87 王立学園
王都へと向かう馬車の中。
ふと、マリーの視線が俺の左手の甲に注がれていることに気付いた。
「なんだマリー、これが気になるのか?」
「い、いえ、決してそのようなことはありません」
そう答えるマリーを横目に、俺は改めて左手の甲に刻まれた紋章を眺める。
何を隠そう、これはミリカトルとの契約の証である。
というのもだ。ミリカトルがレンフォード領にやって来てから、称賛される機会が確実に増えていることに気付いたのだ。
魔物大暴走にレンフォード防衛戦、そして【特殊固定魔力砲台】関連のあれこれといい、あの邪神が関わった案件は齎される結果が他の時よりも大きく、致命的なものがほとんど。
――もっとも、そのうちの幾つかは俺が命令したものだったりするのだが、それはさておくとして――
仮にも賢帝邪神を名乗るだけあって知識は豊富だし、何をしでかすか分からないという意味では、これまで関わってきた者の中でも最大級の危険分子といって差し支えない。
だからこそ俺は、出発前にアイツを契約で縛ることにしたのだ。
契約内容は単純。「俺を苦しめる行いを慎め」というものだ。
最初こそ「意味が分からんぞ!? 心当たりがなさすぎるわ!」と渋い顔をしていたミリカトルだったが、俺が不在中にドーナツや黄金フィナンシェを好きなだけ食べていい、卓越した知識も菓子関連の開発などに限り使用して構わないと条件を提示した途端、「実質わらわにとっては恩恵しかないという訳じゃな!」と目を輝かせて頷いていた。
(これでミリカトル関連の悲劇からはひとまず逃れられることだろう)
そう考え、にやりと笑みを浮かべる俺の横では――
「昨夜からご主人様と二人きりで工房に籠っていただけに飽き足らず、物理的な繋がりまで頂戴するとは……ミリカトル様は相変わらず……」
マリーが何やら重々しい声で呟いていたが、俺の耳に届くことはないのだった。
◇◆◇
馬車が王都の門をくぐったのは、出発から一週間後のことだった。
前回の滞在時とは異なり、今回は長期間腰を据えることになる。
俺はそのことを再確認しながら、マリーと共に王立学園へと向かった。
王立学園はソルスティア王国の王都セレスティアーリの東端に位置する。
王城や商業区からは少々距離があり、前回の訪問時には遠くから外観を眺めるだけで中に入ることは叶わなかった。
しかし今回は違う。
『アルテナ・ファンタジア』においてここは物語の舞台そのもの。いわば最大の聖地だ。
敷地の門をくぐった瞬間、思わず「おお……」と息が漏れた。
敷地は広い。予想以上に広い。
石畳の通りを挟むようにして幾つもの校舎が立ち並び、その合間を制服姿の生徒たちが行き交っている。
ゲームの画面越しに何度も見た光景が、今は全て現実として目の前にある。
そんな中でも特に、俺の視線を釘付けにしたものがあった。
「……あれが天空ダンジョンか。この距離で見ると、なかなか壮観だな」
校舎の遥か上空に、巨大な島が浮いていた。
島の周囲を淡い魔力の光が籠のように覆い、島の上には石造りの塔や回廊が見え、全体的に古びた威厳を纏っている。
あれこそ、ゲームにも登場した【天空ダンジョン】だ。
ゲームにおいて【天空ダンジョン】が解放されるのは物語終盤に入ってから。
その難易度はかつて挑んだ【エルトリア大迷宮】をも大きく上回り、攻略に数時間を要するギミックが幾重にも存在する。
実質的には、本編終了後に完全攻略を目指すことを想定された、やり込み勢専用のダンジョンといえばイメージしやすいだろう。
(せっかくの機会だ。学園滞在中にここも攻略し、中の報酬を根こそぎ手に入れてやろうじゃないか!)
