310.有限と微小の肉〜PERFECT OUTSIDER〜
冬の祝祭がもたらした穏やかな青空の下、ロートシュタイン領は、雪化粧の静謐に包まれていた。
人々が思い思いの時を過ごすこの静寂を、突如として切り裂く上昇旋律が、領内すべてに響き渡った。
続いて、領主ラルフ・ドーソン公爵の、相変わらず飄々とした、どこか素っ頓狂な声が響き渡る。
♪ピーンポーンパーンポーン
「"あ~、あ~。チェックチェック……。チェック、ワンツー……ああ、マイクのテスト中、マイクのテスト中……。イェーイェー、ハローエヴリィワン!! ……どうだろねぇ? レベルメーターどう? えっ?! これ、もうスイッチ入ってるの?!! うわっ、ヤバっ!"」
その直後、「ガサゴソガサゴソ……」というノイズが数秒続き、その音声は途絶した。
おそらく彼の拡声魔法によるものだろうが、その稚拙な操作と軽薄な口調に、祝祭の余韻に浸っていた領民たちは一様に呆れ顔を浮かべた。
かの領主の奇行は今に始まったことではないが、この唐突さはさすがに理解不能だ。
誰もが首を傾げた、その沈黙を破って、再び音が鳴る。
「"えー。あーあー。先ほどは技術的な問題により、音声に乱れが生じてしまいました。大変失礼いたしました……。えー。わたくし、ラルフ・ドーソン公爵から、皆様への配給のお知らせです。これより、領直轄の孤児院にて、食糧の配給を行います。ご希望の方は、ふるってご来場下さいませ……"」
やっとまともな連絡事項が聞けたものの、人々は「いったい何事だ?」と、今度は困惑の面持ちで首を傾げた。
一方、その発信元である孤児院では。
「本当に、来るのかなぁ?」
第三王子のミハエルが、理知的な顔に不安の色を滲ませながら尋ねた。彼の背後には、異様な量の食糧が積まれている。
「そりゃあ、タダで食糧が貰えるとなれば、誰かしら来るだろ」
ラルフは自信満々だ。食糧が有り余っているというこの領内の異常事態を打破するには、"基礎所得制度"ならぬ、この"余剰分配制度"こそが適切だと確信していた。誰もが基本的な生活経費を節約したいはずだ、と。
しかし、その自信は、脆くも崩れ去る。
結果、孤児院の門をくぐったのは、エルフのミュリエルと、宮廷魔導士のヴィヴィアン・カスターの二人だけだった。
ラルフは呆れ果て、顔を歪曲させながら、口を開いた。
「……ミュリエル……もしかして、金、ないのか?」
すると、ミュリエルは涙をダラダラと流し、俯いて悔しそうに白状した。
「この前のカードゲームで、給金、全部、スッてしもたわ……」
先日、居酒屋領主館で行われていた、謎のカードゲーム大会での大負けが原因らしい。
ここにも、目を離せない危ういギャンブル狂がいたか、とラルフは深い溜息を禁じ得ない。
そして、元同級生の銀髪長身美人、ヴィヴィアンに問いかける。
「で? ヴィヴィアン、なんで、君まで来た?」
「あの……、その、くれるというなら、貰いたいのだが……」
「何? ヴィヴィアンも、スッテンテンな感じ?」
ラルフは彼女にじっとりとした疑いの眼差しを向けたが、ヴィヴィアンは恥ずかしそうに言い募る。
「いや! 金に困っているわけではないのだが、むしろ、じゅうぶん貰っている。しかし、タダということなら、欲しいなぁー、と……」
その様子を見て、ラルフは悟ってしまった。
宮廷魔導士として高給を得る今もなお、彼女の骨の髄まで染み込んだ"極度の貧乏性"だ。
テイマーという不遇職時代に培われた、「食える時に食っとかなきゃ」という、"もったいない精神"の成れの果てなのだろう。
腑に落ちたラルフは、なんだかこの二人が不憫になり、孤児院の保冷庫から適当に見繕った食糧を手渡した。
しかし、二人分の食糧を放出したところで、ロートシュタイン領の食糧余り問題が解決するわけではない。
その場にいたミハエルが、冷静な分析を投げかけた。
「本当に、局所的な問題なのか? もしかすると、領民達の手元にも、肉や農作物が有り余って仕方がない、みたいな事になっていたりは、しないのか?」
「そんなわけあるかよ! 誰も彼も食いきれないほどの食糧を持て余していると? あり得ないだろ?」
ラルフは即座に否定した。
第一産業が豊かで、経済が異様にぶん回るロートシュタインでも、そのレベルの事態は楽観的に考えてあり得ないと断じた。
「ちょっと……、試して貰いたいことがあるのだが。いいかな?……」
ミハエルは真剣な目つきでラルフに提案した。
再び、領内にラルフの声が響き渡る。ただし、今回は妙なリズムを伴って。
「"ヘイッ! イェー! 俺はロートシュタイン生まれロートシュタイン育ち♪ 何を隠そう居酒屋オーナー♪ 酔いたい奴は集えよゴー・ナウ♪ ビールにハイボール、聖女も舞い踊る♪ どいつもこいつも朝までフィーバー♪
イェー! イェー!!
