第48話:脱出難易度ベリーハード! 悪役令嬢、至高の鳥籠で頭を抱える
――チチチ、ピピピ……。
グランヴェル公爵本邸、私の私室の窓辺から、心地よい小鳥の囀りが聞こえていた。
遮光カーテンの隙間から差し込む朝の光は、まるで金色の粉を撒いたように柔らかく、ベッドの上に敷き詰められた最高級シルクのシーツを温めている。
アウグスブルク高地でのあの大騒乱――避暑先で昼寝を邪魔され、散水スプリンクラーで五千の帝国軍を押し流し、残飯と不要毛布を投げつけたら敵将が号泣して無条件降伏を誓い、王都に帰還した途端に『軍神聖女』などという物騒極まりない二大称号で熱狂的に迎えられたあの日から、はや数日。
私は今、天蓋付きベッドの真ん中で、薄手の羽毛布団を顎まで引き上げ、虚空を見つめていた。
「…………」
静かだ。
あまりにも、静寂だった。
かつて王都を覆っていたあの不快な熱気や湿気は、部屋の四隅に設置された特製の冷却魔導具によって完全に消し去られ、室温は常に快適な二十二度に保たれている。
騒音もない。
街の喧騒も、馬車の轍の音も、遠くの物売りの声すら、この部屋には一切届かない。
かつてブラック企業で連日の深夜残業に追われ、四六時中オフィスの電話のコール音とサーバーファンの唸り声に耳を削られていた私にとって、ここはまさに絵に描いたような理想の寝室のはずだった。
――そう、その「異常な静寂」の正体を知るまでは。
「……リディエ」
「はい、お嬢様。お目覚めでございますか」
ベッドの脇に音もなく控えていた専属侍女のリディエが、完璧な角度のカーテシーと共に銀のトレイを差し出してきた。トレイの上には、朝露を纏った白桃のコンポートと、淹れたてのミントハーブティー。
「……あのね、リディエ。気のせいかしら。今朝、目を覚ましてからこっち、屋敷の外から『カチリ、カチリ』という金属が擦れ合うような重々しい音が、一秒の狂いもなく延々と規則正しく響き続けているように聞こえるのだけれど」
「お嬢様の聴覚の鋭さ、恐れ入ります。気のせいではございません」
リディエは淡々と、手帳をめくりながら報告を口にした。
「近衛騎士団長マティアス閣下の直命により、現在、本邸の敷地外周を取り囲む全長三キロメートルの城壁沿いに、第一連隊および第二連隊の重装歩兵計千二百名が配備されております。彼らは五歩進むごとに一回、交差式の警備ステップを踏む軍事行進を二十四時間不眠不休で継続しており、その甲冑の留め具の擦れ合う音でございます」
「……千二百人? 敷地の外周に?」
「はい。さらに、敷地の内庭には機動騎兵四百名が待機。正門前には検問所が三箇所新設され、王宮から支給された最新鋭の魔導探知ゲートが設置されました。現在、公爵邸を中心とする半径五キロメートル圏内は、国家最高機密軍事警戒区域に指定されております」
「な・ん・で・よ!!!!」
私は羽毛布団を跳ね除け、ベッドの上で頭を抱えて絶叫した。
千二百人って何なのよ! ここは最前線の要塞都市か何かなわけ!?
一介の大貴族の屋敷の周りを、近衛兵の一個師団が隙間なくグルグル巡回している光景など、どう考えても頭がおかしいとしか言いようがない!
「ちょっと散歩してくるわ! 庭の空気を吸ってくる! こんな息の詰まる部屋にいたら、私の脳細胞が窒息死しちゃうわよ!」
私はシルクのガウンを羽織り、スリッパを突っかけると、逃げるように寝室の重厚な扉を開け放った。
廊下を抜け、一階へと階段を駆け下りる。
目指すは、南庭の爽やかなバラ園。
緑の芝生を踏みしめ、噴水の音を聞きながら、少しでも気分転換を――。
バァンッ!
