第二十三話 任務開始と同時に…
空は赤い。
時刻は四時五十分。奏と関兵本部を回っていた時間から、気づけば六時間が経過していた。眼中には、とても広い自然豊かな草原が聳える。そよ風を吹き飛ばすようにヘリの羽音を耳に入り、ここが修羅の戦場であることを悟らせる。
本来は住宅地だったこの場所もエネミーに荒らされ、関兵がいなければ奴らの巣窟と化しているだろう。海岸沿いから少し離れたところに位置するこの場所は、それだけ奴らにとって都合がいい。
実璃は草原を凝視しながら、午前中に受けた指揮官の説明を思い出す。
………。
……。
『エネミーが東京湾から突如姿を現した。今からおよそ七時間後、エネミーが東京に上陸する。その数は推定八百体、これからもっと増える可能性はあるが。…今この場所に集まったのは本部の全戦力、諸君らに命令する。力を合わせてエネミーを追い払ってほしい』
その瞬間、誰ものが顔を見合わせ無理だと言った。続けて飛び交うヤジ雑言、全員が壇上に立つ最高指揮官に罵声を浴びせる。
本部にいる隊員を急遽集めたところで、全部隊の八割にも満たない。そんな僅かな人数では敵を退治するどころか猛攻を防ぎ切ることだって不可能だろう。そもそも何故このタイミングでエネミーが大量発生したのか、それ自体が理解できない。
大勢が声を荒げ、周囲一体に不満げな空気が浸透する。それらを黙って聞き流す指揮官。深く帽子を被ったまま目を瞑り……やがて静寂が訪れたところで再度口を開く。
『諸君らの意見はもっともだ。圧倒的な人手不足と準備不足、加えて昨日の任務で傷が癒えていない者も多い。私だって不可能だと考えていた………とある報告を聞くまでは』
そう言って、指揮官は閉じた瞼をゆっくりと開く。
『自衛隊の協力を仰ぎ、エネミーに攻撃されないギリギリのラインまで近づいて奴らを確認した。すると、奴らは群れのようなものを形成しながら一匹のエネミーを守るように進んでいた。我々が考えるに、それが恐らくエネミーを指揮する特殊個体だろう』
何かに気づいたように隊員の様子が変わり始める。それを見て、指揮官はニヤリと笑みを浮かべる。
『そう、エネミーはそいつがいる限りたとえ何体殺そうが何度でも押し寄せてくるだろう。だが、逆にそいつさえ倒してしまえば、エネミーは意思を失い海へと帰る。奴らは獰猛な殺戮生物ではあるが、自身の命を晒してまで獲物を求めないからな』
最初の発生時を除き、エネミーが居住地である安全地区に攻め入る時は、確実な勝機を持って襲撃を行う。それゆえにエネミーが自分たちで攻撃を仕掛けた場合、統計成功率がほぼ百パーセントと言われている。
だが今回エネミーを指揮する特殊個体がいる場合、それを除いた個体は全て催眠状態にある。つまり指揮者は一体だけだと言うこと。故に任務は群れを指揮する特殊個体を倒す、ただそれだけ。
目標のエネミーは群れの中心で構えているため、海から陸に上がるタイミングで攻撃を仕掛ける。
幸いにも奴らが最初に上陸する港区は、海岸沿いに安全地区はなく、広がるのは草原。作戦通りいけば、被害もごくわずかで済む。
他の戦闘部隊は安全地区に辿り着きそうになったエネミーを関兵が目標のエネミーを倒すまで食い止めること。最終的には、目標のエネミーを倒して撤収となる。
「いける…」
「これは、……いけるんじゃないか」
先刻の雰囲気とは打って変わり、徐々に隊員達の表情に希望が芽生え出す。実璃は単純だな、と思いつつもどこか現実感のある作戦に多少なりとも安心しつつあった。
『少々時期を見誤ったが、…まあいい。連日ですまないが諸君らが任務を完遂してくれることを期待している』
不敵にそう話す指揮官は壇上を降りてその場を後にした。彼のその目に、微かに不安げな光が灯っていた事実には……誰一人気付かない。
………。
……。
「みのりん?」
「…あ、奏」
背後から呼ばれる友達の存在に、実璃は振り返る。服装も戦闘用の軍服に着替えられ、盾と刀を常備した奏がジーと実璃を見つめている。
「みのりん、大丈夫? さっきからボーとしてるけど」
「問題ないよ。ちょっと考え事してるだけ」
そう、と返事をする奏の表情はさっきから晴れない。
彼女としては実璃との休日が潰されたことに対して憤慨が未だ収まらないだけなのだが……実璃には知る由もなかった。
「時間までもうちょっとだっけ?」
「うん。いよいよだよ」
実璃と奏は通常であれば、互いの居場所は異なっている。
だが、今回の任務は目標のエネミーが上陸したと同時に攻撃を仕掛けるため、その数分前に奏はヘリコプターで移動となる。まだその時間が来ていない二人は、医療班の簡易テントの前で談笑する。
「死なないでよ、奏」
懸念した口調で案ずる実璃、応じるように奏は薄く微笑む。
「心配しないで。私は死なない、絶対にみのりんを裏切ったりしないから」
「ほんと?」
「もちろん。それに私には大した役割任されていないから。よっぽどのことがない限り私は駆り出されないよ」
そう言われ、どこか任務に不審な所を覚えるが、気にせず打ち払う。
「…分かった。なら、私は奏を信じる」
「うん! お願い」
お互いに挨拶が終わると、ゆったりとした動作で手を握り合う。少し顔を赤らめた実璃に対し奏は口を開きー
「あのね、みのりん。私、実は–––」
『緊急報告‼︎ 緊急報告‼︎ 壊滅‼︎ 盾部隊、半数近くがやられ壊滅状態‼︎ 関兵部隊の六十パーセントが損傷しています‼︎』
「え…」
唐突に無線が鳴り響く。必死な声色で事態を伝える関兵、無線に流れる報告に実璃と奏は唖然とした表情。緊迫感が連鎖的に外圧する中、釈然としない表情で実璃は呆けていた。
まだ任務の開始合図が出ていない、それに関兵含めた全部隊がこの無駄に広い草原で待機しているはず。
なのに、どうして被害報告が聞こえてくるのだ。
「何が起こって…」
ズドンッ!
奏がそう言った刹那、すぐ近くを物凄い勢いで何かが通過した。
呆然と、音の正体を確かめようと背後を振り返れば……あったはずの簡易テントが消えていた。
否、潰されていた。
「ギギ…」
固まってしまった実璃のすぐ目の前に、敵がいる。低く唸り声を立てながら、異臭を撒き散らす敵、エネミーは実璃を見ると口から涎が滝のように溢れるかの如く垂れる。
「嘘…そんな、どうして」
「みのりんッ!」
「ギギャァーッ!!」
足がすくんで動けなくなってしまった実璃に、二つの影が彼女に接近する。
その瞬間、草原に大きな土埃が舞った。




