第57話:国外追放完全消滅! 自首したはずが国家最高権力者に昇格した日
――パァァァァァァァァンッッッッ!!!!
王宮最上階【天上の大広間】に、そして夜の帳を黄金色に染め上げる王都の全域に、建国以来最大音量で鳴り響く白銀のトランペットのファンファーレ。
王城の鐘、中央神殿の鐘、さらには下町の時計塔に至るまで、王都中のすべての鐘が一斉に連動して狂乱の祝鐘を乱打し、夜空には王立魔導院が総力を結集した巨大な魔導花火が百発、二百発と連射され、漆黒の天蓋を七色の光の奔流で埋め尽くしていた。
「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっッッッ!!!!」」」
「「「終身名誉守護聖女エレオノーラ様万歳ッッ!!」」」
「「「我らの母! 国の至宝! 聖女様万歳ィィィッッッッ!!!!」」」
大広間を埋め尽くす数千人の大貴族たちが、互いに手を取り合って飛び跳ね、感涙の涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら割れんばかりの拍手を送っている。
開け放たれた大テラスの向こう、王宮前庭にひしめき合う十万人の平民たちもまた、大地を揺るがす勢いで拳を突き上げ、地鳴りのような大合唱を轟かせていた。
その、歴史の教科書どころか神話の創世記の真ん中に放り出されたような、凄まじい熱狂の坩堝の中心。
大講壇の頂点に仁王立ちしたまま――深紅のイブニングドレスを纏った私は、完全に、魂が抜け殻となって直立不動の姿勢で固まっていた。
「…………」
聞こえてくる言葉の数々が、私の鼓膜を通過して脳の受容体に届くたびに、バチバチと音を立ててニューロンが漏電していく。
――【終身名誉守護聖女】。
王家の法規すら超越する、国家最高位の特権階級。王族ですら頭を下げねばならない、実質的な現人神の座。
――【国家予算の一割】。
数兆ゴールドが動くエルディニア王国において、毎年数千億円規模の純金が、私の口座(公爵家の金庫)へ無条件で直送される。
――【永久非課税年金】。
所得税ゼロ。贈与税ゼロ。固定資産税ゼロ。確定申告不要。税務署の査察官が来たら神官長が神罰で消滅させるレベルの超法規的免税。
――【終身支給】。
私が息をしているだけで、死ぬまで一生涯、何もしなくても金が湧き出し続ける。
(……え?)
私の脳内ツッコミ処理装置が、ついに白煙を噴き上げて完全に爆縮した。
(待って。ちょっと待ちなさいよ。
私……今夜、何をしにここへ来たんだっけ?
そうよ、自首よ! セルフ告発よ!!
『私は小麦を買い占めて民を飢えさせようとし、粗大ゴミのミスリルを騎士団長に投げつけ、昼寝のために結界を私物化し、泥水スプリンクラーで他国軍を押し流した希代の悪女です!』って、全校生徒と全貴族の前で赤裸々に悪行をぶちまけたはずよね!?)
そうよ、カンペまで作って朗読したわ!
悪逆非道の大悪党として糾弾され、王太子から婚約破棄を叩きつけられ、貴族院から爵位を剥奪され、護送船で南の島へ追放されるはずだったのだ!
それが、どうして。
どうして、国王自らが王冠を外して最敬礼し、国家最高権力の称号と、国家予算の一割という天文学的な不労所得を押し付けられるという、銀河系史上最大の【超絶大出世】に化けているのか!?
(自首したのよ!? 犯罪を認めたのよ!?
なんで自首した犯人が、警察庁長官と内閣総理大臣を兼任した上に、国家予算の十パーセントを小遣いとして支給されることになってるのよぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!!)
意味が分からない。
前世の社畜時代、会社の備品のボールペンを一本私物化しただけで始末書を書かされた私が、なぜ国家の食糧と国宝と軍隊を私物化したと自供した瞬間に、神様より偉い国家最高権力者へ昇格しているのか!
この世界の法体系はどうなっているのか! 労基署も警察も法務省も、全員揃って脳みそがプリンになって耳から流れ出しているのか!!
