第十話 青空の中の空虚③
* * *
翌日、アリステラは指定された時刻より少し早く中央司令部へ着いた。
受付で端末を見せると、担当者がすぐに立ち上がった。
「こちらへどうぞ」
案内されるまま長い廊下を進む。
すれ違う制服姿の者たちは、アリステラに気づくと足を止めた。敬礼されるたび、最初は小さく頭を下げていたが、何人目かを過ぎた頃には、前を歩く案内役の背中だけを見るようになっていた。
通されたのは、壁一面の窓から中央市街を見渡せる会議室だった。
長机にはすでに数人が集まっている。その中央に座る二人には見覚えがあった。
一人は、星環院長老会を束ねるファニアス・ユナ・ボ・レー卿。
白髪の老人で、閉じた瞼の上には左右を横切る古い傷跡が走っている。視力を失っていると聞いているのに、アリステラが入室すると、足音だけで分かったようにこちらへ顔を向けた。
もう一人は、銀河諸星連合軍統合総司令官、エドガルド・ヴァイス元帥。濃い灰色の軍服に元帥章をつけた大柄な男で、短く刈った銀髪と深い眉間の皺が目につく。
二人とも、目覚めて間もない頃に病室を訪れていた。
ファニアスは体調を二、三尋ね、ヴァイスは「生きて戻ったなら、まずはそれでよかった」と言った。あとから二人の肩書きを聞かされ、なぜそんな人間たちがわざわざ自分の病床まで来たのかと首を傾げたことを覚えている。
「来たかい、アリステラ」
ファニアスが言う。
周囲は皆「ミシェノケイラ卿」と呼ぶのに、この老人だけは最初から名前で呼んだ。
「おはようございます」
「うむ。そこへ座りなさい」
見えているはずもないのに、彼は空いている席を正確に示した。本当は見えているのだろうかとアリステラは疑っていた。
「体調はどうかね」
「普通です」
「眠れているか」
「はい」
「そうか。眠れていないかい」
「……眠れて、ます」
隣のヴァイスが、低く息を吐いた。
「相変わらずだな。卿が医師の真似を始めると話が進まん」
「おぬしに言われたくはない」
「俺は一度しか訊いていない」
「病室で三度訊いていた」
「……フンッ、よく覚えているな」
二人のやり取りに、周囲の幕僚は黙ったままだ。
ヴァイスが手元の端末を開く。
「病み上がりに呼びつけてすまないな、ミシェノケイラ卿。昨日の通知は読んだだろう」
「はい」
「では概要から話す。凱旋式は三日後、中央第一広場で行う。連合軍の帰還部隊、各戦域の代表、星環院の騎士、各国代表、戦没者遺族の代表が列席する。卿には星環院の騎士団とともに入場し、主要功労者として壇上へ上がってもらう」
ヴァイスが端末へ触れると、長机の上に式典会場の立体図が浮かんだ。
観覧席や警備区域の位置が示され、その中央近くに小さな人影が置かれている。
アリステラはその一つを指した。
「私も、ここに立つのですか」
「ああ。叙勲と戦功者の紹介のあと、終戦について短く言葉をもらう予定だ」
「……何を言えばいいのでしょう」
ヴァイスの指が止まった。
「必要なら広報部で原稿を用意する」
「それを、私が読むのですか」
「そうなる」
アリステラは机の上に浮かぶ小さな人影を見た。
「でも、私は戦争のことを覚えていません。そのとき何を考えていたのかも、誰と戦って、誰が死んだのかも……」
誰も口を挟まなかった。
「そんな私が、何を話せばいいのでしょう」
ヴァイスは答えず、ファニアスが口を開いた。
「過去を語る必要はない」
アリステラは老人へ顔を向けた。
「覚えていないことを、覚えているふりをする必要もない。悲しみも喜びも、無理に形にせんでいい。ただ、そこにいなさい」
「どうしてですか」
「おぬしが生きて帰ったからだ」
閉じた瞼のまま、ファニアスはまっすぐこちらを向いていた。
「戦場から帰った者にとっては、おぬしの姿そのものが、戦争が終わった証になる。家族を失った者の中にも、最後まで戦った者が戻ってきたことを、自分の目で確かめたい者はいる」
「でも、その人たちは私を知っているわけではないのでしょう」
「多くはそうだろう」
「なら、私でなくても」
ファニアスはすぐには否定しなかった。
「軍人としてなら、俺はそうは言わん」
ヴァイスが椅子へ背を預けた。
「戦争には、皆が同じものを見て終わらせる瞬間が要る。停戦が成立した。艦隊が帰ってきた。それを知っていても、昨日まで続いていた戦争をそこで終わったと思える人間ばかりじゃない」
「人は、事実だけでは物事を終わらせられないことがある」
「出席しないことも、できますか」
ヴァイスの眉間の皺が深くなる。
「できる」
「ファニアス」
「事実だ。体調を理由に、星環院として出席を見合わせることはできる」
アリステラは少し黙った。
「今の私を人前へ出すことに、反対している人もいるのですね」
「ああ。私も、喜んで送り出すわけではない」
「それでも、出た方がいいと?」
「そうだ」
「なぜですか」
ファニアスはわずかに間を置いた。
「おぬしが生きて戻ったからだ。そして、あの戦争を終わらせた者だからだ」
アリステラは老人を見た。
「私……」
「帝国の《黒皇》ヴァルゼイン・クロウ・アルディガルを討ったのは、おぬしだ」