私が庭園へ続くガラス扉を勢いよく押し開けた、その瞬間。
「「「「「閣下のお出ましだァァァッッッ!!!!」」」」」
大気を引き裂くような、野太い地鳴りのような怒号が鼓膜を直撃した。
「……ひゃいっ!?」
情けない悲鳴を上げて飛び退いた私の視界に飛び込んできたのは、優雅な花々が咲き誇るはずの庭園の風景ではなかった。
白銀の甲冑で身を固めた近衛兵たちが、ザザッ!と一糸乱れぬ動きで左右に割れ、私の前に完璧な「盾の壁」を形成する。
そして――。
「不浄を祓えェッ! 聖女様の御足の前に、塵芥一つ残すなッ!!」
先頭を走っていたのは、純白の法衣を風になびかせた神官長シルヴァン率いる、神殿の聖水散布部隊二十名だった。
彼らは私が一歩足を踏み出すごとに、金色の柄杓で大地にジャバジャバと高価な清めの聖水を撒き散らし、銀の香炉を振り回してモクモクと乳香の煙を立ち上らせている。
「シルヴァン卿!? 何やってるのよ、芝生が水浸しじゃないの!!」
「エレオノーラ様、ご安心を」
シルヴァンは胸の前で手を組み、陶酔しきった慈愛の笑みを浮かべて振り返った。
「貴女様が歩まれる大地から、あらゆる不浄、悪意、そして空気中の微細な羽虫に至るまで、神聖魔力をもって完全滅菌処理を施しております。……さあ、どうぞ。神の祝福に満ちた大地をお進みください」
「歩きにくいわよ! 水たまりでスリッパが濡れるでしょうが!!」
私が怒鳴り散らしていると、今度は背後から、ズズズズズ……と地響きを立てて巨大な鉄の塊が迫ってきた。
「どけェッ! 神官ども、道を空けろォッ!!」
油まみれの作業着を着たヒューゴが、目を血走らせながら押し出してきたのは――先日サロンに搬入された、あの物騒極まりない装甲玉座の改良版だった。
「ヒューゴ!? またそれを持ってきたの!?」
「へへっ、エレオノーラ様! 昨日の『ナマケモノ一号』をさらに改良したぜ! 名付けて【全自動超快適移動要塞・ナマケモノ二号(至高の二度寝エディション)】だッ!!」
ヒューゴは胸を張り、装甲玉座の側面に新設されたレバーを誇らしげに叩いた。
「座面にはアウグスブルク高地特産の極冷接触冷感シルクを三重に敷き詰め、背もたれには自動ツボ押し魔導ローラーを内蔵! さらに! あんたが歩くのが面倒になった瞬間、座面がフラットに倒れて完全なベッドへと変形する! 周囲に近衛兵が群がって鬱陶しい時は、キャタピラから煙幕を噴射して時速八十キロで単独離脱も可能だァッ!!」
「誰が煙幕を焚いて暴走するかァッッ!!!!
庭を散歩したいって言ってるの! なんで数十メートルの散歩に決戦兵器を随伴させようとしてるのよぉぉぉっ!!」
私の悲鳴のようなツッコミなど、男たちの熱狂の前にはそよ風同然だった。
左右を近衛兵の盾で塞がれ、前方からは聖水と煙を浴びせられ、背後からは戦車のような玉座がゴロゴロと追尾してくる。
散歩? どこが散歩だ。
これでは、厳戒態勢の中で護送される最重要囚人の行進ではないか!
「もういい! 部屋に戻るわよ!!」
私は頭痛を堪えながら踵を返し、庭園の扉を力任せにピシャリと閉ざした。
***
だが、逃げ帰ったはずの公爵邸のサロンでも、私に安息の時間は一分たりとも与えられなかった。
――チリン、チリン、チリン。
サロンの柱時計が、正午の鐘を鳴らした。
その瞬間――。
バァンッ!
