96 憧れの背中【ルーク視点】
クラウスが立ち去った後も、ダンジョンの中には重苦しい空気が漂い続けていた。
「なんでこんなことになるんだ……」
「一貴族として、一先輩として、風上にもおけない振る舞いだ!」
「素晴らしい方だって信じていたのに……」
口々に非難の声が漏れる中、ルークは俯いたまま動けずにいた。
このダンジョンで得られるはずだった恩恵を失ったことは、紛れもなく大きな痛手だった。
他の一年生グループに対し、何もせず出遅れることを意味する。
しかしルークにとっては、それ以上に重くのしかかることがあった。
「僕がこのグループのリーダーだったのに……止めることができなかったなんて」
呟きは、誰に向けたものでもなかった。
先日の合同授業でソフィアに敗北し、それでも一から這い上がろうと気持ちを切り替えていた矢先のことだ。
その出鼻を、こうも無残に挫かれてしまうとは。
平民でありながら、王立学園への入学を志した理由は一つ――どんな理不尽からも、大切な存在を守れるだけの力が欲しかったから。
だがそれが今日、まったく果たせなかった。
そんなルークの肩に、静かに手が添えられる。
「しょうがないよ、ルーク。レンフォード侯爵があんなことを企んでいるなんて、誰にも予測できるはずなかったんだから」
「シャーリィ……ありがとう。けど、それでも僕は……」
「けど、不思議よね」
「え?」
予想外の言葉に、ルークは顔を上げた。
シャーリィは「う~ん」と小首を傾げながら、どこか釈然としない様子で続ける。
「いくらこのダンジョンで得られるものが多いとはいえ、それは私たち新入生レベルでの話だもん。レンフォード侯爵って、単独で魔王軍幹部を討伐できるほどの実力だって噂よね。そんな人がわざわざ評価の落ちるリスクまで背負って、私たちから独占しようとする理由ってあるのか?」
「それは……」
言われてみると、確かに筋が通らなかった。
なぜわざわざこれだけの手間をかけたのか。報酬といえど、あの実力者にとっては取るに足らないはずのものを。
それに、ルークには引っかかっていることがもう一つあった。
改めて思い返してみると、ダンジョンに入ってからのクラウスの行動や発言が、どこか作為的に感じられたのだ。
まるで、ルークたちを何かへと誘導しようとしているかのような――
「が、はっ……」
その時だった。
痛みを堪えるような声が。ダンジョンのどこかから聞こえた。
しかし周囲を見渡しても、学生たちに傷は一つもない。
勘違いとして切り捨てるには、あまりにも生々しい声だった。
(なんだ……? 僕たちは何か、大切なものを見落としているんじゃ――)
「お、おい、見ろ! 何だアレ、いきなり空間が歪んで……!」
ルークが答えに辿り着くより先に、学生の一人が立ち上がり、震える指先をダンジョンの奥へと向けた。
遅れてルークたちも視線を向けると、確かにそこには不自然に歪んだ空間が広がっていた。
しかし、本当に驚いたのはここからだった。
歪んだ空間の中から、全身に焦げ跡をつけた異形の男性が姿を現したのだ。
「「「なっ!」」」
場の全員が言葉を失う中――弱り切った様子の男性は振り絞るように口を開いた。
「貴様ら! なぜこの私――邪神界序列99位【隠蔽のヴィンディ】がここに潜んでいると分かった! さるお方の命を受けて潜入し、出現する魔物を学生風情では敵わないレベルまで強化しておくことで、貴様たちの戦力を測るとともに数減らししておく手筈だったのに!!!」
衝撃の計画を明らかにする邪神ヴィンディ。
そもそも邪神とは、通常は特定の肉体を有さず、精神体にて活動する強力な存在。
その実力は、一体一体が魔王軍幹部に匹敵すると言われている。
まさかそんな存在が潜んでいたのかと絶句するルークたち。
それにダンジョンの魔物が強化されていたことなど、初めて挑戦する自分たちは全く気付いていなかった。
もし予定通りに自分たちが戦っていたら――
その先を想像し、ルークの背筋に冷たいものが走る。
(そんな……それじゃ、あのまま魔物と戦っていたら僕たちは殺されていたかもしれない……仮に魔物は倒せたとしても、その後は潜んでいた奴が立ちはだかったはず――はっ! まさかレンフォード侯爵は、初めからそれを知っていて案内人になったのか……!?)
