第47話:過保護を極めた男たちの尋問と、重すぎる愛の包囲網
――ガタガタ、ドサドサッ!
狂乱の凱旋パレードと、数十万人による「軍神聖女様万歳!」の大合唱が鳴り響く王都の目抜き通りを、私は公爵家の影武者用ダミー馬車を何台も囮として放つことでどうにか突破した。
グランヴェル公爵本邸の裏門に滑り込み、馬車の車輪が止まるが早いか、私はドレスの裾を両手で豪快にたくし上げ、脱兎のごとく跳び降りたのである。
「はぁ……はぁ……! 逃げ切ったわ! やっと……やっと我が家に帰ってこられたわ……!」
息を乱しながら、裏庭から勝手口の重厚な鉄扉をくぐり抜ける。
背後からは、いつものように無表情を保った専属侍女のリディエが、音もなく私の影のように滑り込んできて、素早く鍵を三重に掛けた。
「お見事な退却劇でございました、お嬢様。王都の熱狂は未曾有の極みに達しており、大通りを直進していれば、熱狂した民衆によって馬車ごと押し担がれ、中央神殿の祭壇へ直行させられるところでした」
「恐ろしいこと言わないでちょうだい! 生贄の神輿にされるのはお断りよ!」
私は胸元を押さえ、乱れた呼吸を整えた。
全身の筋肉が悲鳴を上げている。
アウグスブルク高地での散水スプリンクラー暴走劇、泥人間五千人への残飯処分、夜通しの祈りの大合唱による不眠、そして二日間の悪路の馬車旅。
肉体も精神も、前世のデスマーチ終盤――金曜日の深夜三時に残業用エナジードリンクの空き缶タワーを前に呆然としていたあの限界状態と寸分違わぬレベルまで削り減らされていた。
「お風呂よ……! 熱いお風呂に入って泥の臭いを落とし、シルクのパジャマに着替えて、あのふかふかの特注天蓋付きベッドに潜り込むのよ! そして来週の火曜日まで、絶対に、何があっても目を覚まさないんだから!!」
私の安息の地は、本館二階の奥にある自室のベッドだけだ。
あの聖域にさえ辿り着けば、外界で誰が「軍神」と叫ぼうが「聖女」と拝もうが知ったことではない。耳栓をして毛布を頭から被り、至高の有給休暇(無期限)を満喫してやるのだ。
私は気合を入れ直し、廊下を小走りで突き進んだ。
中央階段を駆け上がり、自室へと続く本館の中央サロンの扉へと手をかける。
このサロンを突っ切れば、目指すベッドルームは目と鼻の先――。
バァンッ!
「ただいま戻りまし――」
勢いよく押し開いた私の唇から、威勢のいい帰宅の挨拶がこぼれ落ちかけた、その瞬間。
――ピキィィィィィンッッッッ!!!!
室内に満ちていた、あまりにも濃密で、あまりにも重苦しく、そして殺気と狂気が渾然一体となった凄まじい「気圧」に喉元を締め上げられ、私の声は一瞬にして掻き消えた。
「……え?」
足が、絨毯の上で凍りついた。
寒気がした。
初夏の陽気であるはずのサロンの中が、まるで極北の氷河の底のように張り詰めている。
そして――私の退路を塞ぐように、サロンの中央、豪奢なシャンデリアの真下に立ち塞がっていたのは。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
四人。
この国の政治、軍事、宗教、そして技術の頂点に君臨する、四人の男たちだった。
一番手前に仁王立ちしていたのは、王太子レオポルト・フォン・アウグスト。
普段の氷のように整った美貌は見る影もなく、顔面は幽鬼のように青白く、その碧眼には大粒の涙が浮かび、唇を激しく痙攣させている。
その隣には、近衛騎士団長マティアス・ヴァルデン。
砂塵にまみれた白銀の甲冑を纏ったまま、全身の筋肉をワナワナと武者震いさせ、その琥珀色の瞳は充血して血走らんばかりにギラついている。
斜め後ろには、筆頭神官シルヴァン・エデルシュタイン。
純白の神聖法衣の裾に祈祷用の数珠を巻きつけ、糸のように細められた瞳の奥から、絶対零度の冷徹さと底知れぬ狂気の光を爛々と放っている。
そして部屋の隅には、天才魔導具師ヒューゴ・ベルンハルト。
煤と機械油で全身を真っ黒に汚した作業着のまま、何やら真鍮の歯車と黒光りする分厚い装甲板がびっしりと組み合わされた【謎の巨大な鉄の塊】を抱え込み、血走った目でこちらを凝視していた。
全員が、無言。
だが、その四対の瞳から放たれる熱量は、太陽フレアの直撃を受けたかのように肌をジリジリと焼き焦がしてくる。
「……ち、ちょっと何よみんなして」
私は思わず後ずさりしかけ、背後のリディエの身体にぶつかった。
眉をひそめ、腕を組んで虚勢を張る。
「人の家のサロンに勝手に上がり込んで、通せんぼなんていい度胸じゃないの。私、長旅で死ぬほど疲れてるのよ。邪魔よ、そこをどきなさい! 早く自室で寝かせなさいよ!」
前世の社畜時代、終電で帰宅した深夜、アパートの玄関前に待ち構えていた営業部長に「おう、明日のプレゼン資料の修正、今夜中に頼むわ」と書類を押し付けられた時のような、凄まじい理不尽とストレス。
だが、私のトゲだらけの拒絶の言葉を浴びた瞬間――。
「エレオノーラァァァッッッ!!!!」
ドサァッッッ!!
