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第28話:原作ヒロイン登場! 私の代わりに王太子の妻になって追放させてちょうだい!

――チチチ、と初夏の木漏れ日の中で梢が揺れ、どこからか爽やかな風が花の香りを運んでくる。

王立貴族学園の昼休み。豪奢な本校舎から中庭へと続くテラスには、着飾った良家の子女たちが優雅に散策し、笑い声を響かせていた。

だが、そんな平和な学び舎の風景を、私は中庭の回廊の柱の陰から、眉間に深い深い溝を刻み込んで睨みつけていた。


「……リディエ」

「はい、お嬢様」

「気のせいかしら。さっきからすれ違う生徒たちの視線が、昨日よりもさらに熱烈に、というか、もはや拝むような角度で突き刺さってくるのだけれど」


私がボソリと呟くと、背後に影のように控えていた専属侍女のリディエが、手帳をめくりながら淡々と報告を口にした。


「気のせいではございません。今朝方、王立魔導アカデミーおよび特許審査院より学園へ通達が届きまして、お嬢様が提唱された『至高の怠惰理論』が、今世紀最大の魔導工学革命として国家特許の特級指定を受けました。現在、学園長室および教授会が、お嬢様を【国家筆頭魔導工学名誉顧問】へ推薦するための書類作成に追われております」

「な・ん・で・よ!!!!」


私は柱に額を打ち付けそうになるのを必死で耐えた。

叫び出したいのを堪えて、ギリッと奥歯を噛み締める。

知っている。理由は痛いほど知っている。

あの偏屈な平民天才職人ヒューゴに、「講義中に寝ていてもバレない首振りマシーンを作れ」と無茶振りをし、適当な古代数式の殴り書きを叩きつけて帰ってきた結果だ。

あいつは私の注文通り、完璧に自律駆動して規則正しく頷き、たまに「なるほど」と呟く神のようなサボりグッズ『全自動相槌マシーン一号』を完成させてくれた。

そこまでは良かった。百歩譲って、私の講義中の昼寝環境が劇的に向上したことまでは許そう。

だが、なぜあいつは、その設計思想を「エレオノーラ様が授けてくださった至高の怠惰理論」などと大々的に論文にして提出してしまったのか!


「顧問って何よ! 研究費の支給って何よ! 私はただ授業中に白目を剥いて寝たかっただけなのよ! なんでサボるための道具を作らせたら、国家の学術界のトップに祭り上げられてるのよぉぉぉっ!!」


前世の社畜時代、私はシステム障害の責任を押し付けられて始末書を書かされることはあっても、自分が適当に書いたメモが業界標準規格に認定されて技術顧問に推薦されるなどという理不尽な栄転劇は一度たりとも経験したことがなかった。

王太子レオポルトは重度の忠犬。

騎士団長マティアスは私設護衛。

筆頭神官シルヴァンは非公式ファンクラブ会長。

そして今度は、平民の技術者や学問の権威たちまでが、私の足元に平伏し始めている。


(……詰んでる。完全に詰んでるわ)


私は制服のブレザーの胸元をぎゅっと握りしめた。

外堀が埋まるどころの話ではない。

政治、軍事、宗教、そして学術。国家の全方位からガチガチのダイヤモンド要塞で囲い込まれ、私は今や「逃げ場のない国母への花道」を全速力で敷かれているのだ。

このまま卒業を迎えたらどうなるか?

レオポルトと盛大な結婚式を挙げさせられ、毎日十六時間、国家の書類にハンコを押し、外交交渉で頭をすり減らす超絶ブラック終身雇用――王妃ルートへ直行である!


「嫌よ……! 誰が二度目の人生でまで過労死しなきゃいけないのよ! 私は絶対に南の島でニートになるの! ヤシの木の下で、誰にも邪魔されずに一日中昼寝をするのよ!!」


そのためには、何としてもレオポルトの婚約者の座から滑り落ちねばならない。

だが、今のレオポルトは、私がどんな暴言を吐こうと「俺を成長させるための愛の鞭」と脳内変換してしまう重度の手遅れ状態だ。私の力だけであいつの執着を解くのは、もはや物理的に不可能に近い。


(……なら、どうする? 男の執着を外す唯一の特効薬……それは、別の女よ!)