胸の高鳴りを抑えながら、俺は意気揚々と敷地の奥へと進んでいくのだった。
その後は寮に向かい荷物を置き、割り当てられた部屋でひと息ついた。
マリーたち従者とは階が別れており、従事する時だけこちらに来る形になる。
館での日々と同じ形というわけだが、俺はこれに少しだけ思うところがあった。
「しかし残念だな。今後のことを考えれば、卒業までマリーと同室の方が望ましかったんだが……」
「ふぇぇ!? ご、ご主人様!?」
暗殺を目論むマリーが常に部屋にいれば、対応力や注意力を劇的に鍛えられるはずだ。
そう思っての呟きだったのだが、マリーは顔を真っ赤にしながら狼狽え始める。
恐らく、卒業まで暗殺が成功しないという意味に受け取られてしまったのだろう。
以前にも似たようなことを言って怒らせた記憶があるが、二度目でも同じだけの効果があるらしい。
よし、それならこれからも事あるごとに言ってやろうかと考える俺の前では、マリーが怒りによる震えを抑えきれないと言った様子で続ける。
「も、ももも、もちろん、ご主人様がお望みになられるならいつ何時でも馳せ参じます! そう、たとえ門限が過ぎようと、どれほど離れていようと……!」
「あ、ああ」
時間も距離も関係なく馳せ参じる。
普通に考えれば不可能なはずだが、そう告げるマリーの目には確信が宿っていた。
いったいどのような手段を用いるつもりなのかは分からないが……それだけの覚悟で俺の命を狙い続けているということだろう。
もしくは【冥府の大樹林】で諜報部隊を率いていく中で、何か俺の知らない能力を手に入れていたのかもしれない。
さすがは俺が見込んだ従者。油断ならない。
これは部屋が離れていても決して気を緩めてはならないなと、強く肝に銘じるのだった。
そして一夜が明け、新年度の始業当日。
俺はゲームの記憶を頼りに一人で校舎内を歩き、教室に向かっていた。
ちなみにマリーとは別行動だ。
俺たち生徒が教室に集まる一方、従者組もこの学園で生活する上での注意点などを改めて教えられるらしい。
授業に関しても従者が必要な場合と不要な場合があり、なんなら従者専用の授業も用意されているらしく、必ずしもマリーを付き従えて学生生活を送るというわけではなさそうだ。
「っと、ここか」
ようやく二年の教室に辿り着く。
扉を開け中に入ると、ざわっと空気が揺れるのを感じた。
視線が一斉に集まってくる。
一年の空白を経て戻ってきた復学生というだけでも注目を集めそうなものだが、俺の場合はそれだけで済まないらしい。
聞こえてくる声に耳を傾けると、やはりというべきか、様々な評判が飛び交っていた。
「あれがレンフォード卿!? 本当に実在したのか……!」
「魔王軍幹部を二人も倒したというのは本当なのか?」
「侯爵への陞爵もあったとか。信じられん……」
「旧マルコヴァール領の滞在時には伝説のエルフ族を配下に置き、国家反逆を目論んだ輩を無力化してみせたって話だ」
「何かの間違いじゃないのか? 噂なんて信用できたものじゃないぞ!」
称賛する言葉にはイラつくが、疑う言葉には思わず頬が緩む。
そうだ、疑え。どんどん疑え。
その懐疑心こそが、俺の悪評を広げる土壌となるはずだからだ。
(そのうち、必ず全員を恐怖のどん底に陥れてやる――)
俺がそんなことを考えながら席につこうとした、その瞬間だった。
「待っていたぞ、クラウスくん!」
突如として教室全体に響き渡る叫び声。
聞き慣れたその声に視線を向けた俺は、そこにいる人物を見て目を見張った。
(アイツは……!)
そこには俺が見知った――クラウスに転生してからではなく、前世で幾度となく見てきた人物がいた。
透き通るような青色のセミロングが特徴的な少女――エレノア・コバルトリーフ。
『アルテナ・ファンタジア』に登場するメインヒロインの一人だった。
久々の再登場!
エレノアさんです!!
次回は9月3日(木)12時頃、更新予定です。
どうぞ楽しみにお待ちください!!
それから本作のコミカライズ版が、現在ガンガンONLINE様にて連載中となっております。
村上メイシ先生の手によって最高のクオリティに仕上げていただいているので、楽しめること間違いなしです!
この機会にぜひご一読ください!