「……ひゃっ!?」
突進してきたレオポルトが、私の足元に膝を屈し、私の両手を自らの胸へと力任せにかき抱いたのだ。
万力のような凄まじい握力。
王太子としての気品も、プライドも、一切合切かなぐり捨てたその顔は、今にも泣き出しそうなほどに歪んでいた。
「エレオノーラ……! 無事だった……! 本当に……本当に一片の傷もなく、俺の目の前に戻ってきてくれたのだな……ッ!!」
「痛っ、痛い痛い痛い! 骨が軋んでるわよレオポルト! 離しなさいってば!!」
「離すものか!!」
レオポルトは私の手を離すどころか、さらに強く抱きしめ、血を吐くような悲痛な叫びを上げた。
「なぜだ……! なぜ前線へ行くことを、俺に一言も相談してくれなかったのだッ!!」
「……は?」
「帝国の主戦派が越境侵略を企んでいると……あの五千の鉄騎兵が牙を剥こうとしていると、お前は最初から気づいていたのだろう!? それなのに……なぜ王家の軍を頼らず、俺に知らせず、護衛もつけずにたった一人で前線へ向かったのだ!!」
レオポルトの目から、ボロボロと大粒の涙が零れ落ち、私の手の甲を濡らしていく。
「俺が無力なばかりに……! お前を一人で戦場へ立たせてしまった! 国家の危機を、民の命を、お前という華奢な少女一人に背負わせてしまったのだ……! もし……もしお前に万が一のことがあれば、俺は……俺はこの国ごと、己の命を断っていたぞ!!」
(……いや、戦場じゃないんだけど)
私の脳内で、強烈なツッコミが木霊した。
戦場? 愛国心?
違う。断じて違う。
私はただ王都がサウナ風呂のように蒸し暑かったから、標高千五百メートルの山奥で涼風を浴びながらアイスを食べて昼寝がしたかっただけなのだ。
そこへ勝手に泥棒じみた軍勢が押し寄せてきて、庭を砂だらけにしたからスプリンクラーで洗い流したに過ぎない。
「違うわよレオポルト、私はただ避暑に――」
「言い訳など無用ですぞ、エレオノーラ閣下ッッ!!」
ドンッ!と重厚な軍靴の音が床を鳴らし、マティアスが前に進み出た。
近衛騎士団長たる屈強な男が、レオポルトの隣に並ぶようにして、ドサリと甲冑の膝を床に打ち付ける。
その精悍な顔面は悔恨に歪み、握りしめた拳からは血が滲み出ていた。
「私の不覚……! 近衛騎士団の長たるこのマティアス、生涯消えることのない恥辱と痛恨の極みにございます!」
「……え、マティアスまで何なのよ」
「敵の侵略を察知しながら、貴女様を単身で囮にさせ、後方で呑気に待機していたなど……武人として万死に値する大罪! 貴女様が湖一つ分を圧縮した水流で敵軍を押し流し、死傷者ゼロで無条件降伏を勝ち取られたと聞いた時……私は己の無力さに、腸が千切れる思いでしたぞッ!!」
マティアスは床を拳で叩きつけた。
ドォン!とサロンの大理石が悲鳴を上げる。
「二度と……二度と貴女様の御身を一人にはいたしません! 命に代えても! 本日ただいまより、近衛騎士団第一、第二連隊の計三千名を、我が公爵本邸の周囲に常駐させます! 敷地の外周を三重の警戒線で封鎖し、半径五キロメートル以内の通行人を徹底的に尋問! 蟻一匹、小鳥一羽たりとも、貴女様の許可なき接近を許さぬ【絶対防衛陣】を敷かせていただきます!!」
(……は?????)
