第4話 崖際の攻防? 覚醒した黒井詩織から逃げます!
はぁ、やっと一日が終わった。
結局あの共通講義からずっと、同じ学部のやつらは黒井の噂話をしていたな。
食堂にも彼女は顔を出さなかったし、まぁ相当堪えているのだろう。
俺はまたしてもキャンパスの出入り口付近で立ち止まり、スマホを見た。
弱みを握った写真、約束通り消しとくか?
もうあいつとは、関わることはないだろうし。
黒井詩織......俺の幻想を打ち壊した女。
メシモクだろうと、性格が悪かろうと、彼女の姿が視界に入るだけで未だにドキっとすることがある。
いや、いつまでも拘っていてはダメだ。
「よし、消すぞ」
俺はそう1人言を吐き、彼女の画像を削除した。
写真フォルダが並び変えられ、もう何度スライドさせてもあの画像はない。
これで俺と彼女の因縁は完全に断ち切れた。
そう思い、一歩踏み出した瞬間のことだ。
昨日と同じく、俺以外の人影がもう1つ地面に映る。
しかも腕の先には何やら刃物の形をした何かが......。
「やぁまぁはぁるぅ......さん!」
俺は咄嗟に生命の危機を感じ、その影から距離をとった。
振り返ると髪の毛先がスパッと切断される。
切り離された毛は小風と共にどこかへ運ばれるが、俺は視線をそちらへ動かすことはできずにいた。
何故なら、黒井詩織が包丁片手に物凄い形相をこちらへ向けているからだ。
「あんたのせいで、私の人生プラン崩れたのよね。どう責任取ってくれるの?」
彼女は腕をだらんと垂らし、揺ら揺らしながらジリジリと距離を詰めてきた。
俺は慌ててスマホを取り出すも、画像を削除してしまったのを思い出す。
や、やばい今俺には彼女の暴走を止める手段が......。
苦し紛れに俺は説得を試みる。
「黒井さん、あの噂のことだろ? まぁ確かにイメージは悪くなったかもしれないけど、何もここまでしなくても」
そう早口で話すと、彼女はブンブンと頭を横に振った。
「あなたねぇ、大企業は身辺調査といって大学や高校での立ち振る舞いがどうだったか調べられるのよ。私が努力で積み重ねたイメージをよくも......よくも壊してくれたわね。貧乏の私が勝ち組になるチャンスを......。覚悟......出来てなくても、一緒に死んでもらうわよ?」
彼女は涙を流しながら、包丁を振り上げる。
あぁ、もう話し合いで解決できそうにない。
俺はライオンから逃げるように、その場から走り出した。
陰キャで体力もないが、立ち止まれば死ぬという状況のせいか、呼吸が苦しくても足が止まりそうにない。
ていうかここは駅までの道が山道みたいになっているから、バス以外は通ってないんだよなぁ。
やばい、足は限界ではないけど呼吸が厳しくなってきた。
彼女は運動神経も良いから、追い付かれるのは時間の問題だ。
「ヤマハル! 絶対に地獄へ落としてやるからな!」
黒井は包丁を振り回しながら、ひたすら俺のマッチングアプリでの名前を連呼していた。
「ひぃ、ごめんなさい!」
その狂気的な様に呆気にとられ、俺ははずみで直角で曲がるガードレールに気づかず突っ込んでしまった。
それに身を乗り出し、急斜面を転がり込んだ。
枝や葉によって手足に擦り傷を作り、ようやく身体を起こすことができるようになった。
周囲を見渡すと隣は断崖絶壁で、後一回転していればあの世だったようだ。
肝を冷やし一息つくと、転がり落ちた斜面の方からけたたましい音が響く。
ジャキジャキと切り裂く音と共に、枝や葉がその場に舞う。
あれはもしやと薄っすら予感し、俺は生唾を呑んだ。
そして目の前の茂みから突如、黒井詩織が飛び出した。
嘘だろ、この斜面を駆け降りてきたのか!?
俺は鼻息荒く、獣のような眼光を向ける彼女に後ずさりした。
崖際に足が付くと、下へ小石が落ちていく。
やべぇ、もう逃げられない。
「......死ねぇ!」
彼女は突進し、刺突する構えをしてきた。
俺は一か八か、砂を彼女の顔にかける。
「きゃっ」
目を閉じた隙を狙い、俺は崖際から脱出した。
振り返ると彼女はまだ視界が見えていないのか、崖から片脚を出す。
「......黒井詩織!」
間一髪、俺は包丁を握っていた彼女の腕を掴むことに成功した。
くっ、女性とはいえ持ち上げるの結構きつい。
俺が両腕を使い、彼女の身体を崖から引き揚げようとしたその時。
黒井はもう片方の手で、俺の腕をひっかいた。
「いてっ、何するんだよ!」
「うるさい! 一緒に、一緒にここで死ね!」
彼女は引き揚げられないよう、崖のくぼみに足をかける。
そして俺と黒井の生死をかけた引っ張り合いが始まった。
「くっ、なんでそこまで死にたいんだよ!」
そう叫ぶと、彼女は口を開いた。
「私は......私は馬鹿にされないぐらい、お金持ちになりたかったのに。お前が邪魔したせいで、もう無理なんだよ! だから死ねぇ!」
彼女は爪を立て、さらに俺の腕に傷をつける。
馬鹿にされないぐらい......もしかして黒井は、貧乏なことを周りに言われ続けてたのか?
