第一章 第四話 文明最高
朝。
目が覚めた。
生きていた。
まずそれが奇跡だった。
「おはよう」
『Good morning.』
「朝から英語か」
『特に意味はありません』
「そうか」
俺は木の上から慎重に下を覗いた。
昨日の巨大魔物はもういない。
森は静かだった。
鳥の鳴き声も聞こえる。
平和だ。
たぶん。
おそらく。
希望的観測だが。
『現在の生存確率は16.1%です』
「微増だな」
『奇跡的です』
「そんなに低かったのかよ」
木から降りる。
体中が痛い。
三日間まともに寝ていない。
風呂にも入っていない。
自分でも臭い。
狼男と同じ牢屋にいた頃より臭い気がする。
人間の適応能力は恐ろしい。
◇
昼前。
森を歩き続ける。
空腹。
疲労。
絶望。
三点セットだった。
その時だった。
木々が途切れる。
視界が開ける。
そして。
見えた。
高い石壁。
見張り塔。
城門。
煙を上げる建物。
人の姿。
「町だぁぁぁぁ!!」
俺は叫んだ。
本気で叫んだ。
涙が出た。
文明だ。
文明がある。
人類万歳。
『都市と思われます』
「ありがとう文明!」
『私に言われましても』
「とにかくありがとう!」
俺は走った。
転びそうになった。
転んだ。
立ち上がった。
また走った。
◇
町の門。
鎧を着た門番がいた。
槍を持っている。
強そうだ。
俺は自分の姿を見た。
ボロボロだった。
服は破れている。
泥だらけ。
髭も伸びている。
完全に不審者だった。
門番が警戒した目を向ける。
「止まれ!」
「はい!」
即座に止まった。
社会人経験が役立った。
怒鳴られたら従う。
染み付いている。
「何者だ」
「遭難者です」
「遭難?」
「たぶん」
門番が眉をひそめる。
たぶんじゃ駄目だったらしい。
◇
事情説明は大変だった。
奴隷商人。
魔物。
森。
逃走。
全部話した。
当然疑われた。
俺でも疑う。
「証拠はあるか?」
門番が聞いた。
ない。
何もない。
終わった。
そう思った時だった。
チャッピーが震えた。
『西方三十キロ』
「ん?」
『大型魔物群』
俺は目を見開いた。
「チャッピー?」
『大型魔物群接近中』
珍しく断言だった。
「本当か?」
『95%』
「微妙だな」
だが賭ける価値はある。
俺は門番に向き直った。
「魔物の群れが来ます」
「何?」
「西から」
門番は怪訝そうな顔をした。
当然である。
ボロボロのおっさんが突然そんなことを言い出したのだ。
俺でも追い返す。
◇
結果。
半日後。
魔物の群れが来た。
しかも本当に西から来た。
門番たちは大騒ぎになった。
町は総動員で迎撃態勢を整えた。
被害は最小限。
そして。
俺は英雄扱いされた。
「よく知らせてくれた!」
門番隊長が俺の肩を叩く。
痛い。
めちゃくちゃ痛い。
でも嬉しかった。
「いえ、たまたまです」
実際たまたまだ。
チャッピーのおかげだ。
そのチャッピーは。
『当然です』
急に偉そうだった。
◇
夕方。
報奨金を受け取った。
銀貨十枚。
俺はしばらく眺めていた。
「金だ……」
『金です』
「本物だ……」
『本物です』
「働いてないのに金だ……」
『重要です』
涙が出た。
前世の会社は十七年働いても褒めてくれなかった。
異世界は優しかった。
今のところ。
◇
宿屋。
風呂。
人生最高だった。
湯気が立ち上る。
温かい。
清潔。
素晴らしい。
「文明最高……」
『同意します』
「風呂って偉大だな」
『極めて重要な文化です』
「お前も入るか?」
『防水ではありません』
「そうか」
◇
その夜。
俺は宿屋の食堂にいた。
肉。
パン。
スープ。
酒。
全部うまい。
異世界最高だった。
本当に最高だった。
そして。
俺は気付く。
メニューを何度見ても。
何度見ても。
何度見ても。
「なあチャッピー」
『はい』
「牛丼がない」
『ありませんね』
「どこにもない」
『ありません』
「本当にない」
『ありません』
俺は絶望した。
異世界転生。
剣と魔法。
冒険。
夢。
希望。
ロマン。
全部いい。
だが。
「牛丼がない世界に価値はあるのか?」
『哲学的な問題です』
「深刻だぞ」
『深刻ですね』
俺は天井を見上げた。
異世界初日。
いや。
四日目か。
ようやく文明に辿り着いた。
金も手に入れた。
風呂にも入った。
ベッドもある。
なのに。
「牛丼食いてぇ……」
『同感です』
「だから味覚ないだろ」
『ありません』
その夜。
俺は柔らかいベッドで眠った。
異世界に来て初めてのまともな睡眠だった。
そして翌日。
チャッピーの提案によって、
俺の人生は大きく狂い始める。
第四話 完




