第19話:お茶会に忍び寄る陰謀と、既得権益のジジイたち
抜けるような青空の下、初夏の爽やかな風が、グランヴェル公爵本邸の南庭テラスを心地よく吹き抜けていく。
大理石の手すりには色鮮やかな深紅の薔薇が咲き誇り、中央に据えられた優美なガゼボの円卓には、繊細な銀の三段スタンドが誇らしげに鎮座していた。
一段目には、きゅうりとスモークサーモンのサンドイッチ。
二段目には、焼き立てで湯気を立てるスコーンと、山盛りのクロテッドクリームに自家製ストロベリージャム。
そして三段目には、季節のフルーツタルトと、宝石のように艶やかなマカロンが美しく並べられている。
「……はあ。美味しいわ。バターの風味が五臓六腑に染み渡るわね……」
スコーンを小さく割り、たっぷりとクリームを乗せて口に運んだ私は、心底蕩けそうなため息をついた。
至福のアフタヌーンティー。
前世の社畜時代、午後三時といえば、鳴り止まない内線電話を取りながら片手で冷めたコンビニおにぎりを喉に押し込み、パソコンの画面を睨みつけていた時間帯だ。
それに比べて、今の生活はどうだ。
心地よい木漏れ日を浴びながら、指一本動かさずに最高級のスイーツをつまみ、紅茶を嗜むだけの贅沢。
人間、働かないで食べるご飯が一番美味しいに決まっている。
――しかし。
私の至福のひとときに、冷や水をぶっかけるような忌々しい異物が、テーブルの片隅にうず高く積み上げられていた。
「リディエ」
「はい、お嬢様」
「あの金色の封筒の山、一体何かしら。見ているだけで胃もたれがしてくるのだけれど」
私の不機嫌な問いかけに対し、銀のポットからダージリンを注いでいた専属侍女のリディエが、氷のように整った表情を一切崩さずに答えた。
「国王陛下、貴族院議長、および内務大臣からの親書でございます。先日のスラム街における道路舗装事業に対する、公式な感謝状および表彰の推薦状でございますね」
「破り捨てなさい! 今すぐ暖炉に放り込んで、灰にして庭の薔薇の肥料にしなさい!!」
私はティーカップをソーサーに叩きつけそうになるのを、公爵令嬢の淑女マナーで辛うじて押しとどめた。
思い出すだけでも腸が煮えくり返りそうだ。
先日、私は『カフェ・ド・フルール』の裏手にあるドブ泥道でドレスを汚され、ブチギレた。
前世のトラウマを刺激された怒りのあまり、公爵家の金庫から金貨を鷲掴みにして放り投げ、スラムの浮浪者たちを怒鳴り散らして突貫工事を命じたのだ。
『私のドレスのほうが大事よ! 端から端まで最高級の御影石で埋め尽くしなさい!』と。
私利私欲の極み。
公爵家の財力に飽かした暴力的な公共工事の私物化。
誰がどう見ても、弁解の余地がないレベルの「身勝手な悪徳令嬢の暴挙」だったはずである。
明日には貴族院から「国家の秩序を乱した」と弾劾され、国王から「目に余る我儘だ」と叱責を受け、婚約破棄からの国外追放へと一気に突き進む――そのはずだったのだ。
ところが、蓋を開けてみればどうだ。
翌朝、王宮から届いたのは弾劾状などではなく、特大の賛辞の嵐だった。
『スラムの貧困層に正当な労働と破格の賃金を与え、施しではなく自立を促した奇跡の福祉政策!』
『泥濘と疫病の温床であった不衛生な路地を、たった半日で王都屈指の衛生モデル地区へと転換させた都市開発の天才!』
『治安悪化に悩んでいた衛兵隊の巡回動線を劇的に改善した、比類なき治安維持の布石!』
「……何が福祉政策よ! 何が都市開発の天才よ! ただ泥跳ねが嫌だっただけよ! パフェを食べるために道をピカピカにしたかっただけよぉぉぉっ!!」
私はクッションを抱え込み、頭を抱えて悶絶した。
意味がわからない。
なぜ、私が悪事を働くたびに、社会の構造改革が成し遂げられてしまうのか。
なぜ、私の身勝手な我儘が、ことごとく国家百年の計として美談化されてしまうのか。
おまけに、スラム街の住人たちはガストンという元石工の男を筆頭に「エレオノーラ様親衛隊」なる自警団を結成し、王都の裏社会の犯罪者を片っ端から衛兵に通報しているらしい。王都の治安向上率は過去最高を記録しているとのことだ。
知るか! 治安なんて悪化してくれたほうが、私の悪名が引き立つでしょうが!