……イェぇぇぇえ! ミハエル、わかるかなぁ? わかんねーだろうなぁ?! これが、新しい音楽よ! ん? ……って、あれぇぇぇぇ? またスイッチ入っちゃってるしぃぃい!! ちょっと待って、今の無し今の無し!!!!"」
謎の節回しと錯乱した声が響き、直後に「ドンガラガラガラ! ガサゴソ……」というノイズと共に沈黙。
領民たちは(何がしたいんだぁ?!!!)と、かなりの苛立ちを覚えたという。
後にファウスティン公爵から「あのラップはないな。俺の好みとしては、だが、不愉快極まりないぞ……」と、謎の説教を食らうことになる。
気を取り直して、三度目の正直。
ピーンポーンパーンポーン♪
「"えー。あー。ラルフ・ドーソンです……。はい。……もし、食糧が余って余って仕方がない。という方がいれば、買い取るので、居酒屋領主館までお持ち下さい"」
ミハエルの提案した「食糧買い取り」の業務連絡が領内に広く届いた結果──。
なんと、二百人くらいが、領主館に長蛇の行列を作り、次々と食糧を運び込んだ。
昼過ぎ、領主館の前庭。そこに揃う国王と三人の王子達は、もう諦めと呆然の極みにいた。
「増えてんじゃねーかよ?! お前、コレ! どーすんだよ?!!」
国王ウラデュウスは、王としての威厳ある言葉遣いすら忘れるほどにブチ切れ気味にツッコミを入れた。
そこには、米、麦、野菜、魚介類……食糧の山、山、山が築かれていた。
ラルフは、信じられない思いで、間抜け面でその山を見上げる。
しかし、ふと、天才的な思い付きを口にした。
「せ、せ、聖教国に、運びましょ!!」
革命から日が浅い聖教国には、まだ飢えている人々がいる可能性がある。しかし、
「え……、誰が、運ぶんですか?」
聖女トーヴァ・レイヨンは、何かを警戒した眼差しでラルフに向ける。
ワイバーンのレッドフォードに乗って空路で輸入業を行っているトーヴァとマルシャは、二人とも(絶対にやりませんからねっ!)という強い意志をラルフに向けた。
「わ、わーかったよ! 僕が行けばいいんでしょ?! 僕が!!!」
ラルフはヤケクソで大量の食糧をマジック・バッグに詰め込み、防寒着を着込んでレッドフォードの背に飛び乗った。
「おーい! レッドフォード。ひとっ飛び頼むぜ!」
そう言って、飛び立ったが、二分ほどで帰ってきた。
「うぅぅぅ……、寒っ……。寒いなんてレベルじゃないんだけど……」
顔を真っ白にして、ガタガタ震えるラルフに、聖女マルシャは溜息をついた。
「だから、言ったのに……」
雪が降る時期、上空は確実に氷点下。生身の人間が凍てつく強風に晒されて耐えられるわけがない。
ラルフは魔法で特大の《火炎球》を浮かべ、冷え切った身体を暖めた。
ワイバーンのレッドフォードは、ご主人様が何をしたいのかさっぱり理解できず、とりあえず森の奥に狩りに出掛けることにして飛び立った。
ラルフが震えを治まらないのを横目に、何故か《火炎球》で長い枝の先に突き刺した餅を焼き始めたファウスティン公爵が、新たな抜本的解決策を提示した。
「そんじゃあ、俺の領地に運ぶか? 魔導車で一時間ほどだし」
その言葉に、ラルフの目が輝いた。口元の筋肉がまだ温まりきっていないラルフは、舌足らずに同意する。
「あー! いいひゃないれすか、そうひまひょ!!」
だが、この提案に第一王子アンドレアスと第二王子ヨハネスが、いつかは王国を導く者としての知識から議論を始めようとした。
「それって、どうなんだ? 通過税とか?」
「贈与なのか? それとも、譲渡? 寄付? または、対等な取引か……。いずれにせよ、なんらかの税務処理が必要だよなぁ?」
その、煩雑さを理解した瞬間に、ファウスティン公爵は恐るべき反射神経で回避した。
「よしっ! その話は無しだ! ……なるほど……つまり、今、ロートシュタインは陸の孤島というわけだ……」