「エレオノーラ様ァァァッッッ!!!!」
サロンの分厚いマホガニーの扉が勢いよく開け放たれ、両手に巨大な銀の三段スタンドを抱えた少女が、弾丸のような猛スピードで飛び込んできた。
男爵令嬢クロエ・ランカスターである。
あの放課後のサロンで高級スイーツを無理やり押し付けられて以来、完全に私の狂信者筆頭親衛隊員へとジョブチェンジした原作乙女ゲームの主人公。
彼女は頬を紅潮させ、琥珀色の瞳をキラキラと星のように輝かせながら、私の目の前のテーブルへと突撃してきた。
「正午の! 正午の糖分補給の時刻にございます、お姉様!!」
ドスン!とテーブルの上に置かれたのは、王室御用達の最高級パティスリーから直送されたばかりの、湯気立つ特製スイーツの山脈だった。
黄金色のパイ生地から溢れ出る濃厚なカスタードアップルパイ。
表面をパリッとキャラメリゼした特大のクレームブリュレ。
そして、氷室で冷やされた宝石のようなシャインマスカットのタルト。
「……クロエ。あなた、一時間前にもマカロンのタワーを運んできたわよね?」
「はい! 一時間前は十一時のブレイクタイムでございました! こちらは正午のランチデザートにございます!」
「多すぎるわよ!! 誰が一時間に一回ペースでフルコース並みのスイーツを食べられるというのよ!!」
「ご安心ください、お姉様!」
クロエは両手を胸の前でギュッと組み、熱烈な視線を私に浴びせかけた。
「これらはすべて、王太子レオポルト殿下が『過酷な前線から戻られたエレオノーラの衰弱した肉体を癒やすため』と、国務の合間を縫って直々にパティシエを監督し、一時間おきに公爵邸へとピストン輸送させている特注品にございます! 殿下からの愛の手紙も、本日ですでに通算【十四通目】が添えられております!」
クロエがトレイの脇から取り出したのは、金箔で縁取られた豪華絢爛な封筒の束だった。
表紙には、レオポルトの流麗な直筆で『我が魂の光、エレオノーラへ』と恥ずかしげもなくデカデカと記されている。
「破り捨てなさい! 今すぐ暖炉に放り込んで、ブリュレの焦げ目を追加する火種にしなさい!!」
「滅相もございません! 殿下の重すぎる愛の文など、このクロエが責任を持ってお姉様の視界に入らぬよう粉砕処分いたしますが、お菓子に罪はございません! さあお姉様、あーんしてください! このクロエがお口までスプーンをお運びいたします!!」
「自分で食べられるわよ! 私は介護が必要な幼児じゃないのよぉぉぉっ!!」
私は頭を抱えてソファに突っ伏した。
重い。
胃袋にかかるカロリーも重ければ、男たちと元ヒロインから注ぎ込まれる愛の質量が、ブラックホール並みに重すぎる。
王太子レオポルトは、政治力と財力を使って一時間おきに高級スイーツとラブレターを爆撃してくる。
近衛騎士団長マティアスは、軍事力を使って敷地の周囲を完全封鎖し、私を蟻一匹通さない鉄の鳥籠に閉じ込めている。
筆頭神官シルヴァンは、宗教力を使って私の周囲十メートルを不可侵領域に指定し、聖水を撒き散らして外界との接触を遮断する。
魔導具師ヒューゴは、最新の魔導技術を総動員して、私が指一本動かさずに生活できる自走式要塞を押し付けてくる。
そしてクロエは、持ち前の健気なバイタリティを全方位で暴走させ、私の専属お世話係として二十四時間体制で張り付いているのだ。
(……逃げ場が、ない)
私はソファの背もたれに額を押し当て、乾いた笑いを漏らした。
前世の社畜時代。
オフィスの四隅に監視カメラが設置され、入退室はすべて指紋認証とICカードリーダーで管理され、PCのログは分単位でシステム部に監視され、有給休暇を申請しようものなら課長と部長と人事部長から三者面談でネチネチと詰められた、あの息の詰まるブラック企業のタワービル。
今の私の状況は、まさにあの「完全監視・完全拘束の監獄」を、黄金と大理石と最高級スイーツでデコレーションしただけの、至高の鳥籠そのものではないか!
「リディエ……」
「はい、お嬢様」
「私、部屋に戻るわ。誰が来ても、国王陛下が直々にいらっしゃっても、『体調不良により面会謝絶』と伝えて追い返しなさい」
「畏まりました。寝室の三重防音結界を最大出力で起動しておきます」
私はクロエの「お姉様、せめてアップルパイの一口だけでもぉ!」という悲鳴を背中に浴びながら、足早に自室へと逃げ帰ったのだった。
***
――バタンッ! ガチャリ、ガチャリ。
自室の扉を閉ざし、内側から頑丈な鍵を二重に下ろす。
ようやく訪れた、正真正銘の静寂。
私はベッドへと倒れ込み、シルクの枕に顔を埋めた。
だが、今の私の脳内には、心地よい睡魔など微塵も湧いてこなかった。
焦燥感。
危機感。
そして、己の人生計画に対する絶望的な暗雲が、渦を巻いて思考を埋め尽くしていたからだ。
「……待って。ちょっと待ちなさいよ、エレオノーラ」
私はベッドの上で上半身を起こし、サイドテーブルの引き出しから一枚の羊皮紙と羽ペンを取り出した。
深呼吸を一つ。
冷静になれ。前世で培ったロジカルシンキングを思い出すのだ。現状の課題を洗い出し、ボトルネックを特定し、解決策をフローチャート化する。
「現状の整理よ……」
私は羽ペンを走らせ、羊皮紙の上に現在の状況を箇条書きで書き出していった。
――【当初の人生目標】
・悪役令嬢として嫌われ、悪評を稼ぐ。
・王太子レオポルトから婚約破棄を叩きつけられる。
・貴族院から糾弾され、爵位剥奪の上で国外追放。
・温暖な気候の南の島へ移住し、一生遊んで寝て暮らすエンドレス有給休暇ライフ!