私が両目を白黒させ、口を金魚のようにパクパクと開閉させていた――その、刹那。
――カサリ。
私の足元で、絹の衣擦れの音がした。
視線を落とすと、そこには――。
「…………ッ!?」
純白の大礼装に身を包んだ王太子、レオポルト・フォン・アウグストがいた。
彼は壇上の大理石の床に、迷うことなく両膝をつき、完璧な臣下の礼をとっていた。
抱えていた数百本の巨大な真紅の薔薇の花束をそっと傍らの床に置くと、彼は震える両手を伸ばし、私の脱力しきった右手を、まるで壊れやすいガラス細工を扱うかのように、極めて優しく、恭しく包み込んできたのだ。
「レ、レオポルト……?」
私が引き攣った声を漏らすと、レオポルトはゆっくりと顔を上げた。
そのプラチナブロンドの髪が、魔導花火の光を浴びて神々しくきらめいている。
碧眼には、先ほどまでの激しい涙の痕が残りながらも――そこには、打算も、政略も、王族としてのエゴも、一切合切が蒸発し尽くした、純度一万パーセントの【無私の崇拝と愛】が燃え盛っていた。
そして――彼は、自らの礼装の胸元の隠しポケットへと手を差し入れた。
取り出されたのは、夜空の星々を一つに凝縮したかのような、眩い輝きを放つ【特大のダイヤモンドの指輪】。
王家に代々伝わる国宝中の国宝、『星の涙』と呼ばれる伝説の指輪だった。
「エレオノーラ……」
レオポルトの声は、静かだった。
しかし、その一言一言には、一国の運命を覆すほどの、重く、深く、狂気的なまでの決意が込められていた。
「俺は……愚かだった。
お前を王妃教育という名の鳥籠に閉じ込め、公務という名の鎖で縛り付け、お前という類まれなる魂を、王家の枠組みに押し込めようとしていた。
お前が先ほど、自らを悪女と呼び、すべてを己の悪徳として泥をかぶろうとしたのは……他でもない、俺たちのその傲慢さに絶望したからなのだろう」
(いや、違うのよ。ただ南の島でダラダラ寝腐りたかっただけなのよ)
「だが、誓おう。父上の勅命により、お前は本日ただいまより、誰にも縛られぬ【終身名誉守護聖女】となられた」
レオポルトは私の右手の薬指に、冷たいダイヤモンドのリングをそっと滑り込ませた。
寸分の狂いもなく、完璧に私の指にフィットする。
そして彼は、その指先に自らの額を深々と押し当て、誓いの言葉を紡ぎ出したのだ。
「エレオノーラ。……俺はお前を縛る鎖にはならない。
お前が望むなら、王妃の公務など一切しなくていい。
退屈な夜会への出席も、貴族同士の愛想笑いも、書類の山への決裁も、外交の接待も、すべて……すべてこの俺が、命を削って背負い尽くす!」
「……は?」
レオポルトは顔を上げ、私の瞳をまっすぐに見つめた。
その瞳に浮かんでいたのは、これ以上ないほど甘やかで、そしてどこまでも自己犠牲的な笑みだった。
「お前はただ……そこにいて、笑っていてくれるだけでいいんだ。
好きな時に起き、好きなものを食べ、好きな場所で微睡み、たまに気が向いた時にだけ、俺にその美しいお顔を見せてくれれば、俺にはそれ以上の幸せなどない。
……お前が望むなら、俺は一生涯、お前の至高の昼寝を守るための忠犬として、玉座で泥をすすりながら国務を片付け続けよう。
だから……どうか、この国を見捨てないでくれ。俺の傍から、消え去らないでくれ……!」
「…………ッッッッ!!!!」
私の背筋を、巨大な落雷が直撃した。
公務、全免除。
政務、王太子が全肩代わり。
私はただそこにいて、食べて寝るだけでいい。
レオポルトの言葉には、嘘も偽りもなかった。
普通なら「公爵令嬢としての義務を果たせ」と迫るべき王太子が、自ら進んで「俺が二十四時間残業して全部片付けるから、君は一生有給休暇を使ってくれ」と土下座で懇願しているのだ。
前世のブラック企業で、過労死寸前の平社員に向かって「お前の仕事は全部俺がやるから、お前は定時で帰って家でゲームしてていいよ」と言い放つ聖人上司がいたら、即座にノーベル平和賞を受賞するレベルの異次元のホワイト待遇である。
――だが、狂気の忠誠を捧げたのは、王太子一人ではなかった。
「はっ……!!」
ガシャァァァンッ!と大気を切り裂くような金属音を立てて、講壇の左脇から進み出たのは、近衛騎士団長マティアスだった。
マティアスは腰から愛刀たる白銀の大剣を引き抜くと、刀身を両手で水平に掲げ、レオポルトの隣へと力強く膝をついた。
「近衛騎士団長マティアス・ヴァルデン! 我が剣、我が命、我が魂のすべてを、終身名誉守護聖女エレオノーラ閣下に捧げ奉る!