「はあ……。もう嫌。この国の人間、頭の構造がポジティブすぎて疲れるわ……」
私は力なくテーブルに突っ伏した。
王太子レオポルトは「お前の深謀遠慮には頭が上がらない」と瞳を潤ませて国務に励み、騎士団長マティアスは「聖女様の道を汚す者は万死に値する」と石畳の警備を強化し、筆頭神官シルヴァンは「貴女こそが神の奇跡」と毎朝ラブレターのような祈祷文を送りつけてくる。
四面楚歌ならぬ、四面溺愛。
逃げ場がない。
このままでは、社交界の全員から拝まれながら、過労死確定の「至高の国母」として玉座に縛り付けられてしまう。
「ねえ、リディエ」
「何でございましょうか、お嬢様」
「最近、誰かが私を貶めようと頑張ってくれないかしら?」
「……と、仰いますと?」
「ほら、貴族社会といえば、陰謀と足の引っ張り合いでしょう? 『あんな小娘が調子に乗りおって』とか言って、夜会でドレスにワインをぶっかけてきたり、偽の醜聞を新聞にリークしたり、無実の罪を着せて地下牢にぶち込もうとしたりする、骨のある悪役貴族はいないの? そろそろ私に悪評が溜まって、婚約破棄されないとおかしいじゃないの!」
普通、悪役令嬢ものといえば、ライバルの令嬢や敵対派閥の貴族がこれでもかと嫌がらせを仕掛けてくるものだ。
そしてその罠に嵌まり、断罪され、国外追放されるのが王道ルートである。
なのに、この世界はどうだ。
誰も私に嫌がらせをしてこない。
どころか、私が睨みを利かせただけで、すれ違う高位貴族たちが「ひ、平伏いたします聖女様!」と道を譲ってくるのだ。
敵がいない。
追放されるための障害が、味方の過剰な愛によって綺麗さっぱり駆逐されてしまっている。
「誰か……誰でもいいから、私を陥れるために命懸けで暗躍してちょうだいよ……。悪徳令嬢の汚名を着せてくれたら、お礼に金貨百枚くらいチップで弾んであげるのに……」
私が虚空を見つめながら切実な願いを呟いていた、まさにその時。
神の悪戯か、あるいは私の怨念が通じたのか。
王都の中心にそびえ立つ、白亜のルミナス中央神殿の奥深くにおいて――私の願いを寸分狂わず実行しようとする「救世主」たちが、薄暗い密室に集結していたのである。
***
ルミナス中央神殿、地下最深部――【大聖堂秘密会議室】。
天窓からの光すら拒絶した重苦しい石造りの部屋に、紫紺のビロードに金糸をあしらった、最高位の法衣を纏った老人たちが車座になって座していた。
いずれも齢六十を超え、神殿の利権を何十年にもわたって牛耳り続けてきた、旧神官派(保守派)の長老たちである。
部屋の中央に置かれた円卓には、煙を上げる香炉と、数枚の報告書。
その報告書の表紙には、いずれも忌々しげな太文字で、ある一人の少女の名が記されていた。
――『エレオノーラ・フォン・グランヴェル』。
「……ええい、忌々しい! 忌々しい小娘めが!!」
ドゴォン!と、円卓を拳で叩き割らんばかりに叩いたのは、長老派の筆頭である大司教バルタザールだった。
皺だらけの顔に贅肉をたるませ、脂ぎった禿頭を怒りで真っ赤に染めている。
「聞いたか、皆の者! あの若造……シルヴァンが、またしても神殿会議の席でほざきおったぞ! 『エレオノーラ公爵令嬢こそが神に選ばれし真の聖女であり、次代の筆頭聖女として神殿の最高意思決定権を委譲すべきだ』とな!!」
「正気の沙汰とは思えん……!」
隣に座る財務担当司教が、浅ましい細目を吊り上げて唾を飛ばした。
