最悪なデート②
地獄ラーメンをなんとか完食した悠月は、魂が抜けかけたような顔でテーブルに突っ伏した。
すると、ひまわりが気を利かせて、パフェを注文してくれていた。
辛さに死にかけた時は、やっぱり甘くて冷たいものが正義だ。
一口運ぶたび、喉を焼く痛みがようやく鎮まっていく。
「今日は、普段じゃ絶対見られない顔をたくさん見せてくれたね」
まるで助かったかのような顔をしているのを見て、イチゴパフェを口に運んでいたひまわりは、思わず口元を綻ばせて笑みを浮かべた。
「そのほとんどは苦しい顔でしたけど」
「いつになったら、心からの笑顔を見せてくれるのかな~?」
「さあ、何百年後ですかね」
「あら、それって新しい長寿のお祝いかしら?」
悠月は否定も肯定もせず、無言のままパフェに視線を落とし、スプーンを進める。
その様子を見て、ひまわりはどこか意味ありげな笑みを浮かべながら、イチゴを口へ運んだ。
会計を済ませた後、二人は店を出た。
「で?もう帰ってもいいですか?」
「ダメだよ。まだ遊びたいアトラクションがたくさんあるんだから。もうちょっと付き合っててね♪」
ご馳走してもらった手前、文句を言うわけにもいかない。最後まで付き合うしかない。
そうして二人は次にお化け屋敷へとやって来た。
だが、その入り口の前でひまわりが立ち止まった。
「本当に入るの……?」
「ん?」
「初めて挑戦してみようと思ったけど……やっぱり怖いよ!」
「科学ではお化けの存在は証明されていません。中にいるのは生身のスタッフと道具だけです。そう考えればいい」
「……そ、そうだね……! え、えっと……じゃ、行こ……っか?」
ひまわりは大きく息を吸い込み、ぎゅっと拳を握る。
そして、ついに一歩を踏み入れた。
薄暗い空間。
耳元で不気味なBGMが反響し、否応なく緊張を高める。
両脇に並んだ電子燭台は、冷たい青白い光を揺らしながら、かろうじて前方を照らしている。
その薄明かりに浮かぶのは、壁に滲んだ血痕。
そして天井から吊り下げられた無数の人形。
歪んだ顔。
虚ろな眼。
まるで通り過ぎる者を値踏みするかのように、じっと見下ろしている。
「きゃーッ!!」
入ってすぐ、ひまわりは悲鳴を上げた。
その様子を横目で見ながら、悠月は首を傾げる。
正直、どこにそんな怖がる要素があるのか分からない。
その後もひまわりは、血みどろに見える装飾や、突如動き出す仕掛け、さらにはお化け役のスタッフに次々と驚かされ、つい可愛らしい悲鳴を何度も上げてしまった。
気づけば悠月の服の裾をぎゅっと掴み、置いて行かれまいと必死に後ろへついて歩いている。
一方の悠月はというと、気だるげな目のまま。
何が飛び出そうと眉ひとつ動かさず、むしろ退屈そうにあくびを漏らした。
ようやく出口を抜けた後、ひまわりは胸を張り、腰に手を当てる。
まるで余裕だったとでも言うように、どこか得意げだ。
「ぜ、全然大したことないんだ……!」
なのに、その足はガタガタ震えていて、怖がっているのがバレバレだった。
「そうですか」
「何よ、その全然信じてない顔〜!」
見抜かれても、悠月は特に言い訳する気はない。
ぐずぐず言われる前に、悠月はジェットコースターのレールを指さした。
「次はあれに乗りに行きますか?前に乗りたそうだったから」
「えっ?いいよ!あ、でも、今乗っても平気?」
「ああ。歩けそうですか?無理ならこの辺りで少し休みましょう」
「もし歩けないって言ったら、おんぶしてくれる?」
「……じゃあな」
悠月はそれが冗談だとすぐに見抜き、くるりと背を向け歩き出した。
「冗談だってば!一人にしないでよ~!」
止まる気配がないので、ひまわりは慌てて小走りで追いかける。
列は少し長かったが、幸い太陽は雲に隠れていて、外に立っていてもそれほど暑さは感じなかった。
二人は他愛もない話をしながら時間を潰し、気づけばもう自分たちの番だ。
荷物をロッカーに預け、二人は最前列の席に座る。
その瞬間、胸の奥に嫌な予感が走った。
けれど、ひまわりの楽しそうな様子を前にして、そんなことを口にする気にはなれない。
悠月は何も言わず、そのままシートに身を預ける。
「行ってらっしゃい!」
スタッフの掛け声と同時に、車両はゆっくりと動き出す。
高く昇るにつれ、ぼやけていた記憶が、朝靄が晴れるように少しずつ輪郭を取り戻していった。
「……なんか、思い出した」
「何を?」
「昔、一度だけこれに乗ったことがあるんですけど……途中で意識を失ってしまって……」
「え?噓でしょ?」
今更降りたいと思っても、体をがっちりと押さえつける安全バーが逃がしてはくれない。