閣下の安眠を乱す者は、たとえ他国の皇帝であろうと、神の軍勢であろうと、我が騎士団が地の果てまで追い詰めて灰燼に帰す!
閣下が望まれるならば、王都のすべての鳥の囀りを止めさせ、風の音すらも剣風で切り裂いて無音の寝室を創り出してみせましょうぞッ!!」
(鳥を黙らせるな!! 風を斬るな!! 物理法則を筋肉で解決しようとするんじゃないわよ!!)
「ふふ……マティアス卿、相変わらず野蛮ですね」
サラリと純白の法衣を翻し、マティアスの隣へと滑らかに膝をついたのは、筆頭神官シルヴァンだった。
シルヴァンは手にした黄金の聖水器を掲げ、うっとりとした陶酔の笑みを浮かべて祈りの祝詞を唱え始めた。
「主なる神の御名において、終身名誉守護聖女エレオノーラ様に、全教会の全権をもって永久の祝福を授けます。
聖女様、神殿の全財産、ならびに大陸全土の教団網は、すべて貴女様の御心のままに。
貴女様が『眠い』と仰るならば、全神殿の鐘を即座に停止させ、王都全域に睡眠促進の神聖結界を twenty-four hours(二十四時間)張り巡らせましょう。……神への祈りなど、貴女様のシエスタ(昼寝)の安寧に比べれば、塵芥ほどの価値もございません」
(宗教のトップが神への祈りを塵芥って言っちゃダメでしょォォォッッ!!!!
信仰を捨てて私の昼寝を神格化するんじゃないわよ!!)
「へへっ、神官の旦那が結界を張るなら、俺は物理で完璧な環境を作ってやるぜ!」
油まみれの作業着のまま、ヒューゴが壇上に駆け上がり、豪快に膝をついて胸を叩いた。
「エレオノーラ様! あんたがもたらしてくれた『怠惰理論』の特許料だけで、我がベルンハルト商会には国家予算級の金が転がり込んでくる!
その全額を投じて、あんた専用の【全自動自堕落生活支援魔導システム】を開発してやる!
寝返りを感知して自動で室温と湿度を0.1度単位で調整するベッド! 指先をピクッと動かしただけで口元へ最高級スイーツを運ぶ魔導スプーン! 歩かなくても空間転移でトイレまで運ぶ転移便座!
あんたは呼吸以外の筋肉を一切使わなくていい! 俺が技術の粋を集めて、あんたを世界一甘やかされた完全無欠のナマケモノにしてやるよォッ!!」
(転移便座って何よ!! あとナマケモノって言うな!! 自堕落の介護ロボット軍団を開発するんじゃないわよぉぉぉっ!!)
そして――。
「「「お姉様ァァァッッッ!!!!」」」
タタタタタッ!とピンクのドレスの裾を跳ね上げ、壇上へ飛び込んできたのは男爵令嬢クロエだった。
彼女はどこから調達してきたのか、両手に抱えた巨大なバスケットから、色とりどりの瑞々しい薔薇の花びらを、まるで紙吹雪のように大広間中へと狂ったように撒き散らし始めた!
「おめでとうございます、エレオノーラお姉様!!
悪女の汚名など、最初からお姉様には一ミリも似合いませんでした!
世界で一番気高く、世界で一番お優しいあのお方が、ついに世界の頂点として認められたのです!
これからは! このクロエがお姉様の専属筆頭侍女として、朝の洗顔から夜の子守唄まで、二十四時間体制でお世話をさせていただきますわ!
殿下? 騎士団長? 邪魔です! お姉様の柔らかなお肌に触れていいのは、このクロエの清潔なタオルだけですわァァァッッ!!」
(お前が一番距離感バグってるのよクロエェェェェッッ!!!!
なんでヒロインが王太子を突き飛ばして私の専属メイドに就任しようとしてるのよぉぉぉっ!!)
