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第52話:全米ならぬ全貴族が泣いた! 王太子の熱烈すぎる自己犠牲解釈

――パチ……パチ……パチ……。

水を打ったように静まり返った王宮【天上の大広間】に、その乾いた、しかし異様なほどに重々しい拍手の音が、一拍、また一拍と静かに響き渡っていた。


大講壇の中央で、私は両手を腰に当て、深紅のイブニングドレスの胸元を反らせたまま、勝ち誇ったドヤ顔をキープしていた。

完璧だった。我ながら、前世の株主総会における歴戦の総会屋すら裸足で逃げ出すレベルの、恐るべき「悪行の全告白」だった。

市場の買い占め、スラムの強制工事、国宝の横領投擲、古代結界の私物化、そして隣国軍への津波攻撃と残飯処分。自らの私利私欲と我が儘のすべてを洗いざらいぶちまけ、「こんな大悪党は今すぐ爵位を剥奪して南の島へ追放なさい!」と高らかに宣言してやったのだ。


(ふふふ……来たわね! 拍手ってことは、誰かが『よくぞ自ら罪を認めた! 衛兵、その悪女を捕らえよ!』と糾弾の号令を鳴らしている合図に違いないわ!)


私は満面の笑みを浮かべ、音の主へと意気揚々と視線を向けた。

さあ誰よ! 私を縛り首……は嫌だから、南の島への護送船へ叩き込んでくれる正義の糾弾者は!


しかし――。

振り返った私の視界に飛び込んできた光景を目撃した瞬間、私のドヤ顔の筋肉は、急速にピキピキと凍りついていった。


「…………え?」


そこにいたのは、怒りに燃える検察官でも、冷酷な法官でもなかった。

壇上のすぐ脇。

数百本の真紅の薔薇で束ねられた巨大な花束を抱きしめたまま、純白の礼装の胸元を濡らし、両手でゆっくりと拍手を送っていたのは――他ならぬ王太子、レオポルト・フォン・アウグストだった。


しかも、その表情。

激怒? 違う。

軽蔑? 天地がひっくり返ってもあり得ない。

そのプラチナブロンドの美貌は、激しい感情の激流によってぐしゃぐしゃに歪み、透き通った碧眼からは、まるで決壊したダムのように大粒の涙がボロボロと、文字通り滝のように零れ落ちていたのだ。

鼻の頭を真っ赤にし、唇を小刻みに震わせ、自らの胸を締め付けられる痛みに耐えるかのように、喘ぐような呼吸を繰り返している。


(……は? な、なんで泣いてるの……?)


私の脳内に、巨大なクエスチョンマークが林立した。

おかしい。どう考えてもおかしい。

ここは、婚約者が国家を揺るがす大悪党だと判明して、誇り高き王太子が「貴様のような卑劣な女、我が妃にふさわしくない! 婚約破棄だ!」と激昂して衛兵を呼ぶ場面のはずだ。

なぜ、全米感動作のクライマックスを映画館の最前列で観劇した観客のような顔をして、感涙に咽び泣いているのか。


私の不吉な胸騒ぎが警報を鳴らし始めた、その時だった。


――トン、トン、と。

レオポルトが、一歩、また一歩と、まるで神聖な祭壇へ進み出る巡礼者のような足取りで、私の隣へと歩み寄ってきた。

その瞳に宿る狂気的なまでの熱量。

彼は私が手に持っていた拡声魔導具(水晶球)の前に立つと、震える手を伸ばし、私の手首にそっと、壊れ物を扱うかのように優しく触れた。


そして――大広間を埋め尽くす数千人の聴衆へ向けて、肺の底から絞り出すような、慟哭混じりの絶叫を叩きつけたのだ!


「――聞いたかッッ!! 皆の者、今の言葉を聞いたかァッッッ!!!!」


ドォォォォンッ!と、レオポルトの怒涛の叫びが魔導具を通じて増幅され、大広間のシャンデリアを激しく揺らした。


「これが……! これこそが、エレオノーラ・フォン・グランヴェルという女性の……魂の! 気高さの真髄なのだァッッ!!」


「……は?」


私の口から、間の抜けた乾いた声が漏れた。

気高さ? 魂の真髄?

