320.抗争
「まあ、ハムカツ作るなら。ついでにコロッケもやるか!」
居酒屋領主館の厨房。主人のラルフがそう宣言した瞬間、今夜のメニューの方向性は決まった。
今宵も客席は、もはや活気という言葉では生ぬるい、バカ騒ぎとも言える喧騒に包まれていた。
「ぷはぁ~! ビールにハムカツ! この組み合わせこそ至高!!」
赤ら顔の共和国議員が、勝利を確信した将軍のようにジョッキを持ち上げる。すると、対面に座る男が鼻で笑った。
「はっ! それはどうかな? ハムカツに合うのはこの、ウーロンハイよ! それがこの世の摂理だ」
反論したのは、聖教国の司祭。
本来、彼らは同じテーブルを囲み、これからの聖教国の経済的発展に向けた政策を論じ合っていたはずなのだが……いつの間にか、お気に入りメニューの押し付け合いという、極めて平和的な「経済戦争」に突入していた。
また他のテーブルでは、エルフの古老ユロゥウェルが、皿の上の黄金色の塊に驚愕の声を上げていた。
「塩漬け肉を、細かく砕いたパンで包み、さらに熱した油で火を通すとは……。やはり、人族の料理に対する情念は、計り知れんな……。ムシャムシャ……」
今夜のサービスメニュー、ハムカツ。その暴力的なまでの旨味に、高潔なエルフも思わず手が止まらない。
「なぁ? うんめーろ? 絶対に婆さまも気に入ると思ったんさー!」
エルフのミュリエルが、自分の手柄のように嬉しそうに言う。だが、ユロゥウェルは彼女の奇妙な装束に、不審げに眉をひそめた。
それは、メイド服……。
「で、なんで、ミュリエルは、そんな格好をしているんだ? お前も、ダイエットか?」
「か、金がねっけぇ、ここでバイトさせてもろてんだぁ……」
彼女は正直に白状した。年始に開催されたカードゲームの宴――あの一夜の敗北という名の負債が、まだ尾を引いているようだった。
カウンター席には、そんな騒ぎをどこ吹く風と受け流すファウスティン公爵の姿があった。
「ん? なに? ハムカツあるのか? なら、二枚ほどくれ……」
勝手知ったる風に、ラルフに注文を述べる。
「あ、はい……。刻みキャベツは、いります?」
「ああ……。くれ……」
目を伏せて、物憂げに呟く。
なぜお隣の領主が、毎晩のようにこのロートシュタインまで飲みに来るのか。それはラルフにとって大きな謎だが、深く勘ぐっても仕方ない。
ラルフは、油を切っていたハムカツが整然と並ぶバットの上から、トングで二枚。皿に盛りつけ、山盛りのキャベツと、皿の端に鮮やかなマスタードを添えた。
「はいよ! お待たせしました!」
カウンター越しに皿を置く。
すると、ファウスティンが思い出したように顔を上げた。
「ラルフ。"エーワンソース"って、作れたりしないのか?」
「え、えーわん? な、なんすか、それ?」
聞き慣れない単語にラルフは戸惑う。
「ふ~ん。まあ、知らないか……。まあ、そうだよなぁ……」
公爵は少し寂しそうに笑うと、おもむろに卓上のウスターソース、お酢、そして七味を手に取り、ハムカツにかけ始めた。
(えっ?! ちょ、なんなの? なんなの?! それ?!!)
ラルフは内心で激しく混乱する。
おそらく、ファウスティンも自分と同じ転生者だ。ならば『エーワンソース』も、日本のどこかに実在する調味料なのだろう。
しかし、日本の食文化は、地域性によって驚くほど多種多様なのだ。
たとえば、九州で肉まんを買えば「タレ」が付いてくる。名古屋のラーメン屋には、なぜか「タバスコ」が常備されている。
そんなローカル文化は、あまりに複雑怪奇で、その土地の人間以外には知りようがない。
(エーワンソース……沖縄とか、そっちの方かな?)
ラルフは、その底知れぬ食文化の深淵を前に、考えるのを諦めた。
その時、店内のボルテージが臨界点を突破した。
「はぁ?! ソバにコロッケを入れるだぁ?! バカ言ってんじゃねーぞ! あのカリカリサクサクを齧ってこその、コロッケじゃねーのか?!」
「ふんっ! お前こそわかってねーなぁ?! いいかぁ? このコロッケは、汁を吸うと徐々にドロドロに溶けていく! その味変の過程を楽しむというのを、なんでわからねーんだよ!!」
冒険者たちが胸ぐらを掴み合い、まるでヤクザの抗争のごとき激論を交わす。
「あああああ、もう! 好きに食えよ!! 店内で喧嘩するなら、殲滅魔法ぶっ放すぞゴルァぁぁぁぁ!!」
ついにラルフの堪忍袋の緒が切れた。
「あんたらねぇ!! カレートッピングが一番だって言ってんでしょ?! ゴルァぁぁぁぁ!!!!」
なぜかエリカまでもが、そのハムカツ抗争に首を突っ込んで咆哮を上げる。
「なんや? おんどれらぁ! ナメた口きいてると、ぶっ〇すぞ! こらぁ!!!」
「おーおーおー! やんのか?! コラ? 聖教国と共和国、戦争にでもなってみぃ? お前、どない責任とるんじゃ? このド阿呆ぉぉぉぉ?!!!」
場の空気に中てられたのか、高潔なはずの外交師団たちまでもが、極めてガラの悪い抗争に身を投じていく。
「うがぁ!! お、お前、このロートシュタインの領主だろ? 王国貴族が! そ、そんなことしていいのか?!」
ラルフに首を絞められていた共和国議員が、恐怖に顔を歪める。
彼はただ「メンチカツ以外は、揚げ物に非ず」という個人的な食の好みを主張しただけだったのだが、まさかこの大魔導士の逆鱗に触れるとは思ってもみなかったのだ。
しかし、ラルフは感情の消えた冷ややかな瞳で、言い放った。
「おう、わしら……貴族じゃけん……何をしてもええんじゃ……」
その言葉に、組み伏せられた議員の顔が、一気に土気色になる。
実は、前世で、割とヤクザ映画にも親しんでいたラルフの、ちょっとした「冗談」のつもりだったのだが、この場ではあまりに威力がありすぎた。
その狂騒は一気に店内へと伝播する。
「おおう?! ハイボールだと?! 裏切りよったんか?! ワレェ?!」
「ハァぁぁぁぁぁぁぁ? 米酒にうつつ抜かしおって……、何が聖教国司教だ、このド阿呆!!!」
仁義なき戦いか、アウトレイジか。はまたま、孤狼の血か……。
そんな物騒で、かつ最高に平和的な抗争が繰り広げられる中。
そのすべてを、一切気にせず。カウンター席で、ミンネが幸せそうに微笑んだ。
「ハムカツサンド、美味しいね!」
ハルもまた、自分の世界でハムカツを楽しむ。
「私は、ケチャップとハニーマスタードが好き~!」
彼女たちは深く、極めて深く、理解していた。
ラルフを含めたこの酔っ払いたちは、どうせいつものように――、
明日の朝には、この熱狂も、自分が吐いた暴言も……。
どうせ。何一つ覚えていないだろう――と。
今夜も居酒屋領主館の夜は、香ばしい油の香りと。なんの説得力も持たない、怒声と罵声と共に、賑やかに更けていくのだ。




