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第十七話 響絆


………。

……。

『ねえ、実璃。今日は何して遊ぶの?』


恐らくこれは夢だろう。でなければ、この幼い子供が自分の前にいることなどあり得ない。


決して触れられない過去の領域。今の実璃が呆然と眺める景色には、まだ小学生の頃の自分と見覚えのある同年代の子供がいる。


『今日はね、かくれんぼ!』

『えー、前もやったじゃん』

『何度遊んでも楽しいよ、おーちゃん』


あだ名で呼ばれ、少し不服そうな友達–––如月きさらぎ響絆おとはを連れて昔の実璃は駆け出す。元気溌剌な実璃とは対照的に、響絆は伸びた黒髪に隠されるように幼げで不安げな表情。迷惑そうに追走する響絆は、視界しか映らない実璃に呆れと苛立ちが打ちのめす。


 だが、毎度なんやかんや付き合ってくれた響絆も今思えば楽しかったのかもしれない。


 家が近所で両親の仲が良かった二人は当然長い付き合いになり、互いに裕福な家庭で生まれ育った両者は公園でよく遊んでいた。少女達の顔色はいつだってにこにこ輝いており、明日への楽しさを胸いっぱいに膨らませ、毎日宝石箱のようだった。


『それにしてもさぁ、おーちゃんって絶対私のこと名前呼びするよね。私はあだ名で呼んでるのに』

『う、だって…』


 言葉を詰まらせる響絆は表情を赤らめる。彼女にとって友達をあだ名で呼ぶことは恥ずかしく少々ハードルが高いことだった。


 響絆は気後れしたように俯き、懇願するような身振りを見せる。友達の恥じらいを持った仕草を嗅ぎ取れない実璃はため息をついた。


『おーちゃんならどんなあだ名でも嬉しいからさ、あだ名で呼んでよ』

『えっと…………じゃあ、み–––』

『見て見て! ブランコ新しくなってる!』

『うぅ、聞いてないし……』


 遠目で確認したブランコが新しく改装されていることに、昔の実璃は興味津々で一つ前の話題なんてそっちのけ。わざとでなく本心からの行動という点で、響絆には注意しづらかった。


―――昔の私って、典型的な小学生ね……


 一連の出来事を傍目で見て、嘆息を漏らす。


 楽しかった日々。安全地区で暮らしていた二人は当時、近隣の小学校に通っていた。


 響絆がいるので学校で友達を作ろうと思わず、響絆も実璃以外に仲良い友達は特にいなかった。


 だから、放課後はこうして近所の公園で遊ぶのが日課となっている。


『今日はあんまり人がいないね』

『学校も午前中で終わりだったから、しょうがないよ』


 いつものように公園の遊具の前に来た二人。何で遊ぼうかと実璃が辺りを見渡している時、響絆が不思議そうに一点を見つめる。


『実璃、あれなに?』

『ん?』


 少し離れた先、見つめる場所には黒い生物が蠢いていた。動きのある、小さな犬のような動物が何か食べ物を貪り食べているそんな後ろ姿。若干だが異臭が流れ出し、鼻につく匂いが一面蔓延する。


『臭いね』

『うん、臭い』


 不穏な空気。鼻を摘み、お互いに相槌を打っているその時が合図だった。


『緊急警報! 緊急警報!安全地区を支えるバリケードの一部が欠損、エネミーの一部が侵入しています。外出中の方は、速やかに自宅への避難をお願いします。繰り返します–––』


 耳につんざく警報音。生まれて初めて聞いた2人はその音を聞き、身を縮ませる。サイレンが警告する区域はまさしく、実璃と響絆が今いる場所だった。


『何、何が起きてるの!』

『と、とりあえず一旦家に帰ろ。そうすればきっとー』


 響絆の台詞が止まる。震える手で指差す先には、先程の黒い生物が正面を見据えていた。


 黒い体に赤く充血した瞳。牙が突厥しており、よく見ると羽もうっすら付いていた。


 間違いなく警報が注意を促す奴らだった。


『『エネミー…』』

『ギュギュ!』


 二人が声を発するのと、エネミーが向かってくるのは同じタイミングだった。


 震えて立ち尽くす少女達の前に捕食者は勢いよく襲いかかる。戦車の如く突進するエネミーが目標にしたのは、活発そうな女の子の方だった。


『っ!』

『実璃!!』


 ズドン、という音と共に実璃は宙に吹っ飛ばされる。突進の影響を貰い、激しい衝撃波に貫かれた実璃は地面へと落下する。実璃の体は凄まじい速度で土埃共々弾み、その衝撃で何本かの骨が折れる。