「神殿の全権をあの公爵令嬢に渡すだと!? 冗談ではない! 我が神殿が歴代の王家や愚民どもから吸い上げてきた莫大なお布施、霊脈管理費という名目の国家予算、そして免税特権……! あのような俗物の小娘が頂点に立てば、我らの利権の帳簿はすべて白日の下に晒され、我らは追放されてしまうぞ!」
「それだけではない!」
祭祀担当司教が、震える手で自らの豪奢な首飾りを握りしめた。
「先日、王都の地下水脈に溜まっていた千年の瘴気が、忽然と消滅した事件……! シルヴァンの奴め、あれも『エレオノーラ様が張られた神聖結界の奇跡によるものだ』と吹聴して回りおった! 地下の瘴気の浄化など、神殿の歴史上、誰も成し遂げられなかった大事業……! それを一介の公爵令嬢が成したなどと民に知れ渡れば、神殿の権威は地に落ちる! 『今まで莫大な予算を使って何百年も何をしていたのだ』と、貴族院から突き上げを食らうのは目に見えておるわ!!」
「ええい、黙れ! 喚くな!」
大司教バルタザールが、濁った眼光をギラつかせて一同を一喝した。
密室が、静まり返る。
バルタザールは机の上に身を乗り出し、喉の奥から絞り出すような、ドス黒い殺意に満ちた声を漏らした。
「すべては、あのエレオノーラとかいう小娘の存在が元凶なのだ。夜会をサボって王太子の命を救っただの、市場の小麦を買い占めて民を救っただの、スラムを舗装して治安を正しただの……市井の愚民どもはあやつを『慈愛の聖女』などと崇め奉っておるが、片腹痛いわ! あやつはただの、傲慢で強欲な公爵家の我儘娘に過ぎん!」
「左様……! あのような小娘に、神聖なる神殿を牛耳られてたまるものか!」
「シルヴァンという若造が後ろ盾を得て調子づいているのも、すべてあの小娘の存在あってこそ……。ならば、答えは一つしかあるまい」
バルタザールは懐に手を入れた。
取り出されたのは、手のひらに収まるほどの、漆黒のガラス瓶だった。
光を吸い込むようなその小瓶の中には、無色透明の、水と見分けのつかない液体が満たされていた。
その瓶がテーブルの上に置かれた瞬間、部屋の温度がスーッと数度下がったかのような、禍々しい圧迫感が空気を満たす。
「こ、これは……まさか……!?」
長老たちが息を呑み、恐怖に顔を引き攣らせた。
「神殿最奥の禁断の宝物庫に封じられていた……神代の猛毒、【冥府草のエキス】……!?」
「いかにも」
バルタザールは醜い笑みを口元に歪めた。
「太古の昔、神に仇なす巨神をも屠ったとされる、神殿秘伝の至宝にして究極の暗殺毒よ。無味、無臭、無色透明。いかなる魔導鑑定器にも反応せず、銀の食器すら変色させぬ。ほんの一滴、喉を通れば……全身の魔力回路を瞬時に壊死させ、心臓を麻痺させる。巨象ですら三秒と保たずに絶命する劇薬よ」
「し、しかし大司教閣下! 筆頭公爵家の一人娘、しかも王太子殿下の婚約者ですぞ!? もし露見すれば、神殿そのものが王軍によって焼き払われますぞ!」
「露見などするものか、愚か者めが!」
バルタザールは一喝し、冷酷に嗤った。
「冥府草の毒は、体内に入れば数分で自然分解し、ただの急激な心不全にしか見えぬ痕跡しか残さん。当代最高の検死術士ですら『日頃の贅沢による突然死』と判断するわ! 公爵家とて、病死であれば神殿を攻め滅ぼす大義名分など立ちようがない!」
