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第33話:森を消滅させた悪役令嬢、孤高の守護者として全校生徒に拝まれる

――ふあぁぁぁぁぁ……ん。

顎が外れんばかりの、実に気だるく、そして幸福感に満ち満ちた大あくびを一つ。

私はカシミアのブランケットの中で、猫のように背中をぐーっと弓なりに反らせ、手足を思い切り伸ばした。


「……んん〜〜っ! よく寝たわぁ……」


脳みその隅々まで酸素が行き渡り、視界がじんわりと覚醒していくこの感覚。

素晴らしい。百点満点、いや前世の残業地獄を含めた全人生の中で最高峰のシエスタ(昼寝)だった。

前世の社畜時代、平日の睡眠といえば、深夜二時に泥のようにベッドへ倒れ込み、わずか四時間後にけたたましく鳴り響くスマートフォンの目覚ましアラームに心臓を握り潰されるような思いで飛び起きるのが常だった。あの、起き抜けの瞬間に胃の奥からせり上がってくる絶望と吐き気。

それに比べて、今のこの目覚めはどうだ。

アラームなし。上司からのチャット通知なし。

ただ自然の風と鳥の声に抱かれ、体力の限界まで貪り尽くした惰眠。

人間、働かないで寝るのが一番の健康法に決まっている。


「……さて。日差しが傾いてきたかしらね」


私はピクニックシートの上で上半身を起こし、両手で軽く目を擦った。

時計の針は確認していないが、体感的にはおそらく夕方の四時か五時といったところだろう。

実技演習の制限時間はとっくに過ぎているはずだ。


(ふふ……計画通りよ。完璧だわ)


私はほくそ笑み、制服の乱れを軽く手で払った。

本日の実技演習『演習林における魔獣討伐実技』。

生徒たちが血眼になって角ウサギやら牙イノシシやらを追いかけ回している間、私は立ち入り禁止区域の手前で堂々とピクニックシートを広げ、最初から最後まで完全に爆睡を決め込んでいたのだ。

魔獣討伐スコア:ゼロ点。

協調性評価:単独行動によりマイナス百点。

教官への態度:傲慢不遜で減点対象。


(手ぶらでゲートに戻って、『一匹も狩れませんでしたわ、汗をかきたくありませんもの』って鼻で笑ってやれば、教官たちも激怒して成績表に燦然と【落第(不可)】の烙印を押してくれるはず! そうすれば、貴族院から『名門学園の恥晒し』と糾弾され、婚約破棄からの国外追放――南の島直行ルートよ!!)


勝利の方程式が完成した喜びに胸を躍らせ、私はパッと両目を大きく見開いた。


――だが。

その瞬間、私の視界に飛び込んできた光景は。

私の想像していた「薄暗くなった夕暮れの森」とは、何から何まで、天地がひっくり返るほどにかけ離れていた。


「…………え?」


私の口から、乾いた声が漏れ出た。

視界が、真っ白だった。

眩しい。やけに眩しい。

夕方の西日が、まるで遮るもののない平原の真ん中のように、私の顔面を真正面からダイレクトに照らしつけているのだ。


(……あれ? 木漏れ日は? 私、樹齢数百年の巨大な神木の木陰で寝ていたはずよね……?)


私は首を傾げ、ゆっくりと頭上を見上げた。

ない。

枝がない。葉っぱがない。

視界を埋め尽くしていたはずの青々とした原生林の天蓋が、綺麗サッパリと消失し――頭上には、吸い込まれそうなほどの澄み切った青空が、パノラマサイズで広がっていた。


それだけではない。

恐る恐る、首を横へと巡らせる。

前方。右側。左側。

私の座っているピクニックシートの周囲数メートルを除いて――見渡す限りの森が、跡形もなく消滅していた。


「……は?????」


そこにあったのは、幅五十メートル、奥行き数百メートルにわたって、大地が根こそぎ抉り取られたような、巨大極まりない直線のクレーターだった。

巨木も、岩山も、鬱蒼と茂っていた下草も、すべてがまるで超高温のレーザーで薙ぎ払われたかのように蒸発し、滑らかな赤土の断面が遥か地平線の彼方まで一直線に伸びている。

