386.休日のイベント
春の柔らかな気配が、世界を淡い色彩で塗り替えようとしていた。
ロートシュタイン領と王都の中間地点——広大な競馬場は今、春の陽光を反射して銀色に輝く「鉄の馬車」たちの祭壇と化していた。
そこは、ジョン・ポール商会による新型魔導車発表会。
単なる新作展示の域を超え、大陸全土から好事家たちが集う、魔導車ファンにとっての聖域だ。駐車場には、王国のみならず聖教国や帝国のナンバーをつけた自慢の愛車が居並び、さながら屋外型の高級車品評会の様相を呈している。
「ほう……デューゼンバーグ伯爵の『トールトーン』か。相変わらず、威圧感すら覚える巨躯だな。あのクロームメッキの輝き、実に見事だ」
「見てみろ、ミハエル王子殿下の『ネクサス2』だ。相当に手が入っているな。絶妙な車高調整に、面一まで攻めたインチアップ……あのリアスポイラーはワンオフの特注品か? あの繊細な佇まいが尋常じゃない。……憧れるが、維持費を考えただけで目眩がする」
貴族たちの贅を尽くした趣味車に、集まった民衆からは溜息混じりの羨望が漏れる。
そして、熱狂がある場所には必ず、胃袋を刺激する香ばしい商売の匂いが立ち込めるものだ。
「はいよ! 焼きたてアツアツのヤキソバ二人前! 紅生姜多めね!」
「アメリカンドッグ、マスタードたっぷりでお待ち!」
威勢の良い掛け声とともに、屋台の店主たちが祭りの熱気をさらに煽る。
脂の爆ぜる音とソースの焦げる匂いが、春の空気と混ざり合い、祝祭の輪郭を際立たせていた。
その喧騒を切り裂くように、街道から重厚な低音が響き渡った。
「グォォンッ!」と、鼓膜を震わせる排気音——いや、エーテル排出音。
滑り込んできたのは、陽光をその身に纏うシルバーのオープンカー。
伝説の魔導士の象徴、『ロードスター』だ。
一目見て、誰もがその「主」を悟った。
ラルフ・ドーソン公爵。
魔導発動機の基礎理論を構築し、この文明の転換点を作り上げた、いわば「魔導車の父」その人である。
「おお! やはり、ドーソン公のお出ましだ!」
「あのお方が来なけりゃ、この祭りは完成しねえからな!」
「いつ見ても美しい……。ラルフ様のためだけに鍛え上げられた、世界に一台の『幻』か」
衆人環視の中、運転席から降り立ったラルフは、薄い色のサングラスを指先で外し、眩しそうに目を細めた。そして、周囲の期待を裏切るように、魂の底から絞り出した。
「うん……めんどくせー」
そのあまりに率直な呟きに、助手席から降りた無表情なメイド、アンナが静かに、しかし的確に釘を刺す。
「旦那様……。来賓の方々の興を削ぐような、その……情緒のない発言は、お控えいただけますか?」
「一応、民間主導ならさぁ、勝手に盛り上がってくれればいいものを……」
ラルフは内心で毒づく。
だが、この熱狂の導火線に火をつけたのは、他ならぬ自分自身だ。
魔導車を開発し、この競馬場という舞台装置を「鶴の一声」……もとい、王国中枢への半ば脅迫に近い打診で造らせた元凶が自分である以上、主賓としての義務からは逃れられない。
会場の端では、最新のメディアがその熱を記録していた。
新設されたロートシュタイン放送局のクルーが、大きな集音魔法具を掲げている。
「皆様、こんにちは! 聖教国が誇る聖女にして、自称・魔導車評論家! 私、トーヴァ・レイヨンがお送りする『カーグラフィック・ラジオ』、今ここにオンエアです!」
聖女としての威厳をどこかに置き忘れたような、弾けるような実況。彼女はどうやら、「魔導車」という新たな利権……もとい、表現のフィールドを見出したらしい。
「さて、本日のスペシャルゲストは、宮廷楽団長のオルランドさんです!」
「……どうも。オルランドです。まあ、私も魔導車を四台ほど所有する、少々拗らせた愛好家でしてね。この偏愛を公共の電波で語れる栄誉、謹んで拝命いたしましたよ」
「では早速、ジョン・ポール商会の特設ブースへ! ……うわあ、見てください、この煌めき!」
二人の前には、工芸品のような完成度を誇る新車たちが並んでいた。