凄まじく真剣な顔で、ファウスティンは思案する。
「いや……、あのぅ……。言わんとすることはわかるのですが……。なんか違いませんかねぇぇぇぇぇ?!!」
ラルフはツッコむしかない。
ファウスティンは、書類仕事が大の苦手なのだ。
それを、大袈裟に言って……。食糧が有り余っている陸の孤島など、それは単なる"完全自治領"ではないのか?! と……。
しかし、ファウスティンは、
「すまん、ラルフ。雪に閉ざされている今、外部に助けを求めることはできない。この"事件"、我々だけで解決しなければ……」
ファウスティンは、何故か、真剣な表情を崩さない。
「なにっ?! 連続殺人事件でも起きてるの?! 単に食糧が余ってるって、それだけですからね?!!!」
ラルフの前世のミステリー作品の定番設定が蘇ったが、そのノリを誰も知る由もない。
その時、領主館の前庭に集まる人々の頭上に、一瞬だけ大きな影が差した。
そして、
ドーン! と、領主館全体を揺るがすかのような落下音。
堅牢な翼で強風を巻き起こしながら、芝生の上に折り立つレッドフォード。
ラルフの愛しきペットであるワイバーンの狩ってきた獲物を見たアンナは、冷静に鑑定した。
「あら? これは……、グレイター・ホーンですかね?」
それは、森の主と云われても納得してしまいそうな、あまりにも巨大な鹿の魔獣だった。
何やら考え込んでいたミハエルが、ふと顔を上げる。それは、電撃的な閃きの顔だった。
「ねぇ、ラルフ……。もしかしたら、このロートシュタイン領の食糧余りの原因って、"それ"じゃないの?」
その、確信的で、的を射た仮説に。
ラルフは、極めて無表情で、
感情を伴わない無の顔のまま、
三回だけ、瞬きをした。
そこにいる、何人かは気づいてしまった。
なぜ、このロートシュタインで"肉余り"が起き、それが玉突き的に他の食材の消費停滞を引き起こすのか?
冒険者が人手不足で、謎に、肉が余る状況の不可解さの原因が、朧気ながら見えてきた……。
つまり。消費者の胃袋の容量が決まっている以上、野菜や穀物も、消費が停滞する。
食肉の過剰供給さえ止めれば、相対的な需給バランスは是正される。かもしれない……。
つまり、このロートシュタイン領の食糧余剰問題の真犯人は、ラルフのペットだった可能性が、極めて高い……。
巨躯のワイバーンにとって、一食分にも満たない、微小の肉であっても、人間達にとっては、多大な恵みだ。
誰もが納得しかけたが、当のラルフだけは、何故か蝋人形のように微動だにしない……。
聡明な彼ならば、とっくに気づいているはずなのに……。
すると、彼は唐突に顔を上げ、破顔一笑した。
「ふっ、ふっふっふ……。あ~はっハッハッハッハ!!! アンナ、そろそろ。開店準備だ!」
そう言い放ち、くるりと振り返る。
現実逃避に違いないが、仕方ないだろう。
"灯台下暗し"、という言葉があるが、そんじょそこらの灯台より大きなペットが原因だと、誰が気が付くか?!!! と、ラルフは自らの胸の内を、言う気にもなれない。
「ちょっと待て! 絶対そうだろ?! おいっ! 言い訳くらいはしろよ!!」
国王は、再度、国王としての言葉遣いすら忘れるほどの怒りを覚えた。
「まったく。相変わらずだねぇ……」
と、ミハエルは笑いながら呆れる。
「なんだそりゃ?!」
「ハッハッハッハ! おもしれぇ〜! そりゃあ、父上が、帰って来ないわけだぜ!」
アンドレアスとヨハネスは、何かを納得しながら笑っていた。
その後、ラルフはレッドフォードに、狩りを三日に一度に減らすように命じた。
レッドフォードはなんだか寂しそうな顔をしていたが、ロートシュタイン領の食糧余剰問題は、徐々に解決へと向かっていったのだった。