私の思考が、音を立ててフリーズした。
近衛兵三千名? 半径五キロの封鎖?
それ、警備じゃない。
ただの【完全軍事軟禁】じゃないの!!
「ちょっと待ちなさいよマティアス! そんなことされたら、私の好きなケーキ屋さんの配達員も入れなくなるじゃないの!」
「ご安心を。納入業者はすべて近衛騎士団が身辺調査を徹底し、毒物検査、魔法鑑定、思想調査をパスした者のみを、武装兵十名が護衛してサロンまでお連れいたします」
「息が詰まるわよぉぉぉっ!!」
私が悲鳴を上げた、その時。
すっと、影のように私の背後へと回り込んできた人物がいた。
筆頭神官シルヴァン。
その怜悧で美しい顔立ちに、どこまでも穏やかで、しかし底知れぬ狂気を含んだ聖職者の笑みを浮かべ、私の肩口へと顔を寄せてきたのだ。
「マティアス卿の言う通りです、エレオノーラ様。武力による警備は当然の義務。……しかし、それだけでは不十分です」
「……シ、シルヴァン?」
シルヴァンは胸の前で恭しく手を組み、歌うような美声で告げた。
「敵国の侵略すらも慈悲の心で包み込み、毛布と温食を与えて無血で平定せしめた、現世の奇跡たる【慈愛の聖女】……。貴女様の放つ神聖力は、もはや一国家の枠組みに留まるものではありません。神殿の最高評議会において、満場一致で可決いたしました」
シルヴァンの細められた瞳が、妖しく三日月の弧を描く。
「神殿直属の結界魔導班六十名を、公爵邸の屋根および四方の塔に二十四時間体制で常駐させます。そして――エレオノーラ様の周囲【半径十メートル】を、国教公認の【絶対不可侵領域】に指定いたします」
「……は? 不可侵領域?」
「ええ。貴女様の半径十メートル以内に立ち入ることは、神への冒涜とみなされます。不浄な空気、塵芥、害虫、そして――」
シルヴァンはチラリと、足元で私の手を握るレオポルトへと冷酷な視線を投げ下ろした。
「たとえ王太子殿下であろうとも、許可なくその領域へ踏み込むことは神罰の対象となります。……これで、貴女様の神聖なる安寧は、物理的にも霊的にも完璧に守られます」
「殿下すらって何よ!! あと半径十メートル不可侵って、私、誰とも会話できないじゃないのよ!!」
ソーシャルディスタンスの次元を超えている。
半径十メートルに誰も近寄れないなど、ただの【生ける孤立無援の御神体】ではないか!
私がドン引きして引き攣っていると――部屋の隅から、ズズズズズ……と大地を揺るがすような重低音が響いてきた。
「おいおい、神官の旦那。祈りや結界なんざ、目に見えねえ気休めにすぎねえよ」
歩み出てきたのは、油まみれの作業着を着たヒューゴだった。
彼が両手で押し出してきたのは――先ほど部屋の隅に鎮座していた、あの巨大な鉄の塊だった。
「……ヒューゴ? 何よそれ、また怪しげな魔導具を作ったわけ?」
ヒューゴはニヤリと、狂気的な職人の笑みを浮かべた。
鉄の塊の全貌が露わになる。
それは、一見すると豪奢なビロードが敷かれた巨大な肘掛け椅子――いや、【装甲玉座】だった。
椅子の脚には無限軌道のような魔導駆動ホイールが組み込まれ、背もたれの後方には大気中のエーテルを吸入する三重螺旋の魔力炉。そしてアームレストの左右には、多重展開式の物理防壁プレートと、自動迎撃用の術式刻印ノズルがビッシリと並んでいた。
「へへっ、エレオノーラ様。あんたが前線でデコピン一発かましたり、スプリンクラーに魔力を注ぎ込んで敵軍を押し流したって聞いた時、俺は魂が震えたよ」
ヒューゴは胸をドンと叩いた。
「あんたは強すぎる。だが、あんたのその深淵なる怠惰の哲学……『指一本動かさずにすべてを解決したい』という崇高な願いを、俺が形にしなきゃ男がすたるってもんだ!
そこで急遽組み上げたのが、この【全自動移動要塞型玉座・ナマケモノ一号】だッ!!」
「ナマケモノ一号って何よ!! 名前のセンスが最悪よ!!」
「こいつの座面に座るだけでいい! あんたが寝返りを打つ際の重心移動を感知して、行きたい方向へ自動でキャタピラが滑らかに走行する! 最高時速は六十キロ! さらに周囲十メートルに敵性反応を感知した瞬間、自動で三十重の複合魔導防壁が展開し、超高圧の水流カッターが全方位に一斉射撃される!!」
ヒューゴは目を血走らせて叫んだ。
「これさえあれば! あんたはベッドの上で涎を垂らして爆睡したまま、戦場を散歩するだけで敵軍が勝手に全滅する!! エレオノーラ様が二度と歩く必要のない、至高の【自堕落戦闘マシーン】の完成だァァァッッ!!」
「誰が戦場を散歩するかっっっ!!!!
