321.装束の流儀
「ほら。ミンネとハルに、プレゼントだ」
居酒屋領主館の開店前。
所用で外出していた若き領主ラルフ・ドーソンは、帰宅するなり、テーブルを拭いていた看板娘たちへ二つの包みを差し出した。
「えっ?! なんだろう? 開けてみてもいい?」
ミンネは瞳を爛々と輝かせ、隠しきれない期待に身を乗り出す。
「えっ! えぇっ! い、いいの……?」
一方、獣人族のハルは、その特徴的な耳をぺたんと伏せ、身に余る光栄といった様子で恐縮していた。
「ああ。まあ、プレゼントというか、実質的には新しい制服の支給なんだがな……」
照れ隠しのようなラルフの言葉を合図に、二人が丁寧に包みを解く。
「うわぁ〜! 何コレぇ!! 綺麗!!!」
「えー! うわー!! これ、可愛い!!!」
中から現れた「それ」を手にした瞬間、二人の表情は驚愕から至福へと塗り替えられた。
そして、居酒屋が開店時間を迎えると――。
客席には、明らかに周囲とは異質な、荒い鼻息を漏らす人物が約一名。
「ハァ……ハァ……ハァ……。くっ! と、尊い!! 二人とも、尊すぎるわ!!!」
胸を押さえ、今まさに悶絶せんばかりの勢いで身悶えているのは、他でもないクレア王妃だった。ギラつく瞳と紅潮した顔面は、今にも鼻血が噴き出しそうなほどの興奮を物語っている。
だが、その限界突破した反応も、ある意味では無理もなかった。
ミンネとハルが身に纏うラルフからの贈り物は、下ろし立ての「作務衣」だったのだ。
しかし、それは単なる作業着ではない。
ミンネが着ているのは、可憐なピンク色に小花柄が全体に散りばめられた、愛らしさの結晶のような一着。
対するハルは、瑞々しい萌黄色を基調に、袖口へ控えめにあしらわれた桜の花吹雪。まさに春風を表したかのような風情を醸し出していた。
「あの、ど、どうも……」
「ありがとう、ございます……」
引き気味に一歩後ずさる二人。普段は慈愛に満ちた王妃だが、こうした局面では「不審者」と見紛うばかりの挙動を見せる。
「アアアアァ、もう我慢なりませんわ! 二人は今日からバランタイン家の養子とします! ラルフ、いいわね!?」
そう叫び、欲望のままに抱きつこうとする王妃。だが、二人はそれを、ひらり! と蝶のように躱した。もはや、慣れっこだった。
「ハァ……。あのねぇ、クレア様。そう無理ばかり言っていると、本当に二人に嫌われちゃいますよ?」
ラルフが釘を刺した瞬間、ガーン! という効果音が聞こえてきそうなほど、王妃は涙目でフリーズした。
王族という特権階級のパワーを、時として己の欲望のためだけに行使しようとするこの高貴な女性。だがその根底にあるのは「可愛いものを愛でたい」という純粋かつ厄介な情熱であることを、ラルフは熟知していた。
「ミンネちゃーん! こっちにおいで、お小遣いあげるよぉ!」
「ハルちゃーん! ハルちゃんのクッキー、俺たちにも売ってくれ!」
共和国の議員から冒険者まで、店内は二人の看板娘へのご指名で一気にヒートアップした。
衣装を変えただけ。
ただそれだけで、二人の人気は爆発的なブーストを記録したのである。
そんな狂乱を余所に、カウンター席で、金目鯛の煮付けと米酒を愉しんでいた二人の常連が、ラルフに問いかけた。
「アレは、お前が作ったのか?」
威厳ある声で問うのは、ヴラドおじさん(国王)。
「まさか、裁縫までこなすとはな。本当に底の知れない男だ」
感嘆の声を漏らすのは、ファウスティン・ド・ノアレイン公爵。
今宵は、渋い男同士のサシ飲みに興じているらしい。
「いや、さすがに僕の手作りじゃないですよ。水上都市にあるボブ爺さんの仕立て屋にオーダーしたんです」
ラルフは得意げに答える。
かつて彼が強引に移転させた縫製工房。そこでは現在、ボブの息子夫婦も修業に励んでいる。彼らの技術が、共和国の移民たちが持ち込んだ独特の織物文化と邂逅し、新たな商材を生み出しつつあったのだ。
前世の記憶にある「オシャレ作務衣」の図案を持ち込み、試作を繰り返した成果だ。
今夜、モデルケースとなった看板娘二人の姿は、そのポテンシャルを証明して余りあった。
――しかし、その効果が「絶大すぎる」ものであったことを、ラルフは数日後に思い知らされる。
数日後の開店前。
行列の先頭には、何故か国王がいた。
「うむ……まあ、その、"いつもの"を、頼むぞ……」
なんだか気恥ずかしそうにカウンターへ座る彼だったが、もはや隠しきれていなかった。
防寒コートの隙間から覗くのは、グレイシルバーの光沢を纏った、最高級の作務衣。
店員であるメイドに上着を預けると、彼は自慢げに首元を整えた。
(……それ、お似合いですね……、なんて言う気にもなれないな!!!)