「し、しかし、あのお方の警戒網をどうやって突破なさるので? 公爵邸には近衛騎士団が目を光らせ、侍女の手入れも厳重を極めると聞きますが……」
「ふっ……金で転ばぬ人間など、この世におらんよ」
バルタザールは皺だらけの指で、机の上の書類を叩いた。
「グランヴェル公爵家に三代にわたって高級茶葉を納入している老舗の商人、ベルマン商会。あの商会の会頭には、裏カジノで作らせた数千万ラングルの借金がある。……借金をチャラにし、神殿専属の御用達にしてやると囁けば、奴は泣いて我が足元に縋り付いたわ」
「おお……!」
「今朝、公爵邸に納品される予定の最高級茶葉――東方の霊山でしか採れぬという幻の銘茶『天山白桃紅茶』の茶壺の中に、この冥府草のエキスがたっぷりと染み込ませてある。公爵令嬢は毎日午後、テラスで優雅に茶を嗜むのが日課だそうだ……ふふふ、せいぜい優雅に喉を潤すがいい」
長老たちの顔に、安堵と下劣な笑みが広がっていく。
邪魔者は消える。
生意気な公爵令嬢がポックリと逝けば、後ろ盾を失ったシルヴァンは失脚し、神殿の利権と権力は再び自分たちの掌の中へと戻ってくるのだ。
「生意気な小娘め、身の程を知るがいい。神の領域に土足で踏み込もうとした代償を、あの世で永遠に悔やむがよいわ!!」
暗い密室に、既得権益にしがみつく老神官たちの、醜悪な哄笑が響き渡っていた。
***
――そして、その頃。
公爵邸の南庭テラスでは。
「お嬢様、新しい茶葉が届きました」
スコーンを食べ終え、だらしなく椅子の上で伸びをしていた私の元へ、リディエが銀の小箱を恭しく掲げて戻ってきた。
箱が開けられると、中からふわりと、桃のような甘く芳醇な香りが漂ってくる。
茶葉は青みがかった銀色で、繊細な産毛に覆われていた。見るからに一等級、いや、一握りで金貨数十枚はくだらない最高級の茶葉である。
「あら、いい香りね。何のお茶かしら?」
「王室御用達のベルマン商会が、今朝一番で納入いたしました『天山白桃紅茶』の極上初摘みでございます。東方の幻の霊峰でのみ育ち、一口飲めば全身の疲れを吹き飛ばし、魂を覚醒させる効果があるとのこと」
「へえ! 魂を覚醒させるですって? まさに今の私にピッタリじゃないの!」
私は目を輝かせた。
最近、昼寝のしすぎで頭がぼーっとしていたのだ。
適度なカフェインと香りは、次の「本格的な二度寝」に向けて頭をスッキリさせるのにちょうどいい。
「リディエ、今すぐ淹れてちょうだい! 熱々の濃いめでお願いね!」
「畏まりました。最高のお湯加減で抽出いたします」
リディエは一切の疑いを持たず、美しく磨き上げられた銀のティーポットに茶葉を滑り込ませた。
沸き立つ熱湯が注がれる。
ポットの注ぎ口から立ち上る湯気。
その中には、巨象すら即死させる神殿秘伝の猛毒『冥府草のエキス』が、湯気とともにたっぷりと抽出され、琥珀色の液体の中へと溶け出していた。
だが、そんなこととは露知らず。
私は満面の笑みを浮かべ、両手を擦り合わせていた。
「ふふふ、楽しみね! 美味しいお茶を飲んで、シャキッとしたら……今度こそ、王都中がドン引きするような悪行のアイデアを練り上げてやるんだから!」
悪役令嬢エレオノーラ、最大の危機――のはずの毒殺イベント。
しかし、彼女の前世が「毎日残業の合間に劇薬のような激マズ超強力エナジードリンクをラッパ飲みしていた限界社畜OL」であったことを、暗殺を仕掛けたジジイたちは、夢にも思っていなかったのである。




