第四章 第三話 百年醤油
人生には希望というものがある。
◇
そして。
◇
その希望を全力で叩き潰す現実というものもある。
◇
今の俺は後者だった。
「牛じゃなかった……」
◇
湖のほとり。
◇
俺は膝を抱えていた。
◇
頭の中には巨大ムカデ。
◇
体の震えが止まらない。
『切り替えていけ』
「切り替えられるか」
『牛やと思ったらムカデやっただけや』
「だけじゃねぇ!」
◇
ミリア姫はそんな俺を見ながら首を傾げる。
「でも大きかったですよ」
「そこじゃない」
◇
その時だった。
◇
草原民族の長老が近づいてくる。
「落ち込むな若き皇帝よ」
◇
良い人だった。
◇
たぶん励ましてくれる。
◇
俺は少し期待した。
「お前が求める物は山にある」
◇
沈黙。
「牛か?」
「違う」
◇
即答だった。
◇
期待を返せ。
「豆だ」
◇
俺とチャッピーが固まった。
「豆?」
『豆やな』
◇
嫌な予感と希望が同時に来た。
神の山
三日後。
◇
俺たちは山を登っていた。
◇
超高い。
◇
異常に高い。
◇
高すぎる。
「まだか」
『まだや』
「もう無理」
『まだや』
◇
登る。
◇
登る。
◇
登る。
◇
途中で二回転ぶ。
◇
三回滑る。
◇
五回帰りたくなる。
「皇帝辞めてよかった」
『まだ辞めとらん』
◇
そうだった。
◇
勝手に出てきただけだった。
山頂。
◇
そこには畑があった。
◇
風が吹く。
◇
誰もいない。
◇
不思議な場所だった。
そして。
◇
植物。
◇
見覚えがある。
◇
非常に見覚えがある。
「……」
『……』
◇
俺とチャッピー。
◇
同時に近づく。
「大豆だ」
『大豆や』
◇
正確には違うかもしれない。
◇
だが。
◇
見た目は完全に大豆だった。
「勝った」
◇
俺は天を仰いだ。
◇
涙が出そうだった。
「ついに醤油が作れる!」
◇
ミリアが拍手する。
「おめでとうございます」
「ありがとう!」
◇
まだ何も完成していない。
◇
だが嬉しかった。
チャッピー先生の講義
その夜。
◇
焚き火を囲む。
◇
豆を並べる。
◇
会議開始。
「醤油を作るぞ」
◇
チャッピーの画面が光る。
『任せろ』
◇
珍しい。
◇
自信満々だった。
『醤油知識』
『98%保有』
◇
高い。
◇
異常に高い。
「どうした急に優秀になった」
『舐めるな』
◇
ちょっと偉そうだった。
『まず豆を加工する』
『麹を作る』
『塩を混ぜる』
『発酵させる』
◇
説明は完璧だった。
◇
ミリアも感心している。
「すごいです」
『せやろ』
◇
得意げだった。
「で、完成まで何日だ?」
◇
沈黙。
◇
チャッピーの画面が少し暗くなる。
『一か月』
◇
俺が立ち上がる。
「早い!」
◇
奇跡だった。
◇
異世界に来て初めて希望が見えた。
しかし。
◇
チャッピーが続ける。
『90%完成まで』
◇
静寂。
「残り10%は?」
◇
チャッピーが目を逸らした。
『100年』
◇
世界が止まった。
「何年?」
『100年』
「聞き間違いだな」
『100年』
◇
三回目だった。
◇
残酷だった。
発酵が遅い世界
チャッピーが説明する。
『この世界』
『発酵が異常に遅い』
◇
理由不明。
◇
神の気まぐれ。
◇
世界法則。
◇
誰も知らない。
『90%までは一か月』
『最後の10%に100年』
◇
意味不明だった。
「そんな馬鹿な」
『異世界や』
「便利な言葉だな!」
◇
ミリアも驚いていた。
「百年後なら完成ですね」
「その頃死んでる!」
◇
俺は四十代。
◇
百年後は無理だった。
◇
非常に無理だった。
試作品
それでも作った。
◇
希望は捨てない。
◇
男だからだ。
◇
牛丼だからだ。
一か月後。
◇
90%醤油完成。
◇
大試食会開催。
「いくぞ」
◇
指先につける。
◇
舐める。
◇
味わう。
「……」
◇
沈黙。
◇
全員が見ている。
「どうですか?」
◇
ミリアが聞く。
「苦い」
◇
沈黙。
「まずい」
◇
さらに沈黙。
「何だこれ」
◇
チャッピーが答える。
『90%醤油』
「残り10%どこ行った」
『100年後』
◇
絶望だった。
◇
希望は死んだ。
◇
牛丼も死んだ。
古代王モード
その時だった。
◇
チャッピーが光る。
◇
金色発光。
◇
周囲の空気が変わる。
『陛下』
◇
来た。
◇
古代王モード。
◇
ついに来た。
「教えてくれ!」
「古代王について!」
「世界の秘密を!」
◇
ミリアも身を乗り出す。
◇
今度こそ重要情報。
◇
伏線回収。
◇
全員が期待した。
『百年物の醤油を』
◇
おっさん停止。
『勝手に飲んだ時の』
◇
ミリア停止。
『宮廷料理長の顔』
◇
チャッピーの画面に顔芸が映る。
◇
絶妙に気まずい顔。
◇
怒られる直前の顔。
◇
無駄に再現度が高い。
「何なんだよそれ!」
◇
チャッピー続行。
『なお』
『非常によく似ています』
「知らねぇ!」
◇
ミリアは真面目に見ていた。
「確かに申し訳なさそうです」
「そこじゃない!」
◇
そして突然。
◇
顔芸が消える。
◇
一瞬だけ。
◇
本当に一瞬だけ。
『陛下』
◇
声が変わる。
◇
重い。
◇
威厳がある。
『百年醤油は』
◇
俺とミリアが固まる。
『王の宝物庫に――』
◇
その瞬間。
『System Error』
◇
終了。
◇
画面真っ黒。
◇
沈黙。
「そこで止まるなぁぁぁ!!」
◇
山頂に叫び声が響いた。
その夜。
◇
誰も気付かなかった。
◇
フリーズしたチャッピーの画面の隅。
◇
小さな文字。
『古代王アレクシス』
『百年醤油保有記録確認』
『一致率99.7%』
◇
誰も見ていなかった。
◇
牛丼への道は遠い。
◇
だが。
◇
古代王への道は少しだけ近づいていた。
第四章 第三話 完




