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どうでもいい秘密

 今日の昼頃から、ずっと雨が降り続いている。


「やる気出ないなぁ……こんな天気、家でゴロゴロしてたいわ」


 澪は気だるげにあくびをしながら、ぼーっと入口を見つめている悠月のもとへ歩み寄ってきた。


「そういえば、キミさっきからずっとドア見てるけど、何かあるの?」


 澪はドアの方に目を向けたが、特に変わったところは見当たらなかった。


「まさか、有名人が来るのを期待してずっとここで待ってるわけじゃないよね?」

「いえ、違います。そもそも、そういうのには興味ありませんので」

「えー?そうなの?てっきりそういうタイプのオタクかと思ってたんだけど」

「なんでそう思ったんですか……?」


 悠月は普段あまり身だしなみに気を遣わないが、それでも自分がオタクっぽいとは思っていなかった。

 それにアニメは見ないし、推し活もしていない。家に引きこもってゲーム三昧というわけでもない。


「直感」

「どうやら君の直感はあんまり当てにならないみたいですね」


 そんな軽口が切れたタイミングで、お客さんが入ってきた。

 二人は瞬時に仕事モードに切り替わる。


「いらっしゃいませ!」


 そのお客さんは、黒いパーカーに長ズボン、キャップにサングラス、そしてマスクまで着けていた。


(ひまわりさん……?)


 その姿を目にした瞬間、悠月の脳にひまわりの顔が浮かんだ。


(……いや、まさか。彼女は今ごろ、病院にいるはず)


 澪がそのお客さんを席へ案内していく。


 悠月の前を通り過ぎたその時、お客さんはふと足を止めた。

 そしてゆっくりと顔を上げ、悠月を見上げる。


 だがすぐに、何事もなかったかのように顔を背け、澪の後ろについて去っていった。



 数分後、先ほどのお客さんが呼び出しボタンを押した。

 

 澪が注文を取りに行こうとした。

 だが、お客さんは悠月を指さし、こちらへ来るよう手招きした。


「……?」


 悠月は一瞬だけ首を傾げたが、澪に代わってその席へ向かった。


「お待たせしました」

「あの、注文したいんだけど……スマイル一つ、お願いしま~す!」

「……え?ひまわりさん?」


 その聞き覚えのある声を耳にした瞬間、悠月は思わず自分の幻聴ではないかと疑った。


「やっと気づいた。どう?びっくりした?」


 ひまわりはサングラスを外した。


「まさか病院から逃げ出すなんて思いませんでした」

「違うよ。実は今朝、もう退院してたんだ。ちなみに、絵ちゃんからあなたがどこで働いてるか聞いたんだよ」

「そうなんですね。それで、ご注文は?」

「相変わらず冷たいね……」


 そうは言っても、ひまわりだってこんな風に接して欲しいと思っているはず。だって前に、こういう距離感が好きだって言ってたんだから。


「まぁ、いいや。激辛カレーとウーロン茶をお願いします」


 その注文を聞いて、悠月はひまわりの母親が来た時のことを思い出した。あの時も、同じものを頼んでいた。  

 親子仲はあまり良くないらしいが、どうやら顔以外にも似ているところがあるようだ。



「あのさ」


 オーダーを厨房に通した後、背中をトントンと叩かれた。


 振り返ると、いつの間にか澪が背後に立っていた。


「あのテーブルのお客さんと知り合いなの?」


 澪の視線を辿り、ひまわりへ目を向ける。

 彼女は窓の外をぼんやりと眺め、こちらのひそひそ話にはまるで気づいていないようだった。


「一応」

「えぇ~っ!まさか、キミが彼女と知り合いだなんて……」

「そんなに驚くことですか?」


 その言い方はまるで悠月のような人間があんな美少女と知り合いなわけがない、と言っているようだった。


 悠月は別に他人の目なんて気にするタイプじゃない。ただ、この流れでは、そう返すくらいしか思いつかなかった。


「だって!千陽様はすーごく有名なんだからっ!」

「ちはる……さま?」


 澪はスマホを取り出し、何かを検索した。


「ほら」


 差し出された画面に映っていたのは、あの記者を名乗る男が悠月に見せたひまわりの写真だった。

 ただし、その下にあったプロフィールには、『五十嵐(いがらし)千陽(ちはる)』という名前が記されていた。17歳の歌手兼女優で、とある芸能事務所に所属している。


 見知らぬ名前が目に入った瞬間、悠月は初めて会った日のことを思い出した。

 互いに名乗り合った時、彼女はわずかに躊躇い、「ひまわりって呼んでくれればいい」と告げた。だが、それが本名だとは、一度も口にしていなかった。

 それに、彼女は他の人がいる場所ではいつも控えめに振る舞っていた。まるで、誰にも気づかれたくないかのように。


「まさか、千陽様のこと知らなかったの? めっちゃ有名なんだよ!映画やドラマにいっぱい出てるし、歌もめっちゃいい!ちなみに、千陽様はあたしの推し!」

「そうですか」

「……全然気にしてないみたいね。知り合いが有名人だって知ったら、普通びっくりするでしょ?」

「彼女、別に宇宙人ってわけじゃないんですし、驚くほどのことでもないですよね?」


 どうしてそんなに驚いているのか、悠月には分からない。彼女が誰であろうと、悠月にとってはどうでもいい。


 言葉を失った澪をそのまま置き去りにして、悠月は料理を持ち、『ひまわり』のいる席へと向かった。



「お待たせいたしました。激辛カレーでございます」


 料理を届けて立ち去ろうとしたその時、服の裾が引っ張られた。


「ちょっとお喋りしない?」

「仕事中なんですが」

「でも今、他に客いないじゃん?それに、さっき入る前にもあっちの女の子と喋ってるの見たよ」


 そう言われると、どんな言い訳をすればいいのか分からなくなった。

 悠月は小さくため息を漏らす。


 何気なく彼女の顔を見た。すると、先ほどの会話が頭に蘇る。


(やはり、写真と同じ顔……)