「……実車を前にすると、言葉を失いますね。この『ジウジアーロ・クーペ』、カラーはクレイシルバーですか? 光の屈折で表情を変えるストイックな色調が、この鋭敏なデザインに完璧に調和している。……それでいて、このエレガントな外殻の下には、例の『新世代魔導ユニット』が鼓動しているわけですね?」
「その通り! あの天才! ラルフ魔導博士が提唱した『非燃焼系エーテル循環理論』をベースに、ジョン・ポール商会が総力を挙げて大排気量化した、エーテル駆動モデル(E-Drive Unit)の先行実装版だとのことだ」
「ファンが気になるのは、やはり先代の魔力燃焼型、内燃機関モデルとのパフォーマンス差ですが、スペック上の『速さ』はいかがでしょう?」
「『速さ』の定義によりますね。ピークパワーは法力リミッターで規制されているため、カタログ数値こそ従来型と同等です。しかし、特筆すべきはトルク・デリバリーの質感。低速域からトップエンドまで、エーテルの流体圧が一切のタイムラグなく背中を押し続ける。この継ぎ目のないシームレスな加速感こそが、新ユニットの真骨頂と言えるでしょう」
「なるほど、爆発の連鎖ではなく、恒常的なエネルギーの奔流……。"ドライバビリティ"という名の芸術ですね?! では、早速その『魔法のトルク』、この手で確かめさせていただきます!」
その様子を遠巻きに眺めながら、ラルフは密かに舌を巻いた。
(……番組の構成、妙に洗練されてきてるな)
実験的に始めたラジオ放送だったが、ロートシュタインに集う「はみ出し者」たちの自由な感性が、既存の枠組みを超えたエンターテインメントへと昇華させているようだ。
そこへ、小型二輪魔導車『キャブ』に跨った一人の少女が現れた。
ヘルメットの隙間から、特徴的な金髪のドリルツインテールを覗かせているのは、エリカだ。
「おい、お前まで何しに来た? 今日は競馬のレースはないぞ?」
ラルフの問いに、エリカはライダースジャケットの襟を正しながら、不敵に笑った。
「分かってるわよ。……でもね、これだけ人が集まってるのよ? 血が騒がない方がおかしいじゃない!」
パブロフの犬。
あるいは、ギャンブルの喧騒に対する条件反射。
彼女の将来に一抹の不安を覚えつつ、ラルフは彼女の鮮やかな手際に目を向けた。
エリカはジェットヘルメットを脱ぐと、手慣れた仕草でサイドミラーに引っ掛け、鏡を覗き込んで髪を整える。
その鼻先が、ピクリと動いた。
「む……!? この香りは……。クミン、コリアンダー、ターメリック、そして隠し味のガーリック……間違いないわ。マクダナウェルのケバブ屋台が来てるわね!」
「……は?」
数多の屋台が放つ混合臭の中から、ピンポイントでその配合を言い当てただと?
ラルフは、彼女の食に対する異常なまでの執着と、それを支える超人的な嗅覚に恐怖すら感じた。
「旦那様。……呆けている時間はございません。聖女三姉妹との対談が四十分後、……その後はミハエル殿下との新車:アヴァンドールの発表会。試乗会を経ての座談会が控えております」
アンナが事務的な口調で、血も涙もないスケジュールを読み上げる。その姿は、有能なマネージャーそのものだ。
しかし、ラルフはふらりと足を踏み出した。
「……すまん。僕、……もう、ビール飲むわ。帰りはアンナ、君が運転してくれ」
「……は? ちょ、ちょっと、旦那様? 話を聞いていらっしゃいましたか?」
鉄壁のメイドが珍しく狼狽えるのも構わず、ラルフは屋台の喧騒へと歩を進める。
そして、一歩立ち止まり、春の蒼天を見上げて喉が張り裂けんばかりに叫んだ。
「……っていうか、……毎日"祭り"じゃねーかよっ?!!!」
彼はただ、この異世界で、静かに居酒屋を経営したかっただけなのだ。
しかし、彼が蒔いた魔導の種は、人々の「祭り」を求める熱狂という猛火に触れ、世界規模の大爆発を起こしてしまった。
――もはや、平穏な休日など、どこにもない。
ラルフの魂の絶叫を、集まった人々は「いつもの奇行」程度に受け流し、春の陽気と、魔導車の祭典を謳歌し続けるのだった。