突拍子もない発想だった。
しかし、噂で耳にしたことがある。
クラウス・レンフォードは聖人であると同時に、偉大なる策略家でもある。
一度聞いただけでは理解しがたい言葉の中に真の狙いが込められており、それは相手の実力を計りながら、その成長を願ってのものだと。
それを踏まえ、ルークはクラウスが最後に残していった言葉を脳裏に呼び戻す。
『それでは俺の役目はこれで終わりだ。まだこのダンジョンに用があるのなら、好きに探索でも討伐でもするがよい――もっとも、お前たちにそれが可能ならばの話だがな』
単純に受け取るなら、報酬も魔物も失ったルークたちへの皮肉。
しかし捉えようによっては、まだ討伐できる対象がこのダンジョンに残されており、それにお前たちは気付けるか――そう問いかけているようにも聞こえた。
そして今、その答えが現実として目の前に広がっていた。
ヴィンディはクラウスによる雷魔術をまともに受けた影響か、まともに動ける状態にはない。
通常であれば、新入生が邪神と対峙するなど正気の沙汰ではない。
だが、クラウスの意図を信じるなら――
「奴が弱り切っているうちに、僕たちの手で討伐するぞ!」
ルークの声が、重く沈んでいたダンジョンに響き渡る。
「なっ、相手は邪神だぞ⁉︎」
「できるはずだ! 僕たちなら!」
「っ!」
一瞬の間があった。
しかしルークの迷いのない目を見た瞬間、仲間の一人が口元に笑みを浮かべながら言い返す。
「……はっ、しょうがねぇな。平民のお前にそこまで言われちゃ、貴族の俺たちが引くわけにもいかねぇよ!」
「行くぞ!」
「「「おう!!!」」」
恐れていた学生たちがルークの檄に感化され、各々の意志をもって攻撃を仕掛ける。
ヴィンディはボロボロの状態でも足掻こうとしていたが、全力の魔術を受けた体はすでに限界だったようで――
「喰らえぇぇぇぇぇえええええ!」
「ば、馬鹿な! 邪神であるこの私が、駆け出しのガキ共にやられるなどぉぉぉぉぉ!」
渾身の一振りを叩き込んだルークの剣が、ヴィンディの胸に届く。
それがトドメとなったようで、ヴィンディは断末魔とともに消滅した。
「っ、これは……」
直後、ルークは自分の体が急激に軽くなった感覚に、思わず息を呑む。
これは強敵を倒した際に訪れる成長の印。
しかし、これまで幾度となく経験したものとは程度が明らかに違った。
内側から強力な何かが満ちてくるような感覚だ。
同じことを他の一年生たちも感じたようで、
「すげぇ……こんな感覚、生まれて初めてだぞ!」
「邪神がそれだけの強者だったってことか」
「この成長具合……もしかして、魔物たちを倒せなかったことを考慮してもおつりが来るんじゃ……!」
口々に感想が零れる。
そんな中、一人の学生がぽつりと漏らした。
「はっ、レンフォード卿も間抜けだな。せっかくの本命を見落とすなんて――」
「いや、それは違うよ」
ルークの声が、その言葉を静かに遮った。
「……どういうことだ?」
「聞いてくれ。実は――」
前置きの後、ルークは自分が辿り着いた推測を語り始める。
最初は半信半疑だった周囲も、言葉が続くにつれて表情を変えていった。
「そんなことがあり得るのか?」
「確かに……筋は通っているような」
「けど、だったらどうしてあんな酷い言葉の数々を?」
当然の疑問だった。
しかしルークはそれにも答えを持っていた。
「それは簡単さ。きっとレンフォード侯爵は、この実習を通して僕たちを試していたんだよ。侯爵の真の狙いに気付けるかどうか、ってね」
言いながら、ルークは視線を周囲に向ける。
「だってそうだろう? レンフォード侯爵の噂を知っていたら、あんな悪逆非道な振る舞いをする人じゃないことはすぐに分かる。目の前の出来事だけじゃない――それにまつわる全ての情報を多角的に精査して、判断することが重要だと侯爵は言いたかったんだ。それに――」