前世の昼メロドラマでも、少女漫画でも、定番中の定番だ。

男の目を覚まさせるには、もっと魅力的で、もっと運命的な「本物の恋の相手」をぶつけるしかない。

だが、そんな都合のいい相手が――。


――キャッ!?

ドササササササッッッ!!!!


「……ん?」


物思いに耽っていた私の耳に、派手な転倒音と、何冊もの重い書物が石畳に散らばる甲高い音が飛び込んできた。

中庭の奥、本校舎と旧館を繋ぐ石造りの連絡階段。

そこに、一人の少女がへたり込んでいた。


「い、痛たた……! ご、ごめんなさい、教科書が……っ!」


少女は涙目で擦りむいた膝を押さえながら、階段の上に散乱した分厚い魔導書や羊皮紙の束を、慌てふためいてかき集めていた。

その姿を見た瞬間――私の背筋に、電撃のような衝撃が走った。


「…………っ!!」


息が止まった。

私の脳内データベースが、猛烈な勢いで火花を散らして回転する。


陽光を浴びて柔らかく波打つ、蜂蜜色のふわふわとした癖毛。

小鹿のように華奢で小柄な体躯。

潤んだ大きな琥珀色の瞳は、どこまでも無垢で、守ってあげたい庇護欲をこれでもかと刺激してくる。

そして、身に纏っている学園指定の濃紺ブレザー。

生地は少し擦り切れ、袖口の丈は何度も手縫いで直された跡があり、胸元には最も身分の低い階級を示す、真鍮の簡素な校章ピン――。


(キ、キタァァァァァァァァァッッッ!!!!)


心の中で、メガトン級のファンファーレが鳴り響いた。

知っている。

私は、この少女の顔を、その設定を、前世の記憶の中で穴が開くほど見つめていた!


――クロエ・ランカスター。

原作乙女ゲーム『王冠のロンド』における、正真正銘の主人公(ヒロイン)!


没落寸前の貧乏男爵家に生まれ、学費免除の特待生枠で入学してきた健気な少女。

身分の低さから周囲の貴族令嬢たちに蔑まれながらも、持ち前の明るさと優しさで困難を乗り越え、やがて冷徹な王太子レオポルトの頑なな心を溶かし、真実の愛で結ばれるという、王道シンデレラストーリーの主役!

そして――本来の物語において、彼女を陰湿に虐め抜き、最後には断罪されて国外追放されるはずだったのが、他ならぬ悪役令嬢エレオノーラ・フォン・グランヴェルだったのだ!


(本物よ……! 本物のヒロインが、ついに私の前に現れたわ!!)


私の胸の中で、消えかけていた希望の灯火が、ゴオオオッと業火のように燃え上がった。

神は見捨てていなかったのだ。

なぜ今まで気づかなかったのか。

レオポルトが私に執着しているのは、単に「本物の運命の相手」に出会っていないからに過ぎない。

男爵令嬢クロエのあの健気さ、あの庇護欲をそそる愛らしさ、あの純真無垢な魂を目の当たりにすれば、プライドの高いレオポルトとて、一瞬で恋の雷に打たれるに決まっている!


(これよ……! これこそが、私が待ち望んでいた唯一無二の黄金脱出ルートよ!)


脳内で、完璧なピタゴラスイッチが音を立てて組み上がっていく。


ステップ一:クロエに理不尽な嫌がらせを仕掛ける。

ステップ二:泣きじゃくるクロエを、通りかかったレオポルトが颯爽と救い出す。

ステップ三:レオポルトが「エレオノーラ、お前がこれほど醜悪な悪女だったとは!」と激怒し、愛想を尽かす。

ステップ四:晴れて婚約破棄、爵位剥奪、そして南の島への国外追放エンド!!


「完璧だわ……。美しすぎる。教科書に載せたいレベルの王道クラシック悪役令嬢ムーブじゃないの!」


私は口角が吊り上がるのを必死に抑え込んだ。

ヒロインを虐めるのは前世の一般市民メンタルとしては少々心が痛むが、大丈夫、命を奪うわけではない。ちょっと意地悪な態度を取って、王太子に泣きつかせる口実を作ってあげるだけだ。

クロエにとっても、将来の玉の輿(王妃の座)が手に入るのだから、win-winの取引と言える。

王妃という名の過労死ブラック名誉職は、若くてバイタリティのあるヒロインに喜んで譲って差し上げようではないか!


