ピクニック
青い空、ふわふわ浮かぶ白い雲、キラキラ輝く湖の水面、息を吸い込めば新鮮な空気で満たされる。
目の前の男がへにゃりと微笑んだ。まるで少年のような笑顔だが、結構なお年、そう、老人である。私の夫となった人だ。
そんな旦那様と私は今、屋敷の外に出て、ピクニックをしている。正確には湖の上、ボートに二人で乗っている。
最初は手漕ぎボートをこんな細い腕でどうやって動かすのだろう、と思ったが彼は慣れた手付きで漕いでみせた。あっという間に岸から離れ、湖の真ん中に来てしまった。
水が澄んでいて魚が泳いでいるのがよく見える。スイスイ泳ぐ姿が面白く、水面を覗き込もうとすると、「危ないよ」と笑われた。
「今日は来てくれてありがとう」
嬉しそうな表情で彼が呟いた。でも私なんかといて楽しいのだろうか。少し疑問である。
「こちらこそ綺麗なところへ連れてきてくださりありがとうございます」
ここは本当に美しい。小鳥のさえずり、木々が風に揺れる音、水面に跳ねる魚の音が耳に染み入る。
そういえば昔まだ小さい時に誰かとこういう場所でピクニックをした気がする。きっと元婚約者と、殿下とだ。草原を無邪気に走り回って、まだ焦げないからボートには乗れなくて……。心の中に懐かしさと悲しさが入り混じる。
押し黙ってしまった私を不思議そうな顔で彼が見る。
「何か考え事?」
「いえ、それより岸に戻りませんか?」
「お安い御用だよ」
彼はまたオールを今日に操り、岸辺に戻ってくれた。
「さて食事にしようか」
芝生に敷いた布の上に座り、食べやすく工夫された食べ物を手にする。
「中庭もいいけど、こういうところで一緒に食べるのもいいね」
「はい。空気が美味しいです」
「僕、いや私はあなたと一緒ならば屋敷の中でもどこでも嬉しいよ」
にこにこ顔でそんなことを言われるとなぜか心臓がトクンと跳ねた。その笑顔はあどけなくて、目を離せなくなってしまう。
「わ、私も一緒に食事をできて嬉しいです」
小さな声でそう返せば、彼は顔を真っ赤にした。
食事を終え、景色を楽しみながら私は彼に話を聞いて欲しくなった。
「昔、私が小さかった頃、まだ母が生きていた頃にこういうところに来たことがあるの」
「母上は優しい人だったね」
「旦那様も母を知っているの?」
「いや、そう聞いたことがあるよ」
母はかつて現王の婚約者だったらしい。けれども婚約解消されてしまい王都では母を悪く言う人も少なくなかった。だから旦那様がそんな噂を信じず、優しい人と言ってくれてとても嬉しい。
「母は焼き菓子を作ってくれて、あの時は殿下とも仲が悪くなくて」
目の端から零れそうになった涙を彼はそっと拭ってくれた。
「殿下と二人でピクニックをして楽しくて。一緒に遊んで、お菓子を食べたりして」
今は辛くても思い出は温かいものだ。
「あの時は楽しかったな。でも今日も同じ位楽しいです」
「楽しい思い出なら何よりだよ」
彼は目を細めて、それからまるで子どもにするように頭を撫でてくれた。これでは祖父と孫である。
「少し眠くなってきた」
そういうと彼はうつらうつらし始めた。私は揺れる頭をそっと寝かせた。そして用意されたひざ掛けもかける。彼の寝顔を眺めているうちにこちらも眠たくなってしまった。
暫く経ってから帰る時間を告げに来た護衛に膝枕姿を見られたのは誤算だった。私と旦那様は二人で顔を見合わせ赤面した。
今日は一日楽しかったな。心地よい疲れと共にベッドに潜り込む。景色は綺麗だったし、子どもの頃に乗れなかったボートにも乗れた。
あの時はそれでも無理に乗り込もうとした私と殿下を殿下が止めて……。そこではたと違和感を覚える。あれ?殿下が二人いる?
もう一度よく思い出してみよう。確か、ボートに乗り込もうとした私達を止めたのは殿下だった。子どもだけでは危ないから、と。でも一緒に乗り込もうとした子がいた。だから私の他にもう一人いた筈だ。あれは殿下ではなかったの?
そうだ、あの時私達は3人だったのだ。あれは誰だったのか。昔のこと過ぎて忘れてしまった。
殿下がいるから勿論護衛もいて、それなのに帰り道に森で道に迷って……。そこまで思い出し、体がゾクリと震えた。
「大丈夫、大丈夫、怖い獣はもう行ってしまったから」
大泣きする私の体を抱きしめて、誰かが優しく言い聞かせる。
「僕は何があっても大切なあなたを守る」
そう私に言ったのは殿下だった筈……。




