辛い
病院の近くにあるファミレス。
悠月はホールスタッフとして、初日の勤務に入っていた。
飲食店でのバイト経験があったおかげで、仕事にはすぐに慣れた。
昼のピークまではひたすら忙しなく動き回っていたが、それを過ぎると客足も落ち着き、ようやく息をつく余裕ができる。
「初鹿野さん」
空いた時間に一人で静かに過ごそうと思っていたところ、同い年の女性スタッフに声を掛けられた。
中学生と見間違えそうなほど小柄で、愛嬌のある顔立ち。明るい茶髪をサイドテールにまとめ、いかにも陽キャといった明るく元気な雰囲気を纏っている。
仕事が始まる前に自己紹介は済ませていた。
彼女の名前は早川澪。美術大学に通う一年生。
「全然新人っぽくないね。前に似たような仕事をしたことある?」
「はい、あります」
天使と見紛うほどの美貌を持つひまわりであろうと、お人形のように可愛らしい澪であろうと、悠月の態度は少しも変わらない。
感情を表に出さず、いつも通り相手に失礼のない距離感を保ちながら、『丁寧モード』で応対する。
「なるほど。じゃあ、どうしてバイトしようと思ったの?」
「えっと、お金のためです」
「へぇー、ずいぶん現実的な答えだね」
実のところ、悠月はお金そのものにはあまりこだわっていなかった。
だが、動機をわざわざ説明するのも面倒で、彼女には自分のことをそういう人間だと思ってもらうことにした。
「じゃあ、早川さんはアルバイトが好きでやってるんですか?」
「まぁ、あたしも一応お金のためかな。いつか自分の描いた百合作品を世に出すのが夢なんだ。そのために今は資金を貯めてるってわけ」
「百合?」
「それはね、女の子同士のてぇてぇ関係を楽しむジャンルのこと! 気になったら、おすすめを紹介してあげようか?」
「いえ、結構です」
「……だよね。こういう話って、誰もが興味あるわけじゃないもんね」
気まずくなった空気を誤魔化すように、澪は照れ笑いを浮かべた。
「別に変だとは思いませんよ。……むしろ、自分の夢に向かって頑張れる人ってすごいと思います。僕は特に夢もないですし、趣味って言えるものもありませんから」
彼女を慰めるつもりでそう言ったわけではない。ただ、思ったことをそのまま口にしただけだった。
「えっ、そうなの?じゃあさ、今度一緒に同人誌即売会行ってみない?もしかしたら、あたしと同じような趣味が見つかるかもしれないよ!」
「いえ、遠慮しておきます。新しい世界の扉は開けたくないので」
「えぇ〜、一緒にその素敵な世界の仲間になろうよ〜!」
「甘えても無駄です」
悠月は逃れるため、さっさと接客に向かった。
今入ってきたのは、どこかやつれた様子のOL。
なぜか見覚えがあるような気がする。
深く考えるつもりはなかったのだが、ふと頭にひまわりの顔が浮かんだ。
そして、目の前の女性がひまわりの母親なのだと気づく。
だが、母親の方は悠月に気づいた様子もない。
もしかすると、ひまわりは母親に悠月のことを話していなかったのかもしれない。
それは悠月にとって、むしろありがたいことだった。
これで余計な面倒を避けられる。
注文を取り終えると、悠月はその場を離れた。
「誠に勝手ながら、娘の体調のこともございますので、しばらくの間、娘の仕事をお休みさせていただきたいと思っております。いつまでになるかは体調次第になってしまうのですが……ご迷惑をおかけして本当に申し訳ございません」
隣のテーブルを片付けていた悠月は、偶然その電話の内容を耳にした。
どうやらひまわりは何か仕事をしていて、体調を理由にしばらく休む必要があるらしい。けれど、これまで悠月が見てきた限りでは、彼女はずいぶん元気そうに見えた。
悠月は特に気にすることもなく、淡々とテーブルを拭き続けた。
少し作業をしてカウンターに戻ると、またしても澪が音もなく近づいてきた。
「あのお客さん、辛いの苦手そうだったのに、なんであんな辛いの頼んだのかな?」
悠月は何気なくそちらへ視線を向ける。
すると、ひまわりの母親が激辛カレーを食べながら涙をこぼしている場面が目に入った。
「さあ、どうでしょうか」
他人のことなんて、悠月にとってはどうでもいい。
少しも興味を示さず、視線を逸らした。