だからなのか知らないが、ここまで良い人ぶって学力を付けた?
いや、そんなのどうだっていいか。
いくら因縁深い相手だからといって、死なれたら目覚めが悪いわ!
なんとしても、黒井を引き揚げないと。
そのためには......この彼女の抵抗を止めなければ。
何か、何かないのか。
彼女が油断する......何か!
よよよし、あれを言うしかないか。
「黒井詩織......好きだぁぁ!」
そう叫ぶと、彼女は顔を下げて抵抗を一瞬止めた。
唐突な告白に面を喰らったようだ。
俺も別に今は好きとかそういう感情、持っている訳ではないが。
だが、この場で油断させる案としては悪くないか。
そしてようやく、彼女の身体は崖から生還を果たした。
引き上げるのに体力を使い切り、俺は仰向けに倒れ込む。
ぜぇぜぇと呼吸していると、彼女はゆっくりと立ち上がりこちらを向いた。
「お前さ、頭おかしいだろ? 好きな相手を困らせる癖でもあんのか?」
彼女はそう男勝りな口調でいってきた。
もはや何を話しても、黒井詩織から逃げることはできない。
ここは正直に胸の内を吐き、命を委ねるしかなさそうだ。
「ま、まぁそこは否定できない。後好きだっていうのは嘘で、正確には好きだっただ。君がメシモク女じゃなければずっと、ずっと片思いし続けられたのに」
そう顔を反らすと、黒井は馬乗りになって俺の首筋に両手を添えた。
「首を絞められる」、そう予感すると案の定彼女の手の力が強まる。
「あっそ、そんなのどうでもいいんだよね。私のこと滅茶苦茶にしたんだから、責任とってくれるよね? いや、取らなくてもいいよ」
くっ、首が苦しい......また息が......。
あぁ、黒井詩織......君はなんて奴なんだ本当に。
ポツポツと殺そうとしている相手の胸元に涙を垂らして、そんな悔しいのか?
はぁ、クソみたいな女なのにたまらない顔しやがる。
「お前こんなことされて喜んでいるの? ......キッモ!」
黒井は首絞められながら笑みを浮かべる俺へ、そう吐き捨てるように言い放った。
だがそんなのどうでもいい......もっと、もっと彼女の困った顔が見たい。
だからこのまま、死ぬ訳にはいかねぇ!
「そんなに良い人って思われたいなら......ボランティアでもしろよ!」
俺はむせ返りにながらも、黒井へ解決策を提示した。
だが彼女の力は弱まることはない。
「ボランティアだ? ふざけるな! そんなことしても、植え付けられたイメージは変わらねんだよ!」
「くっ、わからないだろ! 表彰されるぐらい、大きな活動をすれば......うっ、苦しい」
「表彰......」
彼女はそう呟くと、締め上げる手を解いた。
俺は咳を吐き、酸素を大量に吸い込んだ。
はぁ、まじで殺されるところだった。
見上げると彼女は、表彰というワードを何度もつぶやいている。
どうやら、見栄っぱりな彼女にはその言葉が刺さったようだ。
と、思ったのだが再度彼女は首に手を添えてきた。
そして今度はニコっと笑みを浮かべている。
「ふっふっふっ。ヤマハル、お前のアイデアに乗ってやろう」
「じゃあなんで、また首絞めようと」
俺がビクビクしていると、彼女は眼前に顔を近づける。
垂れる髪が頬に触るほどの距離だ。
黒井の甘い匂いと笑顔、そして首に添えられた彼女の手。
全てが俺の思考をバグらせてきやがる。
「私に命を狙われたくなければ、お前が協力するんだよ。私がまた、良い人に戻れるようにな」
彼女はそう俺の耳元に囁いた。
ゾクゾクするような言葉と優しい声色に、理解が追い付かない。
だが生死の危機とあって、俺は意味もわからず首を縦に振った。
その瞬間、彼女は身体から離れる。
「ふひっ、よろしくなヤマハル!」
どうやら俺と黒井の因縁は、まだまだ続くようだ。




