319.ハムの美味的探求について
「うんっ! 上手くいった気がする!」
ラルフは満面の笑みを浮かべ、巨大な肉塊を保冷庫から取り出した。
現在、居酒屋領主館の厨房は開店前の仕込み作業の真っ最中だ。
孤児たちが野菜を刻み、メイドたちがスープの味見に余念がない。
そんな中、ラルフは何をしていたかと言うと……。
「これこそが、大魔導士特製ハムだ!」
自らの称号を誇示するように、その加工食肉を作業台へと置いた。
「ハム?」
スヴェンが不思議そうに首を傾げる。
「でっかいソーセージ……」
呟いたのはポラリスだ。
「チャーシューとも、似ているような?」
セリナも、初めて目にするその料理と、この店の名物であるラーメンに載った「煮豚」との共通点に気づいた。
聖教国からの出稼ぎルーキー冒険者である彼らは、近頃はもっぱらラルフが出資した食肉工場で、ソーセージや瓶詰めスパムの生産に勤しんでいる。この日はラルフが新たな加工食肉を教えてくれるというので、領主館の厨房を訪れていたのだ。
「まぁ、まずは味見だ!」
ラルフは巨大なハムを一口大に切り分け、小さな楊枝を配った。
そして、ラルフ、スヴェン、ポラリス、セリナの四人は、その四角く切り取られたハムを同時にパクリと口にする。
「うん、良い塩梅だ! 少ししょっぱくなりすぎたかと心配したけど、ちょうどいい!」
自ら作ったハムを自画自賛するラルフ。
「ソーセージよりプリッ、ムニッとしていて、面白い食感だ!」
「うん。ソーセージともスパムとも違う」
「美味しい!!」
三人からも絶賛の声が上がる。
「よしっ! お前ら、今日はウチで食っていけ。何でも注文していいぞ、僕の奢りだ!」
「い、いいんですか?」
「あの……いつもいつも、悪いです……」
「ちゃんとお給料を頂いているので、自分たちで払います」
三人は恐縮しきりだったが、ラルフはいつものように強引に押し切ってしまう。
これが貴族特有の「ノブレス・オブリージュ」というやつなのか? 三人はそう思っていたが、最近ようやく気づき始めていた。
この領主は、ただ純粋に、他者へ善意を振りまくのが好きなのだ。
すると、真剣な眼差しで寸胴鍋を睨んでいたエリカが口を開いた。
「ラルフ! あたしにもちょうだい!」
相変わらずの不遜な物言いに、ラルフは苦笑しながら楊枝に刺したハムを手渡す。
すると、
「ウ~ン……。カレーには、合わなそうね。これには独立した塩味と、独自の旨味で完成されているわ。カレースパイスの風味とは、バランスが取れないかも……」
カレーのスペシャリストとしての的確な分析を呟く彼女に、ラルフは戦慄を覚える。
(な、なんだ? こいつ……!?)
元・貴族令嬢にして、現在はラルフの奴隷。そんな彼女だが、日に日に一流の料理人としての風格を纏いつつあった。いったい彼女はどこへ向かおうとしているのか……。
混乱と諦念が渦巻くラルフの耳に、幼い冒険者の声が届く。
「なら、ラルフ様。このハムを使った料理を食べてみたいです!」
スヴェンの提案に、ポラリスとセリナも同意して目を輝かせた。
その裏では、エリカが厨房の片隅でヤケクソ気味に肉を叩いていたリネア・デューゼンバーグにハムを勧めていた。
「お母様も、ハム試食します?」
リネアは、絶望と諦念、そして……愛しさと切なさと心強さを秘めた瞳で、娘を見つめた。
「え……ええ……いただくわ……」
棍棒から手を離し、受け取ったハムを口にするリネア。なぜかその目からは、涙がダラダラと溢れ出していた。
「ハムか……。ハムなら……。よし、あれだな!」
前世の知識から、ある料理を思いついたラルフは、それを今夜のサービスメニューにすることを決めた。
それは、子供のおやつにも、大人の酒の肴にもなる、あの揚げ物料理だ。
ラルフは溌剌と声を上げる。
「よし、エリカ! ひたすらにパンを削って、パン粉を作れ!!」
「なんでいつもいつも、あたしにパン粉を削らせるのよ?!」
「いや……だってお前が一番上手いんだもん……」
「ふんっ! もう、仕方ないわね!! ……早くパン粉削りの魔道具でも発明なさいよね!」
プリプリと怒りながらも、エリカは堅パンを卸し金で削り始める。その手つきは驚くほど素早く、洗練されていた。カレーパン作りで培われた、彼女の特殊スキルに他ならない。
満足げなラルフは、ハムを程よい厚切りにしていく。
今夜もまた、この料理を巡って客席が喧騒に包まれる光景が目に浮かぶ。
この異世界でも揚げ物の人気は絶大だ。ならば、"ハムカツ"もまた、革命だなんだのと大騒ぎされるに違いない。
「さて、ソースはどうするかな。まずはスタンダードにウスターソースか、あとはマスタードと……」
ラルフが悩んでいると、スヴェンが驚きの声を上げた。
「えっ? ソースが必要なんですか? このままでも、こんなに美味しいのに……」
完成された味にさらに何かを足すという発想が、信じられない様子だ。
一方、ポラリスは恥ずかしそうに提案する。
「あ、あの……私は、マヨネーズが良いと思うのですが……」
魅惑のマヨネーズは彼女の最近のお気に入りだ。あらゆる食材に特大のバフを付与するあの調味料は、彼女にとって魔法そのものだった。
「私は、ケチャップがいいんじゃないかな? なんて……」
セリナも続く。あのアメリカンドッグに合う甘酸っぱい。あの血のように赤いソースは、獣人族としての彼女の本能を謎に刺激するらしい。
「ちょっと待ちなさい! これを揚げるとなれば話は別よ! なら、カレーのトッピングとしてのポテンシャルを秘めているわ!」
相変わらずエリカの価値定立は、対象がカレーという系に包摂されるか否か、その一点に収斂していた。
彼女の精神構造において、カレーは単なる食糧ではない。あらゆる事象に意味を付与する構成原理であり、彼女の世界を規定する第一原理なのだ。
彼女の宇宙観では、惑星が自律的に回っているのではない。カレーという絶対理念を不動の中心に据え、その周囲を万物が跪きながら周回する、まさにコペルニクス的転回。それこそが、彼女の捧げる無償の愛の正体なのだろう。
――『カ。―カレーの美味さについて―』
ふと、そんなタイトルを思い浮かべたラルフ……。
必死で、笑いを堪えた。
腹が捩れ、涙が出そうになり、思わず作業台に突っ伏す。
すると、リネア・デューゼンバーグだけは。
「肉、揚げ物、マヨ……。カロリーよ。すべて、カロリー。……だけど、カロリーは美味、カロリーこそ正義。ああ……ダメよ……ダメなのよ……」
と、笑いながら泣くという、もはや精神崩壊ともとれる、悲惨な状態に陥っていた。




