第8話「好きなだけ」
ふわふわと漂い、儚く消え行く湯気をリィは目で追った。
ゆっくりと視線を目の前の皿に下ろす。湯気をたてているのはスープだ。
なんだろう、これ。
いや、スープだということはわかる。問題はその具だ。
スープ皿に釘付けになっていると、斜め向かいの席に座ったヴァルが「嫌いか?」と聞く。
「これ……」
「玉ねぎのスープだな」
「玉ねぎ」
スープ皿からつき出したこの尖りは玉ねぎらしい。
小さいもののようだが、まるごと投入されている。
玉ねぎと言えば微塵切りにしたものしか知らない。
いや、玉ねぎに限らない。リィは野菜にしても肉にしても、細かく刻んだものしか見たことがない。
嵩を増やすため、教会では具材は小さく切っていたのだ。
それにしても、子供たち全員の皿に具が行き渡るわけではない。肉が入っているかどうか探すのが、いつも楽しみだった。
このスープはどうだろう。探すまでもなく肉がスープの中を泳いでいる。
分厚く切ったそれを見て、リィは何日分になるだろうと考えてしまった。
「無理に食べなくてもいい」
言われてリィは顔を上げた。
その顔を見て、ヴァルが瞬いた。
「何故泣く」
「食べてもいいの」
こんなごちそうを前にして、実は罠なのではないかとリィは呆然と思う。
冷静に考えれば、そんなことをする利点が彼にはないが。
魔王はリィを飢えさせるつもりはないようで、夕方ごろジェンが食事の席に呼びに来た。
言われるままに魔王と同じ席につき、出されたものは魔王と同じメニューだ。
……いいのかな、これで。
あまりにもなんというか、無頓着すぎないだろうか。
素性も知れぬ相手を魔王と同席で食事させるなど。
しかし給仕の者は無言であるし、魔王に至っては言うに及ばず。
恐る恐るスプーンを手に取る。がしりと掴んで皿に差し入れた。
ひと匙すくって口にする。
「……美味しい」
涙が出るほど美味しかった。
お腹だけではなく、舌も満すように作られた料理を口 にしたのは初めてだ。
感動にうち震えていると、目の前に別の皿が置かれた。豪華なプレートに盛られた魚料理だ。
「好きなだけ食べればいい」
言われて当惑する。このスープだけでお腹は一杯だ。
ヴァルはスープを食べ終わり、魚に手をつけている。
優雅な仕草で食事を進める。
魔王が人間と同じもの(豪華ではあるが)を口にしている光景が不思議に思えた。
リィがぼうっと眺めていると、ヴァルがグラスを手に取った。注がれた蜂蜜色の液体に口をつける。
こくりと喉が動いたのを見て、リィは我に返った。
料理が冷めてしまう。
……難しいことは後で考えよう。
今は目の前のスープに集中することにした。