ちょっと待ちなさい。今、私は「私利私欲のために小麦を買い占めて民を飢えさせようとしました」って白状したばかりよ?


だが、私の困惑など、暴走機関車と化した王太子の脳内妄想エンジンの前には、線路の上に落ちた落ち葉一枚ほどの抵抗にもならなかった。

レオポルトは片腕で花束を抱え直し、もう片方の拳を天へと突き上げ、涙を撒き散らしながら大演説を炸裂させた!


「諸君! 彼女の告白の……その行間に隠された、血を吐くような【無私の自己犠牲】が、貴様らには見えないというのかッ!!」


(見えないわよ! 行間なんてないわよ! 字面通り受け取りなさいよ!!)


心の中で絶叫する私を置き去りにし、レオポルトの狂気じみた「全方位フォロー」が、機関銃のような猛スピードで連射され始めた。


「まず、市場の買い占めだ! 彼女は言った、『タルトやパンケーキをたらふく食い散らかしたいという浅ましい食欲のため』だと!

馬鹿を言うなッ! 誰がそんな戯言を信じるものか!!

あの時、王都の裏社会では、隣国の工作員が食糧を根こそぎ国外へ流出させ、人工的な飢饉を引き起こそうとしていたのだ! それを……それをエレオノーラは、国家の官僚組織が何一つ気づかぬ間にただ一人で見抜き、公爵家の全財力を投じて市場の穀物を保護されたのだ!

さらに! 『湿気てカビが生えそうだから安値で投げ捨てた』だと!? ふざけるな! 民の誇りを傷つけぬよう、あえて『安売りの施し』という形を取り、王都中の困窮した民に命のパンを行き渡らせたのではないかッ!!」


「「「あ……ああああっ……!!」」」


大広間の前列にいた商業ギルドの会頭や文官たちが、ハッと息を呑み、胸を押さえて天を仰いだ。

ちょっと、納得しないで! ただの在庫処分よ!


「そして、近衛騎士団の件だ!」

レオポルトの演説は止まらない。彼は壇上の脇に直立不動で立つマティアスを指差した。

「彼女は言った、『お堅い説教がうるさくて眠かったから、漬物石のミスリルを投げつけただけだ』と!

……笑わせるな! 当時、我が近衛騎士団は予算を削られ、粗悪な装備のせいで兵たちが命を落としかけていた! その軍の窮状を、公爵家の令嬢が知らぬはずがない!

己の家の至宝を下賜すれば、王家や貴族院への当てつけになりかねない……だからこそ! 彼女はあえて『無礼な粗大ゴミの投擲』という最悪の悪評を自ら被り、騎士団へ無償の支援を届けてくださったのだッ!

受け取る側のプライドを……マティアス卿の武人としての誇りを守るために、自らを泥に染めたのだぞッ!!」


「う……うおおおおおっ……!」

マティアスが、大剣の柄を握りしめたまま、甲冑の胸当てを激しく上下させて男泣きを始めた。

「エレオノーラ閣下……! そこまで……そこまで私の心を慮ってくださっていたとは……ッ!!」


(違うわよマティアス! 本当にただの漬物石だったのよ! 当たって痛い思いをさせたかっただけなのよ!!)


私の必死のツッコミなど、レオポルトの大音声にかき消される。

王太子はさらに勢いを増し、今度は神殿の長老たちやシルヴァンへと視線を向けた。


「神聖結界の私物化だと!? 『蚊がうるさくて紫外線が嫌だったからエアコン結界を張った』だと!?