戦車じゃないのよそれ!! なんでリクライニングチェアを頼んだはずなのに、自走式の決戦兵器が納品されてるのよぉぉぉっ!!」
サロンの中に、私の絶叫が木霊した。
ツッコミが追いつかない。
胃が痛い。前世で無理難題を押し付けてきたクライアント全員が手を取り合ってサンバを踊っている時以上の、圧倒的な理不尽の濁流。
だが――私の悲鳴など、この狂乱の男たちにとっては「か弱き聖女の照れ隠し」程度にしか変換されていなかった。
「……決まりだな」
レオポルトが立ち上がり、涙を拭ってマティアスとシルヴァン、そしてヒューゴを見回した。
その瞳には、これまでの政争や派閥争いなど微塵も感じさせない、鉄の結束の光が宿っていた。
「俺たちの誓いは一つだ。エレオノーラを……この尊き、世界を愛するがゆえに己を顧みない少女を……二度と、二度とあのような危険な場所へ行かせてはならない」
「はっ。近衛騎士団は、命を賭して公爵邸の外周を鉄壁に固めます」
「神殿は、神聖結界をもって不浄な存在の一切を排除いたしましょう」
「俺は、エレオノーラ様が指一本動かさずに生活できる防衛魔導具を、工房フル稼働で量産して搬入し続けます」
「「「エレオノーラ様のためにッ!!」」」
四人の男たちが、互いに頷き合い、固く拳を合わせる。
政治のトップ。
軍事のトップ。
宗教のトップ。
そして技術のトップ。
国家の最高権力者たちが、ただ一人の公爵令嬢を「絶対に外出させない」「指一本動かさせない」という狂気の一点において、前代未聞の【完全なる過保護同盟】を結成してしまったのだ。
「ちょ……ちょっと待ちなさいよ……」
私の背筋を、ツラリと冷たい汗が流れ落ちた。
目の前に広がる光景。
外を見れば、窓の向こうの庭園に、近衛兵たちがズラリと十歩おきに配備され始めている。
屋根の上からは、神殿の結界術士たちが白装束で結界の呪文を唱え始め、青白い光のドームが屋敷全体を覆っていく。
そしてサロンの中央には、黒光りする移動要塞玉座が鎮座し、王太子が熱烈な愛の視線で私をロックオンしている。
(……待って。待ちなさいよ)
私の脳内計算機が、カタカタと音を立てて絶望的な結論を弾き出した。
・目標:悪評を稼ぎ、婚約破棄され、国外追放されて南の島でニート生活。
・現状:
近衛兵三千の完全包囲(脱出不可能)。
神殿の二十四時間結界(テレポート不可能)。
王太子の重すぎる愛(婚約破棄不可能)。
全自動移動兵器の配備(自力歩行すら拒絶)。
(……外堀が……埋まるどころか……)
私はガタガタと震える手で自らの頭を抱え、サロンの天井を仰ぎ見た。
(要塞になっちゃってるじゃないのよぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!!
脱出難易度がベリーイージーから、一夜にして【ベリーハード・即死モード】に跳ね上がってるじゃないの!!
これじゃ南の島へ夜逃げするどころか、近所のカフェにパフェを食べに行くことすらできないわよぉぉぉぉぉっ!!)
「エレオノーラ、疲れただろう。部屋まで俺がお連れしよう」
「いえ殿下、結界の安全確認が済むまでは私が」
「馬鹿言え、このナマケモノ一号に乗せりゃ一瞬でベッドまで運べるぜ!」
「触るな! 全員そこを動くなァッッ!!」
迫り来る男たちの愛の包囲網を、私は渾身の力で突き放した。
そして、スカートを翻してサロンの扉を自ら蹴破り、自室のベッドへと向かって猛ダッシュをかましたのである。
背後から響く「ああ、なんと凛々しいお姿……!」「走るお姿すらも軍神の如き疾風……!」という狂信者たちの感涙の声を背中に浴びながら。
悪役令嬢エレオノーラの、至高の自堕落ライフへの脱出ルートは――男たちの深すぎる愛と忠誠心によって、かつてない分厚さの鉄壁で、完全に塞がれてしまったのであった。