ハゲ山。

完全なる、更地。


「な……な、何これぇぇぇぇぇぇぇっ!?!?!?」


私の喉から、絶叫が飛び出した。

パニックである。

意味がわからない。三時間前まで、ここは王立学園が誇る鬱蒼とした大原生林だったはずだ。

それが、なぜ。

なぜ、大型重機の一団が三ヶ月かけて突貫開拓工事を行いました、みたいなピカピカの更地に生まれ変わっているのか!?


「誰よ!? 誰が森を伐採したのよ!? 違法伐採業者でも乱入してきたわけ!? 私のお気に入りの快適な木陰はどこへ消えたのよぉぉぉぉぉっ!!」


日焼け止めを塗っていないのだ!

紫外線は美肌の大敵だとあれほど前世で学んだというのに、直射日光が私の白い肌をチリチリと侵略してきているではないか!


私がクッションを抱え込み、頭を抱えて激怒していた――その時。


――ザッ……!

――ジャリッ……!


更地の両脇、焼け焦げた土埃の向こうから、重厚な金属の擦れ合う音と、無数の足音が響いてきた。


「……ん?」


煙の晴れた先。

そこに広がっていた光景を目撃した瞬間、私の思考回路は完全に焼き切れ、フリーズした。


「……ひっ!?」


いたのだ。

私のピクニックシートを取り囲むように、巨大な円陣を組んで。

白銀の甲冑を纏った近衛騎士団長マティアスと、その配下の精鋭騎兵二十名。

革鎧に身を包んだ実技担当の教官たちと、観測班の教師陣。

そして――学園の制服を着た、一年生数十名の生徒たち全員が。


しかも。

誰一人として、立っていなかった。


――ドサッ! ドサササッッ!!


「……え?」


私が目をパチクリとさせたその瞬間、取り囲んでいた何十人もの人間が一斉に、まるでドミノ倒しのように地面へと倒れ込んだのだ。

気絶したのではない。

全員が、赤土の上に両手をつき、両膝を折り、額を泥に擦り付けるようにして――深々と、一糸乱れぬ芸術的な角度で【土下座】をかましたのである。


(な……な、何なの……!? 新手の野外カルト儀式……!?)


私の背筋に、氷水を流し込まれたような戦慄が走った。

前世の社畜時代、朝礼で全員が社訓を絶叫させられていた時以上の、狂気的な圧迫感。

なぜ、名門貴族の令息令嬢たちが、騎士団のトップが、教師たちが、一介の公爵令嬢である私の足元に向かって、泥まみれになりながら平伏しているのか。


その沈黙を破ったのは、列の先頭から響いてきた、震える甲高い黄色い歓声だった。


「お……お姉様ァァァッッッ!!!!」


弾かれたように顔を上げたのは、男爵令嬢クロエ・ランカスターだった。

彼女は制服のスカートを泥で真っ黒に汚し、琥珀色の大きな瞳から大粒の涙をポロポロと零しながら、這うようにして私のシートの数歩手前まで進み出てきた。


「ご無事で……! ああ、神よ、奇跡のルミナスよ……! お姉様が、一片の傷もなくご無事でいらっしゃる……ッ! このクロエ、感動のあまり心臓が破裂しそうでございますッ!!」


