最悪なデート①
約束の日の朝。
今日の天気は予想通りの曇り空。
悠月は約束の時間より早く遊園地に着いたが、ひまわりはまだ来ていない。
すると、時間を潰すためにネット上の論文を読み始めた。
「やっほー。ごめん、待った?」
しばらくして、ひまわりがやって来た。
「いえ、僕も今来たところです」
顔を上げると、目に入ってきたのは、いつものようにサングラスにマスク、パーカー姿のひまわり。
「へぇ~。まさか私より早く来るなんてね。もしかして、この後のデート、そんなに楽しみ?」
「いや、そういうわけではありません。ただ約束の時間より早めに来るのが習慣なだけです」
「ああ、やっぱりその答えか」
こう答えることを知っているなら、どうしてわざわざ聞いてきたのか理解できなかった。
「そういや、さっき遠くから見たんだけど、スマホに夢中になってたね。何か面白いもの?」
「ゲノム編集技術に関する論文」
「……普通の人間って、デートの前にああいうものを見るの?」
「しないんですか? すみません、僕にはあまり経験がなくて」
「ってことは、これがあなたの初デートってこと?」
「……はい」
顔は見えないはずなのに、隠しきれない笑みが伝わってきた。
これまでにも、誰かに遊びに誘われたことがなかったわけじゃない。けれどそのたびに、アルバイトを理由にやんわりと断ってきた。
今回だけその誘いを受けたのは、断っちゃダメだと星絵に念を押されたから。
「じゃあ、ありがたくあなたの初めてをいただいちゃうね」
「そういう言い方はやめてください」
そんなやり取りをしつつ、二人はチケット売り場へ向かった。
ひまわりは自分から誘ったのだからと、悠月の分の入園券まで出そうとする。
けれど、悠月は人に借りを作るのがあまり好きではない。自分の分は自分で払うと、頑として譲らなかった。
遊園地の中へ足を踏み入れると、目の前に広がる賑やかな光景に、悠月は思わず幼い頃の記憶を呼び起こされた。
星絵がまだ病気になる前、家族と何度かこの遊園地を訪れたことがある。
けれど、あまりに昔のことすぎて、自分がどんな乗り物を好んでいたのかは思い出せない。
ただ一つ覚えているのは、星絵が絶叫系を気に入っていたということ。
「さて、どこから遊ぼうかな?」
ひまわり周りはを見渡し、腕を組んでうーんと悩み込んだ。
「そんなに悩む必要があるんですか?」
「だって全部遊びたいんだもん。前に来た時は、いつも仕事ばかりで、ちゃんと楽しんだことがないから……そうだ、最初はあなたに決めてもらっていい?」
悠月は絶叫系に乗る気にはなれなかった。興味も湧かないし、むしろ少し抵抗すら覚える。
視線を巡らせると、近くにコーヒーカップが目に入った。
言葉の代わりにそれを指差す。
「やっぱりそれを選ぶんだね」
そう言いつつも、ひまわりはそちらへ歩き出した。
どうしてそこまで見抜けるのかは分からない。
心を読まれるような感覚に、妙な勝負心がふつふつと湧いてくる。
(これ以上簡単に見透かされてたまるか)
なんて子供じみた気持ちも、2秒と持たずに面倒くささが勝って消えていった。
コーヒーカップに乗っている客はそれほど多くなく、空いているカップもいくつかあった。
悠月は一人で座るつもりだった。
だが、その意図を察したのか、ひまわりはいきなり彼の腕を掴むと、強引に同じカップの中へ引っ張り込んだ。
「一人で乗っても、つまらないでしょ?」
逃げ場を失った悠月はため息をつき、諦めて腰を下ろした。
全員が着席したのを確認すると、スタッフが起動ボタンを押す。
床から低い振動が伝わり、カップはゆっくりと回り始める。
(……やっぱ退屈だなぁ)
悠月は天井を見上げ、止まるまでぼんやりしていよう、なんて思った。
だが次の瞬間、「ん?」と眉をひそめる。
(ちょっと速くなってない……?)