無駄な抵抗をする気も起きず、悠月は虚ろな目で、どんよりとした空を見上げた。
ほどなくして、ついに頂点に達した。
だが、唐突に車両は止まる。
何が起きたのか考える暇もなく、次の瞬間、奈落へ叩き落とされるように急降下していく。
叫び声が飛び交う中、悠月だけは死んだような顔で、魂まで口から抜け出しそうだった。
「悠月さん、まだ生きてる――!?」
「だい……じょ……う……ぶ……!」
だが、どう見ても大丈夫には見えなかった。
何度同じことを繰り返したのか分からない。
気がつけば、車両はもう乗り場へと戻っていった。
幸い、まだ意識はあった。
だが、今にも吐きそうだ。
降りると、立つだけで精一杯だ。
それでも、壁に手をつきながら、一歩一歩を踏み出し、どうにかトイレへ向かう。
ふらつきながら歩く悠月を見て、ひまわりはこのまま倒れてしまうんじゃないかと心配になった。
すると、すぐに駆け寄り、肩を支えようと手を伸ばす。
「僕、一人で大丈夫ですので……お気遣いありがとう」
断られたひまわりは、どう反応していいか分からず、その場に固まってしまった。
そんな悠月の姿に、ひまわりは昔の自分を重ねる。
どんな困難にぶつかっても、誰にも頼らず、無理やり自分を奮い立たせていた、あの頃の自分を。
だからこそ、胸の奥からじわりと苛立ちがこみ上げてきた。
トイレの外のベンチでしばらく待っていると、ようやく悠月が出てきた。
顔色はさっきより幾分マシに見える。
だが、足はまだ少し震えているようだった。
「これあげる」
ひまわりはさっき自動販売機で買ったスポーツドリンクを差し出した。
「……ありがとう」
「ここで休んでて。私が荷物取ってくるから、鍵貸して?」
「あ、もう大丈夫です。僕も一緒に行きます」
「もういいって。いつも一人で無理ばっかりして……たまには人に頼りなよ?じゃないと、絵ちゃんに連絡するよ?きっと心配しちゃうでしょ」
その一言で、悠月はすぐに黙り込んだ。
ほんの数秒の逡巡の後、観念したように鍵を渡す。
「お願いします」
「うん!任せて」
悠月に重ねていた昔の自分の影が、ふっと霧のように消えた気がした。
ひまわりはつい、晴れやかな笑みを浮かべた。
荷物を取りに戻った時、そこに悠月の姿はなかった。
「あれ?」
首をかしげたその瞬間、右肩にひやりとした何かが触れた。
「にゃっ――!?」
ひまわりはまるで驚かされた猫のようにビクッと飛び上がった。
「えっと、ごめんなさい」
振り返ると、悠月がいつの間にか後ろに立っていた。
片手にはクレープ、もう一方にはスポーツドリンク。
先ほど肩をかすめた冷たさの正体はそれだった。
「びっくりした……ちゃんと休んでって言ったじゃん」
「ちょうどあちらでクレープを売ってたので、買ってきました。よかったらどうぞ、お返しです」
「こんなことに気を使わなくていいのに……でもありがと!ちょうど食べたかったんだ」
そうして二人は人目に付きにくい場所へ移動してクレープを食べることにした。
短い休憩を終えると、また次のアトラクションへと足を運んでいった。
家族以外の女の子と、こんなに長く一緒にいるのは悠月にとって初めてだった。
騒がしい場所は本来苦手なはずなのに、ひまわりといると、何故か気にならない。
底なしの体力で振り回されるのは確かに疲れる。
けれど、不思議と嫌ではなかった。
むしろ、自分が少しずつその空気に慣れていくのに気づいていた。
いつの間にか、空を覆っていた雲が風に流され、茜色の夕焼けが広がっていた。
観覧車のゴンドラの中。
小さく見える人影や入り組んだ街並みを見下ろしながら、悠月は胸の奥が静かに凪いでいくのを感じていた。
「どう?今日の初デートは」
二人きりの狭い空間で、ひまわりがサングラスとマスクを外した。あらわになった素顔に夕焼けが差し込み、その美しさを一層引き立てている。
それでも悠月の心は少しも揺れなかった。
静かに窓の外へ視線を向け、今日一日の出来事を振り返る。
コーヒーカップで気分が悪くなって吐きそうになったこと。
地獄ラーメンを食べて死にかけたこと。
何年ぶりかに乗ったジェットコースターでは、結局盛大に吐いたこと……。
どれもこれも、楽しい思い出とは言い難い。
「本当、最悪なデートだったな」
「えっ……そ、そっか……」
ひまわりは手で口を押さえ、泣きそうな顔で俯いた。
さすが女優だけあって、リアルすぎて思わず信じそうになる。
しかし、本性を知っている悠月には、全然効かなかった。
「でも、嫌いじゃなかった。今日一日ありがとう」
ついさっきまで無表情だった顔に、ふと柔らかな笑みが浮かんだ。
だが本人は自覚していないようだった。