――【現在の到達状況】
・王太子レオポルト:重度の忠犬。「お前以外の王妃などあり得ない」と愛が限界突破。
・近衛騎士団長マティアス:「戦局を支配する冷徹な軍神」として崇拝。私設親衛隊長化。
・筆頭神官シルヴァン:「神に選ばれし真の聖女」として狂信。非公式ファンクラブ会長。
・天才魔導具師ヒューゴ:「至高の怠惰理論」に心服。専属の決戦兵器開発者に就任。
・原作ヒロイン・クロエ:胃袋を掴まれ、「生涯を捧げる」と誓った狂犬親衛隊第1号。
・国内外の評価:五千の軍勢を一人で無血鎮圧した『軍神聖女』の二大称号を授与。敵国の皇帝すら土下座して金貨十万枚を差し出すレベルの現人神。
「…………」
書き連ねた文字を見つめ、私は羽ペンを握ったままワナワナと震えた。
「逆走……! 目標地点と真逆の方向へ、マッハ5のスピードで暴走してるじゃないのよぉぉぉっ!!」
悪評? ゼロよ。国内外で神仏として拝まれているわ。
婚約破棄? 不可能よ。あいつ、私が死んだら国ごと後追い自殺する勢いよ。
国外追放? 誰が神様を追放できるというの。追放しようとした瞬間に民衆の暴動で王都が燃え盛るわ!
「……落ち着きなさい、まだよ。まだ諦めるには早いわ」
私は震える手で羊皮紙の余白に、次なる一手――【脱出ルートのシミュレーション】を書き込み始めた。
正規の手続き(婚約破棄と追放令)が無理なら、非合法の手段がある。
そう、夜逃げだ。
私財を鞄に詰め、チート魔力を使って王都から脱出し、偽名を使って南の島へ高跳びすればいい。
だが――その思考実験は、わずか数秒で残酷な現実の壁にぶち当たった。
「……ルート検証①:空路」
屋敷の屋根の上には、シルヴァン直属の神殿結界班六十名が二十四時間体制で常駐している。
展開されているのは、古代語で紡がれた三重の神聖結界ドーム。
空を飛んで脱出しようものなら、結界に触れた瞬間に警報魔導がけたたましく鳴り響き、「聖女様が天界へ昇天されようとしている!」と勘違いした神官たちが涙を流しながらネットを投げて捕獲しにくるに決まっている。
「……却下よ。じゃあ、ルート検証②:陸路」
敷地の外周には、マティアス率いる近衛重装歩兵千二百名が五歩ごとにステップを踏んで巡回している。
正門には魔導探知ゲート。
裏門には騎兵部隊。
塀を乗り越えようとした瞬間に、反射的に近衛兵数十名が「不審者かッ!?」と抜刀して群がってくる。
そこで私の顔が割れれば、「エレオノーラ様が夜風に当たっておられる!」「お風邪を引かれますぞ!」と毛布で簀巻きにされて自室へ強制送還だ。
「……無理ね。じゃあ、ルート検証③:地下道」
かつてスラム街へ繋がっていた古い地下水脈や下水道。
だが、思い出せ。
以前、ドレスの裾が泥で汚れたことにブチギレた私が、「最高級の御影石で埋め尽くせ!」と私財を投じて突貫工事を命じた結果、王都の地下道はすべてコンクリートと石畳で物理的に完全封鎖されているのだ!