 どう見ても、同一人物としか思えない。


「そんなにじっと見られると、ちょっと恥ずかしいなぁ」


 彼女はカレーをひとすくいし、そのまま口へと運んだ。

 母親とは違い、辛さなどまるで感じていない様子で、むしろ美味しそうに頬張っている。


「……さっき、君がかなり有名な人だって聞きました。五十嵐千陽さん、それが君の本名、ですよね?」

「あらあら、どうやらバレちゃったみたいね」


 彼女は驚いた様子もなく、否定しようとする気配すら見せなかった。

 視線をわずかに落とし、スプーンを置いて、申し訳なさそうに苦笑した。


「ごめんね、ずっと隠してて」

「いえ、誰にだって話したくない秘密はありますから、別に怒ってはいません。ただ、何も知らないフリを続けるのが、少し疲れる気がして。だから、思い切って聞いてみました」

「それで?私のそういうことを知った今、私を見る目は変わった?」

「さぁ?僕の姉が治るっていうなら、考えてあげなくもないですけどね」

「ぷっ……もう分かんないな~。できなくて安心するべきか、それともガッカリするべきか」


 その返事に、彼女はクスクスと笑った。


「ありがとう。私が普通の女の子みたいにいられるって思わせてくれて。やっぱり、あの時私は間違ってなかったんだね、あなたがそういう人だって」


 どう見られているのか全然分からなかった。

 聞こうと思っても、あの笑顔を見れば答える気はなさそうだ。


 別に知りたいわけでもないし、放っておくことにする。


「本名は分かってるけど、これからも『ひまわり』って呼ぶと思います。別の名前を覚えるの面倒なんで」

「うん!いいよ」


 千陽という名前は眩しく温かな太陽を思わせる。一方でヒマワリは太陽に向かって咲く花。


 出会ってから今まで、彼女が悠月に残してきた印象は、太陽というよりも、光を求めて咲こうとするヒマワリに近かった。だからこそ、その名前の方が彼女にはよく似合っている。


 実は、それが彼が呼び続けたい本当の理由だった。


「あっ、そうだ。いつシフト空いてるの?」

「明後日ですが……どうかしましたか?」

「その日はさ、一緒に遊びに行かない?」

「ごめんなさい。その日はお姉ちゃんのお見舞いで病院に行く予定なんです」


 美少女からの誘いであっても、悠月はほとんど迷うことなく、あっさりと断った。


 けれど彼女は落ち込むどころか、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 そして、ポケットからスマホを取り出し、LINEのトーク画面をこれ見よがしに差し出してくる。


 悠月は特に気にも留めず、ちらりと画面に目をやった。

 すると、その場で固まった。


 昼前、彼女が星絵に、

 

『絵ちゃん、弟くんが休みの日に一緒に出かけてもいい? なんか断られそうな気がしてさ、先にあなたのOKもらっとこうと思って』


 と尋ねていて、それに対する返事が、


『わかった。断らせないから、安心して』


 ……だったのだ。


(ああ、そういうことか……)


 悠月は今日の昼前に星絵から届いた、意味不明なメッセージを思い出した。


『断っちゃダメだからね? がんばれ~~』


 何のことかと問い返しても、星絵は意味ありげに、ニコニコのスタンプを送ってきただけだった。


 今になって思えば、あれはこういうことだったのだ。


「残念だけど、絵ちゃんはもう了承済みだよ。さすがにお姉ちゃんの意思には逆らったりはしないよね?」

「つまり、最初から断る選択肢はなかったってことか……」

「そうだよ。だから大人しく観念しなさい」

「……はぁ……めんどくせぇ」


 悠月は深いため息をついた。


 まさか、こんなことになるとは思ってもいなかった。

 しかもお姉ちゃんは彼とひまわりの関係を妙に勘違いしているようで、たぶんそれであの応援メッセージを送ってきたのだ。


「ところで、いつ連絡先を交換したんですか?全然聞いてなかったんですけど」

「今朝だよ。それにしても、私たちまだLINE交換してないよね」


 そう言って、ひまわりはスマホの画面に表示されたQRコードを差し出した。


 断っても、きっと諦めないだろう。

 そう直感した悠月は、もっと面倒な状況になる前に、仕方なくスマホを取り出す。


 こうして、久しぶりに友だちリストに新しい名前が加わった。



 ひまわりは食事を終えると、特に長居することもなく会計を済ませて店を後にした。


 これでようやく静かな時間が戻ってくる。

 と思った矢先、無防備な背中にぽん、と叩かれた。


「くっそ〜っ!めっちゃ羨ましい!今度絶対、千陽様にあたしのこと紹介してよ、お願い!」

「えっ?めんどくさい……」


 澪は不満そうに頬をぷくっと膨らませた。


「……はいはい、分かりました。もし機会があれば」


 構ってあげる気力もないので、とりあえずそう答えておいた。


「初鹿野、ちょっといいですか?」


 これ以上何か頼まれる前に、悠月はさっさと仕事へ逃げることにした。

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