「ちょ、ちょっとクロエ、何なのこれ!? みんなして地面に頭を擦り付けて、何の冗談よ!?」

「冗談などではございませんッ!!」


クロエの叫びに呼応するように、土下座の列からガバッと勢いよく立ち上がった人物がいた。

実技担当教官の筋骨隆々たる巨漢の男だ。

歴戦の猛者であるはずの教官の顔面は、涙と鼻水と冷汗でぐしゃぐしゃに歪み、その唇は激しい興奮でプルプルと痙攣していた。


「エレオノーラ閣下……! 我ら教官一同、そして愚かな生徒一同……貴女様の深淵なる御心に、ただただ平伏するほかございませんッ!!」


「……はあ? 深淵なる御心?」


私が怪訝極まりない顔で眉根を寄せると、教官は胸を拳でドゴォン!と叩き、演習林の更地に木霊するような大音声で演説をぶち上げた。


「我々は……我々愚鈍な大人どもは、何一つ気づいていなかったのです! 演習林の地下を流れる霊脈の異常を……千年前に封印されたAランク上位魔獣【災厄の黒巨熊(カラミティ・ベア)】が、今まさに封印を破り、地上へ解き放たれようとしていたその破滅の予兆をッ!!」


「……は? 黒巨熊……?」


私の口から、気の抜けた声が漏れる。

黒巨熊? 誰それ。新種のテディベアかしら。


しかし、教官の猛烈な深読み機関車は、最高速度で暴走を続けていた。


「それを……エレオノーラ閣下は、演習開始の号令の瞬間に、ただお一人で察知されていた! 未熟な生徒たちが浅瀬エリアに立ち入れば、暴走した天災の餌食となり、血の海と化す……! だからこそ! 貴女様はあえて『汗臭い男たちと徒党を組む気はない』『単独行動をする』と冷酷な言葉を吐き、自らを悪役に仕立て上げて我々を遠ざけ……たった一人で、この最深部の出現地点へと先回りしてくださったのだッ!!」


「「「おおおおおおおおっ……!!」」」


土下座していた生徒たちから、地鳴りのような慟哭と歓声が沸き起こった。


「そうだ……! エレオノーラ様は、俺たちを守るために……!」

「あんな暴言を吐かれたのも、すべて我々を危険な森の奥へ近づかせないための、愛の叱責だったのだ……!」

「なんて気高く、なんて孤独な自己犠牲なのだ……ッ!!」


「ちょ……えっ!? ち、違うわよ! 私はただ誰とも関わらずに昼寝したかっただけで――」


私の必死の弁明など、次に踏み出してきた男の重厚な軍靴の音によって、完全に圧殺された。


――ジャリッ。


近衛騎士団長マティアス・ヴァルデン。

白銀の甲冑を纏ったその偉丈夫は、全身をワナワナと武者震いさせながら、私の前に歩み寄ってきた。

その琥珀色の双眸には、獲物を狙う猛獣のそれをも超えた、純度一万パーセントの狂気的な崇敬の光がギラギラと渦巻いていた。


「……マティアス卿?」

「……見事。見事という言葉すら、この奇跡の前には色褪せて聞こえますぞ、エレオノーラ閣下」


マティアスは腰の大剣を引き抜き、切っ先を地面に突き刺すと、甲冑の膝を泥の上に打ち付けて跪いた。

その身体が、激しい感動で小刻みに震えている。


「この更地……天地を切り裂くがごとき、巨大な真空の断層。かつて要塞都市を一夜で滅ぼしたあの伝説の巨獣を……呪文の詠唱すらなく、魔法陣の展開すらなく、ただの一撃で、細胞の一粒すら残さず消滅せしめたその神威……!」


マティアスは震える手で、更地の端に落ちていた一本の黒い焦げた角を指し示した。


「あのような怪物を塵へと変えながら……! 己の武功を誇ることもなく、騒ぎ立てることもなく、ただ『疲れたから少し休む』とばかりに、静かにこの木陰でまどろんでおられた……! 武人として、一人の男として、これほどの器の前に平伏せずして何といたしましょうかッ!!」


「武者震いが止まらん……!」とマティアスが拳を握りしめると、周囲の近衛兵たちも一斉に胸に手を当てて「閣下万歳!」「真の軍神様万歳!」と唱和し始めた。


(……え? 待って?)