……諸君、胸に手を当てて考えろ! 王都の地下水脈に千年間澱のように溜まり続け、歴代の神官長たちが誰一人として浄化できなかったあの古代の猛毒の瘴気を……『蚊を払うついで』で消滅させられる人間が、この世のどこにいるというのだッ!!」


レオポルトは胸をかきむしり、壇上の床に膝をつきそうになりながら叫んだ。


「彼女は……自らの規格外の古代魔力を削り、命を賭して王都の地下を浄化したのだ!

しかし、その偉業を誇れば、神殿の権威は地に落ち、宗教界に大混乱を招く……!

だからこそ彼女は、自らの命がけの浄化の奇跡を『昼寝のエアコン』などという道化の言葉で覆い隠し、神殿のメンツを守ってくださったのだぞッ!!」


「おお……神よ……!」

純白の法衣を纏ったシルヴァンが、胸の前で固く手を組み、静かに涙を流しながら深く頭を垂れた。

「自らの神威を、昼寝の戯言として隠蔽されるその無欲の極み……。やはりあのお方こそが、真の現世の聖女であられる……」


(だからエアコンだって言ってるでしょ!! 美肌のためよ! 神殿のメンツなんて一ミリも考えてないわよ!!)


私の叫びは、喉の奥で虚しく空回りする。

だが、レオポルトの狂気的な深読み劇場は、いよいよ最高潮、アウグスブルク高地での戦争回避劇へと突入した!


「そして……何よりも! アウグスブルク高地における、あの奇跡の親征だ!!」

レオポルトの絶叫が、広間のステンドグラスをビリビリと共鳴させる。

「彼女は言った! 『肌がジャリジャリに汚れたからスプリンクラーで五千人を押し流した』と! 『風邪を引かれて疫病を持ち込まれたら嫌だから、残飯のスープと不要毛布を投げつけた』と!!

……なんという、なんという苛烈な自己犠牲だッ!!」


レオポルトは両手を広げ、天を仰いで慟哭した。

その顔には、もはや言葉では言い表せないほどの畏怖と、崇敬の光が満ち満ちていた。


「五千の重装騎兵が越境侵略を仕掛けてきたのだぞ!? 一歩間違えれば、この国は火の海となり、数万の民が命を落としていた!

それを……彼女はたった一人で前線へ立ちふさがり、戦略級の水流魔法を行使しながら、敵兵を一兵たりとも殺さず、骨の一本すら折らずに無力化してみせたのだ!

そして……凍え死ぬ寸前だった敵兵に、毛布を与え、温かなスープを恵んだ!

『残飯処理』だと!? 『バイオハザード対策』だと!?

違うッ!! 敗者を辱めず、武人の誇りを守り、敵将に言い訳を与えて無条件降伏へと導くために……あえて! あえて自らを『悪態をつく傲慢な令嬢』に仕立て上げ、汚れ役の泥を一身に背負ってくださったのだッ!!」


――ドォォォォォォォォンッッッッ!!!!


大広間に、目に見えるような衝撃波が吹き荒れた。

レオポルトは壇上の手すりを両手で強く握りしめ、前列の貴族たち、後列の生徒たち、そして会場にいるすべての人間へ向けて、魂の底からの問いかけを叩きつけた。


「これほどの……これほどの救国の偉業を成し遂げながらッ!!

功績を一欠片も誇るどころか……!

すべてを『己の我が儘』『己の悪徳』として泥をかぶり、俺たち王家や国の無能さを庇おうとしているのだ!!

『私が悪女だから追放しろ』だと!? 己が追放されることで、救われた者たちが負い目を感じぬよう……すべての業を一人で背負って、誰も立ち入れぬ最果ての地へ消え去ろうというのかッ!!