視線を下ろすと、ひまわりが満面の笑みでハンドルを力いっぱい回している。
「悠月さん!思いっきり遊んじゃおうよ!じゃなきゃ、人生つまんなくなっちゃうよ!?」
悠月はため息を漏らす。
自分の人生が面白いかどうかなんて、正直どうでもいい。
けれど、あんなに楽しそうな気分に水を差すのも気が引ける。
仕方なく、ハンドルに手を掛ける。
「くっ……!」
回転がさらに速くなるにつれ、頭がクラクラしてくる。
景色はぼやけ、吐き気が込み上げる。
まるで世界がミキサーにかけられたみたいに、ぐちゃぐちゃに混ざっていく。
どれほどの時間が経ったのかも分からない。
ようやく回転が止まった頃には、悠月はほとんど限界だった。
ぐったりと背もたれに身を預け、込み上げる吐き気を必死にやり過ごす。
「大丈夫?」
ひまわりに同情の眼差しで見られると、何だかちょっと変な気分になった。
「……死なない限りは大丈夫……です」
「ごめんね、ちょっとはしゃぎすぎちゃった」
ひまわりが申し訳なさそうに苦笑するのを見て、悠月は小さくため息をついた。
そして、何事もなかったかのように立ち上がる。
「行きましょう」
「もう大丈夫なの?」
「ああ」
もちろん嘘だ。
まだ気分は悪い。頭も少し揺れている。
けれど、自分のせいで彼女が気に病む姿は見たくなかった。
アトラクションを出た後、ひまわりは何かに引き寄せられるように顔を上げた。
その視線の先にあったのはジェットコースターのレール。
今の悠月があれに乗ったら、間違いなく吐く。
それに気づいたのか、ひまわりは代わりにメリーゴーラウンドを指さした。
「次はあれで遊ぼっか?」
「……はい」
先ほどの視線で、悠月は気づいていた。本当は、彼女はジェットコースターに乗りたかったのだと。
それでも、自分の体調をよく分かっている彼は無理をせず、素直にその提案を受け入れた。
軽やかな音楽に合わせて緩やかに揺れるメリーゴーランドは、 まるで赤ん坊の頃に揺りかごの中で感じた、あの安心感を思い出させるようで、いつの間にかまぶたがふわりと重くなっていった。
大きなあくびをしたばかりで、ふとした拍子に視線がひまわりの姿へと吸い寄せられる。
顔は隠れて表情は見えない。それでも仕草だけで、嬉しさが伝わってくる。
きっと彼女にとっては、今みたいに誰のためでもなく、自分のためだけに楽しめる時間が何より大切なんだ。
だからこそ、あんなに嬉しそうにしているんだろう。
そんな彼女の姿を目にして、悠月は思わずスマホを取り出し、シャッターを切ってしまう。
「……え?」
撮り終えた直後、悠月はようやく気づいた。無意識に、一体何をしていたのか。
どうしてそんなことをしたのか、自分でも分からなかった。
悠月はいつも、家族や自然の風景しか写真に収めたことがなかった。そんな彼が、それ以外を撮ったのはこれが初めてだった。
だが、その疑問は一先ず胸の奥に仕舞い込んだ。
理由がどうあれ、勝手に撮るなんてよくない。
だから悠月は、迷いなくその写真を削除した。
「悠月さん、さっき写真撮ってたの?」
降りたところで、ひまわりがそう尋ねた。
「ごめんなさい。自分でもなんでか分からないんですが、気づいたら君の写真を撮ってしまっていて……すぐ削除しましたけど、もし確認したいなら、どうぞ」
悠月はスマホのロックを解除して差し出した。
でも、彼女はそっと首を横に振り、受け取ろうとはしなかった。
「ううん、いいよ。信じてるから。それに悠月さんなら別に気にしないよ。ただ、さっきなんだかカメラがこっち向いてる気がしてさ。パパラッチに見つかったのかと思っちゃっただけ」
「あの……そういうことを心配してるのに、どうしてわざわざ人の多い場所に来たんですか?」
「だってね、これはまだ叶えてない夢の一つなんだもん。ずっと遊園地で思いっきり遊んでみたかったの。それにさ、前にも言ったでしょ?一人じゃつまんないから……だから、あなたも巻き込んじゃった!」
悠月はふと思い出した。
前に彼女が、余命を宣告された人が、その期間を超えて生きられるのか、と尋ねたことを。
きっと彼女は、残された時間でやりたいことリストを実現しようとしているのだろう。
けれど、一人では寂しさに押し潰されそうになったり、すべてが無意味に思えてしまう。だからこそ、誰かがそばにいて、人生の最後まで見届けて欲しい。
そんな彼女を、ありのまま受け入れ、特別視せずに接してくれるのは、彼と星絵だけだった。
だが、星絵は体調のせいで付き合えない。だから、結局彼を選んだ。