そう言って、ヴィンディが姿を現した場所へと視線を向ける。
邪神の体は既に消滅していたが、代わりに彼が隠し持っていたのだろう財宝の数々が床に転がっていた。
「侯爵ともあろう者が、邪神の存在だけを見逃すはずがない。つまり侯爵はあえて邪神を弱らせた上で、その後の討伐を僕たちに任せてくれたんだ。僕たちを試すと同時に、本来僕たちが得られるはずだった以上の報酬を与えるためにもね」
邪神を討伐した時の成長はもちろん、床に転がる財宝の数々はこのダンジョンで得られるはずだった報酬とは比べ物にならない価値を持っているだろう。
ルークの言葉に、ようやく全員に得心がいった様子だった。
「そうだよな。貴族も平民も分け隔てなく接し、領地を発展させてきたというあのレンフォード侯爵が、あんな悪人のわけがない」
「遠征先の【冥府の大樹林】では、大樹林の開拓に加え、エルフ族を配下に加えてみせたという噂もあったわよね。過去誰も叶わなかった偉業を易々と成し遂げてみせるあのお方なら、確かにそれだけのお考えがあっても不思議じゃないわ!」
「そして何より、その全てが俺たちの成長を願ってのことだったなんて……レンフォード侯爵は……いや、クラウス先輩はなんて素晴らしい人なんだ!」
賑わいだす面々の中、シャーリィがルークに歩み寄る。
「お疲れ、ルーク。すごい活躍だったわね」
「僕だけじゃなくて、皆の頑張りのおかげさ」
「謙遜する必要はないわ。きっとレンフォード侯爵だって、同じことを思ってるはずよ」
「えっ?」
シャーリィは小さく微笑む。
「だってそうでしょ? 数いる学生の中からルークをリーダーに選んだのもそうだし、実際、真っ先に侯爵の行動を不思議に思い反論したのも、邪神討伐の指揮を取ったのも貴方だった。最後に会長選に出てくるよう言っていたのだって――ルークをライバルに認めてくれたからじゃないかな?」
「僕を、ライバルに……」
その言葉が、ルークの胸の奥で静かに響いた。
今日、改めてクラウスの凄さを実感した。
あれだけの人物に、今の自分では到底渡り合えるとは思えない。
そんなことは分かっている。だけど――
「……シャーリィ、僕、会長選に立候補してみるよ」
自然とそう口に出ていた。
「今の僕が侯爵に勝てるとは思っていない。だけどあの背中を追っていけば、僕はもっと成長できると思うんだ!」
「……うん! それがいいよ、ルーク! 私も精いっぱい応援するからね!」
「ありがとう、シャーリィ」
立候補を決めたルーク。
結果としてクラウスの狙い通りになったわけだが、ルークが出馬を決意した理由は、憎しみからではなく憧憬から。
それは当初の目論見とは、全く反対のものだった。
ルークが視線を学生たちに向けると、話題はやはり、自然とクラウスのことへと向かっていった。
自分たちのために評判が下がるリスクまで背負って導いてくれた彼には、侯爵ではなく敬意を込めて先輩と呼ぶのが相応しい。
そんな意見が全員に支持された結果――――
「「「先輩! 先輩! 先輩!」」」
テンションの上がりきった声が、ダンジョンの奥まで響き渡る。
もちろんルークもシャーリィも、その中に交じっていた。
こうしてクラウスは、一年生たちから圧倒的な評価を手に入れることとなったのだが――当然その事実を知る由もなく、帰路につきながら「はーはっはっは!」と高らかに笑い続けているのだった。
やっぱり慕われてしまうクラウスさんでした。
次回、嫌われていると勘違いしたままのクラウスが、さらに先輩風をふかして好き勝手します!
どうぞお楽しみにお待ちください!