さらに、壇下からは――。
裏社会の支配者カシアンが、完璧な紳士の一礼を捧げて微笑んでいた。
「我が商会も、聖女様専用の特別輸送ラインを開設いたしました。世界中の最高級フルーツ、極上の絹織物、南の島の珍味に至るまで、ご注文から一時間以内に離宮へお届けいたしましょう」
そして、大広間の最前列。
私の実の父親である筆頭公爵マキシミリアンが、国王の隣でハンカチを目元に当て、親バカ全開の蕩けきった笑顔で頷いていた。
「うむ、さすがは我が愛娘エレオノーラ……! 一言の演説で国家予算の一割をもぎ取り、王家を完全に屈服させるとは……! グランヴェル家の誇り、いや、世界の至宝だ!」
背後を見れば、筆頭執事クリストフが胃薬の瓶を投げ捨てて感涙の万歳三唱を行い、専属侍女のリディエが「お嬢様の永久不労所得管理台帳」を猛烈なスピードで新規作成している。
――全方位。
完全無欠。
逃げ場ゼロ。
王太子は忠犬となり、
騎士団長は盾となり、
神官長は狂信者となり、
天才職人は介護兵器を作り、
元ヒロインは取り巻き筆頭となり、
大商人は専用補給部隊となり、
国王と父公爵が全力でバックアップし、
外には十万人の信徒が歓喜のデモ行進を繰り広げている。
「…………」
私は、薬指にはめられた眩いダイヤモンドの指輪を見つめた。
そして、ゆっくりと顔を上げ、大広間の天井――燦然と輝くシャンデリアと、その隙間から見える星空を見上げた。
私の脳裏に、昨夜深夜二時半まで徹夜で書き上げた、あの完璧な【自首カンペ】の思い出が、走馬灯のように駆け巡る。
――市場の買い占め。
――国宝ミスリルの投擲。
――古代結界の私物化。
――スラムの強制突貫工事。
――演習林の更地化。
――他国軍への泥水津波攻撃。
全部、言った。
一文字も漏らさず、大声で自白した。
私の目的は、ただ一つだった。
悪名を轟かせ、婚約破棄を勝ち取り、爵位を剥奪され、誰も立ち入れない辺境の南の島へ国外追放されて、一生遊んで寝て暮らすことだった。
なのに。
結果はどうだ?
(……自首したはずなのに……)
私の瞳から、悔しさと、情けなさと、あまりの理不尽さによって、ポロリと一筋の透明な涙がこぼれ落ちた。
(自首したはずなのに……なんで……なんで神様より偉い国家最高権力者に祭り上げられてるのよぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!!)
声にならない、血を吐くような魂の絶叫が、私の胸の中で木霊した。
国外追放?
消滅した。
誰が国家予算の一割を握る終身名誉守護聖女を追放できるというのか。追放令を出そうとした瞬間に、国王が罷免され、近衛騎士団がクーデターを起こし、神殿が破門し、平民十万人が王宮を焼き尽くす。
婚約破棄?
消滅した。
王太子自らが「公務は全部俺がやるから、君はそこにいて笑って昼寝していてくれ」と土下座でプロポーズを上書き強化してきたのだ。
南の島?
行けない。
もし行こうものなら、十万人の国民が荷車を押して全員ついてきて新国家が建国されてしまう。
完全なる、完全無欠の、完膚なきまでの【大・失・敗】。
私の綿密な国外追放計画は。
男たちの重すぎる愛と、民衆の狂気的な信仰心と、周囲の超絶深読みフィルターの津波によって、跡形もなく、分子レベルで木っ端微塵へと粉砕されてしまったのだ。
「エレオノーラ様……! 泣いておられる……!」
「ああ、なんと美しい涙なのだ……! 国を救い、民を救い、ついに報われたその喜びに、神聖なる涙を零しておられる……ッ!」
「エレオノーラ様万歳! 終身名誉守護聖女様万歳ィィィッッ!!」
私が絶望のあまり流した一筋の涙すらも、会場の貴族たちにとっては「奇跡の聖水」として受け止められ、広間は再び割れんばかりの歓声とスタンディングオベーションに包まれた。
ファンファーレが鳴り響く。
花びらが舞い散る。
王太子が私の手を握りしめ、騎士団長と神官長が平伏し、十万人の歓声が夜空を震わせる。
その、世界で一番祝福され、世界で一番愛され、そして世界で一番勘違いされた狂乱の栄光の壇上で。
悪役令嬢エレオノーラは――ただ一人、白目を剥いたまま、完全に魂の電源をパチリと落としてしまったのであった。