「よし……! やるわよ、エレオノーラ! 前世で培った『理不尽なクライアントの圧迫面接』の演技力を、今こそ解き放つ時よ!!」


私はスッと表情を引き締め、冷酷非情な氷の令嬢の仮面を被った。

背筋をピンと伸ばし、顎をツンと上げ、扇子をパチンと鳴らす。

そして、階段の下で必死に散らばった羊皮紙をかき集めているクロエの元へと、大股で歩み寄っていった。


***


「あうぅ……どうしよう、次の講義の資料が風で飛んじゃう……っ!」


クロエ・ランカスターは、半泣きになりながら石階段の隙間に挟まった羊皮紙を拾い集めていた。

貧乏男爵家の長女として生まれた彼女にとって、この王立貴族学園の学費免除は、家計を支えるための絶対条件だった。講義の資料を失くして成績を落とすわけにはいかない。

指先を擦りむきながら、必死に紙を束ねていた、その時――。


――カツン、カツン。


硬質な、研ぎ澄まされたヒールの足音が、頭上から階段を降りてきた。

冷たい風が吹き抜ける。

影が差した。

クロエの視界を覆うように、太陽の光を背負って立ち塞がった、圧倒的な存在感。


「……え?」


クロエがおずおずと顔を上げた瞬間、その呼吸が喉の奥でピタリと止まった。


そこに立っていたのは――息を呑むほどに美しい、深紅の瞳を持つ少女だった。

夜の帳を織り上げたかのような艶やかな黒髪。

白磁のように透き通る肌に、彫刻のように整った冷徹な美貌。

同じ学園の制服を着ているはずなのに、彼女が纏うと、まるで王室の正装であるかのような圧倒的な気品と威圧感を放っている。

そして、胸元に燦然と輝く、王国の頂点たる『覇竜と百合』の金糸の紋章。


(エ……エレオノーラ・フォン・グランヴェル様……!?)


クロエの心臓が、恐怖でドクンと跳ね上がった。

知らないはずがなかった。

筆頭公爵家の一人娘。王太子レオポルト殿下の婚約者。

そして、王都の食糧危機を私財で救い、千年の瘴気を浄化し、昨日は学園の魔導体系を根底から覆したという、全校生徒から神のように崇められている雲の上の絶対者。


その至高の令嬢が、今。

階段の上から、氷柱のように冷え切った眼差しで、泥にまみれてへたり込む自分を――冷酷に見下ろしていた。


(な、なんで……!? 私、何か失礼なことをしてしまったの……!?)


クロエの手がガタガタと震え出す。

拾い集めた羊皮紙を胸に抱きしめ、小鹿のように身を縮こまらせる。

身分の差は、天と地。

あのお方が一言「不快だ」と呟くだけで、自分のような貧乏男爵家の娘など、一瞬で学園を退学になり、家ごと取り潰されてもおかしくないのだ。


沈黙。

クロエの耳に、自らの心臓の激しい鼓動だけが響く。


エレオノーラは、手にした豪奢な扇子を、パチン!と鋭い音を立てて閉じた。

その切っ先を、無慈悲に、クロエの鼻先へとビシッと突きつける。


そして――低く、威圧感に満ちた、耳朶を震わせるような美声が、階段の上に冷ややかに響き渡った。


「……そこの、貧乏男爵令嬢」


「ひっ……!?」


クロエの喉から、悲鳴のような息が漏れた。

貧乏男爵令嬢。

隠していたはずの、もっとも触れられたくなかった自らの身の上を、一瞬で見抜かれ、冷酷に暴かれた。


エレオノーラは組んだ腕の隙間から、蔑むような、傲慢極まりない視線をクロエに浴びせかけた。

その緋色の瞳の奥に宿る光は、まるで路傍のゴミ虫を処分するかのように冷徹だった。


「みっともなく階段に這いつくばって、見苦しいことこの上ないわね。……放課後、本館三階の【第二サロン】へ、一人で来なさい」


「え……? だ、第二……サロン……?」


クロエが掠れた声で聞き返す。

第二サロンといえば、高位貴族のみが利用を許されている、人通りの少ない奥まった特別応接室だ。

あんな場所に、平民上がりの自分が一人で呼び出されるなど――。


エレオノーラはフッと冷酷な笑みを口元に浮かべ、トドメの一撃を叩きつけた。


「いいこと? 逃げたら……絶対に許さないわよ」


***


(よっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!)


