち誇った笑みを浮かべる。
「ふんっ! ようやく化けの皮がはがれるわね!」
刹那――サードアイ・エリカが脱兎のごとく駆け出そうとした。
「逃がすなっ!」
ファウスティンの怒号。
それよりも早く、お母さんオオカミが全身をバネのようにしならせて跳躍した。
「ぎゃあああああっ!」
芝の上にうつ伏せに組み伏せられ、魔物のシルエットが歪む。
その眼前には、二つの冷徹な銃口が突きつけられていた。
「まったく、手間かけさせやがって……」
ファウスティンが構えるのは、対魔物用水平二連銃。
「おっと、動かないで。こいつはマグナム44。この世界で最も強力な拳銃。お前さんのドタマなんて、一発で吹き飛ぶわよ」
スズが、大型のリボルバーを構え、映画のワンシーンのような冷笑を浮かべる。
組み伏せられた『それ』の姿が、徐々に変質を始めた。金髪も全身も、黒く、ヌメリを帯びた光沢へと変わり、瞳は妖しく紫に発光する。
「はい、正解は……"サードアイ・エリカ"がシェイプシフターでした〜! 正解者には一晩飲み放題クーポンを差し上げまーす」
ラルフの軽い宣言に、見守っていた客たちから歓喜と落胆の声が上がる。
「ちくしょう、外した!」
「よっしゃあ! 俺の勘は正しかった!」
どうやら、賭けが成立していたらしい。
不謹慎なまでの娯楽精神。これこそがロートシュタインの日常だ。
「で? お前、一体何が目的でエリカに化けたんだ?」
ラルフがしゃがみ込み、紫の瞳を潤ませる魔物に問いかける。
シェイプシフターは絶望に打ちひしがれ、消え入るような声で告白を始めた。
「……ごめんなさい……。ごめんなさい……。ようやく封印を破って、ふと、このお店の中を覗いたんです。そしたら、ダンジョンの暗い深層とは違って、あまりにも温かくて、楽しそうで……。それで、つい……」
――魔物は語った。
――その夜の情景を。
――勝手口から出てきて、給仕仕事の疲れを吐き出すように首をポキリと鳴らし、
――「はぁ~、くっそダリぃわ〜。やってらんないわね……モサモサ……」
――ヤンキー座りでカレーパンを貪り食っていたエリカの姿を……。
「な、な! なんてことバラしてんのよ!? あたしの淑女としてのイメージが台無しじゃない!!」
本物のエリカが、自身の怠惰な醜態を暴露されたことに顔を真っ赤にして憤慨する。
「なるほど、それでエリカをターゲットに選んだわけか」
「私は……模倣した対象の、深層心理までも定着させてしまう魔物。だから、わかってしまったんです。エリカ様の、心の奥底が……」
「は? エリカの心? カレーと競馬以外に、何か入ってるのか?」
「さっきから失礼すぎるわよっ!」
とエリカ。しかし、誰もが「……だよな」と心の中で同意していた。
「……私は、エリカ様の、その深き愛までも自分の中に定着させてしまいました。カレーへの狂気的な探究心と……」
常連たちが、無表情で本物のエリカを見る。
「だーかーらー、何よその目は!?」
「そして……この居場所――居酒屋領主館への、深い愛着。……さらには、ラルフ様への……純粋な、愛……っ」
刹那、本物のエリカの顔面が、魔導発光のごとき熱量で深紅に染まった。
「な! なっ! なっ!! べ、べらんめぇこんちくしょー!! あたしが滅してやるわ、この魔物がぁぁぁぁ?! ちょっと、その"物騒なもん"あたしに貸しなさいよっ!!」
パニックに陥ったエリカがファウスティンから銃を奪おうとし、「危ねえからやめろ!」とあしらわれる。
ラルフは今日何度目かの溜息をつき、ファウスティンに向き直った。
「ハァ……。で、ファウストさん。こいつ、また封印できますか?」
「いや……一度術式を突破した個体だ。再逃亡の恐れがある。珍しい魔物だが、危険すぎる……。ここで"処分"するしかあるまい……」
ファウスティンが再び魔導銃を構える。
「うぅ……うぅぅ……」
その、あまりにも憐れなシェイプシフターの姿に、エリカは、
「はんっ! いい気味だわっ!」
と、腕を組み、顔を逸らした。
この魔物のせいで、酷い目にあったのだ……。
これは、当然の報い……。
しかし、その時――。
シェイプシフターは絶望に瞳を濡らし、ぽつりと、悲壮な呟きを漏らした。
「……うぅ……最期に、カレーが、食べたかったよぉ……、うぅぅ」
これは、当然の報い。
そう。当然の報い、
のはず……、
なのに、
その言葉が、エリカの耳朶を、そして心の琴線を激しく震わせた。
そして、
「……待って。ファウストさん」
凛とした声。
エリカは、魔導銃の銃口の前に、自らの体を割り込ませた。
ファウスティンは「ハァ……」と心底重い溜息をつき、銃を下ろす。
「おいおい。お嬢ちゃんもラルフに毒されたか? お前さんも、『こいつを助けろ』、なんて言い出しそうな顔をしているな?」
「ふん! 別にラルフの真似じゃないわよ。ただ、こいつは……『使える』って思っただけよ」
「人と魔のモノは、決して相容れない。その甘い情けは、いつか破滅を呼ぶぞ?」
退魔師としての的確な警告。
しかし、エリカは不敵な笑みを浮かべて言い放った。
「情けなんかじゃないわ。使えるモノは、徹底的に使う。それがロートシュタインの、いいえ――居酒屋領主館の流儀よ! そうよね?! ラルフ!」
それを聞いたラルフは思った。
(いや、知らん。……なんだ、そのいつの間にか出来上がった『流儀』とやらは……?)
自分自身の「厄介事吸い込み体質」を棚に上げつつも、彼は新たな騒がしい日々の予感に、わずかばかりの苦笑いを浮かべるのだった。