「まぁまぁ、その話はここまでにしよ?ほら、続き楽しもうよ!あ、もし私の写真、撮りたくなったらいつでもOKだからね〜♪」
「もうそんなことはしませんよ」
なにせ、二人はそこまで親しい間柄でもない。
それに、一度見つかってしまったのに、また同じことをするなんて、さすがに気まずすぎる。
その後もひまわりと一緒に、次から次へとアトラクションを回っていった。
何度も楽しそうに笑う彼女の姿を見て、悠月はようやく、先ほど無意識に彼女を撮ってしまった理由に気づきかけた。
自分も彼女も、元々は誰かのためにしか生きられなかった。
なのに、彼女はもう、自分のために生きる意味と理由を見つけている。
だからこそ、心から楽しそうにしているその瞬間が、眩しくて、美しくて、少しだけ羨ましい。
「あっ、そろそろお昼の時間だ」
時間を忘れてはしゃいでいたひまわりは、ようやくお腹が空いていることに気づいた。
というわけで、園内のレストランへ向かうことになった。
店内は人でいっぱいだった。
空席を探して視線を巡らせると、幸い隅の席が空いているのが見えた。
「食べたいもの、遠慮せずに頼んでいいよ。今回は絶対に私が奢るからね!もし嫌だって言ったら、絵ちゃんにあなたが私を怒らせたって言いつけちゃうよ?」
「……分かりました」
こう言われた以上、仕方なく妥協して、メニューをめくる。
でも、何を頼むか迷ってしまう。
「決められそうにないので、お任せしてもいいですか?」
「はいよ。じゃあ、苦手な食べ物とかある?」
「僕は好き嫌いないです」
「私、辛いものが食べたいんだけど、同じのにしてもいい?」
「はい」
悠月は普段から辛いものをよく食べている。
生の唐辛子をそのままかじる、みたいな変態じみたレベルじゃなければ、大体いける。
だが、彼は忘れていた。
ひまわりは、バイト先のファミレスで、ほんの一握りの化け物しか完食できない激辛カレーを平然と平らげた女だということを。
「すみません、地獄辛ラーメンを二つお願いします」
『地獄』と聞いただけで、悠月の顔が引きつった。
(落ち着け、名前だけでヤバそうに思えるけど、そんなに辛くないかも……そう、きっと大丈夫だ)
自分にそう言い聞かせ、心を落ち着けようとした。
「実はね、普段は声帯を守らなきゃいけないから、刺激の強いものってあんまり食べられないの。反抗期にちょっとわがままして、やっと好きなものを食べられるようになったんだ」
「……それは大変ですね」
「何かと制限されて、好きなこともできないし、好きなものも食べられないって、本当に嫌な感じだよね。悠月さんなら、きっとその気持ち分かってくれるでしょ?」
「申し訳ないですが、共感はできません。僕には特に好きなものも、やりたいこともないから」
他人から見れば、悠月の趣味は撮影だと思われるかもしれない。
だが本人にとっては、それは『好き』という感情が伴うものではなく、ただ美しい一瞬を切り取るクセにすぎなかった。
ましてや、彼自身『好き』ってどういう感情かすら分かっていない。
「え?じゃあ、人生ってすごくつまらなくなっちゃうんじゃない?」
「そうかもしれません。僕は別に気にしませんけど」
「それなら、あなたの人生がずっとつまらないままにならないように、これからもちょくちょく誘ってあげるね」
「ちょっと想像しただけで、もう疲れちゃいました……」
面倒な奴に絡まれた気がしたのに、不思議と嫌じゃなかった。
そんなやり取りをしているうちに、まるで死の気配を纏ったラーメンが目の前に置かれた。
立ち上る湯気を浴びた瞬間、目に突き刺さるような痛みが走り、涙が滲む。
(これ……本当に人間が食べていいものなのか……?)
「安心して、見た目はちょっとアレだけど、実はめっちゃウマいかもよ?」
「そ、そうですね……」
半信半疑ではあったが、料理はもう目の前だ。無駄にはできない。
麺を箸で持ち上げると、真っ赤なスープがポタリ、ポタリと滴り落ちる。
息を呑み、目を閉じ――覚悟を決めて、一気に啜り込む。
「ゴホっ……!」
最初は――あれ? 意外と辛くない?
そう思った次の瞬間。
遅れてきた灼熱が喉を焼いた。
思わずむせ返り、慌てて水を流し込む。
「えっ?大丈夫?」
「ちょっと……予想以上……!」
「食べられそうにないなら、他のものを頼もうか?」
「……結構です。小さい頃から、食べ物を粗末にするなって言われてきましたので」
「やれやれ、本当にいい子だね。でも限界だったら無理しないでね?」
心配そうに見られても、悠月は意地でも諦めない。
息を整え、再び箸を握った。