言い放った瞬間、私の心の中で、百万発の花火が一斉に打ち上がった。

完璧!

完璧すぎるわ、エレオノーラ!

見たかしら、今の私の演技!

「貧乏男爵令嬢」と身分格差を露骨に煽り、「逃げたら許さないわよ」というド直球の脅迫台詞!

前世で深夜残業中に見た、昭和の学園ドラマのスケ番も真っ青のパーフェクトな呼び出しムーブじゃないの!


(これで放課後、第二サロンに怯えながらやってきたクロエを、理不尽にネチネチと責め立てるのよ! そして、タイミングよくそこへレオポルトを呼び出しておけば――『エレオノーラ、弱い者を虐めるとはなんという性悪女だ!』と怒鳴り込んできて、婚約破棄イベントが発生する!!)


南の島が呼んでいる。

波の音が聞こえる。

私の至高のニート生活が、すぐそこまで両手を広げて迎えに来ている!


「ふん、精々怯えながら待つことね」


私は悪役令嬢らしく、鼻を鳴らして優雅に踵を返した。

制服のブレザーの裾をバサリと翻し、ハイヒールをリズミカルに鳴らしながら、颯爽と階段を登っていく。

背後で、クロエがどんな顔をして震えているかなど、確認するまでもない。

放課後の「第二サロンいじめイベント」に向けて、私は意気揚々とその場を立ち去ったのだった。


***


「…………っ」


エレオノーラの足音が遠ざかり、完全に聞こえなくなった後も。

クロエ・ランカスターは、冷たい石階段の上に座り込んだまま、指一本動かすことができずにいた。


風が吹き抜ける。

抱きしめた教科書を握る指先が、白くなるほど強張っていた。

全身から血の気が引き、歯の根が合わずにガチガチと音を立てて震えている。


「に……逃げたら、許さない……」


エレオノーラの放った最後の一言が、呪いのように耳の奥で反響していた。

あの深紅の瞳。

あの絶対零度の冷徹な眼差し。

嘘でも、脅しでもない。

本物の、国家最高権力を握る筆頭公爵令嬢からの――【死刑宣告】。


「ど、どうしよう……」


クロエの大きな琥珀色の瞳から、ポロリと大粒の涙が零れ落ち、泥に汚れた羊皮紙の上に染みを作った。


「目を……つけられちゃった……」


周囲の植え込みの陰から、一部始終を見ていた他の生徒たちが、ヒソヒソと怯えたように囁き合っているのが聞こえる。

『おい、見ろよ……あのランカスター男爵令嬢、エレオノーラ様に直接呼び出されたぞ……』

『第二サロンって……あそこ、防音結界が張られてる部屋じゃないか……』

『一体何をしでかしたんだ? あのお方に睨まれたら、男爵家ごと王都から消されるぞ……』


助けてくれる人など、誰もいない。

貴族社会において、筆頭公爵令嬢エレオノーラに逆らえる者など、この学園には一人も存在しないのだ。


(私の家が貧乏だから……? 私が平民上がりで、この学園にいるのが目障りだったから……? 放課後、サロンに行ったら……退学届にサインさせられるのかな……それとも、もっと酷い目に遭わされるのかな……)


逃げ出したい。

今すぐ荷物をまとめて、故郷の貧しい領地へ逃げ帰りたい。

だが――『逃げたら、許さない』。

あの言葉の重みが、クロエの細い足首に、重い鉄の鎖のように巻き付いていた。

もし逃げ出せば、自分だけでなく、故郷で爪に火を灯すようにして暮らしている両親や弟妹たちにまで、公爵家の怒りの矛先が向かうかもしれない。


「……行かなきゃ」


クロエは震える手で涙を拭い、泥だらけの教科書を抱きしめて立ち上がった。

足は生まれたての小鹿のようにガクガクと震えていたが、その瞳には、家族を守るための悲壮な覚悟が宿っていた。


「行かなきゃ……ダメなんだ……」


放課後の第二サロン。

そこが自分にとっての処刑台になるかもしれないと怯えながら、哀れな原作ヒロインは、絶望に震える足取りで午後の教室へと向かっていったのである。


――そして。

その処刑台で待つ当の悪役令嬢が、彼女を虐めるために「王室御用達の高級スイーツを限界まで爆買いして胃袋を爆撃する準備」をウキウキで進めていることなど――この時のクロエは、夢にも思っていなかったのであった。

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