さらに、ヒューゴが開発した振動探知機が地下数メートルに網の目のように埋め込まれており、モグラ一匹が土を掘り返しただけでサロンの警報機が作動する始末。
「……自分で自分の退路をセメントで固めてたわ! バカ! 私のバカ!!」
私は自らの額をペシペシと叩いた。
最後の望み、ルート検証④:商業ギルドを通じた偽造身分証での密航。
だが、王都の裏社会と商業網を牛耳っているのは、あの闇商人カシアンだ。
あいつは今や完全に私の経済的配下として「エレオノーラ様の深謀遠慮に一生ついていきます」と誓った忠実な部下。
もし私が偽造身分証の手配を頼もうものなら、「エレオノーラ様が新たな極秘潜入作戦を始められたぞ! 王宮と騎士団に報告して最高警護体制を敷け!」と、秒速で情報が筒抜けになるのは火を見るより明らかだった。
「…………」
羽ペンが、指からポロリとこぼれ落ちた。
羊皮紙の上に描かれた脱出ルートのすべてに、太い赤ペンで【×】が書き殴られている。
空路:不可(神殿結界)。
陸路:不可(近衛軍団)。
地下:不可(石畳封鎖)。
経済:不可(密偵掌握)。
完璧。
完全無欠。
国家のあらゆる機能が、私をこの公爵邸という名の最高級の鳥籠に閉じ込め、絶対に外へ逃がさないために、寸分の隙もなく噛み合ってしまっている。
「……待ってよ」
私はベッドの上にバタリと大の字に倒れ込み、天井を見上げた。
冷や汗が、背中をツーと伝っていく。
「……待って。涼しいところで昼寝したかっただけなのに、なんで前より警備がガチガチになってるの!?
これじゃ南の島へ夜逃げするどころか、庭の散歩すら一人でできないじゃないのよぉぉぉ!!」
声にならない悲鳴が、防音結界の張られた部屋の中に虚しく響き渡る。
働かない自堕落ライフへの道。
ヤシの木に揺れるハンモック。
波の音を聞きながら飲むトロピカルジュース。
前世の社畜時代にすり減らした魂を癒やすための、私のたった一つのささやかな夢が。
男たちの深すぎる忠誠心と、重すぎる愛と、狂気的な過保護の分厚い鉄壁によって、完全に、完膚なきまでに塞がれてしまったのだ。
「脱出難易度……ベリーハードどころじゃないわよ……。これ、最初からクリア不可能な【即死確定クソゲー】じゃないの……!」
私は枕を頭から被り、ベッドの上で足をバタバタと激しくジタバタさせた。
悔しい。
情けない。
なぜ、私がサボろうとするたびに、周囲の防壁が万里の長城レベルに分厚くなっていくのか。
――だが。
布団の暗闇の中で、私の脳裏に、ふと一筋の閃光が走った。
(……待ちなさい。まだよ。まだ最後のイベントが残っているわ……!)
私はガバッと布団を跳ね除け、目をカッと見開いた。
カレンダーを見やる。
王立貴族学園の秋学期。
学園祭が終わり、冬の足音が近づく頃――学園の最高学年を締めくくる、あの決定的な儀式が控えている。
そう。
王族、大貴族、そして全校生徒が一堂に会する、名門学園最大の社交行事――【卒業パーティー】!
(原作乙女ゲームの、最大の山場……!
本来であれば、悪役令嬢がヒロインへの数々のいじめを糾弾され、王太子から婚約破棄を言い渡され、貴族社会から永遠に追放されるはずの、あの【断罪イベント】よ!!)
私の胸の中で、消えかけていた希望の炎が、ボオオオッと再び燃え上がった。
(そうだわ……! 誰も私を告発してくれないなら、誰も私を断罪してくれないなら……!
あの全貴族が集まる卒業パーティーの壇上で、私自身がマイクを奪い取り、自らの悪行を洗いざらい白日の下に晒して【セルフ自首】してやればいいのよ!!)
市場の買い占め!
スラムの強制工事!
国宝ミスリルの横領投擲!
他国軍への暴力的な水流攻撃!
すべてを「私の私利私欲と我が儘による大罪です!」と高らかにカミングアウトし、自分から「私を今すぐ辺境の南の島へ追放なさい!」と叫んでやるのだ。
いくらおめでたい貴族たちとて、公の場で本人が悪事を認めて追放を要求すれば、法的に庇い立てすることなどできなくなるはず!
「これよ……! これこそが、私の自堕落ライフを取り戻すための、正真正銘のラストチャンスだわ!!」
私はベッドから飛び起き、机の上の羊皮紙を引き寄せた。
卒業パーティーまで、あと数ヶ月。
それまでに、完璧な「セルフ告発原稿」を書き上げ、誰も反論できない絶対の悪女としての証拠を積み上げてみせる。
「待っていなさいよ、過保護な男たち……! 私の至高の有給休暇への執念を、見くびるんじゃないわよ!!」
至高の鳥籠の中で、悪役令嬢エレオノーラは不敵な笑みを浮かべ、最後の脱出作戦へと向けて、固い決意の炎をその深紅の瞳に宿したのである。




