第三話 どうしてついてくるの②
額には小さな前脚、頬には柔らかな腹、鼻先には翼の端が当たっている。長い尾は首の後ろへ垂れ、先端の淡青色の羽が鼻をくすぐった。髪と外套の襟へ引っかかった爪には、思った以上にしっかり力が入っていた。
「爪、痛いって」
「きゅい、きゅう、きゅ!」
「あと前が見えない」
「きゅい!」
羽毛がまた鼻先を撫でる。
「……くしゅっ」
幼獣は驚いて翼を広げる。そのまま離れるかと思えば、四肢にさらに力を入れ、顔へぺたりと貼りつき直した。
「なんで余計くっつくの」
「きゅ、きゅ」
職員は数秒、言葉もなくその様子を見る。やがて我に返ったように手を伸ばした。
「すみません、いま外します」
ところが手が近づいた途端、幼獣はアリステラの顔からするりと肩へ移る。そのまま首の後ろへ身体を寄せた。
「きゅっ」
「そこも駄目」
アリステラは片手を後ろへ回し、幼獣の腹へ掌を入れる。襟へ引っかかった前脚を一本ずつ外しながら身体を支え、ようやく顔の前まで持ってきた。
「ほら。保護してもらえば、あなたは診てもらえるし、私は宿に帰れる。お互いその方がいいでしょう」
「きゅい」
幼獣は大きな青い瞳でアリステラを見つめている。
「分かった?」
「きゅ」
「……はあ、分かってないね」
職員へ渡そうと腕を伸ばした瞬間、幼獣は身体を捻る。今度は外套の胸元へ両前脚でしがみついた。
「待って」
片方を外せば、もう片方の爪に力が入る。そちらを外している間に、最初の前脚がまた布を掴んだ。どうにか両方を離せたと思えば、今度はアリステラの指を握る。
「離れてよ」
「きゅ」
アリステラは爪の根元へ指を入れ、一本ずつ外していく。翼が外套へ挟まりそうになれば手を止め、身体が傾けば腹を支え直した。
それでも幼獣は、外されるたびに別の場所へしがみついた。
職員は手元の端末を見る。それから近くにいる回収班の責任者を探すように辺りを見回した。
「少し確認してきます。このまま待っていてもらえますか?」
アリステラは胸元に貼りついた白い塊を見る。
「こ……このままで?」
「すみません……そのままで!」
職員は頭を下げ、そのまま回収班の方へ駆けていった。
取り残されたアリステラは、幼獣としばらく見つめ合う。
「聞いた? いま確認してるから」
「きゅ」
「その間に離れて」
幼獣は動かなかった。
「保護してもらえば、ちゃんと治療してもらえるし、食べ物ももらえる。私についてくるより安全よ」
「きゅい」
「だから、離して。ねえ、離してってば」
返事の代わりに、小さな嘴が胸元へ触れる。
アリステラは眉を寄せた。
「どうして……」
答えはない。
アリステラはもう一度外そうとしてやめた。腕を少し持ち上げると、幼獣は待っていたようにその内側へ身体を収めた。長い尾が腕から垂れ、白銀の羽の先だけが淡い青を帯びている。
ほどなくして、職員が戻ってきた。
職員はアリステラの腕の中ですっかり落ち着いた幼獣を見て、それから手元の端末に視線を落とした。
「責任者に確認しました。いま無理に容器へ戻すより、このまま落ち着かせた方がいいそうです。さっき暴れたときに呼吸もかなり速くなっていますし、傷が開く可能性もありますから」
「つまり?」
「とりあえず今夜だけ、預かっていただけますか。明日の朝、こちらから回収と診察に伺います」
「……私が?」
アリステラは腕の中を見る。
幼獣も顔を上げた。
「はい。泊まっている場所を教えていただければ、明日の朝こちらから伺います。それまでに、こちらでもこの子を安全に運ぶ方法を考えます」
「生き物なんて飼ったことないけど」
「一晩だけです。必要なものはこちらで用意しますし、何かあればすぐ連絡してください。かかった費用も保全機構で負担します」
「宿を教えるのは嫌なんだけど」
職員は少し考える。
「宿名と部屋番号だけで構いません。明日伺う担当者以外には伝えません」
アリステラはしばらく職員を見ていた。腕の中から、小さく「きゅ」と声がする。
「あなたのせいだからね」
「きゅ」
「返事だけはいいのね」
結局、宿名と部屋番号を伝えた。
職員から渡されたのは、簡単な寝床、保温用の布、給水器、栄養食、体調を確認するための小さな端末、それから緊急時の連絡先だった。食べさせる量や注意点を一通り聞き、アリステラは荷物を受け取ると、そのまま船を出た。
幼獣を床へ下ろしてみれば、長い尾を引きずりながら、幼獣は当然のようについてきた。
二歩目で身体が大きく傾いても、もう一歩進んで、前を歩くアリステラを追いかけてくる。
アリステラは足を止めた。しばらくその様子を見て、しゃがみ込み、片腕を差し出した。
「……はあ」
幼獣は迷いもせず腕へ乗る。そしてそのまま胸元までよじ登ってきた。
「きゅ」
大きな青い瞳には、アリステラの苦々しい顔が映っていた。