悠月の笑顔を初めて見たひまわりは、思わず見とれて固まる。
「……ん?どうした?そんなに見つめて」
「今の笑顔、すごくいいね」
もし声を掛けなければ、ひまわりはそのまま見つめ続けていたかもしれない。
「僕、今笑った?」
「そうだよ」
「……全然気づかなかった。やっぱ疲れてんのかな」
「それと、いつの間にか敬語も使わなくなってるよね」
「もう、人に失礼かどうかなんて気にする気力ないって。どうせ相手は君だし、君なら気にしないでしょ?」
「そりゃそう」
ひまわりが不意に立ち上がる。その拍子に、ゴンドラが微かに揺れた。
そして、悠月の隣に腰を下ろす。
「一緒に写真撮ろ?せっかくこういう場所に来たんだし、記念に残さないとね。悠月さんのスマホで、いい?」
どうして自分のスマホじゃないとダメなのか、悠月には分からない。
けれど、面倒くさくて聞く気も起きず、仕方なくスマホを取り出す。
すると、ひまわりは準備ができる前にいきなりシャッターを切る。
「よし」
「……あんたさ」
「はい?」
「とにかく、もう一回撮り直してよ!」
「めんどくせぇ……」
自分が撮り直してもまた気に入ってもらえないかもしれない。
そう思った悠月は、スマホを差し出し、彼女に任せることにした。
「はい、チーズ!」
ひまわりは片手でピースを作り、明るく笑った。
対照的に、気乗りしない悠月はどう表情を作ればいいのか分からず、気づけば無表情のままだった。
「やっぱりさっき笑ってた時に撮ればよかったな」
そう言っても、頬には隠しきれない満足げな笑みが浮かんでいる。
ひまわりは「後で送ってね」と言いながら、スマホを返した。
家族以外の女の子と初めて撮ったツーショットを見つめながら、悠月はふと気づく。
この写真、後でトラブルの種になるかもしれない、と。
「それにしても、本当に大丈夫なのか? 君も一応有名人だし、誰かにこの写真が見られたらまずくない?」
「まぁ、そうかもね」
「じゃあ、消した方がいい?」
「これ、私たちの初デートの記念だよ?それでも消したいなら……まぁ、いいけど」
「……はぁ、やっぱりいいや。どうせSNSに上げるわけでもないし、誰かに見せるつもりもない」
ひまわりはいたずらっぽく笑った。
その笑顔を見て、なんだかまんまと引っかかったような気がした。
帰る前に、ひまわりの提案でショップへ立ち寄った。
悠月はこの遊園地のマスコットであるカピバラのぬいぐるみを見つけた瞬間、迷わず手に取る。
ふわふわしたものが大好きな星絵なら、きっと喜んでくれるはず。
レジに持って行こうとしたその時に、マルシェワゴンに並ぶ太陽のチャーム付きストラップが目に入った。
値段を確認してみると意外と安くて、それも一緒に買うことに決めた。
先に会計を済ませ、外で待っていると、ほどなくしてひまわりも買い物を終えて出てきた。
「ジャーン!」
得意げに掲げられたのは、月のチャーム付きストラップ。
「はい、これ。あげる」
それを見て、悠月は一瞬言葉を失った。
袋の中から、先ほど買ったストラップを取り出す。
「えっと……実は僕もこれ、あげようと思ってたんだけど……」
「あら、意外だね」
そうして二人は、互いに選んだお土産を交換した。
悠月は手の中のストラップを見つめながら、ふと思った。
もしかすると、自分の名前が月を連想させたから、これを選んでくれたのかもしれない。
「ところで、一日中付き合ってくれたから、そのお礼にこれ買ったんだ。で、どうして私にくれたの?」
「ただ君が自分の太陽を見つけられるようにって、それだけ」
周りから見れば、彼女は太陽みたいに輝く存在で、誰もが憧れる名人。
けれど、その輝きの裏側に、どれほどの孤独と苦しみが潜んでいるのか、きっと誰一人として知らない。
本来、ヒマワリは太陽に向かって咲く花。
だけど彼女の心の陰を照らしてくれる太陽は、まだ見つかっていないのかもしれない。
悠月は彼女の事情に深入りするつもりはなかった。
それでも、思わず願ってしまう。
彼女が残された時間の中で、その太陽を見つけ、陽の下で自由に生き、顔に浮かぶ笑顔がずっと咲き誇るヒマワリのように、美しく、温かいものでありますように、と。
だからこそ、あのストラップを見た時、ささやかな祝福として贈ろうと思った。
「……」
ひまわりはなんか悠月をじっと見つめている。
サングラスとマスクで顔を隠しているせいで、表情は読み取れず、何を考えているのか分からなかった。
「じゃあ、帰ろうか」
「本当に空気読めないよね。悠月さんって」
「え?」
「なーんでもない」
彼女は説明する気はなさそうだ。
だから、悠月はそれ以上聞くのをやめた。どうせ興味もないし。