その生地に一体いくら積んだのか。呆れ果てるラルフの前に、追い打ちをかけるようにエリカが飛び出してきた。
「さぁ! 今日のオススメは、オークカレーよ!!」
彼女が纏うのもまた、作務衣だった。
カレーをモチーフにしたのか、濃淡の茶色と赤色を組み合わせたパッチワーク仕立ての一着。その表情は、どこか照れくさそうで、それでいて誰かからの称賛を待っているかのようだ。
さらに続々と入店してくる常連客たち。
「あれっ?! お前、俺と同じ色じゃねーか!」
「はぁ?! うわ、最悪だ! 俺もセミオーダーにするべきだった……」
濃紺の作務衣を着た冒険者と、聖教国の司祭が悔しそうに言い合っている。
「トウガラシの刺繍、これ結構お洒落だと思わないか?」
「ああ……いいんじゃないか? けど、刺繍って結構値が張っただろ?」
聖教魔導士のオルティが、黒茶色に唐草模様風のトウガラシをあしらった作務衣をクランクに自慢し、愛おしそうに撫でていた。
有能なメイド、アンナの耳打ちによれば、現在このロートシュタイン領では空前の「作務衣ブーム」が巻き起こっているという。
ボブ爺さんの店はフル回転、最長で七日待ち。その納期はさらに伸びる勢いだそうだ。
「おい、ラルフ。いつもの焼き鳥盛り合わせと、ビールだ」
最後に現れたファウスティン公爵までもが、黒地に細い赤ラインを施した、驚くほど似合いすぎている作務衣を纏っていた。
(なんで、こうなるかっ!?)
ラルフはカウンターの内側から、この不可思議なファッショントレンドを呆然と見守るしかなかった。
確かに異国情緒あふれる作務衣は、この世界では最先端の「粋」に見えるのかもしれない。だが、この浸透速度は異常だ。
すると、どこからともなくダンジョンマスターのスズが現れた。
彼女の格好を見て、ラルフは今日一番の深い溜息を漏らす。
「コスプレイベントをやるなら、早めに言って欲しかった……」
不満げな視線を向ける彼女が纏っていたのは、趣旨が微妙にズレた、しかしあまりに有名な装束。
浅葱色に袖口のダンダラ模様の隊士服。
そして、腰にはしっかりと刀を帯びている。
(……いや、誰だ。誰のコスプレだ? それ!?)
ラルフが内心で突っ込む間もなく、スズは静かに、鋭く、その言葉を零した。
「悪・即・斬……」
どうやら三番隊組長になりきっているらしい――とラルフが察した瞬間、酔いの回ったファウスティンが面白がって焚き付けた。
「おー! クランク! ここにヤベー強そうな剣客がいるぞー!! 一戦交えてみたらどうだぁ!?」
「ふむ……。ああ、あの時は引くしかなかったが……剣なら、やってやるぜ」
クランクもまた、謎の闘争心を燃やして立ち上がる。
受けて立つスズのテンションが、急激に跳ね上がった。
彼女が店内で、神速の"左片手一本平突き"を今まさに繰り出そうとした瞬間!
「がと――」
ラルフは全力でその手首を掴んだ。
「やめろぉ!! その技名を言うなぁ!!!!」