『かはっ!』


 経験したことのない痛みが全身を支配し、遅れて意識の方が朧気に段々とくすんでいく。瞼は開けない、精神がもうダメだと訴えかけてきた。途端、嗚咽が混一した響絆の声が耳元で響く。


『嫌だよ、実璃…。私、実璃ともっと………』


 言葉が最後まで聞き取れることはなく、実璃は意識を失う。全身から文字通り血の気が引いて、薄着で雪山の猛吹雪に襲われているみたいに刻々と熱が奪われていく。

 

 何も聞こえない、ただひたすら寒い、酷く凍える。体はそれっきり、完全に意識を手放した実璃が覚えていることは何一つ存在しない。


 これが、実璃の友達との最後の記憶。響絆とは再会することはなく、次目覚めたのは貧困層のスラム街。どうして助かったかも分からず、両親やクラスメイトと生き別れ今日まで生きてきた。


 もう一度友達に会いたい、その心だけで実璃は頑張って命を繋いでいった。


―――生きているならもう一度……


………。

……。


「ねえ、大丈夫?」


―――響絆?………いや、違う。


 頭上から声がして、目を開いて確認する。色素の抜けた銀髪に見覚えのあるその顔は、最近仲良くなった女の子–––奏が心配そうに実璃を覗き込んでいた。


「奏?」

「ああ、良かった。なんかみのりん、辛そうだったから」

「辛そう…ね。不安にさせてごめん」


 額にじんわり汗が流れ出ているのに気づいた実璃は、夢で過去を回想するくらいには疲れが溜まっていた。血が抜けていく寒さも失われた聴力も全て正常に機能しており、それだけで日常に帰ってきたのだと悟らせる。


 初の戦闘を終え、無事に本部へ帰還した実璃は、奏に「今日はもう休んでいいよ」と言われ、部屋で風呂や歯磨きなどを済ませてすぐに床に就いた。


 窓側を見るとカーテンを敷くのを忘れたために日差しが侵入するのが捉えられる。今は朝だろう。部屋に時計がないので詳しい時刻はわからないが、日付を跨いだのは確実だ。


「どうして奏がここにいるの?」


 数日前からここは実璃の部屋になっている。同じ部隊に属しているとはいえ、勝手に入って来られたら驚くし、なんなら不法侵入である。加えて寝顔を見られてしまったのが恥ずかしかったので、実璃は幾ばくか不満をぼやく。


「だって、みのりんに会いたかったから」

「鍵かかってなかったっけ?」

「合鍵があるからね」


 手でくるくると紐に結ばれた鍵を振り回す。揶揄うような仕草は、どこか楽しげで爽快な気分の現れだった。


「私、本部に来てから長いんだよ。上にお願いすれば合鍵を貰うなんて造作もないんだ」

「いや、職権乱用!」


 サラっとツッコむ実璃に「まあ、それは置いといて」と冗談を捨て置き、真面目な目つきになる。


「みのりん。昨日、大丈夫だった」

「…うん。怖かったけど、みんな頑張っていたから」

 

 弱音を吐くわけにはいかない。そんな実璃の表情を見かねたのか、奏は優しく笑いかける。


「すぐに慣れるよ、だから心配しないで」

 

 そこで、言葉を区切り、


「それでね、ちょっとみのりんにお願いしたいことがあるんだ」

「私に?」


 不思議そうな顔つきをする実璃に、奏は要求を言う。


「まずみのりんには色々と知ってもらおうと思って」

「知ってもらうって…、具体的には何を?」


 至極真っ当な問いかけに、奏は楽しげに言葉を発した。


「そんなの決まってるじゃん! この本部にいる私たち以外の部隊だよ!」


―――何が決まっているんだろう。


 かくして、実璃と奏の関兵本部のちょっとした探検が始まった。

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