私の脳内で、先ほどの出来事がフラッシュバックした。


・昼寝をしていた。

・なんか臭くてうるさい奴が目の前に現れて、大声で吠えた。

・安眠を邪魔されてブチギレた。

・迷惑電話を切るノリで、デコピン(生活魔法の風)を放った。

・静かになったので二度寝した。


(……嘘でしょ!? あのデコピン、そんなヤバい怪物を消し飛ばしてたわけぇぇぇぇぇっ!?)


背筋をマッハで駆け抜ける冷や汗。

生活魔法のつもりだったのだ。机の上のパンくずを払うくらいの感覚で指先を弾いただけなのだ。

なのに、なぜ森の半分が消滅し、伝説のAランク魔獣が蒸発しているのか。

私のチート魔力の出力ツマミ、一体どうなっているのか。安全弁が完全に壊れているではないか!


「ち、違うのよマティアス! 私、そんな大層なことをした覚えなんて――」

「謙遜なさいますなッ!!」


実技担当教官が、感涙で顔を濡らしながら私の言葉を遮った。

そして、手元の採点用羊皮紙を天へと高らかに掲げたのだ。


「エレオノーラ・フォン・グランヴェル閣下! 本日の実技演習における貴女様の戦果、厳正に審査いたしました!!」


(審査……!? そうよ、それよ! 協調性ゼロ、単独行動、授業サボり! 落第点をつけてちょうだい!!)


私が縋るような思いで教官を見つめると、教官は胸を張り、学園の敷地全体を揺るがすような大音声で叫んだ。


「討伐対象:Aランク上位魔獣【災厄の黒巨熊】! 単独撃破!!

防衛対象:全生徒および教官、計六十八名! 負傷者、ゼロ!!

学園の存亡を救いしその比類なき軍略と戦闘技能に対し……実技演習史上最高得点、【特級Sランク・千点満点中一万点】を付与いたしますッッ!!」


「い、いちまんてん……!?」


私の口から、魂の抜けた悲鳴が漏れた。

千点満点のテストで一万点って何なのよ。算数の概念を捨てたのか。


「さらに!」


教官は懐から、金色の封蝋が施された豪華絢爛な羊皮紙を取り出した。


「この未曾有の事態を受け、ヴァルター学園長および理事会より緊急の全会一致決議が下されました! エレオノーラ閣下を、王立貴族学園の歴史上初となる【特待首席・名誉終身守護生徒】へと任命することが決定いたしましたァッッ!!」


「「「うおおおおおおおおおおっっっっ!!!!」」」


更地に、割れんばかりの拍手と歓声が爆発した。

クロエが「さすがはお姉様です! 世界一気高いお姉様万歳!」と飛び跳ねて黄色い歓声をあげ、貴族の令息令嬢たちが涙を流しながら拍手を送り、マティアス率いる近衛兵たちが抜刀して剣を天へと掲げる。


「エレオノーラ様!」「我らの守護聖女様!」「英雄万歳!!」


歓喜のファンファーレ。

更地の真ん中で、一人ピクニックシートの上に立ち尽くす私。


(……なんでよ)


私の目の前で、私が必死に積み上げてきた「無能な怠惰令嬢として落第し、国外追放される計画」が、音を立てて木っ端微塵に粉砕され、大気圏外へと吹き飛んでいくのが見えた。


落第? できません。千点満点中一万点です。

追放? 無理です。名誉終身守護生徒です。

悪評? ありません。「全校生徒を命懸けで救った孤高の英雄」として神格化されました。


「……私の有給休暇が……南の島が……ヤシの木が……またしても銀河の彼方へ消え去っていくわぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!!」


私の血を吐くような魂の絶叫は、全校生徒が上げる割れんばかりの万雷の拍手にかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。


こうして、ただ昼寝の邪魔をされてブチギレただけの悪役令嬢エレオノーラは。

知らぬ間に学園の頂点に君臨する絶対の守護神として祭り上げられ、自堕落ニート生活への脱出ルートを、自らのデコピンによって完全に消滅させてしまったのであった。

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