どこまで……どこまで孤独に、どこまで気高く、全てを背負い続けるつもりなのだ、エレオノーラァァァッッッ!!!!」


「「「うおおおおおおおおおおおおっっっっ!!!!」」」


その瞬間。

王宮の大広間は、文字通り【崩壊】した。


全米ならぬ、全貴族が泣いた。

誇張でも比喩でもなく、大広間にいた数千人の大人が、老若男女の別なく、一斉に涙腺を完全崩壊させたのだ。


「ああああああっ……! なんて……なんて尊いお方なのだ……ッ!!」

「自らを悪女と呼ぶことで、救われた我らのプライドを守ってくださっていたのか……!」

「己の栄光を一切求めず、すべての泥をかぶって南の果てへ消えようとなさるなど……神か! 神の御使いなのかッ!!」


老練な貴族院の長老たちが、格式高いシルクのハンカチを目元に押し当てて子供のように「うっ、うっ」と肩を震わせて号泣している。

歴戦の武官たちが、唇を噛み締めて大粒の涙を床にボロボロと零している。

着飾った令嬢たちが、互いに抱き合って「エレオノーラ様……! ああ、エレオノーラ様……!」と化粧が崩れるのも構わずに咽び泣いている。

生徒会長ユリウスは床に両手をついて平伏し、教官たちは敬礼を捧げたまま涙で視界を霞ませていた。


会場中が、嗚咽と、鼻をすする音と、そして熱狂的な感動の吐息で埋め尽くされていた。


「…………」


その、狂気的な感動の坩堝のど真ん中で。

私は、右手に拡声魔導具を握りしめ、左手に羊皮紙のカンペを持った姿勢のまま。


白目を剥きかけていた。


(……は?)


私の脳内ツッコミ処理装置が、過負荷による熱暴走を起こし、火花を散らして爆発四散した。


(な……なんでよ……!?

なんでそうなるのよぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!!

私、今! 完璧に自白したわよね!?

『食糧買い占めました』『粗大ゴミ投げつけました』『エアコン結界張りました』『パワハラ突貫工事しました』『残飯捨てました』って、一分の隙もなく悪行をカミングアウトしたわよね!?

なんでそれが『王家を庇うための無私の泥かぶり』に変換されてるのよ!?

なんで全貴族がハンカチ濡らして号泣してるのよぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!!)


違う。

断じて違う。

私はただ美味しいものを食べて、昼寝をして、誰にも邪魔されずに自堕落に生きたかっただけなのだ。

庇ってない!

泥をかぶってない!

孤独に背負ってない!

ただ単に、前世の社畜生活で擦り切れた魂を癒やすために、南の島で一生ゴロゴロ寝て暮らしたいだけの、ただの元OLの限界ニート志望者なのだ!!


「ち、違うわよぉぉぉっ!!」


私は拡声魔導具を口元に引き寄せ、涙目で絶叫した。


「違うのよレオポルト! 深読みしすぎよ! 裏なんて何もないの! 本当にただの私利私欲なのよ!

私は泥をかぶってなんかいない! 本当に悪女なの! だから今すぐ私を糾弾しなさい! 衛兵を呼びなさい! そして南の島へ追放令を出しなさいよぉぉぉぉっ!!」


血を吐くような、私の魂の叫び。

しかし――その必死の弁明すらも。


「見ろ……! 最後まで……最後まで己を悪女と言い張り、我らを庇い通そうとなされている……!」

「どこまで……どこまでお優しいのだ……!」

「エレオノーラ様! もうご自分を責めないでくださいましィィィッ!!」


「「「うわああああああああんっっっ!!!!」」」


貴族たちの号泣のボリュームが、さらに三倍へと跳ね上がっただけだった。


(通じない……! 言葉が、一文字も通じないわ……!!)


私はその場にへたり込みそうになる膝を、必死に踏ん張った。

目の前に広がる、数千人の信者たちによる狂気の全肯定空間。

私の悪事の告白は、王太子の熱烈すぎる自己犠牲解釈によって、人類の歴史上最も美しい「愛国と自己犠牲の神話」へと、完全に、不可逆的に上書きされてしまったのだ。


だが――悪役令嬢エレオノーラの絶望は、まだ序の口に過ぎなかった。

壇上の脇から、さらに別の男たちが、自らの「証言」を携えて、怒涛の勢いで壇上へと駆け上がってこようとしていたのである。

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